公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込/先着90名 *下記の申込フォームからお申し込みください。

公演内容

公演内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(文学研究 山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて声と身体で演じる)・下座(三味線)エイコ

申込方法

下記の〈申込フォーム〉から一回につき一名のみお申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉  ②メール欄に〈電子メールアドレス〉  ③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません。特に、メッセージ欄へ何も記入しないと送信できませんのでご注意ください。(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)申し込み後3日以内に受付完了(参加確定)のメールを送信しますので、メールアドレスはお間違いのないようにお願いします。3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください。 また、メールアドレスをお持ちでない方はチラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *先着90名ですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

申込フォーム

名前

メール *

メッセージ *

2025年10月7日火曜日

十月の金木犀 [志村正彦LN372]

 今朝、仕事に出かけようと玄関を開けて車に向かった瞬間、全身があの甘い香りに包まれた。記憶のなかの金木犀の香りに間違いない。やっと金木犀の季節が到来したのだ。


 毎年、9月の下旬になるといつ金木犀の香りが漂うのか気になって仕方がない。あたかも〈世の中にたえて金木犀のなかりせば秋の心はのどけからまし〉といった心境なのだ。 気温が下がることによって金木犀は開花する。ところが、今年は九月になっても夏のような気候が続いた。志村正彦は「赤黄色の金木犀」で〈冷夏が続いたせいか今年は/なんだか時が進むのが早い〉と歌った。確かに冷夏が続くと夏が短く感じられ時の速度も早くなるような気がする。6月、7月から8月、9月まで非常に暑い日々が連続した今年の夏はとても長く感じられた。時の速度もゆっくりとしていた。まるで永遠に夏が終わらないようでもあった。


 このブログでは毎年のようにこの時期に金木犀の報告をしてきた。2022年には〈毎年、甲府盆地では9月の26日か27日頃に香り始める〉と書いてある。しかし、2023年は10月15日の日付で〈数日前から、金木犀が香りだした。今年は遅い〉とあり、10月10日頃だったようだ。2024年は10月17日の日付で〈一昨日から、家の周りからあの特別な香りが微かに漂い始めた。例年より二十日以上遅いことになる〉とあるので、10月15日だった。今日は10月7日。ということは去年よりも一週間ほど早かったことにはなる。

 2023年、2024年、2025年と三年続きで10月の第一週から第二週にかけて開花しだしたのは、実感としてはやはり、夏の季節が長く続き、秋の到来が従来より遅くなっているからであろう。


 金木犀が香り始めた今日、志村正彦・フジファブリックの「赤黄色の金木犀」ミュージックビデオ(YouTube フジファブリック Official Channel)と歌詞の全部を紹介したい。




  「赤黄色の金木犀」 (作詞・作曲:志村正彦)



  もしも 過ぎ去りしあなたに
  全て 伝えられるのならば
  それは 叶えられないとしても
  心の中 準備をしていた

  冷夏が続いたせいか今年は
  なんだか時が進むのが早い
  僕は残りの月にする事を
  決めて歩くスピードを上げた

  赤黄色の金木犀の香りがして
  たまらなくなって
  何故か無駄に胸が
  騒いでしまう帰り道

  期待外れな程
  感傷的にはなりきれず
  目を閉じるたびに
  あの日の言葉が消えてゆく

  いつの間にか地面に映った
  影が伸びて解らなくなった
  赤黄色の金木犀の香りがして
  たまらなくなって
  何故か無駄に胸が
  騒いでしまう帰り道


 大学で担当している「日本語スキル」という科目は読解力・思考力・表現力を育成するものだが、後期開始の9月下旬の授業ではここ数年「赤黄色の金木犀」を取り上げている。日本語の詩的表現について考えるためだ。今年も先週行ったが、その際の学生の感想を記したい。


  • 私は金木犀が大好きなので、最初に映し出された時にどんな歌だろうと思ったが、実際に聴いて歌詞を見てみて、志村さんの作詞能力がどれほど優れていたかが伝わった。
  • 「赤黄色の金木犀」は最初と最後が切ない感じでしたが中盤が盛り上がっていてアップダウンが激しい曲だと思いました。
  • 時間が過ぎるのが早く焦り始める気持ちが、今の私と重なる部分がある。
  • 志村正彦さんの作詞力とメロディの乗せ方が上手で、その時代に生きていたかったと思うとともにその才能が存分に発揮されなかったことが非常に悔やまれるなと思った。


