ページ

2013年3月31日日曜日

「リアルなもの」(志村正彦LN10)

 『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』(P-Vine BOOKs、企画・編集 江森丈晃、ブルース・インターアクションズ刊、2009年3月25日初版。私が参照しているのは2010年12月1日二刷の版)は、日本語のロックの「歌詞」に焦点を絞って、志村正彦を含む13人のアーティストを対象に8人のインタビュアーが取材した貴重な書物である。

 志村の「取材と文」を担当したのは青木優氏で、24頁にわたる貴重な証言となっている。彼の歌詞について考えたい者にとっては必読の文献であろう。このインタビューは、志村の「今日は歌詞についての取材ということで、自分なりに考えをまとめてきました」という、彼らしい生真面目な言葉から始まる。彼は歌詞の本質についてこう語る。

 僕が歌詞について、いちばん大切だと思うのは、その初めにあるのも、終わりにあるのも、単にそれが、メッセージであるのかどうかということだけです。メッセージであるのであれば、なんでもいい、っていう結論なんです。

 青木氏は、その「いきなりの結論」に対して「なんでもいい……ですか?」と問いかける。志村はこう答える。

 歌詞というのは、どんなものでも、何を書いてもいいものではあるんだけど、実は、なんでもよくはない。そこにリアルなもの、本当の気持ちが込められていなければ、誰の気持ちにも響いてくれないと思うんです。

 「リアルなもの」「本当の気持ち」が歌詞の中に込められているかどうかが、決定的に重要なのだという発言は、志村が熟慮の末に発したものであり、彼の歌を読み解く際の鍵となる言葉であることは間違いない。ただし、多くのアーティストがこの発言には共感するであろうから、その意味で特別な言葉だというわけでもない。しかし、これに次ぐ箇所には、志村正彦というアーティストにしか語ることのできないような、きわめて重い言葉がある。

 そこで僕が悩んだことはですね、歌詞の中の自分と、実際の自分の間に距離があると、それは、メッセージにはならないのかな、ということなんです。

 「歌詞の中の自分」とは、この連載の用語では、《人物》、歌詞の中の《主体》としての「自分」のことであり、「実際の自分」とは現実の《作者》、志村正彦その人のことである。(補足すれば、この二人の「自分」の間に、作品ごとに設定される、一つひとつの歌の《話者》としての「自分」がいる。)彼は、この二つの「自分」の間の「距離」について自覚的であった。二つの「自分」の間で揺れたり引き裂かれたりすることを、「一種の矛盾」が生じてしまう事態だとして、さらに具体的に述べている。

 僕はそういう(「自分のリアルな日常の」引用者注)楽しみよりも、メッセージのリアリティの方をとってしまったということです。だから、自分らしい歌詞を書くために、僕は結婚していないし、彼女もいない、とも言えるんです。バンドの中身、つまりは歌詞に込めたメッセージに伴う自分になるために、自分を変えていったというか……。

 「結婚していないし、彼女もいない」という発言は、日常の会話では聞き流してしまうようなものかもしれないが、志村が語ると、とてつもなく「リアル」に響く。現実の自分を歌詞のメッセージに伴う自分に近づけるために、「自分を変えていったというか……」の「……」に込められた、文字通り言葉にならない想いも、どうしようもなく痛切に響く。「距離」や「矛盾」を解消しようとして、現実の自分の方を変えていくことは、結果として、かなりのところまで自分を追い込んでいくことになる。     
(次回に続く)

0 件のコメント:

コメントを投稿