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2025年7月18日金曜日

「若者のすべて」/マクドナルドCM「大人への通り道篇」[志村正彦LN365]

 今日、関東地方で梅雨が明けた。ここ数日の雨模様の天気から晴天に一変。真夏の日差しに包まれた。眩しい光の季節の到来だ。

 午後3時少し前のことだった。

 PCで作業をしていると、壁際のテレビから突然、志村正彦の声が聞こえてきた。「若者のすべて」の冒頭だ。驚いて画面を見ると、マクドナルド・ハンバーガーのCMだった。永作博美の姿とドライブスルーが見えた。


 早速、YouTubeのマクドナルド公式を探すと、「大人への通り道」篇というCMが見つかった。「“家族”に寄り添い続けるブランド、マクドナルドが届ける新TVCM」「永作博美さんが母親役で、マクドナルドのTVCM初出演!ドライブスルーを通じて、母が子の小さな成長に気付くハートフルストーリー〜新TVCM『大人への通り道』篇 2025年7月15日(火)より地上波にて放映開始〜」と書かれていた。三日前から放送が始まったようだ。

 「大人への通り道」篇 には30秒ヴァージョンと60秒ヴァージョンの二つある。60秒の方を紹介したい。



   夏を予感させるあの印象深いイントロから、志村の声が「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた/それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている/夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて」まで、画面の物語の背景に響いていく。ロケ地は長崎。免許を取った息子が運転する軽乗用車に同乗する母(永作博美)と娘。長崎名物の市電が接近する。マックのドライブスルーに行き、ダブルチーズバーガーを注文。「ドライブスルーは、大人への通り道」という言葉で映像は終わる。

 マクドナルド公式(McDonald’s)の説明にはこうある。

CM「大人への通り道篇」は誰もが一度は経験する“成長の通過点”を、ドライブスルーという舞台でやさしく描いています。ついこの間まで後部座席にいた息子が、いまは自分の運転で家族をドライブスルーに連れてきてくれている。その成長に、よろこびと、ほんの少しの切なさがこみ上げます。親子の関係性が変わっても、ずっと訪れる場所でありたい。そんな願いを込めています。 


 フジファブリックには「Cheese Burger」という愉快な歌がある。マクドナルドのラジオCMだった。それ以来のフジファブリックの音源起用になるのだろう。

 それにしてもなぜ、「大人への通り道」篇に「若者のすべて」が使われたのか。「真夏のピークが去った】という季節感、「それでもいまだに街は 落ち着かない」という街のざわめき。夏という時。夏という場。夏の感触。そしてCMでは流れなかったが、「世界の約束を知って それなりになって また戻って」という一節が、このCMの「大人への通り道」というモチーフにつながるのだろうか。


 今回のCMの「ダブルチーズバーガー」を注文する息子の声は、「Cheese Burger」の「チーズ とろけそうなチーズ/パンにはさんだビーフ 想像しただけで 早歩き」という志村正彦の声と呼応しているのかもしれない。そう考えると、このCMが愛おしくなる。


2025年7月10日木曜日

志村正彦と飯田龍太の「陽炎」[志村正彦LN364]

  今日7月10日は志村正彦の誕生日である。1980年、山梨の富士吉田市で生まれた。同じ7月10日に生まれた偉大な俳人がいる。飯田龍太。1920年、山梨の境川村で生まれた。

 六十年を隔てて、志村正彦は飯田龍太と同じ日に誕生した。時代も表現形式も一般的な知名度も異なるこの二人を同一の誕生日ということでエッセイの俎上に載せることに違和感を持つ方もいるかもしれないが、山梨の四季の風景に触発されてきわめて優れた言葉を紡ぎ出したことから、今日はこの二人の「陽炎」を表現した作品について書きたい。


 志村正彦・フジファブリックの「陽炎」は夏の名曲である。2003年の作。

 詩人は、「少年期の僕」の「残像」と「今の自分」にとっての「出来事」を描く二つの系列によって歌詞を構成している。まず「残像」系列を引用する。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ
  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

 「残像」の系列では、歌の主体「僕」は、過去へ、「あの街並」という場へ、「路地裏の僕」自身へと回帰していく。「英雄気取った」少年期を想起しているうちに「残像」が次々に浮かんでくる。この「残像」はもうすでにそこには残っていないが、消えてしまったにも関わらず、記憶に残り続けている心象や感覚のことであろう。「残像」は執拗に現れて、歌の主体の「胸を締めつける」。 次に、「出来事」の系列を引用する。

  きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
  きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう
  またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  出来事が 胸を締めつける

 「今」、現在という時。「きっと今では」と「きっとそれでも」、「無くなったもの」と「あの人」、「たくさんあるだろう」と「変わらず過ごしているだろう」。対比的な表現によって、複雑な陰翳を帯びた「出来事」が次々と現れて、歌の主体の「胸を締めつける」。「あの人」に焦点化していくが、「あの人」が誰なのかは分からない。歌詞の一節にあるとおり、「あの人」は「陽炎」のように儚く揺れている。

  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる
  陽炎が揺れてる

 最後のパートでは「陽炎が揺れてる」が三度繰り返されるが、歌い方が変化していく。揺れているものが静止していくように感じられる。陽炎は揺れてやがて消えていく。

 残像も出来事も、過去の物語も現在の物語も、揺らめきが消えてゆき、すべてが静けさに包まれる。志村正彦はそのように歌い終えている。


 飯田龍太にも「陽炎」を季語とする名句がある。

 

  陽炎や破れ小靴が藪の中


 1971年の作。第六句集『山の木』に収録されている。

 「陽炎」は春の季語。日光で地面が熱せられ、風景が細かくゆれたりゆがんで見えたりする。「陽炎」が揺らめくなかで、俳人の眼差しが「破れ小靴」に注がれる。「小靴」とあるので子どもの靴だと想像される。履きつくされて擦り切れて破れてしまったのか、「破れ小靴」がなぜか「藪の中」で見つかる。「破れ」たままでそこに在る。そこに在り続けている。しかし、時間の経過とともに朽ちはてていくようでもある。

 俳人はある痛みの感覚を持ってその「破れ小靴」を見つめている。時の流れについても儚さや痛ましさやを感じている。飯田龍太は三十六歳の時に五歳の次女を病臥一夜にして失う。この句にはその次女の面影が宿っているという説がある。俳人の眼差しには深い哀しみが込められているとも考えられる。

 「藪の中」はありのままの風景だろうが、この言葉は芥川龍之介の小説「藪の中」も想起させる。「破れ小靴」そのものが謎めいた物であり、謎の迷宮の中に陽炎のように存在しているとも考えられる。生と死に対する問いかけがあるのかもしれない。

 また、切れ字の「や」、「破れ」の「や」、「藪」の「や」という「や」の連鎖と「やぶ」音の反復が独自の韻律をつくる。さらに「の中」という語法を伴うことによって、音がループする感覚を奏でている。


 志村正彦の眼差しは少年期の「胸を締めつける」「残像」に、飯田龍太の眼差しは子どもの「破れ小靴」に注がれている。表現された世界は異なるが、胸が締めつけられるような痛みの感覚が共通している。そして、「陽炎」が揺れはじめる。生と死、過去と現在の迷宮のなかに表現主体が包み込まれる。


 今日は7月10日。志村正彦と飯田龍太。日本語ロックを代表する存在と現代俳句を代表する存在。山梨で生まれた二人の詩人が同一の誕生日である偶然を祝したい。


2025年6月29日日曜日

甲府Be館『小学校~それは小さな社会~』『教皇選挙』『敵』『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』

  六月は「シアターセントラルBe館」で四本の映画を見た。

 僕も妻もいろいろと忙しい毎日を送っていて、このところ、週に一度の映画館通いが唯一の愉しみである。Be館は甲府の中心街にあるので、映画の前後にランチを食べ、街を歩く。日常から解放される。ささやかだがそれなりにぜいたくな時の過ごし方かもしれない。今日はこの四本の映画について少しだけ感想を書きたい。






山崎エマ監督『小学校~それは小さな社会~』  父親が英国人、母親が日本人である山崎監督は、日本の公立小学校、インターナショナルスクールの中高、米国の大学で学んだ。小学校が「日本の子どもたちを“日本人”に作り上げる」というモチーフで、東京の世田谷区立塚戸小学校の生徒・保護者・教師を一年間撮影したドキュメンタリー作品だが、教師と生徒の人間的な交流と学校全体としての集団的な規律訓練が交錯する姿を丹念に追いかけている。この映画を見ながら、半世紀以上前になる小学校での出来事の記憶がぼんやりとうっすらと浮かび上がってきた。懐かしいという感情ではなく、こういうこともあったのだという発見のようなもの。それがこの映画の核にある。


