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2023年12月29日金曜日

村上春樹ライブラリー/「TOKYO MIDNIGHT」[志村正彦LN340]

 毎年、秋の始まりから年末にかけて論文を書く。大学では主に表現や地域学の教育を担当しているが、非常に狭いテーマではあるが文学の研究もしている。芥川龍之介、志賀直哉を中心とした大正期の作家の夢を表現した作品、夢テクストの分析である。夢を対象とするのでどうしても考えあぐねる。あたかも夢のなかのように、思考が行き詰まり、途切れがちになる。何かが浮かび上がることを待つ。必然的に書いている時間よりも何かを待つ時間の方が長くなる。そういうわけで今回も、完成、というよりもとりあえずの完了まで数ヶ月を要した。数日前に提出したが、この間、なかなかブログの更新ができなかった。ヴァンフォーレ甲府については速報性が必要なので何とか書いたが。今年も残り三日となる。2023年のうちに書いておきたいことをおそらく三日連続で書くことになるだろう。


 十一月上旬、僕と妻の二人はACL第4節ヴァンフォーレ甲府を応援するために国立競技場に出かけた(その試合のことはすでにここで書いた)。その夜は東京に泊まることにした。国立競技場から近いところを探したが、タイミングよく、早稲田大学に隣接したホテルを割安料金で予約できた。母校の早稲田界隈に宿泊するなんて、学生時代に友人の下宿に泊まって以来のこと。翌日、昨年開館した国際文学館(村上春樹ライブラリー)、さらに演劇博物館、少し足を伸ばせば早稲田南町の新宿区立漱石山房記念館に行くこともできる。

 当日、浙江FC(中国)との試合は4対1で終了。勝利の心地よい余韻に浸りながら、高田馬場駅駅で降りて、芳林堂書店のあるビルでホテル行のバスを待った。近くにBIGBOXのビルもある。実際はいろいろな変化はあるのだろうが、夜ということもあり、このあたりの風景は学生の頃とあまり変わっていない。僕は「センチメンタルジャーニー」の気分に包まれていった。

 バスは昔よく歩いた道を通ってホテルに到着。部屋の窓から新宿方向の高層ビルの夜景が綺麗に見える。下の方には照明で少しだけ浮かび上がる大隈庭園がある。その場の夜の感触というものは、その場を訪れることでしか味わうことができない。早稲田での夜の思い出が、もうほとんどが消え去っているのだが、少しだけ戻ってくる。友人、先生、教室、学生ラウンジ、図書館。夜遅くまで読書会で仲間と語り合ったこと。夜のキャンパスや近くの街を歩いたこと。すべてが懐かしい。


 翌朝、目を覚ますと東京は快晴だった。窓からは大隈講堂がよく見えた。しばらくすると、大隈庭園にたくさんの保育園児が遊びに来た。庭を飛び回っている。平和な光景だった。

 国際文学館(村上春樹ライブラリー)に出かけた。本部の4号館の建物が改装されて出来上がった。村上春樹からの寄贈・寄託資料、初版本を含めた書籍、関連書が3000冊以上収蔵されている。館内で本を自由に読めるスペースやカフェがある。ビデオディスプレーのコーナーでは、村上春樹と小川洋子の対談と朗読の会が上映されていた。小川洋子は「バックストローク」を読み上げていた。録音はネットで聞けるのだが、映像はここでしか見られないようだ。幸運だった。



 演劇博物館と漱石山房記念館の展示も見ることができた。村上春樹から夏目漱石へという行路は一つのメタファーになる。僕と妻の小さな旅は、個人記念館、文学館や博物館を見ることをいつも楽しみにしている。


 僕にとっては、1985年刊行の長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が最も印象に残る作品である。学生時代の終わりの頃だ。初期三部作はすでに読んでいたが、この作品によって新しい文学の世界が開かれたという感を強くした。この小説では「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」の二つの物語が交互に進行していく。「世界の終り」の方は1980年発表の中編小説「街と、その不確かな壁」が原型になっている。そして、今年2023年4月刊行の長編小説『街とその不確かな壁』は、1980年の『街と、その不確かな壁』を書き直した上で新たな部分を加えた作品である(題名は〈街と、〉〈街と〉という読点〈、〉の有無で区別される)。つまり、村上春樹は1980年の『街と、その不確かな壁』が、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』内の「世界の終り」と2023年の『街とその不確かな壁』の二つの物語へと発展していった。

