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2015年6月21日日曜日

『終わりなき終わり ボブ・ディラン』-浜野サトル3

 二回続けて、浜野サトルの四十年前ほどの批評をこの《偶景web》で紹介したことは、やや唐突に感じられたかもしれない。
 これまで、「志村正彦ライナーノーツ」を中心に音楽やそれをめぐる出来事についてこのwebに書いてきた。音楽をどのように語ることも自由だ。インターネットという場では、日々、音楽についての語りが量産されている。メディアであれ、個人であれ、音楽を語る欲望は尽きることがない。しかし、「語る」というよりも「語らされる」、あるいは語りに語りを「重ねていく」、という状況ではないだろうか。

 ジャック・ラカンによれば、私たちの欲望は他者の欲望である。音楽を語る欲望も、その言葉も、根源的には他者から与えられる。今、志村正彦を語る自分自身の欲望をふりかえると、そこには浜野サトルという他者が存在している。単に影響を受けたという以上のものがあるような気がする。それが何か。年月が経ち、わかるところもあるのだが、まだわからないところも多い。わからないからこそ、今回このような文を書き、彼の批評を読み直し、自分の言葉を問い直している。彼の文を読んでいくと、当時は気づいていなかった論点が幾つか浮上してくる。過去に書かれたものであっても、現在進行形で読まれうる。鋭敏な批評の特徴にちがいない。
 また、欲望や言葉をめぐるラカンの教えに踏みこまずに一般論で言っても、すでに半世紀を超える蓄積のある日本語のロックの「歌」について語ることは、これまでそれがどのように語られてきたのかという歴史との対話が不可避である。

 浜野サトルの「歌」論の中心にある対象、根源にあるモチーフは、ボブ・ディランである。

 『終わりなき終わり ボブ・ディラン』という論が、彼の最初の著書『都市音楽ノート』(1973年12月10日、而立書房)に収録されている。執筆は70年10月、初出は『ニューミュージック・マガジン』1971年2月号。『終りなき終り-ボブ・ディラン・ノート』という題で掲載され、『都市音楽ノート』所収の本文とは若干の異同がある。もともとこの原稿は『ボブ・ディラン論集』という書籍に収録され発表される予定だったが、結局刊行されずに終わったそうである。
 (私は高校生の頃『都市音楽ノート』を読み、この論に出会った。しかしあの当時、ディランに対する理解が浅いこともあって、この論を正確に読むことはできなかった。)

 彼はこの論で、「ボブ・ディランの歌が深化してゆく過程の内在的な構造 」を少しずつ解き明かして、「単独者」としてのディランの歩みを語っていく。表現者としてのディランと受容者としての自分自身の関係を測定することを絶えず意識しながら、次の認識にたどりつく。

 フォーク・ロックと呼ばれたものは、二重の意図をもっていた。ひとつは、さまざまな楽器の導入によって、曲全体を補完し、肉づけしてゆくこと。そして、もうひとつ、これこそ重要な点だが、ロックのリズムを呼び込むことによって、歌詞とメロディの組織力を激化させることであった。いま「ライク・ア・ローリング・ストーン」のディランを聴くとき、そこではさまざまな未熟さが目につく。しかし、あたかも言葉それ自身が解き放たれようとするかのような この動きの感覚こそ、われわれの待望していたものだったのだ。

 彼は、60年代半ばフォーク・ロックに変化していったディランの音楽を、「歌詞とメロディの組織力」を強化する「ロックのリズム」という基本構造によって説明する。ディランの「歌」の可能性の中心が、言葉が自ら解き放たれる「動きの感覚」にあることを強調する。
 しかし、60年代後半のディランについては、言葉・歌詞とメロディ・リズムの間の「緊張関係」の停滞や退行があると指摘し、次のように述べている。

『ナッシュヴィル・スカイライン』の背後には、深い絶望ともいうべきものが存在している。そこに、われわれは、一個人のもつ可能性の限界と単独者の宿命的な挫折を見出すべきだろう。円環は、閉じられた。

 60年代から70年代初頭にかけてのディランの「変化」が、「円環は、閉じられた」という厳しい断言で締めくくられる。これはディランの歩みに対する批評ではあるが、それと同時にあるいはそれ以上に、受容者・聴き手としての自らの経験をふりかえる自己批評でもある。

 なお、この論は、湯浅学『ボブ・ディラン ロックの精霊』(岩波新書、2013年11月)で紹介されている(156頁)。湯浅は、浜野を「慧眼である」とし、先ほどの引用部分の一部について、「この原稿の三三年後に書かれるボブの『自伝』をすでに読んでいたのか、と思える指摘だ」とその先見性を高く評価している。浜野サトルの初期の仕事の「再評価」という気運があるのかもしれない。そうであれば、とてもうれしい。

 70年代、浜野サトルは他の誰よりも音楽批評の「単独者」であった。彼の歩みの軌跡をたどりなおすことは、音楽についての批評が衰弱しているこの時代にこそ必要とされるのではないだろうか。
 

   (この項続く)

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