LN114で紹介した『若者のすべて』についてのインタビュー(「Talking Rock!」2008年2月号、文・吉川尚宏氏)で、志村正彦は作詞の過程で、「“ないかな/ないよな”という言葉」が出てきたという貴重な証言をしている。まずは無意識的なものとして現れてきたのだろうが、社会的な「意味」という意識的なモチーフとしても手応えを感じたことが想像される。再び、彼の言葉を引用する。
しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ない よな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない!
志村は、「“ないかな/ないよな”という言葉」を「諦めの気持ちから入るサビ」として捉えている。その「諦め」は、「今の子供たちの世代」そして「僕らの世代」に 「非常にマッチしている」と考えたようだ。「今の社会的にそうと言えるかもしれない」とあるのは、若者や子供たちを中心に、ある種の「諦め」が、「今」という時代の社会的な「気分」として共有されていることを伝えている。
「“○○だぜ! オレはオレだぜ!”」のように言うことが、「今の時代は、微妙だと思うんですよ」という発言は、そのような言い回しを歌詞から排除した志村らしい物言いだ。もちろん、「微妙だ」と思う方が多数だろうから、取り上げなくてもよい発言かもしれないが、少し理屈をつけて考えてみたい。
「オレはオレ」「オレは○○だ」という言葉は、ゆるぎない自信や自己同一性に支えられている。自己を疑うことなく、あるいはその疑いを突きつめる ことなく、自己を肯定している。少なくとも、そのような姿勢を築こうとしている。あるいは、そのような自己を一つの像にして聴き手に伝えようとしている。
言うまでもなく、志村正彦は異なる。「“○○だぜ! オレはオレだぜ!”」という言い方と対比すれば、「ない」という否定による「オレはオレでない」「オレは○○でない」というある種の自己否定、あるいは、「ない」という無化の作用による「オレはオレを奪われている」「オレは○○を失っている」という自己喪失が、彼自身の生涯を貫くモチーフであった。
そのような否定と喪失のどちらにしろ、その両方であるにせよ、志村の場合、自己は根底からゆらいでいる。そのゆらぎによる不安が、彼の歌詞の基盤にある。物語や自然の景物の描写の背後には、それを見つめている志村のゆらぎや不安が時に露わになったり時に隠されたりしている。「 “ないかな/ないよな”という言葉」が意識に浮上するに従って、そのような言い方でしか表せない、自己のあり方、物語の行方、時代の輪郭が明らかになってきた。
このような表現の過程は、志村正彦のきわめて個人的な「資質」からもたらされたものだろうが、優れた表現者は、意識的にも無意識的にも社会や時代の「症候」と共振し、それを歌詞のモチーフにすることがある。
志村の言う「諦めの気持ち」に戻ろう。この「諦め」はどのようなものだろうか。「諦め」とは複雑な感情であり、複雑な過程である。ある現実を受け入れることができるのかどうか。受け入れようとする過程、その時間を過ごすことすらできずに、なすすべもなく、その現実の中に自らを位置づけること。ある種の「諦念」と共に、その現実を生きること。そのように捉えることができるだろうか。
志村にとっての「諦め」の対象となった「現実」とは何か。それを見きわめたい。
志村正彦は1980年に生まれた。90年代の初頭、ちょうど彼の十代最初の頃、「バブル経済」が崩壊し、日本の「失われた20年」(この年数は時間が経つにつれて、10年15年20年と増えていったようだが)が始まった。彼の亡くなる前年の2008年には、「百年に一度」と言われた世界的な金融危機が発生した。日本でも世界でも、経済的な停滞や混乱が次々と起こった時代である。彼の実人生も音楽家としての人生もこの「失われた時代」の影響を受けていることは確かだろう。
2014年7月13日開催の「ロックの詩人 志村正彦展」のフォーラムでは、志村と同世代のファンである倉辺洋介氏の「志村正彦とLOST DECADES」という優れた発表があった。1stアルバム発表時 にフジファブリックに出会い、その作品に励まされてきた倉辺氏は、志村と同じ時代を生きた聴き手としての観点から、時代と歌詞との関係を考察した。氏のフォーラムでの発言の要旨を引用させていただく。(http://msforexh.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html)
志村君はバブル崩壊後に少年期を過ごし、高校卒業後上京した頃には音楽シーンは縮小する傾向にあり、メジャーデビューの頃には景気は少し持ち直したものの、決して右肩上がりではない、明日が今日よりいいとは限らない時代を生きてきました。そんな中、不安を抱き、ある種割り切った感覚を持ちながらも、悟ってしまっているのでもあきらめきっているのではなく、もがいている。そういう世代で共有する感覚があるという仮説のもとに志村君の歌詞を見ていこうというのがこの発表の試みです。
この後、倉辺氏は作品に基づいて歌詞を具体的に引用しながら論を展開し、次のように結んでいる。
18歳で一人で上京し不安を抱き、下積みの苦労をしながらも、あきらめず、進もうとして紡いできた志村君の歌詞には、不安や焦燥を抱えながらもストイックに前向きにもがいているという特徴があり、だからこそ僕らは励まされたり背中を押されたり意志の強さを感じたりするのだと思います。
倉辺氏は「世代で共有する感覚があるという仮説」を提示しているが、確かに「感覚」については、その世代の人間にしか分かりえないものがある。私のような世代の者にとってその感覚は想像するしかないが、おそらく、あの頃のフジファブリックを愛する若者たちは、失われた時代において、志村の「意志」の強さを、歌い手と聴き手との壁を越えて「共有」することによって、かけがえのない「場」を形成していったのだろう。
志村正彦が表現者として生きた時代は「失われた時代」にそのまま重なる。
「“ないかな/ない よな”という言葉」を「失われた時代」に投げ返し、反響させるようにして、『若者のすべて』の世界は創り上げられている。
(この項続く) *11/3 題名変更
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