前回引用した、漫画『モテキ』の最終話、「夏樹」と別れた後の場面で、「幸世」は「いつも俺は大事な言葉を伝えられない」と思い、ケータイで曲を探しながら次のように呟く。
今の気持ちに合う曲も見つからない
「違うな…」
「これも気分じゃない」
こんな時に歌でも作れたらいいんだろうけど
「作った事ないし……」
「ありきたりな詞しか書けなさそう」
「幸世」と同じような状況に置かれたら、音楽好きの人であれば、歌を作れたらと思う人も少なくないかもしれない。だが、実際に作りあげることは難しい。仮にできたとしても凡庸なものになってしまうだろう。
志村正彦ならどうだろうか。
彼は『茜色の夕日』に言及して、自分で聴きたい歌を自分自身で作るというが創作のモチーフだと述べている。
色々なアーティストの感動する曲があって
そういう曲ってすばらしいなあと思いつつも
あの、ちょっと自分じゃないような感じがするんすよね。
100パーセント自分が聴きたい曲ってないかなと
ずっと探っていたんですよ。てっ時にもうなくて。
自分が作るしかないってことに、行きついたんですね。
『茜色の夕日』って曲を作ってかけてみたんですよ、ステレオに。
そうしたらすごい、あっこれこれ、この感じって感動して、自分で。
で、そういうのを毎回求めて作ってしまうんです、曲を。
(2004年 タワーレコード渋谷店でのインタビュー )
この二つの言葉を比べてみると、『モテキ』の「俺(幸世)」は、まるで逆さまになった志村正彦の歌の「僕」のようだ。
志村正彦の歌の「僕」、というよりも志村正彦その人であれば、大事な言葉を本音を相手に伝えられないという想いを、時間をかけて丁寧に、何度も何度も曲や歌詞を練り上げて、歌として作りあげていくだろう。現実にそのようにして『茜色の夕日』は生まれた。
彼は自分の歌の第一の聴き手となり、自分が作った歌に素直に感動する。作者志村正彦と、歌の中の主体としての「僕」との対話が生まれたのだ。そこには自己満足的な閉じられた感触はない。『茜色の夕日』の純度と質の高さがそのようなものを払拭している。この歌は普遍性を持ち、たくさんの聴き手を獲得した。
そして、そのような経験を通して、彼は自分の聴きたい歌を自分で作るという方向に大きく歩み出す。孤高でありながら同時に聴き手に開かれた、希有なロック・アーティスト志村正彦の誕生である。
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