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2024年11月10日日曜日

2024ハタフェスと「赤黄色の金木犀」の黒板画[志村正彦LN357]

 もう三週間前になるが、10月19日、「山梨学Ⅱ」という授業で30人の学生と一緒に富士吉田の「2024ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを学ぶための現地見学と調査だ。ここ数年の間、行っている。朝9時にバスに乗って大学を出発。心配していて天気も何とかもちそうで、御坂トンネルを越すと、富士山がその美しい姿を現した。少し雲はかかっていたが、まだ雪はなかった。夏山の富士だった。10時に富士吉田市役所の駐車場に到着。バスを降りて会場に向かった。引率教師と学生たちが集団で歩く姿は、まるで小学生の遠足のように見えただろう。

 ハタフェスは富士吉田の秋祭り。二日間、本町通り沿いの各会場でハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。昼までは五人ずつの六つのグループに別れて見学し、インタビューなどを通して調査を行い、見学報告のSLIDEを作成するのが課題だ。午後は各自の自由見学という流れだ。僕もいくつかのスポットを廻った。ところどころで学生たちとも出逢った。


 まずはじめに、KURA HOUSEで開催の「私のハタオリマチ日記展」。イラストレーターのmameさんが描いてきたRIHO、SACHI、AOIの物語とそのイラストが展示されていた。mameさんの絵のキャラクターはとにかく愛らしいのだが、状況や背景もしっかりと描かれているので、その場の雰囲気がよく伝わる。富士吉田という街と人の物語が浮かんでくるのだ。志村正彦ゆかりの喫茶店と言われる「M2」の前で佇むイラストも飾られていた。ポスターやポストカードのプレゼントもあったのが嬉しかった。


 今年はフードコートのようなエリアが充実していた。甲府のAKITO COFFEEの店があったので、フィルターコーヒーを深煎りで注文した。出来上がりまでの時間、このエリアにいる人びとを眺めると、各々がゆっくりとこの場にいることを楽しんでいるようだ。一息つくことができた。コーヒーで身体が温まる。チョコレートのマフィンも美味しかった。

 次は小室浅間神社。ここに来るといつもポニーを見に行く。可愛い眼が和ませる。こういう場もあるのがハタフェスのよいところだ。



 この後、中村会館を目指して本町通りを上がっていく。途中で驚くことがあった。M2近くにある謎の古書店「不二御堂」が何とオープンしているではないか!ここは何度も通ったことがあるが、いつも閉まっていた。初めて入り、高速に眼を動かして、書籍を物色。僕の趣味に合う本が多い。懐かしい本もたくさんあった。「現代詩手帳」のバックナンバーに掘り出し物があったので購入した。

  中村会館のエリアには黒板当番さんのコーナーがある。毎年ここに寄るのを楽しみにしている。志村正彦の黒板画をプリントした小さな絵が並んだパネルが立っていた。何度見てもあきることがない。


 

 さらに、富士山駅まで歩いていく。ゆるやかだが上り坂なのでけっこうしんどい。目指すは、駅ビル『ヤマナシハタオリトラベル』にある、志村正彦・フジファブリック「赤黄色の金木犀」をテーマとした黒板画だ。

 今年はいつもと違い、エレベーター近くの目立つ場所に飾られていた。
 絵の全体が赤黄色の色合いに溶け込んでいる。金木犀が香ってくるようだ。チョークの綺麗な点描で志村正彦の表情が繊細に描かれている。黒板当番さんがたくさん描かれてきた志村画のなかで、この絵がもっとも好きになった。




 見学から一週ほど後に、授業で六つのグループによる「ハタフェス見学報告」SLIDEの発表会を行った。全グループをまとめると120枚のSLIDEが出来上がった。いろいろな観点からハタフェスの魅力を語り、地域活性化のためのアイディアを考えた。課題や改善点も探った。

 あるグループが「YOUは何しにハタフェスへ」と題して、海外から来た人へのインタビューをまとめた。このユニークなテーマが大好評だった。フランス人夫婦(40代)、台湾人カップル(30代)、ドイツ人女性(30代)、オーストラリア人女性(40代)、マレーシア人男性(20代)と、国際色がほんとうに豊かだ。
 ハタフェスについては、「民泊のところに置いてあったチラシで知った」「泊まってるホテルから教えてもらった」「富士山や新倉山浅間公園を見に来たら、たまたまやっていた」という回答。みんな、雰囲気が素晴らしいと答えてくれたそうだ。

 これから、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」が世界に知られるようになるのかもしれない。この街にはそのようなパワーがある。

