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2016年10月10日月曜日

『花をかう』HINTO

 前回書いたHINTOの新曲『なつかしい人』について、安部コウセイが、『skream』というネットメディアでこう述べている。(インタビュアー:石角友香)

歌モノでありながら演奏もちゃんとかっこいい、歌を抜いて演奏だけ聴いてもかっこいい。「なつかしい人」は、そういうことを突き詰めてやりたかったんです。そういう気持ちは突然湧いた思いなわけでもなくて、もともとそういうものの方がいいはずだよなと思ってました。ヴォーカルが入ることでそれがひとつの説明だったり、感情の方向性だったりをわかりやすくするっていう役割として、ヴォーカルを楽器だと思ってるんですけど、その音が抜けたときに"あれ? 全然かっこよくないな"ってなるのだけは僕はやだなと思って。

 確かに、『なつかしい人』は歌と演奏の突き詰め方がロック音楽という枠組の中では究極的なところまで進んでいる。歌と演奏、声と楽器の音色が複雑に絡み合い、非常に高い水準で融合している。日本語ロックの新しい次元を切り開いているといっても過言ではない。
 youtubeの公式映像は公開以来3週間という短い期間ですでに5万4千回を超えている。特筆すべきなのは海外からの賛辞が寄せられていることだ。歌詞が分からなくても、声が意味と分離していても、意味を超えた何かが作用するのだろう。安部の目指したように、ヴォーカルが楽器として響いているのかもしれない。それでも海外のコメントを読むと、歌詞を知りたいという声も多い。公式サイトには『エネミー』の英訳が掲載されているので、『なつかしい人』の翻訳が待たれる。
 HINTOの「日本語ロック」は「日本」という閉域を超えて評価されている。これは驚くべき出来事ではないだろうか。

 新作『WC』収録の『花をかう』という作品も繰り返し聴いている。歌詞を引用しても歌が聞こえてくるわけではないが、歌詞カードから詩の後半を写してみる。


  俺は今日も変わらない為の理由を
  探しながら 町を歩いて いるよ
  ガラにもなく花屋で立ち止まった
  赤 白 黄色 どれも似てんな

  花をかう トゥユー 天気のせいさ 自由
  花をかう トゥユー サプライズのよう どお?
  花をかう トゥユー 天気のせいさ 自由
  花をかう トゥユー 枯れないでよ
  ラブユー


 突然、花を買いたくなることがある。僕のようなおじさんが花屋に行くなんて気恥ずかしいし、近くに花屋もない。だから現実に花を買うことはほぼない。花を買う想像はほとんど妄想のようなものになる。そう言えば、志村正彦・フジファブリックの『花屋の娘』も妄想が膨らむ話だった。

 前半、「君」と「俺」との「甘い」「疼く」小さな出来事が語られる。やや、ややこしい物語が、「そうさ2人は子供だった」というように人物は幾分か三人称化されて語られている。後半、「俺」は「ユー」に語りかける。心の中での二人称への呼びかけのスタイルになる。安部コウセイの描く物語は、この三人称と二人称の語り口の転換が冴えている。ひねくれた突き放した悲哀と真摯さがぐるぐると駆け巡っている。
 歌の主体「俺」は「変わらない為の理由」を探しながら町を歩き、「ガラにもなく」花屋で立ち止まる。男が花屋で佇む。妄想のようにもリアルな情景のようにも受けとれる。

 歌の最後、「花をかう」「トゥユー」「枯れないでよ」「ラブ」「ユー」の言葉とメロディ・リズムの「間」の取り方、声と演奏の織り交ぜ方、グルーブ感が素晴らしい。最後の最後の「ユー」の響きは美しい。「枯れないでよ」が小さな祈りのように聞えてくる。

 この「ユー」は「君」であり「花」でもあるのだろう。そうして「ラブ」そのものでもある。
 「枯れないでよ」と呼びかけられた花の物語はこれから始まる。

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