中に入る。入り口から見ると手前の左側に、草稿や資料の複製が置かれたチェスト。奥の壁際左寄りにたくさんの草稿が詰められていたトランク。中央やや右寄りにベッド。その横にランプが置かれたサイドテーブル。その右側の壁際にワードローブ。写真には写っていないが、入ってすぐ左側にはペソアの黒のジャケット、シャツ、ネクタイそれに靴も展示されていた。奥の左側には窓があった。通りが望める。
やはり一番目にとまったのは木製のトランク(収納箱)。キャプションを見ると複製だったが、これが「ペソアのトランク」かと、しばし見入ってしまった。内部には複製の資料がそれらしく積み重ねられていた。当時の様子が想像できる。
しばらくして、宮澤賢治も沢山の原稿が詰まったトランクを遺していたことを思い出した。賢治は生年1896年-没年1933年。ペソアは生年1888年-没年1935年。賢治の方がやや遅く生まれたが、ほぼ同世代の詩人だと言ってよいだろう。生前はほとんど無名だったが、膨大な原稿が遺され、没後高い評価を受けたという共通点がある。
ローチェストの上には数点の草稿やタイプ資料の複製が置かれていた。青と赤の色鉛筆、ペン立て、灰皿。ここで書き物をしていたのだろう。
『不安の書』を読んでいくと、117章の冒頭にこういう文がある。
しばらく―何日間だったのか何カ月間だったのか分からない―何ひとつ印象を記していない。我思わず、ゆえに我あらず。自分が誰なのかを忘れた。存在の仕方を知らないので、書くことができない。斜めに眠ることにより別人になった。自分を思い出さないというのを知れば、目覚める。
「我思わず、ゆえに我あらず。」デカルトのコギトを反転した表現はペソアらしい。「自分が誰なのかを忘れた。存在の仕方を知らないので、書くことができない。」もペソア的なあまりにペソア的な言葉だろう。逆に捉えるのなら、彼は書くことによって自分の「存在の仕方」を知ろうとした。自分が誰なのかを思い出そうとした。
この文には1932年9月28日の日付がある。この前の116章の日付は7月25日だったので、二か月間ほど、この部屋で、「何一つ印象を記していない」日々を過ごしたのかもしれない。
117章には、ペソアの住む界隈の描写もある。この部屋の窓から見た風景だろうか。
澄みわたり動かない日の空は本物で、深い青ほどは明るくない青い色をしているのを知っている。かつてよりもいくらかくすんだ黄金色の太陽が湿っぽい反射光で壁や窓を黄金色に染めているのを知っている。風もなく、風を思わせたり欺いたりする微風もないが、はっきりしない町に目覚めた涼しさが眠っているのを知っている。考えず望まずに、そうしたすべてを知っていて、思い出をとおして以外には眠くなく、不安を通じて以外には懐かしく思わない。
ペソアには街の「自然詩人」とでも呼びたくなるような、街路の美しい描写とそれに促された思考がある。
そして、「不安を通じて以外には懐かしく思わない」という一節を読むと、なぜだか、志村正彦の『陽炎』が浮かんできた。
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