2026年4月19日日曜日

「父」[芥川龍之介の偶景]

 芥川龍之介の「父」は、「新思潮」(大正5年5月)に発表された。芥川が24歳の時の作品である。話者の「私」は芥川自身の分身だと思われる。


 「私」が中学4年生の秋、日光から足尾にかけての三日間の修学旅行があった。その出発の朝、上野停車場の待合室で、同級生の「能勢五十雄」(のせ いそお)らと共に列車を待っていた。能勢は器用で芸達者だった。詩吟、薩摩琵琶、落語、講談、声色、手品、何でもできた。通りすがりの人々を辛辣で諧謔に富む言葉で揶揄して仲間を笑わせていた。

 そのうち仲間の一人が時代遅れの奇妙な格好をした老人を見つける。仲間たちは能勢に「おい、あいつはどうだい。」と呼びかける。「私」はその老人が能勢の父親であることに気づくが、他の仲間たちはそのことを知らない。能勢は自分の父を「あいつはロンドン乞食さ」と言い放つと、仲間たちはを笑い出す。「私」は思わず下を向く。その時の能勢の顔を見るだけの勇気が欠けていたからである。

 その後の場面について小説の本文を引用したい。

 曇天の停車場は、日の暮のようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食の方をすかして見た。
 すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井の明り取りから、茫と斜めにさしている。能勢の父親は、丁度その光の帯の中にいた。――周囲では、すべての物が動いている。眼のとどく所でも、とどかない所でも動いている。そうしてまたその運動が、声とも音ともつかないものになって、この大きな建物の中を霧のように蔽っている。しかし能勢の父親だけは動かない。この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折をあみだにかぶって、紫の打紐のついた懐中時計を右の掌の上にのせながら、依然としてポンプの如く時間表の前に佇立しているのである……


 「私」の眼差しは日差しの動きを追っていく。

 能勢の父は光の帯の中にいて動かない。その周りではすべての物が動き、光や声や音が混じり合って停車場の中を蔽っている。光の帯の中で動かない父とその周囲で動くあらゆるものたちの対比的な光景を「私」の眼差しは捉えている。

 芥川龍之介はそのような偶景に触発されて、この出来事を描こうとしたのであろう。

 後日「私」は、能勢の父親が息子の出発を一目見ようと内緒で停車場へ立ち寄っていたことを知る。能瀬は中学を卒業するとまもなく肺結核で亡くなった。追悼式で「私」は「君、父母に孝に、」という句を悼辞の中に入れた。


 父と息子との関係は複雑である。息子は父に対する愛情を持っているが(持っているからこそと言うべきか)、その情を素直に表すことができなくて、時に疎ましく思い、時に遠ざけてしまう。能勢の場合、芸達者な道化者であるがゆえにその特質が強く現れたが、父に対する自然な情愛はあっただろう。そのような心性が「父」には的確に描かれている。そして、その心性は芥川のものでもある。また、筆者自身にもそのような心性があることを付け加えたい。


 また、時代背景についても考えたい。作者の芥川が中学4年生だったのは明治41(1908)年。明治の後期には日本の経済が飛躍的に発展した。その一方で社会には様々な歪みも出てきた。時代の潮流に適合できる人もあれば時代から取り残される人もいた。能瀬の父はおそらく後者だったのだろう。

  話者「私」は能瀬の父、「現代と縁のない老人」のかぶる黒の中折れ帽について「現代を超越した」とも形容している。現代と縁のないことは現代を超越していることでもある。そのように「私」は考えたはずである。そして能瀬の父のような人間は少なくなかった。

 待合室の時間表の前に佇立する能瀬の父に対する「私」の眼差しには、時代に取り残されたものに対する深い想いがある。そしてこの偶景にはどこか懐かしさがある。取り残されるようにして過ぎ去っていったものに対する愛惜の情が浮かび上がってくる。


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