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2019年12月8日日曜日

「平和を実現する人々は幸いである」

 今日は、中村哲氏の講演について書きたい。

 八月の最後の日、私は甲府で中村氏の講演を聴いた。勤め先の山梨英和大学の法人である山梨英和学院の130周年記念事業として、中村哲氏の講演会「平和を実現する人々は幸いである」が開催されたのである。山梨英和は、1889年、カナダの女性宣教師と甲府教会の信徒や地域の人々によって山梨英和女学校として設立された。今年、創立130年を迎えた。

 中村哲氏はキリスト教徒だった。本学の宗教主任と親交があり、一時帰国中の忙しいスケジュールにもかかわらず講演を快諾していただいた。

 講演会で中村氏は穏やかで落ち着いた語り口で自らの仕事を振り返りながら、農業用水路の灌漑事業、現地を尊重する支援のあり方、アフガニスタンの厳しい現実について二時間を超えて話しをされた。ところどころ写真や映像が映し出された。自ら重機を操って水路を作る姿。九州筑後川の山田堰の技術を用いた話。砂漠が緑豊かな風景に変わっていく映像。農地が生まれてくる過程は奇蹟のように感じた。

 中村氏の語りは心の中に深く染み込んでいった。職業のせいか講演や講義を聴く機会が多いが、内容は当然だが、それ以上に講演者の語り口や語る姿勢の方に関心を持つようになってきた。中村氏の語り口は、声高なところも気負ったところも全くなかった。実直でやわらかい口調が信頼の根底を築いていた。
 
 本学のギッシュ・ジョージ理事長・院長がHPに寄せた文書を引用させていただく。教職員を代表しての哀悼の言葉である。


中村哲先生のご逝去の報に接して心から哀悼の意を表します。
中村哲先生は去る8月31日の山梨英和学院創立130周年記念講演会の講師としてお招きしたばかりでした。中村哲先生は講演テーマであり創立130周年記念の標語でもある「平和を実現する人々は幸いである」(マタイによる福音書5章9節)の言葉をまさに体現する方でした。(中略)中村哲先生はご講演で、まだ仕事は途上であると語っておられたので、このような痛ましい形で天に召されることになり、どんなにか心残りであったと思います。しかし、「平和を実現する人々は幸いである」の言葉のとおり、アフガニスタンの地において数多くの「平和」を実現されて来られた中村哲先生のご生涯は、まことに幸いなご生涯であったと思います。
新約聖書ヨハネによる福音書12章24節には「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」とあります。先生を失ったことは大きな損失です。しかし、アフガニスタンにおける事業は残されたペシャワール会の方々と共に、現地のアフガニスタンの人々の手によって確実に継続されていくことでしょう。また、一方で、講演を聞き訃報を聞いた私たちは、各々働きの場、活動するフィールドは違っても、個々人が置かれた場所でどのように「平和」の実現を成し得るかを考えさせられる事となりました。その意味で私たちは中村先生の死を無駄にしてはならないと思います。(中略)
最後に、残されたご遺族とペシャワール会のご関係の皆様の深い悲しみが少しでも早く癒されることを心よりお祈りいたします。


 ギッシュ理事長は「中村哲先生のご生涯は、まことに幸いなご生涯であったと思います」と述べている。キリスト教の信者ではない私にはこの言葉の深い意味合いはまだ読みとれないが、それでも、「ご生涯は」の後に一度「、」という読点が打たれ、「まことに」と続いていく叙述については立ち止まって考えた。読点の後の一瞬の空白。そこにはあらゆる想い、祈りが込められている。そして「まことに幸いなご生涯」だという捉え方がキリスト教の神髄であることはこちらに伝わってくる。

 中村氏は「平和を実現する」ためには、ふつうの食事が得られること、家族が仲良く暮らせること、この二つがあればよいと語っていた。食料を得るための農業、そのための水路、というように実直に根本に向かっていった。先進的な技術や設備をただ与えるのではなく、現地の人が自力で工事したり補修できたりする伝統的な技術を伝えた。「平和を実現する」のは、思想や運動ではなく、ひとつひとつの行為の積み重ねであった。

 今日12月8日は、日本が太平洋戦争を始めた日である。今、私たちの国には、人々の尊厳を傷つける現実がある。人々を侮蔑する空気がある。生活を逼迫させる貧困がある。生きること、日常の平和が損なわれつつある。そのような現実に抗して、私の置かれている場所で、ひとつひとつの行為を積み重ねていきたい。


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