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2014年8月29日金曜日

カフカ 1914 / 2014

 チェコのプラハに入り、カレル橋とモルダウ川、プラハ城周辺の風景を眺めたのはもう夕暮れ時だった。夜が近づくと、湿度が下がり、街の空気がどことなく澄み、落ち着いてくる。日が没し、光が弱まり、色のコントラストが失われる。幾分か影絵のような光景に近づく。城も橋も川も、佇まいが美しい。
 ここは作家フランツ・カフカの街。1883年に生まれ、育ち、生き、書いた街だ。

 引き続き「百年」という時間軸で考える。今から百年前の1914年、カフカは何をしていたのか、どの作品を書いていたのか。
 調べてみると、1914年という年は、恋人フェリーツェとの一度目の婚約破棄、保険局の勤めを辞め職業小説家なることを決意する(第一次世界大戦の勃発により叶わなかったが)など、転機となる年だった。作品では『訴訟(審判)[Der Process]』を執筆していた。となると、小説中の挿話『掟の門前[Vor dem Gesetz]』(http://gutenberg.spiegel.de/buch/161/5)を書いていた頃ともなる。

 『訴訟(審判)』は未完に終わり、草稿として残されたが、この『掟の門前』の方は独立した掌編小説として1915年に雑誌に発表されている。書かれてから百年後の今日、この掌編はカフカの中で最も読まれている作品かもしれない。「Gesetz」は「掟・法・道理」という意味で邦訳名も様々、青空文庫では「道理の前で」(大久保ゆう訳)(http://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/47213_28180.html )と訳されている。未読の方には是非一読を勧めたい。私も学生の頃からこの作品を何度も読み返してきた。『掟の門前』は「読むことの終わりがない」物語の最たるものだ。

 翌日、プラハの街を歩く。池内紀『となりのカフカ』(光文社新書)は新しい作家像を示してくれて愉快な本だが、最後に「カフカの生きたプラハ地図」が添えられている。プラハの中心地の至る所にカフカの痕跡がある。主なところをたどるだけでも二、三日はかかる。今回は無理なので、カレル橋近くの「カフカ博物館[FRANZ KAFKA MUSEUM]」[http://www.kafkamuseum.cz]を何とか見学できないかと旅行前から考えていた。

 真夏の真昼のプラハはやはり暑い。汗ばむ陽気。自由時間のチャンスにかけてみようと、博物館まで急いだが、時間の余裕がなく、入館することは断念、ショップで絵葉書、鉛筆、バッジなどのカフカ・グッズを買うことだけで「カフカへの小さな旅」は終わった。(ツアーゆえ仕方がない。いつの日か、カフカゆかりの場所をゆっくりと歩いてみたいという欲望がつのる)
 この種の作家記念館は、博物館としての機能もあると同時に、観光客のためという機能もある。観光という目的は決して悪いことではないが、この博物館のロケーションがプラハ観光の「一等地」にあることにはとても驚いた。地図で確認してはいたが、現地の実感としては想像以上に「目立つ」場所にあるのだ。


カレル橋から  カフカ博物館、カフェ、堤防の幕

モルダウ川の対岸から  左上にプラハ城、中央の川岸にカフカ博物館

 カフカは1924年に病で亡くなる。友人マックス・ブロートに草稿やノートをすべて焼き捨てるようにという遺言を残したが、ブロートはその意に反して「作品」に編集し出版したことはよく知られている。『訴訟(審判)』『城』『失踪者(アメリカ)』はそのような経緯で刊行された。本文の編集や成立の問題があり、最新の全集は紙版とCD-ROMの画像版の二つから構成され、カフカ直筆の草稿の写真と推敲の過程を忠実に活字化したものが掲載されているようだ。

 百年後のカフカは、世界的な評価を受け、膨大な数の読者を獲得し、最新の研究成果による全集が刊行され、そしてプラハの一等地に博物館が建っている。
 1914年のカフカが2014年のカフカを知ったら、あのカフカ博物館を見たら、どう感じるだろうか。意外にも、微笑して肯くかもしれない。否定ではなく、すべてを肯定するような気もする。

 拙文を読んでいただいている方なら、またかと思われるかもしれないが、ここで、当然のようにある想像にとらわれた。百年後の志村正彦はどうなっているのだろうか。例えば、富士吉田の何処かに、できることならゆかりある所に、どのようなものであっても、志村正彦の人と作品をしのぶ「場」が存在していないだろうか、存在していてほしいという願いだ。「志村正彦記念館」のようなものであればなおさらいいのだが、それほど望みを大きくしなくてもいい。さりげなく、彼の固有名や「フジファブリック」という固有名が刻まれるスペースがあればとりあえずよし、としようか。それは幻だろうか。幻では終わらない幻となるだろうか。
 「KAFKA MUSEUM」というモルダウ川の堤防に掛けられた幕を見て、百年後の幻を描いた。

 フランツ・カフカから志村正彦へという連想はどうかと苦笑されそうだ。確かに、時代もジャンルも異なる。しかし、例えば、一人の聴き手であり詠み手である私にとって、カフカの小説と志村正彦・フジファブリックの音楽も全く同じスタンスで享受する作品だ。作品が投げかける問い、謎。感動の質、価値の水準は同等だ。カフカも志村正彦も自らの孤独を追いつめて作品を創造している。
 

絵葉書のカフカ

 旅行前、カフカ遺稿の三部作『訴訟』『城』『失踪者』を集中して読んだ。以前読んだ印象が随分変化した。カフカの作中人物が他者や世界へ関わるあり方が異なって見えてきた。
 逮捕されたり、指令を受けたり、カフカ作品の中心人物は、よく言われるように「不条理」に突然、「他なるもの」や他者の言動に巻き込まれていく。以前はそう思っていた。
 しかし、今回の読み直しで、カフカの人物は、何かに巻き込まれていくという受動的存在ではなく、むしろ、自分で自分を巻きこんでいく能動的存在ではないのか、というように捉え方が変わってきた。単なる印象を記すだけだが、自分が自分を巻き込み、その自分に巻き込まれ、物語が進んでいく。その過程は物語の余白の方に刻まれている。

 生前のカフカは、プラハやドイツ語圏の文学サークルの中ではそれなりに知られてはいたが、一般的にはあまり知られていない作家だったようだ。そのカフカが今日のような存在になったのは、ブロートを始めとするカフカの友人たちや批評家たちの活動があってのことだったが、何よりも、カフカの「読者」の存在のゆえだろう。

 カフカの無数の「読者」たちが今日のカフカを創造したのだ。これまでの百年の間も、これからの百年の後も。

 (この項続く)

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