2007年12月の両国国技館ライブの映像で、志村正彦は『若者のすべて』を歌う前のMCで次のように語っている。
歌詞ってもんは不思議なもんで
作った当初はまあ作って詞を書いているときと
曲を作って発売して今またこう曲を聴くんですけれども 自分の曲を
あのー解釈が違うんですよ 同じ歌詞なのに
解釈がちがうんだけど共感できたりするという 自分で共感してしまうという
歌詞の解釈について志村自身が述べた貴重な証言である。歌を創造した作者にとっても、歌が完成した時点で、その歌はある意味では作者から離れ、一つの作品として自立していく。作者ですらその歌の聴き手の一人として、歌を聴き解釈する。その解釈も時に変化していく。それだけでなく、完成した時点より前の段階、創作の過程でも、歌い手と聴き手の位置を絶えず交換させ、様々な解釈を見いだしながら、歌は創造されていく。
また一般的に言っても、歌を作るのは歌い手、歌の作者であるのは自明であるが、歌い手と共に、ある意味では歌い手以上に、聴き手も歌の創造に関わるというのが真実であろう。聴くという行為がなければ、歌は存在しないも同然である。
志村正彦にとって、『若者のすべて』の解釈がどのように違ってきたのか。そして、この歌に対する共感がどのように変化したのか。知るすべもなく、私たち聴き手は想像するしかないのだが、一人ひとりにそのような行為を誘う「問い」である。
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