2024年10月17日木曜日

「赤黄色の金木犀」と「金麦〈帰り道の金木犀〉」[志村正彦LN356]

 僕の住む甲府では、毎年、九月の下旬には金木犀が香り出すのだが、今年はまったくその兆しもなかった。金木犀は気温があるところまで下がってくと、花が開花し、香り始める。今年はあまりにも猛暑が続いた。その影響で全国各地で金木犀の季節が遅れているようだ。

 もしかすると今年はもう香らないなのかもしれない。そんな心配をしていたところ、一昨日から、家の周りからあの特別な香りが微かに漂い始めた。例年より二十日以上遅いことになる。暑い季節と寒い季節の二つが巡っているような季節感が定着しだした。秋は束の間に過ぎ去っていく。


 毎年、金木犀が香り始めると、志村正彦・フジファブリックの『赤黄色の金木犀』の音源をあらためて聴くことにしている。大学の日本語表現の授業では、短い時間を使って曲の歌詞を分析して、日本語の詩的表現の特徴を伝えることがある。一昨日、この授業があった。このタイミングしかないと思って『赤黄色の金木犀』を取り上げた。学生に音源を聴かせた後で、特に〈赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって/何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道〉の箇所について次のようなことを語った。


  • 香りというものは我々の記憶の深いところに作用する。意識にも上らない何かの出来事と金木犀の香りが結びつき、無意識の底に張り付いているのかもしれない。
  • 〈何故か〉〈無駄に〉〈胸が〉〈騒いでしまう〉。一つひとつの言葉は分かりやすいものであっても、この配列による表現はなかなか解読しがたい。言葉の連鎖のあり方が単純な了解を阻んでいる。〈胸が〉〈騒いでしまう〉想いの内実は明かされることなく、言葉の間に隠されているが、〈何故か〉〈無駄に〉という修飾語が痛切に響く。
  • 歌詞の全体に三拍の言葉によるビート感があり、〈強・弱・弱〉の反復がリズムの区切りとなっている。特に〈何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道〉の〈なぜか・むだに・むねが・さわい・で・しまう・かえり・みち〉というフレーズは、三拍の頭の〈な・む・む・さ・し・か・み〉の強い響きが、何かに急き立てられるような感覚を打ち出す。


 この九月サントリーが発売した発泡酒「金麦〈帰り道の金木犀〉」が、志村ファンの間で話題になった。そのWEBには〈アロマホップを使用し、上面発酵酵母を用いて醸造することで、甘く爽やかな香りを実現しました〉とある。〈帰り道の金木犀〉という命名は、〈帰り道〉〈金木犀〉という語を各々使うことはあるかもしれないが、〈帰り道〉〈の〉〈金木犀〉という言葉の連鎖になると、おそらく、「赤黄色の金木犀」の歌詞から着想を得たものだと思われる。あるいはむしろ、この歌に対するオマージュのような気もする。9月のアルコール飲料売上ランキングの1位はこの〈帰り道の金木犀〉だったという記事を読んだ。商品名のセンスが良いことも売れている要因だろう。



 販売開始後まもなくスーパーで買ってきたのだが、僕は酒がまったく飲めない。缶を眺めるだけの日々が続いたが、昨夜、甘い香りがする酒を飲む夢を見た。これまで酒を飲む夢を見たことは一度もない。間違いなく、金木犀の香りがしたことにも触発されて、僕の無意識が〈帰り道の金木犀〉を飲みたいという欲望を成就させたかったのだろう。


 今夜、10月17日のNHK「クラシックTV」という音楽番組を見た。テーマは「音楽会議ふたたび! エモいって何?」。〈最近よく耳にする「エモい」ってどういう意味?に音楽から迫る「音楽会議シリーズ」第2弾!エモい感情を生み出す音楽とは?おすすめの「エモ曲」と共にひも解きます〉という趣旨だった。

 この番組で〈世の中には「これはエモい!」と感じるエモ曲があります〉というナレーションとともに、フジファブリック「若者のすべて」のMV映像が一瞬だけ流れた。志村の声も聞こえてきた。「エモ曲」の代表曲としての扱いだが、時間が短すぎて「エモい」感じに浸れなかった。他にいくつもの曲が紹介されていたが、音楽はそもそもエモいものである。


〈エモい〉の辞書的な意味は〈感情が揺さぶられて何とも言い表せない気持ちになること〉だと説明されていた。このような意味合いであれば、志村正彦のかなりの、というよりもほとんどすべての曲は、エモいと言える。「若者のすべて」は、当然、エモい。しかし、エモい感情や感覚が最もあふれている曲は、「赤黄色の金木犀」ではないだろうか。