エドワード・ベルガー監督 『教皇選挙』  新しいローマ教皇を選出する教皇選挙(コンクラーベ)をめぐる人間模様を描いた映画。4月にフランシスコ教皇が亡くなりコンクラーベが行われたこともあって話題作となった。予備知識がなかったのでドキュメンタリー的な作品なのかと思っていたが、実際はミステリー仕立ての映画だった。結末は想定外の展開になる。ほんのわずかに伏線が張られてはいるが、その伏線には誰も気づかないであろう。そのことを含めて、すべては前教皇の意志である、解いた物語の展開がバチカンらしいのかもしれない。



吉田大八監督『敵』  筒井康隆の同名小説の映画化。七十七歳の主人公の男は元大学教授。フランス文学・演劇の権威だったが、妻に先立たれ、日本家屋で一人暮らしの日々を送る。老齢や孤独ということもあってか、男は次第に自らの夢や妄想にひきこまれていく。原作者の筒井康隆がずっと(作家生涯をかけてというべきだろう)探究しているテーマだ。吉田監督は美しいモノクロ映像の陰翳と秀逸なカット割りとモンタージュによってこの難しいテーマを見事に映像化している。ただし、「敵」を映像として実体化するような戦闘的シーンは不要だった気がする。夢や妄想はあくまでも自らの内部の「敵」、無意識の「敵」として存在するのが筒井文学の本質であるからだ。


エレン・クラス監督『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』  報道写真家リー・ミラーの人生を描いた伝記映画なのだろうが、見終わったときに感じたのは本質的に、戦争の本質を厳しく鋭く映し出した戦争映画ということだった。写真家の眼差しが戦争の犠牲者たちを捉える。その過酷な仕事に打ち込む写真家の姿。映画内の映像だとはいえ、見ることに耐えられない残酷な被写体の姿。人間の生と尊厳を根こそぎ奪い取る戦争の姿。なぜリー・ミラーが戦争の報道写真を撮ることになったのかという問いは最後にインタビューで語られることになる。一言で言えば、戦争と性を貫く男性の暴力との闘いになるのだろうが、そのモチーフは的確に表現されている。



 四本の映画はそれぞれ本質的な問いかけを持っていた。甲府市内に残る唯一の映画館「シアターセントラルBe館」はミニシアター系作品の二番館のような存在だが、上映作の選択がいつも素晴らしい。この甲府の地でこのような映画を鑑賞できるのは特筆すべきことだ。

 この映画館はこのまま存続してほしい。僕たちにできるのは、とにかく、Be館に通うことだと思っている。

2025年5月31日土曜日

「こうふ亀屋座」「小江戸甲府花小路」/Be館「35年目のラブレター」

 4月19日、甲府市の中心街に江戸情緒あふれるまちなみを作るプロジェクトとして、甲府城の南側エリアに歴史文化交流施設「こうふ亀屋座」と交流広場、その周辺に江戸の町並みをイメージした飲食物販等施設「小江戸甲府花小路」という小路がオープンした。「こうふ亀屋座」には120人収容の演芸場と五つの多目的室が設けられている。記念イベントとして、落語会、能楽会、「宮沢和史TALK&LIVE」という音楽会が演芸場で開かれた。文字通り演芸の場である。


 「こうふ亀屋座」は、江戸時代の芝居小屋「亀屋座」をイメージして建設された。 木村涼氏の論文「八代目市川團十郎と甲州亀屋座興行」(早稲田大学リポジトリ)によると、亀屋座は明和二年(一七六五)創設の芝居小屋であり、時代を代表する名優、七代目と八代目市川團十郎、五代目松本幸四郎、三代目坂東三津五郎、五代目岩井半四郎などが一座を率いて芝居を上演している、とある。江戸時代、甲府で流行った芝居は江戸でも流行ると言わていた。芝居を見る目が優れた人が甲府には多いという定評があったようだ。


 先々週、「こうふ亀屋座」と「小江戸甲府花小路」の界隈を歩いた。岡島という老舗百貨店の新店舗の方から北東側に歩いて行くと、このエリアに入ることができる。確かに江戸を思わせる小屋と小路だ。なんだかタイムスリップした気分になる。話題のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の映像も浮かんできた。


