14日、「いつもの丘」にある新倉浅間神社の神楽殿で開催された、志村正彦に関するイベントから1週間が経つ。その日のことを書き記しておきたい。
当日は、例年より蒸し暑い富士吉田となっていたが、その数日前までの山梨全体の猛暑に比べれば幾分か過ごしやすかった。心配していた雨も途中で少し降っただけで、何とか終了まで持ちこたえることができた。
夕方5時過ぎ、「志村正彦を歌う会」に引き続き、「路地裏の僕たち」の企画によって、当日の参加者、ファンに宛てた志村正彦の御家族からの手紙が代読された。遠くから訪れていただいた方々への御家族からの丁寧な感謝の言葉と、志村正彦の御友人からの手紙の文面が紹介された。御友人の手紙では、2006年7月頃に、「地元にいつか帰りたいけど、しっかり音楽で恩返しできるまで帰れない。いつかは地元でスタジオを開いて、若いミュージシャンを迎えてあげたい」という夢を語っていたという事実が告げられた。
昔から、東京に近いこともあって、富士吉田に近い河口湖や山中湖にはスタジオが多い。彼が元気でいれば、手紙で書かれていた通り、いつか「志村スタジオ」を作り、そこで音楽作りに専念できたかもしれない。
欧米では、年齢が三十代半ばを過ぎる頃になると、バンド活動に終止符を打ったり休止したりして、ソロとなり、いつもと異なるミュージシャンを集め、アルバム作成に時間をかけて、作品中心に発表するロックアーティストがいる。また、自分自身のスタジオをつくったりレーベルをつくったりすることも多い。敬愛するピーター・ガブリエルがその良い例である。
志村正彦も、そのような形で、熟成した音楽を作り、志のある若手を支援する夢を持っていたのだろう。成就しなかった夢を後になって知るのは、たとえようなく哀しい。そんな想いに沈んでいる内に、2005年、FM東京で放送された志村正彦のトークとスタジオで演奏された『茜色の夕日』アコースティックヴァージョンが披露された。
誰もいない神楽殿の舞台。そこには愛用のギターやアンプがあったのだが、舞台上のスピーカーから、彼の言葉が流れてきた。シングル発表直後ということもあって、明るい感じの声だったが、逆に、そのことが彼の不在を際だたせていた。アコースティックの『茜色の夕日』は、繊細で揺れるような声で「おだやかな哀しみ」とでもいうべき想いを歌い上げていた。
私も、ある想いに捉えられていた。いつもなら、そのような想いを捉え直し、言葉にすることで、想いと距離を置こうとする自分がいた。しかし、あの時は、そのようなことはできず、涙が少しずつあふれてきた。
今、「いつもの丘」で、『茜色の夕日』の声が響いている。声はあるのに、彼はいない。突然の身体の異変が彼の命を奪ってしまった。どうしてなんだ。どうしてなんだ。こんな現実があっていいはずはない。あってはならない。
しかし、彼の不在、絶対に変えることのできない現実がそこにはあった。そのような現実への涙だった。
公演名称
〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込
公演概要
日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ
申込方法
右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。
*〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。
*申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。
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