 この曲は聴き手の感情を揺さぶる。イントロとアウトロの志村によるアルペジオのギター音が流れ、歌詞の言葉は繊細に情緒深くつながる。曲が金木犀の香りを想起させる。音と言葉、様々な要素が複雑に共鳴して、感情を揺さぶり続け、何とも言えない気持ちにさせる。まさしく、〈何故か無駄に胸が/騒いでしまう帰り道〉にいるようなエモい想いに聴き手は包まれる。


  金木犀が香りはじめた。「赤黄色の金木犀」に耳を澄ました。「金麦〈帰り道の金木犀〉」の缶を眺めていた。甘く香る酒の夢を見た。何故か、無駄に、僕の無意識が騒いでしまった。


2024年9月29日日曜日

『若者のすべて』カバー、suis from ヨルシカ/大島美幸・こがけん/ガチャピン。[志村正彦LN355]

 2024年の夏は、suis from ヨルシカによる『若者のすべて』カバーが、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の主題歌として話題を集めたが、大島美幸・こがけん、ガチャピンによる素晴らしいカバーが続いた。今日はこの三つのカバーについて触れたい。


 まず、suisのコメントから始めたい。suisは、10代後半の頃、あるアーティストの「若者のすべて」弾き語りカバーをライブ配信で聴いて、すごくいい曲だと衝撃を受けたそうだ。『suis from ヨルシカ 特集|フジファブリックの名曲「若者のすべて」カバーで描く“未知への希望”』という記事で、当時の想いについてこう述べている。

歌詞やメロディ、志村さんの歌声に“青春の延長”みたいなニュアンスを感じたんです。その頃の私は青春時代を過ごしていたんですけど、「これはいつか過ぎ去るものなんだ」と思っていて。「若者のすべて」には、過ぎ去ってしまった青春を未来から見ている感覚があったんだと思います。

 この歌を〈過ぎ去ってしまった青春を未来から見ている感覚〉として受けとめたというのが興味深い。志村正彦のかなりの作品には、未来から現在そして過去へと遡っていく視線があるからだ。時間への独特な眼差しが彼の歌に深みと広がりを与えている。

 suisが歌う『若者のすべて』には Music Videoがある。映像は、映画「余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。」ではなく、新たに制作された。監督は映画と同じ三木孝浩。二人の女の子は、映画で早坂秋人(永瀬廉)の妹夏海を演じていた月島琉衣と豊嶋花。キャスティングのつながりがあるので、あたかも早坂夏海の世代の物語のように見えてくる。

 suis from ヨルシカ 「若者のすべて」 Music Vide【2024/06/28】



 以前、「若者のすべて」の「僕ら」について次のように書いたことがある。

 「僕ら」とは誰なのか。
 『若者のすべて』の物語の鍵となる問いだ。「最後の花火」系列では、「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」と「まいったな まいったな 話すことに迷うな」という二つの対比的なモチーフが要となっている。「まぶた」を閉じた「僕」は「まぶた」の裏の幻の相手に対し「会ったら言えるかな」と、「まぶた」を開けた「僕」はその眼差しの向こうの現実の相手に対し「話すことに迷うな」と、心の中で語り出す。
 「僕ら」という一人称代名詞複数形によって指示されるのは、歌の主体「僕」と、「僕」の眼差しの対象である相手との二人であろう。「僕」の強い欲望の対象となっている相手であるから、恋愛の対象とみるのも自然だ。「僕」にとってその相手は、恋愛の関係である、あった、あるだろう、あるいはありたい、という枠組みで括られると読むのが普通なのだろう。しかし、恋愛の物語としての『若者のすべて』というのは動かしがたい解釈なのだろうか。
 「恋愛」という関係性は、その本質からして閉じられていくものだが、「僕らは変わるかな」という問い、「同じ空を見上げているよ」という眼差しからは、閉じられていくというよりも、開かれているような、そして、おだやかに変化しつつある関係性のようなものが伝わってくる。微妙ではあるが、その実質には「友愛」のような関係性も入り込んでいるように、私には感じられる。
 この場合の「友愛」とは、「愛」と呼ばれる関係からエロス的なものを排除したものであり、友人、仲間、同じ世代や同じ志を抱く共同体にゆるやかに広がっていく。そのような関係に基づく「僕ら」は、『若者のすべて』が収録されている『TEENAGER』のコンセプトにもつながるような気がする。十代の若者たち、今その世代に属する者も、かってその世代に属していた者も、これからその世代に属することになる者にとっても、「僕らは変わるかな」という問いはリアルなものであり続けるだろう。


