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2015年11月24日火曜日

ヴァンフォーレ甲府vs清水エスパルス「富士山ダービー」

 一昨日、11月22日、山梨中銀スタジアムに出かけた。Jリーグ2ndステージの最終節、ヴァンフォーレ甲府vs清水エスパルスの試合だった。
 
 バックスタンド自由席に座ると、色分けされた応援シートが配られていた。いつもは甲府のチーム色の赤と青だけなのだが、この日は黄や白がある。色で何かを表示するのだろうが、全く思いつかない。キックオフの時にやっと分かったのだが、その時にアウェイ側の背後にある大型スクリーンの映像を急いで撮った。   



開始時、アウェイ側ゴール裏。清水サポーターと大型スクリーン。


 かすかに映っていて不鮮明だが、色と形が分かるだろうか。
 中央にあるのは、そう、富士山だ。白い雪と青い地肌で描かれている。富士を挟んで黄色の字で甲府とある。

 そもそも、清水エスパルスは甲府にとって縁の深いチームだ。
 2000年代の初頭、VF甲府は成績低迷、少ない観客、累積赤字により存続が危ぶまれていた。その存続危機の頃、清水は「業務提携」という形で甲府を様々な面で支援し、選手や監督を派遣してくれた。特に2002年、清水のコーチ兼サテライト監督だった大木武氏(清水市出身でもある)が甲府の監督に就任したことは、現在までの甲府の歴史にとって最大の転機だった。3年連続最下位のチームを7位まで上げた。一度清水に戻り、2005年再就任。この年、J2の3位となり、柏との入れ替え戦に勝利し、J1への昇格を果たしたが、大木監督でなければ達成できなかっただろう。(志村正彦は日記に「甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。」と記している。このことは、志村正彦LN60(http://guukei.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html)で書いた)
 
 2006年のJ1参入後、甲府対清水の試合は、「富士山ダービー」と呼ばれるようになった。このダービー名は、富士山の「本拠地」同士という間柄からの命名だが、両チームの歴史や経緯も関係している。
 過去6年間、リーグ戦では甲府は一度も清水に勝てなかったが、今年の1stステージで初勝利。この結果が象徴しているように、清水は不調が続き、ついにJ2への降格が決まってしまった。

 この日は、「ホームタウン富士吉田市・富士河口湖町サンクスデー」だったので、両チームに『吉田のうどんセット』が贈られるなど、富士山ゆかりのイベントが多かったが、この日いったんJ1から去る「富士山」仲間の清水エスパルスへの激励の意味を込めて、あのような演出になったのかもしれない。ついでに願望というか妄想のようなことを書かせてもらうなら、試合前のBGMに、志村正彦・フジファブリックの曲を流してもらえたら最高なのだが。何がよいか。知名度なら『若者のすべて』か。グッと来すぎるかもしれないな。週末の試合だから『虹』もいい。曲調が軽快でテンポも速く盛りあがりそう。「響け!世界が揺れる!」「まわる!世界が笑う!」なんて歌詞もサッカーにぴったりだ。

終了後、ホーム側ゴール裏。甲府サポーターと選手・スタッフたち


 甲府の一サポーターとして、清水には「友愛」と共に今でも「恩義」を感じている。来年、清水がJ1復帰を決め、再び「富士山ダービー」が行われることを願う。

 今年の甲府についても振り返りたい。開幕後すぐに最下位に落ち、佐久間悟ゼネラルマネージャーがそのまま監督に就任することになった。佐久間監督は見事にチームを立て直し、J1残留を果たした。(勤め先の学校で、佐久間さんには何度か「山梨とサッカー、地域の活性化」というテーマで講演していただいている。氏は東京出身であるが、ヴァンフォーレ甲府を通じた山梨という「場」の活性化に対する情熱は本物だ。とかく「閉鎖的」と言われがちな山梨県民であるが、確かにそのような傾向がある。プロスポーツによる地域の活性化について、氏の「開明的」で真摯な姿勢から学ぶことは多い)

 甲府はJ1中で最も予算が少ないチームだ。人件費も低く、J1とJ2の中間の「J1.5」レベルの選手が多いのが正直なところだ。サッカー選手の年俸には資本主義と市場価値の論理が徹底している。しかし、そのような選手と監督やスタッフが懸命に努力し、苦しく厳しい闘いの中でここ三年、J1残留を果たしている。
たかがサッカーではあるが、このチームが大好きだ。 

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