2014年5月5日月曜日
ロックの言葉-4/13上映會4 [志村正彦LN 81]
当日の印象の空白部を『Live at 富士五湖文化センター』DVDで補いながら、上映會について書き進めていきたい。
セットリストは、Openingの「大地讃頌」を除くと、全19曲。ツアーのテーマである3rd『TEENAGER』から10曲(『Strawberry Shortcakes』『パッション・フルーツ』『東京炎上』を除く)、他のアルバムから9曲という構成。志村正彦作詞作曲の代表曲である、『茜色の夕日』と『桜の季節』『陽炎』『銀河』という春・夏・冬の四季盤(『赤黄色の金木犀』は残念ながら歌われなかった。ライブではほとんど歌われない曲ではあるが)に、『唇のソレ』『線香花火』『浮雲』という志村にとって思い入れのある曲が選ばれた。
アンコール以外の本編は、『ペダル』で始まり、『TEENAGER』で終わっている。アルバム『TEENAGER』と同じスタートとエンドで、あくまで『TEENAGER』ツアーの一つのライブという位置付けは変わらないが、富士吉田を意識した選曲と配列でもあることは間違いない。
『ペダル』が終わる。志村正彦が富士吉田に帰省した際、同級生の友人に凄い曲ができたからと言って聞かせたのがこの『ペダル』だという話を想い出す。地元でのライブの幕開けにこれだけふさわしい曲はない。何かが始まる予感にも満ちている。
フェードアウトした瞬間、『記念写真』が始まる。「ちっちゃな野球少年」という言葉が耳にこだまする。彼の歌は、どれも幾分か、彼のクロニクル、年代記の要素を含む。「記念の写真 撮って 僕らは さよなら/忘れられたなら その時はまた会える」という一節からは、遠く、15歳の彼が決定的な影響を受けた奥田民生の作詞作曲、ユニコーンの『すばらしい日々』の「君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける」がこだましてくる。
奥田民生その人も志村正彦の大切なクロニクルだ。代表曲以外にも、『浮雲』『線香花火』『唇のソレ』といった曲にも彼の年代記がにじみでてくる。
上映會で言葉を追い、一つひとつに反応してしまう自分に気づく。しかし、そのことをすべて書き記していくと、このエッセイはどこまでも続いてしまう。歌単独で論じる機会に譲りたい。
ライブが進むと次第に、過去の映像を今眺めているという「額縁」の感覚が薄れていく。2008年と2014年という二つの時の区別が徐々に消え、2008年という一つの時の内部に入っていく。その大きな要因は、演奏のすばらしさだ。様々に調整されて仕上げられた音響の臨場感も相まって、「ライブ」の感覚、今そこで演奏されているというような擬似的な感覚が高まる。実際にホールにいて、周りに観客がいることもその印象を加速させる。
加藤慎一のベースが躍動している。にこやかでとても楽しそう。金澤ダイスケにはやはり、この年代のロックキーボディストとして抜群のセンスがある。戯けたMCにも優しさが光る。ギタープレーに徹した山内総一郎のストイックな姿。高度な演奏技術と明るい音色の調和が、志村の歌を最大限に活かしている。城戸紘志はやはり城戸紘志。彼のドラムの波動がフジファブリックのサウンドをまさしくドライブしている。引き締まった表情でコーラスを歌うメンバーの姿も微笑ましい。
このバンドのリズムの感覚は卓越している。聴き手をぐいぐいと押す力を持つ(城戸のドラムに押され、ほんの少しテンポが速い気もするが、それもまた味わいだ)。そのリズムの感覚の中心にあるのは、志村正彦の身体感覚だ。そして、彼の身体感覚を支えているのは、彼の歌、言葉そのもののリズム感だ。
コンサートの全体を通じて、60年代から70年代までのロックの黄金期のサウンドが鳴り、リズムが轟いている。80年代以降のコンピュータのリズムを土台とする音楽とは一線を画している。(今、四十歳代から六十歳代までの年齢のかつての洋楽ロックファンで、志村正彦在籍時のフジファブリックをまだ知らない人に聴いてもらいたいと強く思う。彼らが納得できる水準のロック、それも日本語のロックがあったことに驚くだろう)
志村正彦が大切にしたのは、コンピュータではなく、人の身体に基づくリズムだ。
コンピューターによるリズムとその感覚の変化はしばしば言及されるテーマではあるが、このリズムの問題はサウンドに限定されずに、歌う言葉、歌詞にも影響を与えているのが最近の状況ではないかと私は考えている。言葉に込められた自然なリズムが失われ、画一的なリズムに支配される。それと共に、言葉で表現する行為自体に、「切り取り」と「貼り付け」、いわゆるコピペの作業が蔓延してくる。表現される世界もまた、どこかで見たことのあるイメージのコピーだらけになる。
志村正彦の言葉が表現する世界の独創性については繰り返し書いてきたが、彼の言葉そのものが、歌い方を含めて、リズムの感覚に優れている(彼の歌には確かに音程の不安定な時があるが、リズム自体はサウンドに上手に乗っている)。アフリカと欧米由来のロックのリズムと日本語本来のリズムを融合させた歌だ。(志村正彦の作る歌のリズム、言葉の拍子の問題については、時間をかけて検討していきたい。まだ、具体的に書ける段階ではないので、これからの課題にしたい)
ロックの本質はその「言葉」にある。そして、「言葉」をどう伝えていくのか、その「器」がロックのサウンドだ。優れたロック音楽には「言葉」がある。その「言葉」が失われていったのが、ロック音楽の衰退の原因だろう。
志村正彦、フジファブリックは、ロックの本質を体現している。
何故か。一言で答える。
「言葉」が存在しているからだ。
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