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2023年9月10日日曜日

夢の領野の〈ソレ〉 [志村正彦LN337]

 志村正彦・フジファブリック『唇のソレ』(詞・曲:志村正彦)の楽曲は夢のなかで「睡眠作曲」によって作られたが、歌詞も夢に影響によって作られたのではないだろうか。「催眠作詞」、夢工作による作詞の過程である。

 『唇のソレ』の結びの一節である。


  それでもやっぱそれでいてやっぱり唇のソレがいい!


  〈それでも〉〈それでいて〉〈ソレがいい〉の〈それ〉音の反復と連鎖。〈やっぱ〉〈やっぱり〉の音の反復。それらの音がもつれ合いながら複雑に絡み合って、〈唇のソレがいい!〉と歌われる。音の連鎖と反復によって〈ソレ〉は発話されたのだが、イメージとしても夢の領野に登場したのではないだろうか。


 ジャック・ラカンは『精神分析の四基本概念』の「Ⅵ 目と眼差しの分裂」で、〈夢の領野ではさまざまなイメージの特徴とは、「それが現れる」ということです〉と指摘し、次のように述べている。(改訳文庫版「上」p.166-167)


  夢テクストを座標の中に位置づけ直してみてください。そうすれば「それが現れる」が前面に出ているのが解るでしょう。それは、それを位置づけるさまざまな特徴とともにあまりに前面に出ているので――それらの特徴は、覚醒状態において熟視されているものなら持つはずの地平という性質を持たず、閉じているということや、また夢のイメージの方から出現してきたり、陰影をなしたり、シミになったりするという性質、さらにはそれらのイメージの色が強調されたりすることなどですが――夢における我われの位置は、結局のところ本質的には見ている人の位置とは言えないほどです。


 夢の中で〈それ〉が現れる。〈それ〉はあまりにも前面に出ている。〈それ〉は陰翳をなしたり、シミになったり、色が強調されている。夢の中の〈それ〉とは〈それ〉としか名付けられないものである。私たちは夢の中で〈それ〉に出会う。〈それ〉は人であったり物であったり風景であったりするが、現実の〈それ〉とは異なっている。また、説明しようもなく、〈それ〉としか伝えられない感触がある。〈それ〉は覚醒後に消えていく。覚醒直後は記憶が残っていたとしても、時間の経過と共に、実質が失われ、〈それ〉としか言いようのないものに変質する。


 志村正彦が『唇のソレ』で歌いたかった〈ソレ〉は、具体的には〈唇の脇の素敵なホクロ〉だった。唇の〈ホクロ〉は、〈僕〉の欲望の対象である。フロイトもラカンも、夢は主体の欲望を成就すると述べている。

 唇の〈ホクロ〉が〈僕〉の夢のスクリーンに登場する。〈ホクロ〉は夢の前面に現れて、陰翳をなし、シミのように浮かんでくる。〈ホクロ〉は次第にその具象性を剥ぎ取られ、〈ソレ〉としか名付けられない、曖昧なとらえがたいものに変換されてゆく。夢のなかで欲望の対象は次第に享楽の対象となっていく。〈ソレ〉は〈僕〉の享楽の対象と化す。


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