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2018年4月6日金曜日

今年の桜の季節に

 この一週間は、退職から再就職へという日々を過ごした。

 一週間前の3月30日、退職の辞令交付式へ向かった。午後一時半過ぎに甲府駅前にある会場に着いた瞬間、ラジオから聴きなれたメロディ。『桜の季節』だ。周波数を見るとFM FUJIだった。この時期この局がよく放送していることをすぐに想いだしたが。(WEBの「FM FUJI ONAIR SONGS」という検索機能で確認すると、2018年03月30日 (金)13:45に放送されたことがわかる。最近のこういう機能は便利でありがたい)


  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?


 長い間務めてき仕事から去ろうとするまさにその時に、『桜の季節』が流れてきた。「遠くの町に行くのかい?」という問いかけが身にせまってきた。遠くの町ではないが、これまでの親しみ深い場から離れ、異なる場で働くことになっていたからだ。
 ラジオはメディアだから、音楽を「偶然」として「出来事」として経験することになる。そのような経緯で出会った音楽は忘れがたい。この日の『桜の季節』はそのような経験となった。

 4月2日、新しい職場で辞令交付式があった。山梨英和大学 (Yamanashi Eiwa College)で専任の講師として勤務させていただくことになった。甲府市北東の郊外にあり、人間文化学部人間文化学科(学士)と人間文化研究科臨床心理学専攻(修士)から成る小規模のミッション系の大学だが、法人としては130年近くの伝統を持ち、この山梨の地に根を下ろしている。1989年、母体の山梨英和女学校がカナダ・メソジスト教会によって設立された。L・M・モンゴメリ『赤毛のアン』シリーズの翻訳家・児童文学者の村岡花子(甲府市出身、甲府教会で洗礼を受けた。NHKの連続テレビ小説『花子とアン』のモデル)が英語の教師をしていたこともある。

 人間文化学科のグローバル・スタディーズ領域に所属し、主に国語教育や文学講読を担当するが、いつかの日か、「日本語ロック」の歌詞の文化論の講義ができればと考えている。言うまでもないが、その中心に志村正彦がいる。大学生が彼の言葉と音楽をどう受けとめるのか。何を触発されるのか。ロックの歌詞と例えば中原中也の近代詩がどのように関わっているのか。この講義や演習の夢が叶うかどうかは分からないが、そのための努力や研究を重ねていきたい。(四年前になるが、この大学の「山梨学」という外部講師を招く授業で、「志村正彦『若者のすべて』を読む」という講義をしたこともある)

 僕は大月市で生まれて、甲府市で育った山梨県人。就職してから、山梨県立文学館で「芥川龍之介と山梨」、県立高校で山梨に関わる作品を取り上げてきた。この「偶景web」では志村正彦・フジファブリックの詩を分析してきた。ふりかえれば、山梨出身やゆかりの作家や作品をずっと探究してきたとも言える。その延長上で、この春から新しいチャレンジをすることにした。

 一昨日、英和大のキャンパスにある桜の樹を撮った。まだ一部に花が残っているものの、葉桜となってしまった桜。過ぎ去っていくものとしての桜の風景。この一週間の桜の変化は激しい。




 今年の桜の季節は格別なものとなった。

  ならば愛をこめて
  手紙をしたためよう
             ( 志村正彦『桜の季節』)

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