 三木孝浩監督による「若者のすべて」Music Videoの「僕ら」は、月島琉衣と豊嶋花が演じる二人の女の子である。

 冒頭、花火のシーン。豊嶋花「ね」、月島琉衣「うん」、豊嶋花「来年もまた花火を一緒に見れるかな」。月島琉衣は返事をしないで少しだけ微笑む。豊嶋花は不安そうな表情。映像の最後では季節が冬へと変わり、二人はひとりひとりで別の場所にいる。この二人に何があったのかは、見る者の想像に委ねられているが、「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」というフレーズに収斂していくことは間違いないだろう。


若者のすべて/フジファブリック/Miyuki Oshima/ Kogaken【2024/07/26】

  


 大島美幸[森三中]とこがけん(古賀憲太郎)のデュエットによる『若者のすべて』。このカバーの「僕ら」は、この歌を愛する同志、芸人仲間のことになるだろう。二人の生まれは1980年と1979年。志村正彦と同年、同世代である。同世代の「僕ら」が同じ空を見上げているかのように、美しいハーモニーで歌っている。


【最後の花火に今年もなったな】フジファブリック - 若者のすべてをガチャピンが歌ってみた。 Fujifabric - Wakamono No Subete 【2024/09/01】



 あのガチャピンが『若者のすべて』を歌う。これには驚いたが、聴いた後でその質の高さにさらに驚いた。東京お台場のフジテレビ本社などを背景に、ビルの屋上で佇みながら一人で孤独に歌う姿。夕方から夜にかけてのウォーターフロントの灯りがとても美しい。

街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きをとり戻したくなって

 ガチャピンの〈途切れた夢の続き〉は何だろうか。そんなことを想う。ここからそう遠くはない場所で、フジファブリック20周年記念「THE BEST MOMENT」ライブが開かれたことも想い出す。いろいろな想いが浮かんでくる歌であり、映像である。


  志村正彦・フジファブリック 『若者のすべて』のカバーのすべては、すぐにはたどりきれないほどの数となっきたが、そのひとつひとつのすべてが愛おしい。夏の終わりの季節のこの歌は、つねにすでに懐かしくなる。


2024年9月22日日曜日

歌を創り歌う者、歌を歌い継ぐ者。[志村正彦LN354]

 映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』について断続的に四回書いてきたが、五回目の今回で完結させたい。(後半の重要な台詞についての引用があることをお断りしたい)


 映画の題名どおり、春菜と秋人は各々の余命を生き、各々が旅立っていく。しかし、二人の死があからさまに描かれることはない。むしろ、その死のあとに遺されたものに焦点があてられる。

 明菜が亡くなると、スケッチブックが遺される。そのなかの言葉が春菜の声で語られる。

(春菜)秋人君へ ここが 今の私にとっての天国です 秋人君は つらいばかりだった この場所を あたたかで まぶしい場所に変えてくれたんだ ここで 私はたぶん 一生分 笑えました ここで 一生分の涙を流しました 早く死にたいと思ってた私が 一日でも長く生きたいと思えるようになりました  秋人君のおかげで 本当に幸せだったよ だから秋人君も 私の分まで長生きして ーもっともっと幸せになってー もっともっと すてきな絵を描いてね 

  《回想シーン》(秋人)それ 何描いているの?(春菜)内緒

(春菜)そしていつか 空の向こうで おじいちゃんになった秋人君と再会できる日を 楽しみにしています そのときは 君のこと “親友”って呼んでもいいよね

最後に 数えきれない お花のお返しに 私も お花を贈るね

 春菜のスケッチブックには三本のガーベラが描かれていた。

 この後、秋人は懸命に絵を描き、出術を受けて、美大に合格し、家族と旅行に出かけ、綾香を良き友にして、余命を生き続けようとする。


 数年後、綾香は社会人となる。再入院した秋人の見舞いに行く途中で花屋に寄ると、あるSNSのサイトを見つける。秋人が春菜にあげたガーベラの画像があった。

 病院の屋上で秋人は、〈人生最後の絵〉いや〈春菜にもらった第二の人生最初の絵〉を描いている。秋人の腫瘍は転移し、死が迫っていた。綾香はガーベラの画像のあるSNSのことを秋人に教える。そこには限定公開のエリアがあった。秋人はパスワードを探しあてる。そこには、

  余命半年と宣告された私が、余命一年の彼と出会った話

という題名のもとに、一連の記述が続いていた。春菜の視点からのもう一つの物語が展開していく。この映画では、秋人による〈余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話〉と春菜による〈余命半年と宣告された私が、余命一年の彼と出会った話〉の二つの物語が重層的に織り込まれる。

