日曜日、前回予告したとおり、甲府の中心街にある桜座へ出かけた。「MARUTA FES!」、昨年一昨年よりずいぶんversion upされた、Analogfishとmooolsのツアーだ。
日曜日なのに仕事をぎりぎりまでやって何とか桜座にたどり着いた。開演時間が過ぎていたので急いで入ろうとすると、ホットドッグ?をじゅうじゅうと焼いている男性がホールにいた。美味しそう。でも昼食が遅かったので食べれられないな。なんて心で呟いてその男性を見ると、Analogfishの下岡晃さんだった。一瞬立ち止まった私の変な挙動を見て、にこにこと微笑んでいる。クールな印象があるのだが、とてもなごやかな笑顔だった。今日は充実したフェス!になるとその時確信した。
最初は、佐々木健太郎。8月の甲府ハーパーズミルの時に比べて、会場が縦にも横にも余裕があるので、声がより伸びやかに伝わってくる。場が異なると、声そのものも異なるように聞こえてくる。PAも強力になり、「弾き語りロック」のような感触が濃くなり、魅了される。
次は、人形劇団、擬人座。「話らしい話のない人形劇」とでも形容される、予想通りのアヴァンギャルドぶり。丸太がころぶ「ゴロゴロゴロ、ゴロゴロゴロ、ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ」の反復のサウンドが頭にこびりつく。
三番目はRyo Hamamoto(浜本亮)の弾き語り。mooolsの一員としての彼のギターにはここ二年ほど接しているが、ソロとしての彼の歌を聴くのは音源を含めてこれが初めて。声にもギターの音にも透明な広がりがあり、美しい。プロフィールを見ると、5歳から11歳までアメリカで暮らしていたそうだ。その事実に妙に納得した。日本の歌がまとう「湿度」のようなものが低く、音の感触がさわやかだ。
佐々木健太郎、擬人座、Ryo Hamamotoと続き、ついにAnalogfishの登場。
新作『Almost A Rainbow』から、下岡晃が『夢の中で』を歌い出す。このアルバムで最も気になっていた曲だった。
誰かの夢の中で暮らしてるような気分
そんな気分
誰かの夢の中で
乾いた夢の中で
悪い夢の中で
あなたの夢の中で
いつかの夢の中で
まるで夢の中で (作詞・下岡晃)
続いて、ボーカルが佐々木健太郎に変わり、彼の詞による『Will』。美しいメロデイで物語の断面のような状況が歌われる。
突如晴れ渡る空さ
雨上がりアスファルトが輝いていく
光る窓を開いて
「ホント、ノイローゼみたいな天気だね」って笑ってる君と
二人、外へ駆け出すんだ ta ta ta...
水たまりをスキップで飛び越えた彼女は
like a fish!
I will touch! (作詞・佐々木健太郎)
下岡の「誰かの夢の中で暮らしてるような気分」も、佐々木の「『ホント、ノイローゼみたいな天気だね』って笑ってる君」も、この時代の気分や症状を現している。時代の感受性であるとともに、きわめて個人的な感受性でもあるのだろうが、彼らの言葉が「今、歌わなければならない何か」に触手を伸ばし、それを形あるものにしていることは確かだろう。これらの歌を含めて、『Almost A Rainbow』の作品については、回を改めて書いてみたい。
最後は、moools。酒井泰明、有泉充浩、内野正登、浜本亮にカフカ先生が加わっての五人編成。このバンドの音は重厚そのもの。70年前後のロックがその時代とともに持ち合わせていたある種の「重さ」の記憶が刻印されている。酒井泰明の歌詞は、その重さを受け止め、その重さに耐えつつ、どこかに逃走していく、軽やかに飛躍していく欲望に貫かれている。彼の言葉を解析するのはなかなか難しいのだが、いつかそのことにも挑みたい。
Analogfishの最後の2曲『はなさない』『PHASE』はmooolsとの合同で、mooolsの最後も、『最近のぼくら』(Analogfish)と『分水嶺』(moools)が二つのバンド合同で演奏された。どれも熱いパフォーマンスだったのだが、一つあげるとするなら、やはり『PHASE』だ。主に酒井泰明が歌ったのだが、「失う用意はある?それとも放っておく勇気はあるのかい」という言葉がリアルにこちら側に突き刺さる。
歌も演奏も素晴らしかったのだが、Analogfishやmooolsのメンバーが本当に楽しそうにしている表情と姿が印象的だった。この時、この場に、聴き手と共に、「皆」で存在していることを大いに肯定している。そのことが十分に伝わってきた。
おそらく私たちは、午後4時から9時近くまでの5時間近くの間、「MARUTA FES!」という夢の中で暮らしていたのだろう。
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