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2016年10月23日日曜日

「演奏(の印象)を何倍にもするような歌詞」-『赤黄色の金木犀』[志村正彦LN142]

 一週間ほど前、甲府のある通りを歩いている時、ほのかに金木犀の香りがした。もうこの花の季節は終わっているようなので意外だった。似た香りの違う花だったのかもしれない。あるいはやはり、少し遅く咲く金木犀の種があるのか。分からなかったが、記憶の中の香りと比べてすでに懐かしい気がした。

 昨年、ある古書市の目録で『ニューミュージック・マガジン』(1969年4月~1979年12月)、『ミュージック・マガジン』(1980年1月~現在)の1970年から2012年までの500冊を超えるセットが売り出されているのを見つけた。70年代半ばから80年代半ばまでの号は毎月購入していたが、その後の号はほとんど持っていなかった。この雑誌は基本として洋楽中心だが、時々邦楽についての特集もある。冊数が冊数だけに値は張ったが、リーズナブルな値段だった。初期の号を含めた一揃いが古書市場に出ることはなかなかない。思い切って抽選に応募して、運よく入手できた。大量の雑誌が宅配便で運ばれたときは置き場に困ったが、大きな書棚一つを用意してなんとか配架できた。

 1969年創刊のこの雑誌は、少なくとも70年代までは日本語ロックをめぐる考察や議論の中心となったメディアである(『ニューミュージック・マガジン』の誌名の時代と完全に重なる)。索引が充実しているので資料としての価値も高い。
 時々、余裕があるときに思いつくままに読んでみようとした。なかなかその時間が取れずにいたが、先日、背表紙を眺めていると2004年12月号の「特集 日本音楽の現在」という文字が目にとまった。取り出して目次を見ると驚いたことにフジファブリックの二頁に及ぶ記事があった。特集の一つではなく、「Tune In!」という話題のバンドやアルバムを取り上げる企画だ。これまでフジファブリックを取材した雑誌はかなり調べ集めてもきたが、『ミュージック・マガジン』は未確認だった。迂闊だったが、見つけることができたのは幸いだった。

 記事名は『フジファブリック=謙虚で苛烈な80年代生まれバンドを”追ってけ追ってけ”』、取材と文は志田歩氏。11月発売のメジャー1stアルバム『フジファブリック』に焦点を当てたもので、写真1頁、文章1ページの構成だ。当然だが写真も未見の一枚、「硬派」の老舗音楽誌という性格を反映してか、5人のメンバーはやや緊張した真面目な表情をしている。

 記事の一部を紹介したい。志田氏は「特に本作にも収められた最新シングル〈赤黄色の金木犀〉は、楽曲、歌詞、アレンジの絡み方が、ただならぬ密度の濃さを感じさせる」と述べ『赤黄色の金木犀』を高く評価していた。この楽曲についての志村正彦の発言が引用されている。

そうですね。自分でもあの曲は聴く度に発見があります。勢いだけでできる曲じゃない。根本的なメッセージがないと伝わらないですから。ただ歌詞は、いつもオケが完成してから一番最後に作るんですよ。むしろ演奏(の印象)を何倍にもするような歌詞を書きたい。そもそも自分にとって引っかかりの意識が持てない歌詞は忘れちゃいますから、歌ってる自分についてはウソがない感じですね。

 曲は聴く度に発見があること、根本的なメッセージがないと聴き手に伝わらないこと。歌ってる自分についてウソがないこと。志村が繰り返し語ったことがすでにこのインタビューに現れている。さらに、「歌詞は、いつもオケが完成してから一番最後に作るんですよ」ということを明言しているのが貴重だ。他のインタビューでも同様の発言があるので、志村は所謂「曲先」で後で歌詞を作るのが基本だったようだ。ただし、「曲先」「歌先」と言っても、創作は複雑な過程であり、意識的な作業の裏で無意識なものが様々に動いている。楽曲、歌詞、どちらが先に来てどちらが後に来るとしても、全体としてみれば、一つのものとして創造されるとも考えられる。現実の作業には順序があるのは当然だが。

 志村の作品は、言葉と楽曲のファブリック(織物)の完成度が高い。言葉が楽曲を、楽曲が言葉を、互いが互いに作用し、より高い次元に引き上げている。彼がロックの曲と歌詞の定型に寄りかかることなく、楽曲と必然的に結びついた言葉を練り上げていったことは、フジファブリックのアルバムを聴けば明らかだ。ここで述べられた「演奏(の印象)を何倍にもするような歌詞」という志向がそれを証している。

     (この項続く)

6 件のコメント:

  1.  2年前に一度武道館でコメントさせていただいてから、最近スマートフォンになってからというもの、パソコンでないとこのブログを見ることがなく、あまりパソコンを開かなくなっていました。ごくたまにこのブログを見せていただいていましたが、心に余裕がないとゆっくり文が読めないでいました。
    やっと2年ぶりにこのサイトのブログをいくつか読ませていただきました。
    小林様の文から、たくさんのことを学ばせていただけるなとやはり痛感いたしました。

     私のような文章を書くのが下手な人間が感想を書いてもどうかと思うところもありますが、以前書いたコメントを読み返したところ、小林様のコメントから推察し、このような所感をもちました。

     恐らく反響があって書き手もよりよい文が書けるのかなと。私は、このブログがずっと続いていくことを願い、また読ませていただいた時にはコメントさせていただきます。
    過去のものも。

     小林様、いつも本当に珠玉の文をありがとうございます。

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    1.  コメントほんとうにありがとうございます。武道館ライブから二年になるのですね。『茜色の夕日』の声は今でも何か奇跡のように感じます。
       志村正彦と彼の音楽には尽きることのない魅力があります。そしてやはり「謎」でもあります。このようなブログを続けることで僕自身も学んでいます。
       kapaさんが言われるように「反響」があると素直にうれしいです。

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  2.  金木犀が咲くと「赤黄色の金木犀」を毎年思い出します。なぜ、こんなにも季節とともに思い出す印象的な歌なのか。それは、小林様が
    「言葉が楽曲を、楽曲が言葉を、互いが互いに作用し、より高い次元に引き上げている。」
    という言葉が正に物語っていると思います。

     季節とともに歌が出てくること。何て素晴らしいことなのでしょうか。

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    1.  kapaさんの「季節とともに歌が出てくること。何て素晴らしいことなのでしょうか。」という言葉に共感します。このブログを始めてもう四年近くになりますが、毎年の春夏秋冬の推移と共に志村正彦・フジファブリックの作品を追いかけてきたような気がします。
       昨日は富士山が初冠雪。季節が移り変わり、聴く歌もまた変化していきますね。

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    2.  季節の移ろいに伴い、聴き手の所感も変わっていると強く感じます。季節を感じ取る感性をいつまでも大切にしていたいと志村さんの歌から考えさせてもらっています。
       富士山は初冠雪ですか。さぞ富士吉田は寒いことでしょうね。どうぞお体にはご自愛ください。

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  3. 富士吉田は、僕の住む甲府よりも平均して5度ほど気温が低いです。でも夏は暑いときもありますので、一年を通じて、そして一日の間でも、寒暖の差も激しい場所だと思います。
    それゆえ、季節や時の変化が鮮やかであり、そのことが志村さんの音楽に影響を与えているのでしょう。

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