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2013年3月11日月曜日

夕方5時のチャイム-2012年12月24日-(志村正彦LN3)

  去年12月24日の午後、妻と二人で、甲府から富士吉田に向かった。

 正直に書くと、今回の企画を初めて知ったときは、企画者の志に敬意と感謝を抱きながらも、その意図に反し、そのチャイムがどこか寂しいもの、あるいは浮いたものになってしまわないかという危惧を少し感じた。どのような音色でどのようにアレンジされるのか、防災無線の音質が繊細なメロディに耐えられるのか、何よりも、志村正彦のことを知らない地元の人々の反応はどうか、などという不安や懸念を、記憶に残るチャイムになってほしいという願いと共に抱いてしまった。そのような想いのまま車で出かけた。少し雲が広がっていたが、天候が崩れる心配はなかった。寒さもそんなに厳しくなく、いつも通りの冬の日であった。

 1時間ほどで市民会館の展示室に着いた。彼が父親から譲り受けたギター、『虹』のビデオクリップのラストシーンで高く掲げていたあの黒のギターが特に印象に残った。演奏会場では、2008 年5 月、この場所で開かれたコンサートで着ていた黒地にカラフルなプリントが施されたTシャツが私たちの席のすぐ左側のボードに掛けられていた。そのシャツをしばらくの間見つめていた。彼の不在そのものを強く感じた。演奏会の最後には「若者のすべて」を皆で歌うことができ、会場全体にやわらかなものが漂っていた。そのように時を過ごし、午後5時が近づいてきた。

 駐車場に、スタッフを含め百数十人の人々が集まってきた。南の方角に防災無線が設置されていた。その向こう側に見えるはずの富士の山は雲で覆われていたが、夕暮れ近くになり、青色の空が次第に灰色へと霞んでいき、雲と調和していた。気温は低くなり、その分、空気の感触がほどよい冷たさとなった。チャイムの音を待つ緊張感に、少しばかりその場にいる皆が充たされていた。皆が「同じ空」を静かに見上げていた。その静寂が、志村正彦の音楽にふさわしいような気がした。

 夕方5時、チャイムの音が空の彼方から、舞い降りてきた。『若者のすべて』の、あの聴き慣れた音階をたどるように、耳を澄まそうとしたが、耳というよりも、身体の中を染み渡るように、空から舞い降りてくる音が一音一音、響いた。

 上方から身体に下降してくる静かな音と音の連なりと共に、身体の底の方から何かこみ上げてくるものがあった。何か言葉を探そうとするのだが、すぐには言葉にはたどりつけない。彼の家族でも友人でも知人でもない、単なる一人の聴き手にすぎない私のような者にとっても、あえて言葉にするのなら、「祈り」に近い何かであったと言える。命日に鳴ったチャイムは、あの場にいた誰もがそう感じていたように、鎮魂の響きを持っていた。西欧の教会のカリヨンにも似た音と空を見上げる皆の眼差しも、そのような想いにつながっていた。

 同時に、祈りとはいっても、祈りという言葉だけに収斂させたくはないという考えが迫ってきた。その生が閉じられてしまった彼に対する祈りはある。しかし、この瞬間も、『若者のすべて』のチャイムがこの場に鳴り響いている。彼の歌は生きている。志村正彦は祈りの対象として向こう側にいるのではなく、こちら側に、私たちの側に存在し続けている。

 1分程であろうか、チャイムが終わってしまうと、非現実的な夢の時間から覚めたような気がした。実行委員長の心のこもった挨拶が始まると、現実へと戻ることとなった。彼らのご尽力によって、特別なチャイムを経験することができた。当初の危惧は必要なかった。少なくとも、あの場にいた人々にとって、あのチャイムはいつまでも記憶に残るものとなるに違いない。深く感謝を申し上げたい。

 イベントが終了するとすぐに、あたりは夕暮れの闇につつまれた。昨年と今年の展示会を通じて出会うことができた、かけがえのない人たちに別れの挨拶をして、私たちも甲府への帰途についた。『若者のすべて』の一節が今日のこの想いをあらかじめ語ってくれているような気がした。

  街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
  途切れた夢の続きを 取り戻したくなって  

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