 春菜の言葉のなかで大切なところを引用する。

(春菜)秋に生まれた君へ 

秋人君がくれたガーベラの写真と 私の思いをつづっておくことにしました

この記述から、春菜は秋人の余命のこともすべて知っていたことが、秋人に伝わる。そして、大切なことが記されていた。

そして私が先に死んで 空の上から君を見守るから

花火の夜 言えなかったことは 伝えないままでいくね

《8月20日花火の夜、回想シーン》

(春菜)あのね 私ね (花火の音)本当のこと言うと 秋人君のことが…

 ここでも、春菜の〈本当のこと〉は言葉として書かれることはなかった。 

(春菜)だけどもし 巡り巡って 君がこれに気づいてくれたら 信じたい それが ずっと意地悪だった神様が 最後に私にくれた贈り物なんだって ねえ 君はきっと 6本のガーベラの意味を知って届けてくれていたんだよね 長い間 病院暮らししてるとね 見舞い花の花言葉は ひととおり 覚えちゃうもんなんだ 秋人君も知ってると信じて 私は 3本のガーベラの花言葉を 君に贈ります

 春菜のスケッチブックに描かれた三本のガーベラの絵の画像がスマホの画面に映し出される。三本のガーベラの花言葉〈あなたを愛しています〉という意味だ。春菜から秋人へ、花の絵が、花の言葉が贈られる。

 秋人は余命宣告から3年半後に亡くなった。綾香が三本のガーベラの花束を二つ抱えて墓参りに行くシーンで映画は終わる。秋人と春菜だけでなく、綾香の物語もあることを忘れてはならない。この映画では、秋人、春菜、綾香の三人の物語が語られる。


 物語の終了後、エンドロールに、suis(ヨルシカ)が歌う『若者のすべて』が聞こえてくる。やがて、展覧会場のある絵がクローズアップされてくる。その絵のキャプションにはこうある。

  二科展入選作
  早坂秋人・桜井春奈共作
  ふたりの空 (油彩/キャンパス)

 この絵はもともと、春奈が自分のスケッチブックに描いていたものだ。その絵を秋人が油絵として完成させた。だから、二人の共作であり、題名も「ふたりの空」となったのだろう。

  エンドロールには次の表示があった。

  劇中使用曲
  「若者のすべて」フジファブリック 作詞・作曲 志村正彦

  主題歌
  「若者のすべて」suis from ヨルシカ 作詞・作曲 志村正彦 編曲 亀田誠治

 原曲とカバー曲は、劇中使用曲と主題歌として位置づけられている。そして、『若者のすべて』の作詞・作曲者が志村正彦であることを明確に記している。このようなクレジット表記にも、監督をはじめとする制作者側の志村正彦・フジファブリックへのリスペクトが感じられた。

 今回は、〈映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』予告編 - Netflix〉を添付する。suis(ヨルシカ)が『若者のすべて』を歌うヴァージョンの予告編だ。
 同じ映像を背景にしても、志村の声と歌い方、suisの声と歌い方とではずいぶん印象が異なる。それでも、映画本編には劇中使用曲として志村正彦の歌を使い、終了後の主題歌としてsuisの歌を使ったのは、“残す者、残される者”、“歌を創り歌う者、歌を歌い継ぐ者”というモチーフを徹底させたからだろう。



 
 あらためて、映画を見て、この二つの歌を聞き比べた。

 劇中の志村の歌は、あたかも志村が空の彼方から春菜と秋人を見守るかのように聞こえてくる。終了後のsuisの歌は、あたかも映画の鑑賞者の私たちの視点から、春菜と秋人の二人、そして志村正彦のいる空を見上げているかのように聞こえてくる。


 志村正彦は『若者のすべて』で、〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げている〉と歌った。この歌詞の意味を受けとめると、三木孝浩監督映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』は、制作者が意図したように、死ではなく生を描こうとした作品であることが伝わってくる。

2024年9月8日日曜日

《小説の世界》《歌詞の世界》《現実の世界》 [志村正彦LN353]

 8月2日の記事〈虚構内の現実としての『若者のすべて』[志村正彦LN349]〉で、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の虚構の世界のなかで『若者のすべて』の作詞作曲者であり歌い手である志村正彦、フジファブリックの音楽が現実に存在していると書いた。一月ほど間が開いたが、再び、この映画について語りたい。

 なぜこの映画のなかに『若者のすべて』が存在しているのか。原作小説の森田碧『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』でも花火に関する出来事は語られているが、『若者のすべて』との関係は特にない。映画の方はこの曲を劇中使用曲にしたのだが、三木孝浩監督はその理由と経緯についてSTARDUSTのインタビューでこう述べている。