食べ物屋、甘味処、カフェなどの店舗もある。その向こう側には「甲府城跡」(舞鶴城とも呼ばれる)の石垣が見える。近くには「舞鶴城公園」もある。中心街の散策コースとしてはとても綺麗な空間になっている。甲府の中心街はかなりさびれてきたが、この江戸情緒の街並みや芝居小屋が新しい拠点となってほしい。


 先週は「シアターセントラルBe館」に出かけた。これで三週間連続となる。

 今回は、「35年目のラブレター」。監督・脚本、塚本連平。役者は主演西畑保:笑福亭鶴瓶、西畑皎子:原田知世、保(青年時代):重岡大毅、皎子(青年時代):上白石萌音。



 文字の読み書きができなかった保が夜間中学で字を覚えて、妻の皎子にラブレターを書くという実話を基にした映画である。こういうストーリーであると、いわゆる「感動もの」的な作品に思われるかもしれないが、この映画は適任の役者や抑制された演出によって優れた作品になっていた。

 重岡大毅は、2022年7月から9月まで放送されたテレビ東京のドラマ「雪女と蟹を食う」で好演していた。このドラマの挿入曲に、志村正彦・フジファブリックの「サボテンレコード」と「黒服の人」が使われた。上白石萌音は、2022年5月7日のNHK総合の番組「こえうた」で志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」を歌った。そんなこともあり、この二人には親しみを抱いていた。保と皎子の出会いから結婚へと至る展開には心が温まった。懐かしくて尊いものがあった。


 映画の中で時が進んでいくが、どうにもならない悲しい出来事が起きる。しかし、青年時代や新婚時代の二人の回想が挟まれ、現代と過去の間に「スリップ」が起きる。その「スリップ」が生きていく力を与える。未来への時間を開いていく。「侍タイムスリッパー』や『知らないカノジョ』と同様に、「スリップ」が演出上の素晴らしい効果をあげている。

 ラストシーンで、笑福亭鶴瓶と原田知世、重岡大毅と上白石萌音の二つのカップルが、公園の二つのベンチに隣り合わせで座っている。一つの空間にスリップしている。その幻の場面が秀逸だった。とりわけ美しかった。

2025年5月18日日曜日

映画館というスリップの場、「シアターセントラルBe館」再開、『侍タイムスリッパー』と『知らないカノジョ』。

 志村正彦・フジファブリックの「消えるな太陽」は、「映画の主人公になって/みたいなんて誰もが思うさ/無理なことも承知の上で映画館に足を運ぶ俺」と始まる。志村にとって映画館も太陽、光の場だったのであろう。

 映画の主人公になってみたいなんて、さすがに思うことはないが、映画館に足を運びたいとは思う。でも、私の住む甲府にはもう映画館がない。時々通っていた中心街の映画館「シアターセントラルBe館」は2023年12月から休館になってしまった。非常に残念だった。ここは良質な作品を上映する甲府のミニシアターとも言える場。このblogでも何度も上映作について書いてきた。休館ということだったがそのまま閉館となってしまう恐れもあった。


 ところが、シアターセントラルBe館が5月2日から再開されることになった。とてもとても嬉しかった。地元のメディアでも大きく報道され、山梨日日新聞の記事には「小野社長は「『映画の街』として栄えた市内中心街にある映画館として、長く続けてきた文化のともしびを消したくない。映画館からしばらく疎遠になっている人も、これをきっかけに足を運んでほしい」と語ったとある。この小野社長の心意気が有り難い。

 出井寛『山梨シネマ120年』(山梨ふるさと文庫2019)に山梨の映画館の歴史が詳しく書かれているが、最盛期の昭和30年代前半には甲府市内に十五の映画館があった。伝統的に甲府は興行が盛んな街だった。江戸時代には歌舞伎の芝居小屋があり、大正時代以降は映画館が娯楽の場となった。しかし現在は山梨県内に、この復活したBe館(略してこう呼んでいる)と昭和町のイオンモール内にある「TOHOシネマズ 甲府」というシネコンの二つしかない。富士北麓地方ではかつて富士河口湖町にあったのだが今はもうない。

