〈志村正彦の世界 3〉では、〈志村正彦でしか表現できないような世界〉に関する歌を四つのテーマ二分けて取り上げた。
- 試みの歌 :『サボテンレコード』『Sufer King』
- 「眠りの森」の歌:『夜汽車』『セレナーデ』
- 2009年の歌 :『バウムクーヘン』『タイムマシーン』
- 往路と帰路の歌 :『浮雲』『ルーティーン』
毎回、ゼミ修了後に200字程度の振り返り文を書いてもらう。10人のゼミ生のコメントを載せたい。
- 「若者のすべて」しか知らなかったが、「Sufer King」や「バウムクーヘン」等様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる。
- 「Surfer King」のような激しい曲調のものがあり、志村正彦の作り手としての幅の広さを感じた。「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた。
- 志村さんの、幅広い音楽に触れて「ロック」というものを覆されたような気がした。「サボテンレコード」では出だしの、でもでもだってね という独特の歌詞で魅了され、”チクチク タク” が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた。
- 思い出を思い返す歌など少し後ろ向きな歌が多いと感じていたのですが、「誰しもが感じる後ろ暗いことを楽曲にしたい」という気持ちがあったからそういう楽曲が沢山生まれたのだなと思いました。「Surfer King」の「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転するのが印象に残りました。
- 志村正彦さんは、「銀河」や「Surfer King」などの曲になると擬音系や少しアレンジをした歌詞を使って爽快感を出していた、しかし「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う。
- 「夜汽車」が印象に残っている。最初に歌詞を見た時は、駆け落ちの男女を想像したが、結ばれない関係の二人だと解釈した。本当の事を言う前に曲が終わるため、もどかしさが残ると感じた。相手が寝息を立てている時に、静かに本当の事を言おうとしているため、相手に直接言う可能性はおそらく低いだろう。結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まると想像した。
- 「セレナーデ」では「若者のすべて」に出てくる僕はまだ思いを寄せる君に会いたい、幸せになって欲しいという思いが夢の中で現れているのだろうと感じた。曲調も自分がその「僕」が見ている夢の中を体験できるような曲調だと感じた。最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた。
- 「Surfer King」の歌詞が興味深かった。冒頭の「ギラギラ」は男の金髪の輝きと夏の暑い太陽の二つを表しているのだと思った。「ギラギラ」だと何だか強そうで男のイメージが伝わってくる。「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った。
- 志村正彦さんの歌をいくつか聴いて、その中で特に歌詞に注目したときに、「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた。
- 「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい。あまり曲には使われなさそうな擬音を上手く歌詞と合わせており、一つ一つの言葉がより現実に沿っている、親近感を持てる曲だと改めて感じました。
引用文から分かるように、「Sufer King」が学生の関心を集めた。この曲についてのスライド資料では、歌詞の起承転結abcd展開、人称による三項構造ABCの分析を図で示した。言葉と言葉、フレーズとフレーズの要素間の関係を視覚的につかむことが大切だからだ。SLIDE資料を添付する。
ゼミ生は、〈「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転する〉、〈「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った〉というように、歌の主体、「彼」、「君」という三者の関係を注目したようだ。この三者の関係はよく分からないからこそ想像力が求められる。余白の物語を読んでいく愉しさもある。
「夜汽車」と「セレナーデ」の二つは、「眠りの森」という表現が共通項になる。また、「セレナーデ」はシングル「若者のすべて」のカップリング曲である。この三つの歌の関係については講義で触れた。「夜汽車」や「セレナーデ」に惹かれた学生も少なくなかった。
〈結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まる〉という想像、〈最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた〉という感受性、〈「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた〉という分析。
「サボテンレコード」の〈”チクチク タク”が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた〉という音に対する感性、〈「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい〉という分析、〈「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う〉という指摘。
それぞれの作品についての的確なコメントである。また、作品全体についても、〈様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる〉、〈「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた〉と捉えている。これはゼミ学生に共通する観点でもある。
専門ゼミナールでの歌詞研究では、歌詞の起承転結abcdの展開、歌に登場する人間・時間空間の三項ABCの構造、表現(音の要素を含めて)の技術など、大きく三つの観点からの分析を図で示すが、そこから先にある、作品のテーマやモチーフ、作品の解釈や捉え方については学生の自由と主体性を尊重する。教員自身の解釈や意味づけは必要最小限にとどめることが、学生に豊かな感性と知性を発揮させる条件だろう。