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2015年10月18日日曜日

「同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて」-『若者のすべて』18[志村正彦LN114]

 志村正彦は、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、『若者のすべて』について重要な証言をしている。「Talking Rock!」誌の代表、吉川尚宏氏という優れた理解者を相手に、創作の過程についても率直に語っている。その箇所を引用する。


最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで、同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった……みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて……とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。


 『若者のすべて』の歌詞と楽曲の構成の変更については、この「志村正彦lN」ですでに論じている。(ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 (志村正彦LN 34)2013年6月23日、http://guukei.blogspot.jp/2013/06/ln-34_5714.html 等)
 その際に使用した資料は、『FAB BOOK』(角川マガジンズ、2010/06)だった。ここでその説明を振り返ってみよう。

 『FAB BOOK』の筆者は、『若者のすべて』の「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」と伝え、「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する」と記している。そして、「ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから。」という志村の言葉を紹介している。まとめると、「センチメンタル」な感情を導くための「物語」が必要で、そのための「筋道」を立てていく過程で、「サビ」の位置が変更され、完成作の構成になったことになる。

 冒頭で引用した「Talking Rock!」2008年2月号のインタビューにもほぼ同様の発言がある。物語が「不自然」であったり、「リアル」でなかったりすることを避けようと試行錯誤する中で、「サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいい」という発見に至ったようだ。『FAB BOOK』では「Aメロとサビ」だけに触れているのに対して、「Talking Rock!」では「A→B→サビ」とBメロについても触れているところが違いといえば違いである。

 「何かきっかけがあるから、物語が始まる」と志村は言う。《A→B→サビ》の展開であれば、「物語」の端緒、発展、終息が自然にリアルに語られる。引用箇所には「物語」という言葉が三回も出てくる。『若者のすべて』の物語をどう描き、どう伝えていくのかが作者の最大の関心事だったようだ

 冒頭の引用に続く箇所には、『若者のすべて』の成立について非常に興味深いことが述べられている。


しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない!


 《A→B→サビ》で再構成していくのと「同時に」、(この「同時に」という証言が大切だが)「ないかな/ないよな」という表現が浮上してくる。
 おそらく、「最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな」というのが当初のサビの中心モチーフであった。そのサビをABパートの終わりに位置させることに伴って、そのサビを最終的に補う言葉とモチーフとして、「ないかな/ないよな」が追加されたというような過程が浮かんでくる。この過程から次のような歌詞の段階を想定して、対比してみたい。


【完成前の形態(仮定)】
  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

【完成型】
  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな
  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


 あくまで仮定上の対比ではあるが、完成型の方が格段に優れていると言える。多くの聴き手はそう感じるだろう。
 「ないかな ないよな きっとね いないよな」という一節に含まれる、「ない」「ない」「(い)ない」のモチーフ、「かな」「よな」「ね」「よな」の末尾表現、「な」音の繰り返し、があるからこそ、『若者のすべて』の魅力ある世界が構築されたのではないだろうか。

 「な」「い」のシニフィアン(言葉そのもの)の綴れ織りは、志村正彦でしか成しえないようなテクスト(言葉の織物)であろう。凡庸な日本語ロックやJポップとの差異がここにある。「ないかな/ないよな」のモチーフを、志村の言葉で言うならまさに「膨らませる」ことによって、『若者のすべて』の多様なモチーフは複合的に絡み合い、響きあう。

 作詞の過程では、多分に無意識的なものとして「ないかな/ないよな」は現れてきたのだろうが、この言葉には、時代や世代、社会的な「意味」が込められていることも言及されている。次回はこのことについて論じたい。

        (この項続く)

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