新たに作るのではなくて「みんなが知っている思いを乗せられる楽曲をモチーフにしたいね」という話が最初からあって、いろんな楽曲の候補が出た中でプロデューサーからフジファブリックの「若者のすべて」を提案してもらいました。僕もすごく好きな曲で、ヨルシカのsuis(スイ)ちゃんにカバーしてもらっているんですけど、志村さんが亡くなられた後もみんなが歌い繋げてきたという部分と、秋人と春奈の2人の思いをその先に生きていく人が引き継いでいく部分と同じだなと思う側面があって「これだ!」と思いました。この曲は夏の終わりの切なさを歌っているんですけど、僕はむしろ今この瞬間のエモーションを大切にしたいという曲の持っているポジティブなメッセージを2人の距離が近づいていくシーンで流したいという意図があって、この映画の切なさより力強さを表すことができたと思いました。


 『若者のすべて』を〈みんなが知っている思いを乗せられる楽曲〉として採用したようだが、この〈みんな〉には、現実の世界でこの歌を知っている〈みんな〉だけでなく、〈春菜〉を中心とする映画内の虚構の人間も含まれている。また、〈志村さんが亡くなられた後もみんなが歌い繋げてきたという部分〉と〈秋人と春奈の2人の思いをその先に生きていく人が引き継いでいく部分〉とを重ねあわせる意図があったようだ。監督をはじめとする制作者側は、『若者のすべて』の曲としての運命のようなものをこの映画の主題にも関わらせようとしている。現実と虚構の架橋をする効果も考えたのかもしれない。

 三木監督はWEBザテレビジョンのインタビューではこう語っている。


フジファブリックの志村正彦さんが作った曲で、志村さんは29歳の若さで亡くなっています。それでも、彼の音楽はいろんな人がカバーしていますし、引き継がれている。それがこの作品の“残す者、残される者”という部分にリンクしているな、と。


 つまり、志村正彦は亡くなったが作品は引き継がれている、という現実を強く意識し、その現実をこの映画の“残す者、残される者”というモチーフと結びけたことを率直に述べている。そのような意図があれば、志村正彦の声によるオリジナルの音源を劇中使用曲にするのは必然だった。


 この映画には、原作小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』の《小説の世界》、『若者のすべて』で歌われる《歌詞の世界》、夭折した志村正彦の作品が歌われ聴かれ続けているという《現実の世界》という三つの世界が織り込まれている。《小説の世界》《歌詞の世界》《現実の世界》という三つの世界をつなけるのは、“残す者、残される者”というモチーフである。

 三つの世界を重ね合わせるという構想を実現させるのは、端的に言って難しい。この映画は、8月20日の花火をめぐる出来事までの前半とそれ以降の後半とに大きく分けられる(より正確に言うと三つに大別されるが、これについては後述したい)。秋人(永瀬廉)と春奈(出口夏希)が出会い、互いに対する想いを深めていく前半で、春奈が大切にしている歌として『若者のすべて』が流れる。歌詞にある〈最後の花火〉〈最後の最後の花火〉というモチーフが映画と密接な関係を持つ。しかし、後半では《花火》のモチーフは遠景に遠ざかり、《空》とその彼方というモチーフが強まっていく。歌詞のなかの言葉で言えば、最後のフレーズの〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉が前面に出てくる。


 前半と後半との間で一貫したモチーフとして登場しているのは、絵画と絵を描くこと、ガーベラの花とその花言葉である。そもそも、スケッチブックの絵が二人を結びつける契機となった。Netflix の一連の映像には、二人の出会いとスケッチブックの絵に焦点をあてたものがある。

その〈秋人を照らした春奈の無邪気な笑顔 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。| Netflix Japan〉を紹介したい。




 この絵を描くことが、映画の後半とラストシーンにつながっていく。花火を見ることから、空を見上げること、さらに空の彼方を見つめることへとモチーフが展開していく。
 《花火》と《空》。この二つは『若者のすべて』の中心のモチーフである。
 
   (この項続く)

2024年8月31日土曜日

〈還らぬと知っているからこそ祈る〉[志村正彦LN352]

 今日は8月31日。台風のために雨が降り続いている。ときに激しい雨や雷雨になる。酷暑が続いたが、気温は低くなってきた。ようやく、真夏のピーグが去っていくのだろう。この夏を振り返りたくなった。近いところから遡っていきたい。

