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2015年11月7日土曜日

「没後100年 五姓田義松-最後の天才-」展

 今日は、横浜まで「没後100年 五姓田義松-最後の天才-」(神奈川県立歴史博物館)を見にいってきた。昨年夏の圏央道開通後、土日祝日等に限り、甲府から横浜までの直通バスが始まった。渋滞があったので2時間半ほどかかったが、以前よりずいぶん近くなった感じだ。乗り換えがなく、運賃も安いので助かる。

 この画家のことは、10月に放送されたNHK日曜美術館「忘れられた天才 明治の洋画家・五姓田義松」で初めて知った。テレビ画面を通してだが、その異様なまでのリアリズムと技術の高さに驚嘆した。どうしても行きたくなり、何とか都合をつけて特別展へ。十数年ぶりの横浜というお上りさん状態だったが、この街の賑わいと華やかさはさらに増していた。

 美術については素人ゆえに、見当違いの感想かもしれないが、彼のリアリズムは何か通常のリアリズムを超えている。リアリズムの過剰さと美しさが高い次元で結びついている。その過剰さが何に由来して、その美がどこにつながっていったのか。そんなことを展示室で考えた。
 十代できわめて高い評価を受け、二十代で渡仏し、帰国後の三十代以降は肖像画家として一定の成功を収めたようだが、本来の恐るべき能力からすると不遇に終わったともいえる生涯だった。美術史の中でも正当な評価を受けたとは言えない。この特別展を契機に、「忘れられた天才」「最後の天才」という派手なフレーズが一人歩きしそうだが、その言葉は素直にそして十分にうなずけるように思われた。
 (明日、11月8日まで開催)

 これは私自身のオブセッションのようなものだが、このような評価の歴史を歩んだ芸術家を知ると、どうしても志村正彦のことを考えてしまう。「没後100年」という時の経過の中で、五姓田は本来のあるべき場所に帰還しつつあるのだろう。志村の場合はどのような歩みになるのだろうか。

 先ほど、ネットを通じて気づいたのだが、今日は『若者のすべて』が私たちの歌の歴史に登場した日だった。
 2007年11月7日リリース。8年の年月を越えて、今、この歌はとても沢山の聴き手を獲得しているが、この歌の受容をめぐって、考察しなければならないこともある。

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