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2025年6月29日日曜日

甲府Be館『小学校~それは小さな社会~』『教皇選挙』『敵』『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』

  六月は「シアターセントラルBe館」で四本の映画を見た。

 僕も妻もいろいろと忙しい毎日を送っていて、このところ、週に一度の映画館通いが唯一の愉しみである。Be館は甲府の中心街にあるので、映画の前後にランチを食べ、街を歩く。日常から解放される。ささやかだがそれなりにぜいたくな時の過ごし方かもしれない。今日はこの四本の映画について少しだけ感想を書きたい。






山崎エマ監督『小学校~それは小さな社会~』  父親が英国人、母親が日本人である山崎監督は、日本の公立小学校、インターナショナルスクールの中高、米国の大学で学んだ。小学校が「日本の子どもたちを“日本人”に作り上げる」というモチーフで、東京の世田谷区立塚戸小学校の生徒・保護者・教師を一年間撮影したドキュメンタリー作品だが、教師と生徒の人間的な交流と学校全体としての集団的な規律訓練が交錯する姿を丹念に追いかけている。この映画を見ながら、半世紀以上前になる小学校での出来事の記憶がぼんやりとうっすらと浮かび上がってきた。懐かしいという感情ではなく、こういうこともあったのだという発見のようなもの。それがこの映画の核にある。


エドワード・ベルガー監督 『教皇選挙』  新しいローマ教皇を選出する教皇選挙(コンクラーベ)をめぐる人間模様を描いた映画。4月にフランシスコ教皇が亡くなりコンクラーベが行われたこともあって話題作となった。予備知識がなかったのでドキュメンタリー的な作品なのかと思っていたが、実際はミステリー仕立ての映画だった。結末は想定外の展開になる。ほんのわずかに伏線が張られてはいるが、その伏線には誰も気づかないであろう。そのことを含めて、すべては前教皇の意志である、解いた物語の展開がバチカンらしいのかもしれない。



吉田大八監督『敵』  筒井康隆の同名小説の映画化。七十七歳の主人公の男は元大学教授。フランス文学・演劇の権威だったが、妻に先立たれ、日本家屋で一人暮らしの日々を送る。老齢や孤独ということもあってか、男は次第に自らの夢や妄想にひきこまれていく。原作者の筒井康隆がずっと(作家生涯をかけてというべきだろう)探究しているテーマだ。吉田監督は美しいモノクロ映像の陰翳と秀逸なカット割りとモンタージュによってこの難しいテーマを見事に映像化している。ただし、「敵」を映像として実体化するような戦闘的シーンは不要だった気がする。夢や妄想はあくまでも自らの内部の「敵」、無意識の「敵」として存在するのが筒井文学の本質であるからだ。


エレン・クラス監督『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』  報道写真家リー・ミラーの人生を描いた伝記映画なのだろうが、見終わったときに感じたのは本質的に、戦争の本質を厳しく鋭く映し出した戦争映画ということだった。写真家の眼差しが戦争の犠牲者たちを捉える。その過酷な仕事に打ち込む写真家の姿。映画内の映像だとはいえ、見ることに耐えられない残酷な被写体の姿。人間の生と尊厳を根こそぎ奪い取る戦争の姿。なぜリー・ミラーが戦争の報道写真を撮ることになったのかという問いは最後にインタビューで語られることになる。一言で言えば、戦争と性を貫く男性の暴力との闘いになるのだろうが、そのモチーフは的確に表現されている。



 四本の映画はそれぞれ本質的な問いかけを持っていた。甲府市内に残る唯一の映画館「シアターセントラルBe館」はミニシアター系作品の二番館のような存在だが、上映作の選択がいつも素晴らしい。この甲府の地でこのような映画を鑑賞できるのは特筆すべきことだ。

 この映画館はこのまま存続してほしい。僕たちにできるのは、とにかく、Be館に通うことだと思っている。