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2014年5月20日火曜日

反響-4/13上映會6 [志村正彦LN 83]

 上映會から一月以上経つ。このレポートも今回で完結としたい。

 4月13日は、穏やかな日和ではあったが、風にはまだ少し寒さが残っていた。この頃の風には寒さはもう無くなり、爽やかさがある。風の感触、風そのものの「風合い」が季節の実感を伝え、すでに初夏を思わせる気候となっている。『桜の季節』から『陽炎』へと、季節が歩み始めている。甲府盆地から見る富士山も雪解けが進み、夏の山へと姿を変えつつある。

 あの日、富士吉田に集った800人ほどの人々は、何を心に刻み、各々帰途へついたのだろうか。少数の知人を除くとすべて見知らぬ人々。言葉を交わすこともなく、ただ眺めるに過ぎない人々。でもなんだか、志村正彦・フジファブリックを中心とする「聴き手の共同体」の一員として、仲間意識のようなものも芽生えた。おそらく、皆、一生、志村正彦・フジファブリックを聴いていくのではないだろうかという確信と共に。

 当日夜、NHK甲府のローカル・ニュースが、「フジファブリックライブ映像上映」と題して1分半ほど取り上げていた。「志村さんにとって最初で最後の凱旋ライブ」と紹介され、『桜の季節』のシーン、展示会の様子、二人の女性のコメントが放送された。(昨年の「がんばる甲州人」の志村特集と同様、NHK甲府の報道は有り難い)

  2008年のライブも見ていたという方は、「この会場でもう一回見ることができたのが本当にうれしくて」と述べた。もう一人の方は「大切に大切に大切に聴いていきたいと思います」と話していた。「もう一回見る」ことのできた有り難さ、嬉しさ、そして「大切に」を三度繰り返した想いは、あの日に集った皆が共有するものだろう。

 5月4日付の山梨日日新聞では、沢登雄太記者が「フジファブリック故志村正彦 故郷でライブ上映 ほとばしる情熱”再燃”」と題する記事を書き、「志村がステージにいて、バックスクリーンに彼が映っているのかと錯覚してしまうほどだった」と記していた。ある女性の「志村君はいないけど、いる」というコメントも載せられていた。「いないけど、いる」。この言葉もまた、あの日集った人々の想いを代弁している。

 見かけた人も多かっただろうが、あの日は友人や仲間の音楽家たちがたくさん富士吉田を訪れてくれた。クボケンジ・木下理樹・曽根巧の3人が寄り添うようにして歩いていた。城戸紘志、足立房文そして同級生の渡辺隆之もいた。初代、2代目、そしてサポートではあるが実質的には3代目のドラマーが集っていた。おおげさだよと照れながらも、志村正彦は喜んでいたにちがいない。

 クボケンジは「メレンゲブログ」4/26/2014 (http://band-merengueband.blogspot.jp/)で、それにしても「お前はよく頑張ったね」と言ってやりたいのだ、と語っている。志村のMCの言葉に触発されて、「ずっと宿題を抱えてるみたいな気分なんだ。作詞作曲して歌うってのは一歩間違えるとすごくかっこ悪くて恥ずかしい。なので自分が思ってる以上にストレスなり体力を使う」と吐露しているのがとても印象深かった。表現者という立場を維持する限り、そのことに追われる日々が続く。(表現の第一線から退却した「元表現者」であっても、この国のファンは優しいので、それなりに活動を続けられる事例も多いが)
 「お前はよく頑張ったね」という言葉には、一人の表現者がもう一人の表現者に贈る、語ることのできない想いが刻み込まれている。

 表現は過酷で、時には深淵が待っている。

 上映會、そして『FAB BOX Ⅱ』という美しく豊かな果実。
 新しい楽曲が作り出されることはないという現実のもとで、「大切に大切に大切に」愛しむように、私たちは志村正彦の遺した楽曲を聴き続けていく。
 聴く行為が絶えない限り、「いないけど、いる」という形で、彼はここに存在し続けるのだから。

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