 昨夜、8月30日、たまたまテレビのチャンネルをつけると、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」が流れていた。テレビ朝日「ミュージックステーション」の「国民的夏の終わりラブソングtop10」という特集でこの歌が第六位に選ばれていた。夏の終わりになるとテレビやラジオからこの歌が聞こえてくる。気がつかないだけで、いろいろな夏の場面で「若者のすべて」が使われているのだろう。


 8月18日、アラン・ドロンが亡くなった。僕の世代だと洋画の美男俳優はアラン・ドロン一択だった。彼の出演作ではルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(1960年、イタリア)が最も印象深い。貧しい南部からミラノやってきた母と五人兄弟の一家の物語。アラン・ドロンが演じる三男のロッコは、都会の生活には合わず、故郷に帰りたいと思っている。家族を深く愛しているが、そのためにと言うべきだろうか、残酷な悲劇が起きる。アラン・ドロンの美しい眼差しがギリシャ悲劇のような純度をこの映画に与えている。三時間近い作品だが、必見の映画だ。

 イタリア語の原題は『ROCCO E I SUOI FRATELLI』。直訳では『ロッコと彼の兄弟』だが、『若者のすべて』という邦題が付けられた。原題とはかなりの隔たりがある邦題になった理由や経緯は不明だが、五人の兄弟、五人の若者たちの様々な人生の光と影を描いたという意味で、〈若者のすべて〉という題が付けられたのかもしれない。 

 『若者のすべて』の映像作品というと、1994年のフジテレビ制作のテレビドラマが有名だが、ヴィスコンティ監督『若者のすべて』の方が本家である。志村正彦が映画『若者のすべて』、ドラマ『若者のすべて』を実際に見ているのか分からない。今ではもう〈若者のすべて〉という言葉は作品名を超えて普通の名詞のようにも使われている。


 最後はやはり、8月4日のフジファブリック20周年記念ライブ「THE BEST MOMENT」。

  『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』は志村正彦の歌と映像、『茜色の夕日』は志村の歌とステージの生演奏を合わせた演出が記憶に強く刻まれている。

 そのスクリーンとステージのことを思いだしても、その時の感情を言葉ではなかなか表現できなかった。今日、この文章を書いているうちに、学生時代に読んだ小林秀雄の『本居宣長』の最終章の言葉が浮かんできた。小林はこう書いている。


 万葉歌人が歌ったように「神社(もり)に神酒(みわ)すゑ、禱祈(いのれ)ども」、死者は還らぬ。だが、還らぬと知っているからこそ祈るのだ、と歌人が言っているのも忘れまい。神に祈るのと、神の姿を創り出すのとは、彼には、全く同じ事(ワザ)なのであった。死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生れて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。


 生前の志村正彦をまったく知らない僕は、この〈烈しい悲しみ〉を抱く身ではない、と言える。そのような間柄があるわけではない。しかし、ここで書かれた〈死者は去るのではない。還って来ないのだ〉という言葉は、僕のような身にも強く響いてくる。

 あの日、志村の映像の姿を見て、志村の音源の声を聴いて、身に迫ってきたのはおそらく、彼は永遠に還って来ない、ということだと、今は振り返ることができる。


 春は〈桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?〉(「桜の季節」)、夏になると〈真夏のピークが去った/天気予報士がテレビで言ってた〉(「若者のすべて」)、そして秋は〈もしも 過ぎ去りしあなたに/全て 伝えられるのならば〉(「赤黄色の金木犀」)と歌われる。

 春、夏、秋と、過ぎていく時間、去っていく季節、過ぎ去った人、というように、志村正彦は、過ぎ去る、過ぎ去ってしまった、何か、誰かへの想いを繰り返し歌ってきた。それはまた、そのすべてが還って来ない、ということでもある。そして、小林秀雄が言うように、〈還らぬと知っているからこそ祈る〉のであるだろう。


2024年8月11日日曜日

Xの呟きから 「THE BEST MOMENT」ライブ[志村正彦LN351]

  フジファブリック20周年記念ライブ「THE BEST MOMENT」から一週間が過ぎた。あの夜、なかなか眠れないなかでXの呟きを読んだ。4日と5日の呟きのなかで心を動かされたものについて触れてみたい。


 はじめは、メジャーファーストアルバムのプロデューサー片寄明人氏@akitokatayose。


Aug 5 ひっそり参加するつもりでしたが、金澤くんのMCでまさかの紹介をして頂いたので…1stアルバムのプロデュース以来、20年ぶりにお手伝いをさせて頂きました。2024年のフジファブリックのステージに志村正彦を呼んで共に祝おうと、志村家、メンバー、スタッフ、みんなで考えた選曲、演出、映像でした。