 「世界の終り」の方の最初の章は次のようなシーンで終わる。

 秋の獣たちはそれぞれの場所にひっそりとしゃがみこんだまま、長い金色の毛を夕陽に輝かせている。彼らは大地に固定された彫像のように身じろぎひとつせず、首を上にあげたまま一日の最後の光がりんご林の樹海の中に没し去っていくのをじっと待っている。やがて日が落ち、夜の青い闇が彼らの体を覆うとき、獣たちは頭を垂れて、白い一本の角を地面に下ろし、そして目を閉じるのである。
 このようにして街の一日は終る。

 この〈夜の青い闇〉が「世界の終わり」全篇を包んでいる。「世界の終わり」の語り手の〈僕〉は夢読みの作業をしている。

 僕は自分の心をはっきりと見定めることのできないまま、古い夢を読みとる作業に戻った。冬は深まる一方だったし、いつまでも作業の開始をのばしのばしにしているわけにはいかなかった。それに少くとも集中して夢を読んでいるあいだは僕は僕の中の喪失感を一時的であるにせよ忘れ去ることができたのだ。
 しかしその一方で、古い夢を読めば読むほどべつのかたちの無力感が僕の中で募っていつた。その無力感の原因はどれだけ読んでも僕が古い夢の語りかけてくるメッセージを理解することができないという点にあった。僕にはそれを読むことはできる――しかしその意味を解することはできない。それは意味のとおらない文章を来る日も来る日も読みあげているのと同じことだつた。

 かなり久しぶりにこの箇所を読んでみて、この〈意味のとおらない文章を来る日も来る日も読みあげている〉という一節に深く共感した。目的は全く異なるが、文学作品の夢テクスト分析も同じような試みである。


 志村正彦には東京の深夜を歌った作品がある。フジファブリック「TOKYO MIDNIGHT」。2004年のアルバム『フジファブリック』に収録されている。その歌詞を引用したい。



  何処からともなく 夜更けの街は

  いやらし男と かしまし娘

  パジャマで パヤパヤ

  朝までお邪魔?  朝までお邪魔??


 東京のある街。深夜から夜更けへそして朝と移りゆく時間。〈いやらし男とかしまし娘〉の二人。〈イヤラシ〉〈カシマシ〉〈パジャマ〉〈パヤパヤ〉〈オジャマ〉という音の遊びが、男女の戯れのように響いてくる。

 〈お邪魔〉という言葉は通常の文脈では、〈いやらし男〉か〈かしまし娘〉のどちらかがどちらかの家を訪れることを指すのだろうが、そもそも〈邪魔〉とは仏教語であり、よこしまなもの、邪気、邪心などの魔物のことを意味する。〈お邪魔〉には〈?〉〈??〉という疑問符が付けられている。歌の主体は、東京の深夜にはよこしまな邪気、邪心が渦巻いていることを表現したかったのかもしれない。

 1970年代前半のプログレッシブロック、特にピンクフロイドを想わせる楽曲。〈パジャマでパヤパヤ〉が四回繰り返されてからは、アグレッシブな演奏が続いて、〈朝までお邪魔? 朝まで お邪魔??〉で収束する。志村の歌詞のなかでも最も字数が少ない作品であるが、言葉を限りなく少なくすることによって、むしろ、言葉と楽曲とが抗争するような効果がある。夜の世界では、言葉が沈黙し、言葉では語りえないものが出現するかのように。


  志村正彦が村上春樹について少し言及した記事を読んだことがあるが、その記事が見つからない。村上作品は1980年代以降の文学・映画・音楽の世界に広範な影響を与えた。志村にも何らかの影響を与えているかもしれない。村上が探求した世界の鍵となるのは、夜と夢である。


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