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2014年8月24日日曜日

2014年8月の中欧

 夏季休暇を取り、中欧へ旅行してきた。個人旅行としたかったが、今回はその準備の時間もなく、すべてお任せのツアーにした。楽といえば楽だったが、「旅」の感覚はどうしても弱くなる。
 日常の散歩でも非日常の旅でも、偶然目にとめた風景や出来事、「偶景」が心に残る。今回もそのような場面に幾つか遭遇したので、ここに記したい。


 ウィーン空港を起点にして、ハンガリー、チェコ、スロバキアと巡り、ウィーン空港に戻るという周遊の行路。バスでの移動が長く、少しきつい日程。天気はまずまずだったが、予想よりも暑い。湿度もそれなりにある。なぜか毎朝のように、「夕立」に似た激しい通り雨が続く。地元のガイドによると、今夏の特徴らしい。昼近くになると、明るい陽射しがあふれてくる。移動中の高速道路から眺める空と雲。ヒマワリ畑とトウモロコシ畑、緑の平野が続く。

 時に高層アパートの群れが出現する。社会主義時代の建築物で、まさに規格品のように同一だったが、壁の色に変化を持たせることで、単調さを回避していた。1989年の東欧革命から25年目を迎える。四半世紀が経つが、その時代の痕跡がいたるところにある。こういう時は「中欧」というより「東欧」という名称の方がしっくりする。

 今回、フジファブリックの全曲をMP3プレーヤーに入れて、時折聴くことにした。私はふだんは家の中でしか音楽を聴かないが、欧州の風景の中に志村正彦の声がどのように響くのか、そんな興味があってプレーヤーを初めて携帯した。
 2004年のロンドン、2009年のストックホルム。彼は1stCDのマスタリング、4thCDの録音のために滞在している。メジャー最初と生前最後のアルバムという二つの作品に、欧州の香りが混ざりあっている。そのことにも後押しされたのかもしれない。

 「志村日記」2009年2月13日に、ストックホルムへの「旅」について「とても視野が広がった。日本という小さい国の片隅で今まで僕は何で縮こまってたんだろう。今年の日本での夏のツアーが終わったら、ちょっと僕は個人的にまた海外に行こうかななんて思ってます。今度はちょっと長くなるかもしれません。なーんて思ってます。でもそれと同じ位、日本という国の素晴らしさに気付いた」とある。この希望が実現していたら、と書くのも辛いのだが、彼の記した言葉だけはここに書きとめておきたい。

 彼の音楽はよく「和風」とか「日本的」とか形容されるが、私自身はそう感じたことがない。逆に「洋風」あるいは「国際的」だというわけでもない。二項対立的な枠組を通り抜けてしまうような、なかなか的確な言葉がないがあえて言葉にするのなら、ある「普遍的な場」に彼の音楽は存在している。この「普遍的な場」とは、「日本」でも「海外」でもない、どこにもない場と言い換えることもできる。

 平野の続く中欧の空は、山梨や東京の空よりもずっと広がりがある。車窓の風景にフジファブリックの楽曲がBGMのように流れる。なんだか、志村正彦と共に旅をしている気分になる。
 どんな曲が合うのか、早送りや頭出しもしながら、数十曲聴いていったのだが、最もよかったのは、季節のせいもあるのか、『陽炎』のアコースティックヴァージョンだった。少しけだるい感じとゆっくりとしたテンポが、中欧の空と平野の風景に溶けあう。


ハンガリーの高速道路から  ヒマワリ畑が続く

 帰国後、「山梨日日新聞」8月17日付に「甲府でフジファブ・志村語る集い 詩への思い、物語共有」と題する記事が掲載されていることを知った。丁寧な取材に基づくもので有り難い。私がフォーラムの最後で述べた「志村さんの作品は100年後にも残ると思う。ではどう残すか。皆さまの言葉で語っていってほしい」という言葉が紹介されていた。すでにLN85でも書いたが、この「百年」という言葉がいささかオブセッションのように頭をよぎることがこのところ多い。今回の旅行でも自然に「百年後」と「百年前」という二つの時の物差しがよく浮かんできた。

 今から百年前の1914年7月、欧州で第一次世界大戦が始まった。今回訪れた諸国は、当時のオーストリア=ハンガリー帝国。サラエボ事件を契機にセルビアに対して宣戦を布告した第一次世界大戦勃発の当事国だ。8月になるとその戦火が欧州各地に広がり、一千万人に及ぶ兵士が動員されたそうだ。8月末に、日本もドイツへ宣戦布告し第一次世界大戦に参戦している。

 欧州では第一次大戦の方が第二次大戦よりも犠牲者が多い国があるようで、関心も高い。「The Wall Street Journal」掲載の「第1次世界大戦から100年 戦場となった欧州各地の今むかし」( http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303844704579654944219614968 )では、「戦争の百年」の風景がカラーとモノクロ写真の対比で示されている。破壊を修復し、原型を遺していこうとする欧州の底力を感じる。日本にはないものだ。

 1914年から今日までの百年は、第一次、第二次の世界大戦、その他の数多くの戦争が含まれる「戦争の百年」だ。そして、国家主義・民主主義という政治体制、社会主義・資本主義そしてグローバル資本主義という経済原理、それらの社会体制がヘゲモニーを争った「覇権の百年」だ。2014年は、世界のそして日本の「百年」という時間を考える節目の年でもある。

  欧州の短い夏の活気。バカンスの時期ということもあり、欧州内の旅行者が多いようだが、私たちアジア人を含め、世界から人が集まり、知らない言語が飛び交う。ブダペストやプラハの街には人があふれ、高速道路は渋滞し、飛行機は満席。人々は「観光」にいそしみ、「平和」な光景が続く。私たちもその恩恵を享受している旅行者の一人だ。


ブダペスト市内の表通り  CDのディスプレーケース?

 西欧や中欧のような欧州の中心部では、「平和」はいちおう維持されていると言えるのだろう。一言で言うと(そう言ってはいけないのだろうが)、二度の大戦で欧州内部が「戦場」となった「経験」が生かされているのだろう。しかし今日でも、その周縁部や外部では紛争や戦火が依然として続いていることを忘れてはならない。

  (この項続く)


【追加】 この記事の掲載時は「偶景」というシリーズで連載していく旨を記しましたが、その後、同様な観点での記事が増えていきましたので、このシリーズ名は設定しないことにしました。それに伴い、題名に付した通番を削除し、記事の一部を変えさせていただきました。内容の変更はありません。(2016.6.27) 
 

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