ページ

2016年4月5日火曜日

武田の心[志村正彦LN123]

 夕方、甲府の桜の名所の一つ、武田通りの桜を見に行った。甲府駅から北の方角にある武田神社まで2キロほどの通り沿いに桜並木が続く。盆地で扇状地なので、なだらかではあるがずっと登り道になっている。

 武田神社にもお参りに行った。入口の石段の前から南側を振り返ると、桜並木の道が遠近法のように広がる。以前この眺めを見た時を忘れるほど久しぶりに訪れたが、年齢を重ねるにつれて、桜は美しく映える。

 武田神社は、武田信虎・信玄・勝頼三代の居館「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」の跡地にあるが、この神社そのものは大正8年(1919年)に建てられた。明治以降、武田信玄を祭神として祀る気運が高まり、この地に建立された。意外かもしれないが、歴史的には新しいものだ。
 甲府市民にとっては初詣や「七五三」の宮参りの場として親しまれている。春になると武田通りの桜が有名だ。武田家の由緒ある場として観光地にもなっている。

 「信玄公祭り」という祭りが、毎年、信玄の命日4月12日の直前の金・土・日曜に開催される。今年は4月8,9,10日。俳優が信玄を演じ、千名を超える武田軍団が川中島に向け出陣する様子を再現するものだが、正直に書くと、観光イベント色が強く地元民の関心は少ない。
 今年の信玄役の俳優は陣内孝則。若い人は知らないかもしれないが、彼は「博多めんたいロック」の一つ「ザ・ロッカーズ」のボーカルだった。つまり、元ロック歌手が武田信玄を演じることになる。「ロックな信玄公」、これは初めてのことだろう。

 帰り道、志村正彦が上京後初めて作った『武田の心』という曲に関する話をふと思い出した。
 氣志團の綾小路翔(志村のバイト先の「上司」だった)によると、記録したテープは失われ、幻の存在になってしまったようだが、『武田の心』は「(奥田)民生さんと吉井(和哉)さんを合体させたような曲だった」そうだ。そういわれても全く想像できないのだが。

 「武田」は「武田信玄」あるいは「武田家・武田家家臣」を指すのだろうが、「武田」の名と「心」を結びつけたことには驚く。郷土の偉人や歴史上の人物の名に「心」をつけて「~の心」というキーワードとして使うこともあるが、ここ山梨で「武田の心」というキーワードは流布していない。この表現は志村が自分で思いついたものだろう。面白いというか奇妙というか、笑いを誘う感じもあるが、彼は案外まじめに考えたのかもしれない。「武田の心」とはどのような心なのか。
 
 志村正彦『武田の心』の音源。どこかで発掘されないだろうか。 

0 件のコメント:

コメントを投稿