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2020年1月13日月曜日

松任谷由実『ノーサイド』

 2019年は、ラグビーワールドカップで日本代表が大健闘した年としても記憶されるだろう。一ファンとしてWCを大いに楽しんだ。
 年が明けて、1月11日、新しい国立競技場でラグビー大学選手権が開催され、早稲田大学が明治大学に勝利し大学日本一になった。新国立も満員だった。12日にはトップリーグが開幕した。日本代表大活躍の影響で各会場とも観戦者がかなり増えた。今回のラグビー人気は本物になる予感もする。

 昨年大晦日の紅白歌合戦。流行り歌に疎いのでせめて紅白だけでもと毎年欠かさずに見ている。年々歌はつまらなくなっているというのが正直な実感だが、その中でひときわ歌として輝いていたのは、ラグビーをテーマにした松任谷由実の『ノーサイド』だった。ラグビー日本代表のメンバーも登場し、ワールドカップの映像が流れる中でユーミンが想いを込めて歌い上げた。G 鈴木茂、Ds 林立夫、B 小原礼、key 松任谷正隆が演奏した。松任谷正隆がローズピアノでイントロを弾くと、耳に馴染んだあのメロディーが広がっていく。
 歌詞の前半を引用したい。


   ノーサイド (作詞・作曲 : 松任谷由実)

 彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
 長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた
 肩を落として 土をはらった
 ゆるやかな 冬の日の黄昏に
 彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った

 何をゴールに決めて
 何を犠牲にしたの 誰も知らず
 歓声よりも長く
 興奮よりも速く
 走ろうとしていた あなたを
 少しでもわかりたいから

 人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ


 眼差しの向こう側に「彼」がいて、こちら側に「私」がいる。「私」はただひたすら「彼」を見ているが、距離はある。グラウンドの中と外で隔てられている。その距離感がユーミンの歌の基底にある。
 「彼」が「枯れた芝生の匂い」を「深く吸った」とあるが、ここでは「私」は想像の翼によって「彼」に近づく。しかしその後「私」はふたたびグラウンド全体を見渡す場所に戻って、キックが「ゴールをそれた」軌道を追いかける。「彼」と「私」との距離は近づいたり遠のいたりする。

 次の連では、「歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていた あなた」に焦点が合う。「歓声よりも長く 興奮よりも速く」はなんと卓抜な表現なのだろう。ラグビーの得点シーンは、たとえばサッカーに比べると時間がかかる。何度もアタックする。ボールを回し、走り、起点を作り、その反復がある。もともとボールを後方に渡すという「理」に反した攻め方ゆえにラグビー固有の時間の流れ方がある。だからこそ、応援する側から言うとそのプレーに対する「歓声」は長い。しかし、インゴールにボールをグラウンディングする時間は一瞬の出来事として生起する。ゴールの「興奮」は時間が凝縮されている。だからこの「歓声よりも長く 興奮よりも速く」走るというのは、ラグビーの攻撃の描き方としてきわめて的確なのだ。そしてその走る姿が「あなた」に収斂していく。「彼」が「あなた」に転換されることによって、「私」と「彼=あなた」の距離が極限まで縮まるかのようだ。その「あなた」を「少しでもわかりたいから」、「人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ」と歌うのは、ラグビーに対する愛の賛歌となる。「あなた」はラグビーそのものなのだろう。

  「ノーサイドNO SIDE」は試合終了を示す。その瞬間、自陣と敵陣の区別はなくなり、勝者のサイドも敗者のサイドも無くなる。互いの健闘をたたえ合い、互いを尊重し合う。ノーサイドという境界を消失させる行為は、歪んだ対立が顕在化するこの時代に省みる価値がある。
 ふと思った。『ノーサイド』の歌詞の「彼・あなた」と「私」にある一種の距離や境界も最後に消えていったのではないかと。歌い手と歌われる存在や対象との間にある境界も、歌が終わる瞬間に消失していく。

 「しめくくるキックは ゴールをそれた」というシーンについても語りたい。これはかつての全国高等学校ラグビー大会決勝の「伝説の一戦」から素材を得ているようだ。決まれば同点で両校優勝となるゴールキックを左に外し、その直後ノーサイドの笛が鳴ったそうである。
 こういう劇的なシーンはラグビーで時に遭遇することがある。

 昨年のラグビーWCフランス対アルゼンチン戦を東京・味の素スタジアムで観戦した。山梨で合宿したフランスチームを応援するつもりで行ったのだが、会場に行く途中で陽気なアルゼンチンサポートとも出会い、はじめからノーサイドの気分だった。
 フランスが2点差でリードしている試合の終了間際、アルゼンチンがPGを獲得した。約50メートルのロングキックが決まれば劇的逆転だったが失敗した。まさしく「しめくくるキックは ゴールをそれた」。試合はノーサイドを迎えた。

 もうひとつ思い出を語りたい。もう二十年近く前の出来事だ。
 2001年12月旧国立競技場で、ラグビー関東大学対抗戦の「早明戦」早稲田大学対明治大学の闘いがあった。
 早稲田が1点のビハインドで迎えた後半ロスタイム、ペナルティーのチャンスを得て、武川正敏が蹴ったボールはポストの間を通り抜けた。キックはゴールをそれなかった。早稲田が土壇場で試合をひっくり返し、勝利を掴み取った。現地で僕は父と妻と一緒にこの試合を見ていた。僕が母校の早稲田大学ラグビーのファンだったので、父も熱心に応援してくれるようになっていた。勝利の瞬間の父の笑顔が忘れられない。翌年も観戦し、その次の年もチケットを購入したが、父は体調を崩し国立には行けなかった。その半年後父はなくなった。早稲田のラグビーを見ると父を思い出す。2001年の早明戦はいまだに最も記憶に残る試合だ。みんなで校歌をうたったことも胸に刻まれている。

 武川正敏は山梨のラグビー強豪校である日川高校の出身である。そのこともあり、あの日は特に彼を応援していた。彼は昨年から早稲田のヘッドコーチに就任している。あの日の伝説のキックの経験は後輩たちへ受け継がれていくのだろう。

 紅白歌合戦で歌い終わった後、田中史朗は「皆さんの支えがあってベスト8にいけたのでうれしいですし、ほんとうに日本がONE TEAMになって、この歌も聞けてほんとうにうれしいです。ありがとうございます」と言った。ユーミンは「たくさん勇気をもらいました。この曲にこんなチャンスを与えてくれてありがとう!」と涙ぐみながら選手に語りかけていた。
 「チャンス」を与えてくれたというユーミンの言葉に感銘を受けた。『ノーサイド』というひとつの歌が、ラグビーを祝福し、ラグビーから祝福されていた。


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