HINTOの新アルバム『WC』から前々回まで二回に分けて、『なつかしい人』と『花をかう』を取り上げた。
書きあげてから気づいたのだが、この二つには重なる言葉があった。「変わらずいよう」と「変わらない為の理由を探しながら」である。
このアルバムで作者の安部コウセイは《変わらない》というモチーフを追いかけているようだ。
時間がたったら変わるのが普通だと言うけど
変わらずいよう
『なつかしい人』
俺は今日も変わらない為の理由を
探しながら 町を歩いて いるよ
『花をかう』
『なつかしい人』では「僕達」の誓いの言葉、「変わらずいよう」として、『花をかう』では「俺」の「変わらない為の理由」を探す、自らへの問いかけとして、《変わらない》というモチーフが表されている。ラブソングという枠組の中で、《変わらない》ことが愛を支える、あるいは愛が《変わらない》ことを支えるようにして、歌に織り込まれている。(ここまで書いてきて、脈略なく、堕落モーションFOLK2『夢の中の夢』の最後「変わらない愛を 祈り続けてる」が浮かんできたことを記す。)
『WC』収録曲には他にも同じような言葉があったはずだ。そう思い、歌詞カードを読み直してみた。『かるま』『風鈴』に「変わらない」、『ザ・ばんど』に「変われない」という言葉があった。『WC』の曲数は九つだが、『なつかしい人』『花をかう』を合わせて、《変わらない》(「変われない」を含めて)というモチーフの歌が五つある。
他人と違うとこ すがるには
少し大人になりすぎた
変わらないカルマ 憐れむな
私なりには大事
他人と同じとこ 目指すには
少し大人になりすぎた
変わらないカルマ 憐れむな
私なりに生きてく
『かるま』
『かるま』の歌の主体「私」は女性。若いのではあるがそう若くもないとも言える「少し大人になりすぎた」女性の視点から、「変わらないカルマ」の日常が語られている。作者のストーリーテリングは巧みだ。「カルマ」はこの言葉の原義の「行為」だと捉えていいだろうか。「お仕事」「飲み」「嘘だらけの毎日」、都市生活の行為。「漫画の新刊」「コンビニ」「満月の夜」、都市生活の風景。「まあまあタイプの顔」だが「退屈すぎる会話」の男。「ぬるい幸せ」の日々。そのような日常を生きる自分を自ら憐れむことはない。「変わらないカルマ」も「私なりには大事」なのだから、「私なりに生きてく」。一見すると表層的な物語のようだが、作者安部コウセイの視線は深いところまで届いている。ひねくれすぐれている。2016年という現在のリアルな都市の詩だ。
『花をかう』の主体「俺」は男、『かるま』の「私」は女。前者は「変わらない為の理由を探し」、後者は「変わらないカルマ 憐れむな」と自らに言い聞かせる。『WC』という題名はその名が示す通り、男女の間の隔たりを象徴しているそうだが、この二つの歌をみても、《変わらない》ことに対する男女のありかたの差異が伝わる。『なつかしい人』では、「僕」と「貴方」の二人から成る「僕達」は、「変わらずいよう」という「同じ答えが欲しい」ようだが。
あー 風のままに吹かれて
そっと 鳴らすよ
あー なすがままの世界で
ずっと 変わらない
『風鈴』
もうちょっとちゃんとした大人になれる筈だったけど
依然マイペースさ 成り行きまかせ
あの日から変われない セブンティーン
『ザ・ばんど』
『風鈴』は不思議な歌。歌の中の人間関係が読み取りにくい。もしかすると、この歌の主体は「風鈴」なのかもしれないと思うほどだ。「風鈴」はその姿が忘れ去られるほど変わらない。『ザ・ばんど』は「バンドマンもの」系譜の作品だが、『WC』収録曲の配置の最後にあり、HINTOの変わらない姿を、意外なほど素直に伝えようとしている。
そもそも、アルバム『WC』の初めの曲『なつかしい人』には、100年という時間の隔たりがあったとしても《変わらない》、そのことへの祈りが込められているのではないだろうか。
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