 志村正彦の優れた作詞能力、最初・最後・中盤のテンポ、時間と焦りの感覚についての的確な指摘があった。最後の学生は〈その才能が存分に発揮されなかったことが非常に悔やまれる〉と述べている。志村がその短い生涯で才能を十分に発揮したことは言うまでもないが、この学生が言いたかったことはおそらく、志村が今も存命であればその才能をさらに発揮して素晴らしい作品を創造したが、それが現実として叶えられなかったことに対する〈非常に悔やまれる〉想いを伝えたかったのだろう。同じような想いを私も抱いている。


 毎年、この秋の季節に「赤黄色の金木犀」の歌を聴くと、たまらなくなって、何故か無駄に胸が、騒いでしまう。


2025年10月5日日曜日

飯田蛇笏・飯田龍太文学碑碑前祭/「若者のすべて」を詠む短歌 [志村正彦LN371]

  一昨日10月3日は、山梨出身で近代俳句を代表する俳人、飯田蛇笏の命日だった。この日、甲府の「芸術の森公園」で「飯田蛇笏・飯田龍太文学碑碑前祭」が開かれた。蛇笏の孫、龍太の息子である飯田秀實氏が理事長を務める「山廬文化振興会」が主催する会で、今年で十一回目を数える。蛇笏、龍太の碑のそれぞれに居宅だった「山廬」で摘まれた花が供えられた。

 この日のための「碑前祭句会」には国内外から566句の応募があり、最高賞の「真竹賞」には仲沢和子さん(山梨県北杜市)の「雲の峰父子それぞれの文学碑」が選ばれた。応募されたすべての句は冊子に閉じられて文学碑に献句され、俳人の瀧澤和治氏と井上康明氏がおのおの二人を偲ぶ話をされた。関係者や受賞者など60人ほどの参加者が飯田蛇笏と飯田龍太を追悼する特別な場であり、貴重な時間であった。

 

 「山梨県立文学館」の研修室での授賞式の後、私が「飯田蛇笏と芥川龍之介」という題で五十分ほどの講話を行った。飯田秀實理事長からの原稿依頼をいただいて、ここ一年半ほどの間、山廬文化振興会の会報「山廬」に四回に渡って「蛇笏と龍之介」という批評的エッセイを書いてきた。その原稿を元にしてスライドを作成して、二人の交流の軌跡を六つの観点を設定して振り返った。

  芥川龍之介は「ホトトギス」大正7年8月号の雑詠欄に「我鬼」の俳号で「鍼條に似て蝶の舌暑さかな」他一句を投句し、蛇笏が「雲母」大正8年7月号で「我鬼」が龍之介と知らないまま「鍼條に」句を「無名の俳人によって力作さるる逸品」と評価したことを契機として、二人の交流が始まる。手紙のやりとりや書籍・雑誌の贈答を通じてのものだったが、この二人には深いつながりやきずながあった。このテーマについては今後このブログでも書いてみたい。


 * * *


 〈甲府 文と芸の会〉を結成したこともあり、最近は地元の「山梨日日新聞」の短歌・俳句・川柳・詩の投稿欄を読むことを楽しみにしている。ほとんどが山梨県内の愛好者からの投稿であり、山梨の風景や生活に根ざした作品が多い。生活者の眼差しからの言葉に感銘を受けることや学ぶことが少なくない。毎週日曜日に掲載されるので、今日10月5日の朝、投稿欄に目を通すと、選者の歌人三枝浩樹氏に佳作として選ばれたある短歌に目が釘付けになった。


○「若者のすべて」が流れる夕暮れは若者だった頃を思いて   北杜 坂本千津子

 

 三枝氏は選評でこう述べている。


富士吉田市出身のフジファブリック、代表曲の「若者のすべて」の流れる夕暮れ。その歌に耳を澄まして「若者だった頃を」しみじみと想起する坂本さん。名曲は時代を超えて、かく人の心に甦る。


 三枝氏の選評がこの短歌のすべてを的確に語っているので、専門家でもない僕が付言することはないのだが、一つだけ触れるならば、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」が短歌の中にこのように詠み込まれ、深い感慨を覚えたことである。山梨県北杜市在住の作者坂本千津子さんは「若者だった頃を思いて」とあるので、ある程度の年齢の方だと推測する。年齢や世代を超えたこの歌の広がりを感じる。

 実際、7月の「若者のすべて」と12月の「茜色の夕日」が富士吉田の夕方の防災無線で流れることはほとんど毎回、地元のNHK、YBS山梨放送、UTYテレビ山梨のニュースで放送され、山梨日日新聞に掲載される。山梨県民のかなり多くの方(ほとんどすべて、と言ってもよいくらいに)が志村正彦とその歌の存在を知っている。


