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2013年4月9日火曜日

『Surfer King』の企み(ここはどこ?-物語を読む 1)

 家人が花粉症なので、この季節洗濯物は部屋干しだ。早く夏が来ればいいと室内干しを拡げていると、家人は大音量で『Teenager』を聴いている。『Surfer King』だ。ノリノリで仕事がはかどりそう。調子よくタオルをパンパンしていたとき、「あれ?」と思った。

 『Surfer King』はホーンセクションが印象的なアップテンポの曲で、ビデオクリップの演出も相まってコミカルな印象を与える。ある意味ナンセンスソングに分類されるかもしれない。歌詞に深みはないけれど、こういう音楽も楽しくていい。私はうかうかとそんなことを感じていたのだ。その日、志村正彦の周到な企みに気づくまでは。

 『Surfer King』には金髪碧眼でがっしりとした体躯のアメリカ人(「彼」)がサーフボード片手に登場する。この男、別に悪いことをしたようもないのに、さんざんな言われようなのだ。曰く「サーファー気取り」「サーファーもどき」、曰く「王様気取り」「相当愚か」「相当野蛮」。似非サーファーに世間が抱く、格好だけで中身が薄っぺらな男のイメージがコミカルながらしっかり悪意を持って語られる。まあ、こういうタイプが気にくわないのもわからないではないから、特に違和感なく聴いていたのだが、次のワンフレーズに注目すると曲の様相は一変する。

  「サーファー気取りについていく君」

 この突然出現する「君」の存在によって、「彼」と「君」そして歌詞には現れない「僕」の関係と物語が見えてくる。この関係は「君」をめぐる三角関係か、あるいは「彼」を追う「君」とその「君」を追う「僕」という一方通行の直線関係か。「僕」の思いがどの程度のものかはわからないが、この関係が「彼」に対する「僕」の悪意の源であるとすれば、すとんと腑に落ちる。そして、残念ながら「僕」の思いがかないそうにないことを考え合わせると、明るい曲調の中に、哀れな道化師の姿さえ浮かんでくるではないか。

 それが『Surfer King』の仕掛けだとして、私がそれを志村正彦の周到な企みだと感じるのは、このフレーズが出てくる位置にある。この曲では「サーファー気取りアメリカの彼」というフレーズが同じメロディで三回繰り返される。次には同様に「サーファーもどきアメリカの波」がやはり三回繰り返され、三度目に再び「サーファー気取りアメリカの彼」が二回繰り返された後やっと「サーファー気取りについていく君」というフレーズが登場する。CDやビデオクリップではこの部分はあまりにさらりと歌われていて、インパクトの強い前のフレーズの繰り返しだと思っていると聞き逃してしまう。

 もしこのフレーズが私の考えるようにこの曲の物語を立ち上げるキーなのだとしたら、もっと早い時点で提示され、もっと聞き手の印象に残るような歌い方をしてもいいはずだ。しかし、実際にはまるで忍び込ませるように曲の終盤に配置されている。だから、私がそうであったように、多くの聴き手はある時ふいにそのフレーズに気づき、聞き慣れたはずのこの曲の意味を知ることになるだろう。驚きとともに。おかげでこの曲は聴き手にとって一粒で二度おいしいお得な曲になっているのである。

 洗濯物を干し終えた頃にはとっくに次の曲に変わっていたが、頭の中ではまだ『Surfer King』がぐるぐる回っていた。志村正彦の企みにまんまと乗せられた私はなんだかとてもいい気分で、下手な歌を大声で歌いたくなった。

 付記
こんな感じで時々書かせていただくことになりました。
シリーズ名は『Strawbarry Shortcakes』の歌詞の一節からいただきました。
私はもともと物語に興味があって、志村さんの曲から伝わってくる物語がとてもおもしろいと思っています。
今後ともよろしくお願いします。

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