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2020年6月21日日曜日

「ロックの詩人」志村正彦は季節をどう歌ったか-『若者のすべて』を読む-2020《人間文化学》[志村正彦LN257]

 山梨英和大学には《人間文化学》という1年次必修科目がある。シラバスの概要には「この科目の名称であるだけでなく、学部・学科の名称でもある「人間文化学」とは何なのだろうか。これを学ぶことで、われわれは、どういう地平を切り開くことができるのだろうか」と学生へ問いかけている。
 入学生がこれから4年間「人間文化学」を学んでいく出発点となるように、12人の教員が専門分野について講義するオムニバス形式の授業であり、私も日本語日本文学について担当することになった。具体的な事例に触れながら語るという要請なので、下記のテーマを設定した。

   日本語日本文学と人間文化学:季節の言語文化論

 「ロックの詩人」志村正彦は季節をどう歌ったか -『若者のすべて』を読む-

 『若者のすべて』は季節というモチーフだけに限定される作品ではないが、日本文学との接点のために「季節」という観点をイントロダクションに用いた。この作品には多層的な語りの構造やモチーフの展開があり、現在の学生、若者にとっての「文学作品」として享受できる。むしろこのような歌が現代の文学ではないかという問題意識の提起でもある。だから「ロックの詩人」という形容を志村正彦に冠した。また、学生が文学作品を読む方法についても学ぶことができるように配慮した。

 受講生は180人程度。当初は大教室で行う予定だったが、コロナ危機の影響によってオンライン遠隔授業で行った。本学は学生全員にモバイルノートPC(MacBook Air)を貸与している。またこの危機に対応するために、自宅でのネット接続環境の整備を目的として「自修環境整備補助」として1人あたり5万円を支給した。昨年度末、学内の無線LAN(Wi-Fi)のネットワーク機器も最新のものにリプレースされた。Googleの「Gsuite for education」をオンライン授業のプラットフォームにしたが、以前から通常の対面授業で資料の配信や課題の提出・回収に使っていた。地方の小規模大学にしては、コンピュータ・ネットワークの整備やICT教育に力を入れてきたので、比較的スムーズにオンライン遠隔授業に移行できた。

 先週、その授業を行った。STAY HOMEで、自宅のPCとネットワークを使って講義に臨んだ。Googleの授業支援ツール「Classroom」を基盤にして、ビデオ会議ツールMeet をリアルタイムの映像・音声の送信に活用した。
 Meetの画面にGoogleのスライド資料を映し出し、それに私の声による講義を重ね合わせる方法をとった。そのために、56ページのスライドを作成した。授業時間全体は95分、講義分は60分。スライドのすべてを伝えるはできないので、要点を絞って説明していった。関心のある学生には授業後に読んでもらうことを前提にした。

 スライド資料はこの偶景webの記事から再編集して作った。現時点で『若者のすべて』は52回書いてきた。この8年間の記事を読み直していったのだが、ほとんど忘れてしまったこと、上手く書けていないところ、もっと掘り下げた方がいいところなど、色々な発見があった。何となく、懐かしさのようなものも味わった。この歌は、テレビドラマや映像のBGMとして使われたり、少なくない歌い手からカバーされたりと、すでに色々な歴史が刻まれている。昨年はドキュメンタリー番組のテーマともなった。

 結局、最初の頃に集中して連載した『若者のすべて』1~12(2013年6月23日~10月26日)を基軸にまとめることにした。この全12回の論を書いてからかなりの年月が経つが、基本的な考え方は変わっていないことも確認できた。その基軸にいくつかの重要なモチーフをつなげると10章の構成になった。受講生にとって文学の読解や研究のための参考になる観点については《 》内に記した。各章のテーマは次の通りである。       


1)歌の世界をたどりきれない想い 《想いから問いかける》
2)二つの異なる曲、二つの歌の複合 《証言からの推論》
3)《歩行》と《僕》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 1》
4)《花火》と《僕ら》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 2》
5)「二人」と「僕ら」 《横断的に読む》
6)「自然詩人」 季節の風物詩「花火」《文芸批評・文学研究の観点》
7)消えてゆく言葉、解釈への問い《他の作品との関連、モチーフ批評》
8)僕らの世代《想いから問う》
9)「時代」を超える歌 《歌の運命》
10)なぜ志村正彦は歌を作り、歌うのか。《創造すること》


 事前課題として、『若者のすべて』歌詞とyoutube公式サイトの『若者のすべて』ミュージックビデオのURLを記載した資料を送信した。学生には繰り返し(できれば2,3回)聴いておくことを伝えた。
 授業の最初に、学生に『若者のすべて』を聴いて感じたこと、心に浮かんできたことを150字程度で書くことを指示。学生からの返信。60分の講義の展開。終了後、授業についての感想、振り返りを書くことを指示。学生からの返信。さらに、翌日までに『若者のすべて』論(600~800字程度)を書いて返信することを提出課題にした。

 学生が書いて提出した論の総数は167。優れた内容の論が多かった。歌詞と自分の想いを重ね合わせるようにして述べたもの。歌詞の語りや構造を踏まえた上で考察したもの。大学生とは言っても入学したばかりだが、それでも感想のレベルから考察や分析のレベルへと論を進めていく姿勢がうかがわれた。「世界の約束」という表現に注目したり、コロナ危機の状況下での視点を打ち出したりと、若者らしい思考が展開されていた。167の論について的確に書けているところを指摘したコメントを記して、学生一人ひとりに返信した。三日間かかったが、充実した時間だった。彼らの論から学ぶことは少なくない。
 学生が提出した『若者のすべて』論はその学生の「著作物」なのでここで紹介することは控えるが、授業の感想として寄せられたものを二つ引用させていただく。


今回の講義を受講して、今までは歌詞は付属のような感覚でしたが、曲同様、またそれ以上の意味があるものだと気づかされた。また、"語りの枠組み"ということを知り、その歌詞で何が語られ、何をモチーフにしているのかと分析していくにつれ、深層にある想いなどを読み取ることができるのではないかと思った。

歌詞の言葉の一つ一つから、言葉を選ぶ慎重さや言葉に対する拘りを感じました。「二人」と「僕ら」の使われ方の違いについて面白いと感じ、さらに詳しく知りたいと思いました。詩のような歌詞と言われているように、曖昧な部分からも様々な考えを読み取ることが出来て面白いと思いました。


 担当教員の拙い講義にもかかわらず、授業の目標はほぼ達成されたと考えている。これは『若者のすべて』という歌が、若者に作用する根源的な力を持つからである。学生はその力を若者らしく受けとめて、自らの感性と知性を行使して自由に表現した。




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