 三枝浩樹氏の「名曲は時代を超えて、かく人の心に甦る」という言葉を記憶しておきたい。

 この「かく」はこの歌を聴いたすべての人のおのおのの心のなかにある。時の流れのなかにあるもの、大切なかけがえのない何かを、それぞれの姿で蘇らせる力が「若者のすべて」にはあるのだろう。


2025年10月4日土曜日

11月3日公演の申込者数(10/4 現在)

今日 10/4 現在、 〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込者は、81名になりました。お申し込みいただいた方には感謝を申し上げます。

残席が少なくなってきましたので、参加希望の方はお早めにお申し込みください。

2025年9月25日木曜日

11月3日公演の〈申込フォーム〉設置

11月3日(月・祝日)、こうふ亀屋座で開催される〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の〈申込フォーム〉をこのブログのトップページに設けました。

この〈申込フォーム〉から一回につき一名のみお申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉  ②メール欄に〈電子メールアドレス〉  ③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません。特に、メッセージ欄へ何も記入しないと送信できませんのでご注意ください。(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)

申し込み後3日以内に受付完了(参加確定)のメールを送信しますので、メールアドレスはお間違いのないようにお願いします。3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください。

*メールアドレスをお持ちでない方はチラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 

*先着90名ですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。よろしくお願いいたします。

2025年9月17日水曜日

11月3日公演情報、「こうふ亀屋座」HPに掲載

 本日9月17日、「こうふ亀屋座」のホームページの「お知らせ・イベント」欄に、 

【2025.11.3】太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会

 の情報とフライヤー画像が掲載されました。

 青字の部分をクリックするとHPが開きます。

「こうふ亀屋座」の御担当者様、どうもありがとうございました。

2025年9月11日木曜日

11月3日(月・祝日)こうふ亀屋座、〈太宰治「新樹の言葉」「走れメロス」講座・朗読・芝居の会〉開催

 11月3日(月・祝日、文化の日)の午後2時から「こうふ亀屋座」で、〈甲府 文と芸の会〉の第1回公演〈太宰治「新樹の言葉」「走れメロス」の講座・朗読・芝居の会〉を開催します。

 〈甲府 文と芸の会〉は、甲府や山梨に関わる小説や詩歌などの〈文〉の講座や演劇・音楽・映画などの〈芸〉のイベントを行うために設立しました。第1回目のテーマは、甲府ゆかりの作家太宰治の小説「新樹の言葉」と「走れメロス」です。このブログでイベントの詳細の説明や申込の受付をします。

 

 太宰治は、1938(昭和13)年の十一月から甲府に住み始めました。翌年一月に甲府の女性石原美智子と結婚して新婚生活を送ります。五月刊行の小説集『愛と美について』に収録された「新樹の言葉」は、甲府の中心街や舞鶴城跡を舞台とする作品です。

 九月、作家としての仕事のために東京の三鷹へ転居しました。翌年五月に代表作「走れメロス」を発表しました。

 「新樹の言葉」と「走れメロス」は、ストーリーは全く異なりますが、登場人物の造形や関係が類似しています。太宰の分身ともいえる存在が、兄・妹・親友という三人の若者の真摯に生きる姿に感銘を覚えて、自らの生き方を変え、再生への道を歩もうとします。

 この公演ではミニ講座・作品朗読・独り芝居の三つのプログラムによって、甲府時代の太宰治を浮き彫りにします。以下、その概要をお知らせします。


日時:2025年11月3日(月、文化の日)
    開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30
会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)  
内容:
Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」
 講師 小林一之(文学研究[芥川龍之介・山梨ゆかりの作家] 山梨英和大学特任教授)
 朗読 エイコ(有馬眞胤の芝居に津軽三味線で合いの手を入れる活動を中心に朗読や篠笛      も行う)
Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」 
 俳優 有馬眞胤(劇団四季出身。舞台を中心に活動し、蜷川幸雄演出作品に20年間参加した。2005年より文学作品をすべて覚えて独りで演じる「有馬銅鑼魔」の公演を続けている)
 下座(三味線) エイコ

主催:甲府 文と芸の会
料金:無料(事前の申込みが必要です。9月25日から受付を開始します。先着90人)

 *9月25日(木)からこの〈偶景web〉内に申込フォームを設置します
 *先着90人ですので、ご希望の方は早めにお申し込みください
  よろしくお願いいたします。



