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2019年12月22日日曜日

「15周年」への違和感 [志村正彦LN243]

 12月13日のNHK甲府『ヤマナシ・クエスト 若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~』の後、この一週間の間、志村正彦、フジファブリック関連の番組が続いた。12月16日、フジテレビ「Love music」にフジファブリックが登場し、バカリズムとのコラボユニット「フジファブリズム」の作品『Tie up(フジファブリズム)』(作詞:バカリズム、作曲:山内総一郎、編曲:フジファブリック)を披露した。

 12月20日の夕方、NHK甲府放送局のラジオ第1「かいラジ」で、志村正彦ゆかりの人々を招いて志村を語る50分間の番組が放送された。僕は大学で講義中で聞けなかったが、12月23日(月)正午から30日(月)正午まで「NHKラジオ らじる★らじる」で「聞き逃し配信」されるそうなのでそれを待っている。

 20日の夜は、wowowで『フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019 「IN MY TOWN」』も放送された。10月20日大阪城ホールでのデビュー15周年記念公演の収録である。特別番組『フジファブリック 15周年記念番組 "手紙"』も続いた。この番組内で山内の地元のライブハウス「JACK LION」での12月7日の凱旋ライブの映像も紹介された。金澤ダイスケ、加藤慎一も駆けつけていた。12月7日ということは、新宿ロフトのROCK CAFE LOFTで『アラカルト』『アラモード』レコード先行試聴トークライブ&「エフエムふじごこ 路地裏の僕たちでずらずら言わせて『アラトーク』」公開収録トークライブが開催された日でもある。

  情報を整理し追いかけることも大変なくらいに、たくさんのライブや番組やイベントがあったが、2019年が志村正彦と現在のフジファブリックにとって重要な年であったことの証左である。それらの試みは事実として、「志村正彦没後十年」、「フジファブリック15周年」、その二つの観点のどちらに重点を置いているかによって分かれていたとも言える。

 『フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019 「IN MY TOWN」』を見た感想は、「山内総一郎のフジファブリック」を見たという一言につきる。このライブに行っていないので映像だけでの感想ではあるが。僕が金澤、加藤、山内の3人体制によるフジファブリックを実際に見たのは2014年11月の武道館だけである。今まで音源や映像には接してきたが、繰り返し聴いたり見たりしたわけではない。このblogで現在のフジファブリックを語ることも少なかった。何かを語るには内的な必然性がなければならないからだ。

 今振り返れば、2010年以降のフジファブリックの歩みは「山内総一郎のフジファブリック」確立への軌跡だったと捉えられる。大阪城ホールに9000人のファンを集めたのは、メンバーやスタッフの功績である。wowowの映像にはファンが楽しむ様子が何度も挿まれていたが、ファンの喜びは祝福されるべきだろう。事務所やレコード会社にとっては音楽ビジネスという今や困難な仕事の成功でもある。全体として会場が微笑みに包まれていたことには好感を持った。この時代のライブには明るい光のようなものの共有が不可欠なのだろう。

 しかし、僕はこのwowow映像を見ていて何かが違うという感じを持った。2019年のフジファブリックは何かが決定的に変わっていた。志村正彦が創ったフジファブリックとの大きな隔たりを感じた。何かが失われていた。分析を試みるのは可能だがここではそれを控えたい。あくまでも感覚として述べてみたい。現在のフジファブリックが歌い奏でる現実の場においても、志村正彦のフジファブリックは永遠に還ってこない。奇妙な言い方になるが、そのような喪失感、欠落感かもしれない。

 批評的に考察すると、2010年以降のフジファブリックはある種のプロジェクトだと捉えられる。それを「プロジェクト・フジファブリック」と呼んでみたい。このプロジェクトには二つの目的があった。志村正彦の作品を継承すること。山内総一郎のフジファブリックを確立すること。
 そして次第に、このプロジェクトの進行によって「志村正彦」の存在は象徴的なものに変化し、それと共に、フジファブリックの音楽の内実も変化していった。今後はさらに「志村正彦」が、創始者という名、創始者としてのアイコンのようなものに換えられていく。そのような予感もする。
 この問題についての結論を最後に記したい。

 フジファブリックは2009年12月でその円環が閉じられた。
 志村正彦のフジファブリックと2010年以降のプロジェクト・フジファブリックとの間には、作品そのものの根本的な差異がある。2004年から2019年までの時間には決定的な断絶がある。「15周年」というように時が流れていたのではない。


【付記】今回は「15周年」という捉え方に対する違和感について考えてきた。一昨年、この「15周年」とその「記念」という言葉を目にしたときからずっと違和感を抱いてきた。この一年間この感覚と向き合ってきたが、違和感はむしろ高まってきた。今年が終わる前にそのことを書きとめておきたかった。
 志村正彦のフジファブリックがのこしたものは、周年や記念という区切りを超えて、いつまでも存在し続ける。

4 件のコメント:

  1. 小林先生
    はじめまして。いつも楽しみに読ませていただいています。
    本日の投稿を読んで、胸がいっぱいになり、コメントさせていただきました。
    私も同じような想いを持っています。
    声を上げなくとも違和感を感じている人、また、なんとか受け入れようと努力している人もたくさんいると思います。そして、皆、心の中の志村君を大切に大切にしていることでしょう。
    なんと表現したらよいのかわかりませんが、先生のように、声を上げてくださる方がいて、本当に嬉しく、心強く感じています。
    いつも貴重なお話を、ありがとうございます。

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  2. コメントどうもありがとうございました。僕はこのようなblogを続けているものとして、今回は率直にありのままの感覚と感情を書かせていただきました。僕は違和感を表明しましたが、あなたが言及された「なんとか受け入れようと努力している人」たちの存在も大切な視点です。現在のフジファブリックはそのような方々にも支えられています。「そして、皆、心の中の志村君を大切に大切にしていることでしょう」という言葉は僕の心の深くで重く響きました。

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  3. とても腑に落ちました。私は志村さんがいなくなってから、現実を受け入れられずフジファブリックからは離れていて、10周年を武道館でやったことすら知りませんでした。今年のMステを見てからまた志村さんの歌を聴き始めましたが、素直に志村さんのいない15周年を喜べない自分がいました。10年のブランクがあるので当然ですが、置いてけぼり感がしていました。ずっと応援していたファンの方は10年掛けて受け入れたのか?メンバーはどう思っているのか?自分はなんて心が狭いんだ、、と色々な気持ちがあって、うまく説明できませんが、もやもやしていた気持ちが少し楽になりました。このまま年を越さなくて良かったです。
    本当にありがとうございました。
    まとまりのない文章ですみません。
    なんだかコメントせずにはいられませんでした。
    これからも、ブログを楽しみにしています!!

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    1. コメント、どうもありがとうございました。「志村さんがいなくなってから、現実を受け入れられずフジファブリックからは離れていて」「今年のMステを見てからまた志村さんの歌を聴き始めました」と書かれていましたが、その十年の歳月は、僕などには本当の意味では分からない重みを持っています。さっきまでBSフジの『LIFE of FUJIFABRIC<完全版>』が放送されていましたが、現在のメンバー3人のおだやかでおちついた表情を見ると、ここまでよく頑張ってきたなという気持ちに自然になりました。大阪城ホールのライブの成功も良かった。でもそれと同時に「十五周年」という捉え方にはどうしても違和感が残ってしまいます。失ってしまったこと、終わってしまったこと。続いていくこと、新たに始まっていくこと。その狭間の中で、「どうにもならない事」をつい考えてしまうのかもしれません。そのことをまたblogに書いてみたいです。

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