Aug 5 志村くんの歌とギターは、EMI期ディレクター今村くんに相談し、志村くんが当時OKを出したマスターを借り、エンジニアの上條雄次と2人でMIX用に施されたエフェクトや調整を外し、歌った瞬間、弾いた瞬間を封じ込めた生々しい処理に仕上げました。そこに今のフジの演奏が重なった時、それは魔法でした。


 志村は片寄氏を音楽的にも人物的にもとても慕っていた。その片寄氏が演出に加わったことが「THE BEST MOMENT」の成功につながった。彼の呟きから、志村正彦をステージに呼んで共に祝うという意図があったこと、志村家、メンバー、スタッフ、そして、片寄明人氏、今村圭介氏、上條雄次氏(山梨県出身のレコーディングエンジニア。志村日記にも登場する)が協力したことが分かる。

 具体的な作業としては、録音マスターテープからMIX用のたエフェクトや調整を外して音源を作成した。確かに、8月4日の志村正彦の声にはある種の生々しさがあった。まさにその場で生で歌っているような臨場感と言ってもよい。山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一と二人のサポーターメンバーの演奏との重ね合わせもかなりリハーサルが必要だっただろう。さらに、編集された映像とのタイミングの調整もある。丁寧に時間をかけて演出されたステージは確かに魔法をかけられたようだった。魔法ではあるのだが、極めてリアルな魔法、現実のような魔法であった。

 今村圭介氏 @KeisukeImamura の呟きも記しておきたい。

Aug 4 フジファブリックのデビュー20周年記念スペシャルライブへ。感情が溢れすぎて止まらなかった。終演後、同じくライブに来てたエンジニアの川面さんとKJと合流して色々語り合ったら少し元気になりました笑   またいつか! 

  KJとは上條雄次氏のことだと思われる。今村氏は志村在籍EMI時代の4枚のアルバムの制作を担当し、志村を支えた方なので、いろいろな感情が溢れてきたのだろう。


 音楽関係者が多いなかで、映画監督の塚本晋也氏のX@tsukamoto_shiny  が目にとまった。

Aug 4 ふとした機会を得、フジファブリック20年記念ライブに。『悪夢探偵』で蒼い鳥を作ってもらった。映像の志村正彦と生のバンドがうまくミックスされ、そこに志村がいるようだった。画面の下を見るとメンバーは激しく動いているが、マイクの前は無人。あの頃から若い人が亡くなることへの恐れが強くなった


 塚本晋也監督は志村正彦の音楽を深く理解していた。『悪夢探偵』のエンディングテーマ曲『蒼い鳥』の制作を依頼した。二人は『QRANK』という雑誌で対談しているが、音楽と映画、その関係について考える上で非常に貴重なものである。(後日、この対談について書いてみたい)

 塚本監督の代表作『鉄男』はリアルタイムで見ている。とにかく衝撃だった。それ以来ほとんどの作品を見てきた。映画監督として異能を発揮してきたが、俳優としても独自の存在感を持つ。


 ライブの翌日、新宿のシネマカリテでピエール・フォルデス監督のアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』日本語版を見てから甲府に帰った。

 この作品は、村上春樹の六つの短編「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」を自由に組み合わせて作られた。今年度は前期のゼミナールで、「UFOが釧路に降りる」「かえるくん、東京を救う」を含む連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』を学生と一緒に読んできたこともあって、ぜひ見てみたい作品だった。

 中心人物は「UFOが釧路に降りる」の小村だが、それに続く重要人物が「かえるくん、東京を救う」の片桐だ。片桐はある信用金庫新宿支店の係長補佐を勤める中年男性。原作では〈私はとても平凡な人間です。いや、平凡以下です〉と述べているが、かえるくんが東京を地震から救うことに協力する重要な役割を持つ。私のゼミでも学生たちは、この片桐という存在をどう捉えるか、活発に議論していた。

 このアニメには字幕版と日本語版の二つのヴァージョンがあるが、日本語で吹き替えて制作された日本語版で、片桐の声優を担当したのが塚本晋也だった。その声と語りは片桐のイメージに重なるところが多かった。難しいキャラクターの微妙な心の陰影を塚本は的確に表現していた。声優としての才能も抜群であることが分かった。


 塚本監督のXを読み、特に〈あの頃から若い人が亡くなることへの恐れが強くなった〉という言葉に心を動かされた。その翌日、声優としての声を存分に聞くことができた。片桐がリアルな存在として迫ってくるような魔法の声だった。その偶然が心のなかに深く刻まれた。