〈甲府 文と芸の会〉の公式ブログはこの〈偶景web〉 https://guukei.blogspot.com です。



2025年9月8日月曜日

『太陽(ティダ)の運命』佐古忠彦監督/山梨と沖縄

 8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督の映画『太陽(ティダ)の運命』を見た。この日は佐古監督の舞台挨拶もあった。今日は昨日に続いて、佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について書きたい。


 佐古監督はTBSの元キャスターだからご存じの方が多いだろう。現在は映画監督として、沖縄の歴史と現実をテーマとする『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年)、『米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019年)、『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』(2021年)と今回の『太陽(ティダ)の運命』(2025年)の四本の映画を制作してきた。まず、予告編を添付する。


 

 この日の観客は30名ほどでいつもよりかなり多かった。上映後、監督がこの作品について語った。RBC琉球放送の資料室で30年間の映像を見て、映画に使う箇所を探していったそうだ。ニュース映像自体は短く断片的でもあるので、その基になった素材映像を見つけるのも大変なことだっただろう。Be館で語ったことを正確に再現できないので、その三日前に地元のUTYテレビ山梨で放送されたインタビューの記事を紹介したい。


「反目しあっていた2人が長い時を経て、結果同じ道を歩んでいく、そこを紐解くことが、実は沖縄の歴史を見ることにもなり、この国が沖縄に対してどう相対してきたのかの答えがある」

「民主主義だと言って常に少数派の上に多数派があぐらを書き続けている状態が果たして民主的といえるのかどうか、多数派こそが実は考えなければいけない事象がここにあるのではないか」

「複雑な感情を抱えながら人間が物事を動かしてきた歴史だと強く感じる。どんな人間ドラマがあったのか、そこにぜひ注目してほしい。その先にあるのが沖縄という場所であり、丸ごと日本の歴史だというところをぜひ伝えたい」


 佐古監督が沖縄そして日本の歴史や社会、政治の現実をドキュメンタリー映画で一貫して追究している。沖縄と本土、地方自治と国家、日本とアメリカ、民主主義の少数派と多数派という関係のあり方を鋭く問いかける。イデオロギーではなく、人物の生き方を通じて問い続けているところが優れている。

 監督の舞台挨拶の後、パンフレットのサイン会があり、僕もサインしていただいた。その時少し言葉を交わすことができた。穏やかな視線と物腰の柔らかい姿が印象的だった。


 沖縄と山梨にもいろいろな関わりがある。

 戦後、1945年から米軍は富士北麓(富士吉田市と山中湖村)にある「北富士演習場」に常駐していたが、1956年、その大部分が沖縄に移った。その11年の間、現在の沖縄と同様の事件や事故が起きたことを地元紙の山梨日日新聞社の取材班が「Fujiと沖縄」という連載記事で綿密に報道した(2022年1~6月新聞連載、2023年6月書籍『Fujiと沖縄』刊行[山梨日日新聞社]、第22回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)。つまり、富士北麓の困難や混乱を結果として沖縄に押しつけたことになる。このような事実に無知であった僕は衝撃を受けた。また、北杜市出身の八巻太一は沖縄各地で教員を務め、退職後に私財を投じて私立沖縄昭和女学校を設立し商業教育を推進したことも「Fujiと沖縄」の記事から詳しく知ることができた。

 音楽でも深いつながりがある。

  甲府育ちの評論家竹中労は、『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースし、コンサートも企画して、嘉手苅林昌を始めとする「島唄」を紹介した功績は大きい。また何といっても、甲府出身の宮沢和史・THE BOOMの「島唄」が挙げられる。1992年1月のアルバム『思春期』で発表され、1993年6月シングルとして発売されて大ヒットとなった。この歌によって沖縄戦に関心を持った人は数知れないだろう。リリースから三十数年が経つが、この歌の影響力は非常に強い。


 8月にBe館で見た『マリウポリの20日間』と『太陽(ティダ)の運命』は、ニュースの取材記者や番組のキャスターであるジャーナリストが監督した。ドキュメンタリー映画の持つ、映像の力、時間を記録する力の可能性を強く感じた。『木の上の軍隊』は劇映画だが、実話を元にしているのでドキュメンタリー的な要素があり、そのことが作品に力を吹き込んでいた。

 Be館の小野社長とも少し話ができたが、この8月に『マリウポリの20日間』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』という作品を上映したのは、やはり戦後80年を意識しての計画だったそうだ。このような企画をするミニシアターが地方にあることには大きな意義がある。

 この映画はBe館では11(木)まで上映している。その他の地域でもまだ上映中の館もある。今後配信されることがあるかもしれないので、機会があったらぜひご覧いただきたい。