公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込/先着90名 *下記の申込フォームからお申し込みください。

公演内容

公演内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(文学研究 山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて声と身体で演じる)・下座(三味線)エイコ

申込案内

下記の申込フォームから一回につき一名のみお申し込みできます。記入欄に ①名前 ②メールアドレス  ③メッセージ欄に「11月3日公演」と記入して、送信ボタンをクリックしてください。(ご要望やご質問がある方はメッセージ欄にご記入ください) *申し込み後3日以内に受付完了(参加確定)のメールを送信しますので、メールアドレスはお間違いのないようにお願いします。3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください。 *先着90名ですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

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2020年12月8日火曜日

ジョン・レノンそしてオノ・ヨーコ

 今日はジョン・レノンそしてオノ・ヨーコのことを書いてみたい。想い出語りである。

 四十年前の今日、1980年12月8日、ジョンは銃弾に倒れた。深夜、時差があるのでその翌日だったかもしれないが、確か12時を過ぎた頃に友人から電話があった。「ジョン・レノンが死んだのを知っているか」京都生まれの彼が京都弁で捲し立てたことを覚えている。(その京都弁は再現できないが)。なぜ彼からの電話だったのか。よく思い出せない。僕がジョン・レノンの熱心なファンだったことを知っていたのだろうか。前後の記憶が欠落している。

 その3週間前くらいに、『ダブル・ファンタジー』がリリースされていた。僕の部屋のオーディオラックにそのアルバムが立てかけられていた。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの久しぶりのアルバムだった。その夜からかなりの間、このアルバムを繰り返し聴いた。ジャケットの二人の写真も繰り返し見た。

 当時の僕は一人の聴き手として「ロックの時代」を生きていた。今振り返ると、ジョン・レノンが亡くなった1980年は時代の曲がり角だった。その後ゆるやかに、「ロックの時代」は終焉を迎えていく。

 それから遡る1970年代前半の時代、僕はロックミュージックに強く強く惹かれていた。当時の音源や情報源は、深夜放送と音楽雑誌。あの頃のラジオでほぼ毎日のように流れていたのがジョン・レノン。曲は『ラブ』や『マザー』。アルバムでいえば『ジョンの魂』。ロックの中心にジョン・レノンがいた。

 英語の歌を聴くという経験、もちろん聞き取ることも理解することも大してできなかった。だが、ジョンの声と言葉には意味を超えるものがあった。声が心に染み込む。そして身体に染み渡る。そんな経験は初めてだった。そして、やがて、言葉の一つ一つが何かを突き破るようにして聴き手に届けられていく。ロックは声だ、言葉だ、そういう確信も得た。

 オノ・ヨーコにも強い関心を持った。ジョンの妻であること。日本人であることが大きかったのだろう。1973年4月、ジョンとヨーコは、「ヌートピア」という架空の国家の誕生を宣言した。領土も国境もない想像の国家、『イマジン』の具現化だった。

 1974年8月、来日したオノ・ヨーコ&プラスティック・オノ・スーパー・バンドのライブを新宿厚生年金会館で見た。ヨーコの声とパフォーマンスに圧倒された。分からないままに分からないものを聴いていたのだが。公演終了後、通用口近くで投げキッスをして車に乗り込んで去って行くヨーコをたまたま目撃した。当時の僕には何もかもが鮮烈だったが、四十数年が経つと靄がかかってしまう。しかし、車に乗り込む瞬間のオノ・ヨーコだけは記憶に深く刻きこまれている。

 オノ・ヨーコのライブを見た1974年8月、僕は15歳、高校1年生だった。ジョン・レノンが亡くなった1980年12月、僕は21歳、大学4年生になっていた。十代後半からそれを少し超えるまでの7年ほどの年月、僕にとってのロックの季節は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが輝いていた「ロックの時代」にそのまま重なっている。


 


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