 早速、妻と二人でBe館に出かけた。先々週は『侍タイムスリッパー』、先週は『知らないカノジョ』と、二週間続けて見た。



  『侍タイムスリッパー』は、幕末の侍が現代の時代劇撮影所にタイムスリップするという荒唐無稽な物語。主役の山口馬木也の姿や立ち居振る舞いが毅然として凜々しいが、ところどころユーモアも醸し出す。安田淳一監督による自主制作映画だが、脚本、俳優、演出、映像のすべてが素晴らしい出来映えだった。タイムトラベルものの定型に陥ることなく、侍という存在、幕末から現代までの時代の変化、そして時代劇そのものについて問いかけるメタ的な視点がある。全国で上映されるようなヒット作となったことも頷ける。

 『知らないカノジョ』の監督三木孝浩は、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」を重要なモチーフとしたNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』を監督したということから、この最新作にも興味を持った。主演は中島健人とシンガーソングライターのmilet。この二人が恋愛し結婚するのだが、各々の仕事や立場が逆転した〈もう一つの世界〉に入り込んでしまう。小説と音楽の制作もモチーフになっている。脚本の質がとても高いことに驚いたのだが、日本映画離れをしているなと思って帰宅してから調べてみると、フランス映画『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』のリメイクだということを知ったので別の意味でも驚いた。リメイクであるからにはオリジナルを見てみたい。幸いにして配信サイトにあった。

  いくつかの場面での小さな違いはあるものの基本的なストーリーは同じだった。しかし、決定的な違いがあった。ネタバレになるかもしれないが、少しだけ言及したい。オリジナル版の『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』では二つのパラレルワールドが展開するが、リメイク版の『知らないカノジョ』には三つのパラレルワールドが存在する。この第三のパラレルワールドが重要な意味合いを持つ。そしてこの点においてリメイク版はオリジナル版を超えた作品となっている。三木監督や脚本の登米裕一・福谷圭祐の功績になるだろう。



 というわけで、休館時から一年半を経てタイムスリップしたかのように甲府の中心街に再び現れた「シアターセントラルBe館」で、時代のタイムスリップもの『侍タイムスリッパー』とパラレルワールドのスリップもの『知らないカノジョ』の二つの映画を二週の間スリップしながら鑑賞した。


 あらためて気づかされたことがある。映画館そのものがスリップの場である。いつもは自宅のテレビモニターで配信サイトを通して見ているが、やはり日常と地続きの感がある。映画館では外界が遮断され、暗闇に包まれてから、スクリーンという光の場にスリップする。二時間ほどの時間かもしれないがその時間を超えて、日常からもう一つの世界へとスリップできる貴重な経験の場である。


付記:ページビューが50万を超えました。このblogが始まった2012年12月から12年半が経ち、記事の総数は579になります。拙文を読んでいただいている方々に深く感謝を申し上げます。


2025年4月27日日曜日

「消えるな太陽」[志村正彦LN363]

 フジファブリック「消えるな太陽」(詞・曲:志村正彦)は、2003年6月21日発売の2ndミニアルバム『アラモード』に収録されている。僕はまだ聴いたことがないが、富士ファブリック時代のカセットテープにも収録されたヴァージョンもあるそうなので、最も初期の曲であることは間違いない。この曲はメジャーデビュー後に再録音されていないが、2006年5月3日の日比谷野外音楽堂でのライブが収録されたDVD『Live at 日比谷野音』でライブヴァージョンを視聴できる。この映像では志村正彦のブルージーなギターソロが味わえる。 

 ここではYouTubeの「フジファブリック Official Channel」にある音源と歌詞を紹介したい。   




映画の主人公になって
みたいなんて誰もが思うさ
無理なことも承知の上で映画館に足を運ぶ俺
ステレオのヴォリュームを上げて
詩の無いラブソングをかけて
ありったけアドレナリン出して目が覚めるだけ

ああ 欲しいメッセージ 要らないメッセージ
どんなメッセージ 解らない
暗い街にせめてもの光を

レコードの針を持ち上げて ラジオに切り替えたらすぐ
頭にくる女の声で目が覚めるだけ   

ああ 欲しいメッセージ 要らないメッセージ
どんなメッセージ 解らない
暗い街にせめてもの光を

消えるな太陽 沈むな太陽
消えるな太陽 沈むな太陽

ああ 欲しいメッセージ 要らないメッセージ
どんなメッセージ 解らない
暗い街にせめてもの光を

燃え上がれ 燃え上がれ太陽 照らせよ太陽
燃え上がれ太陽 照らせよ太陽 ああ


 〈映画の主人公〉になるという〈無理なこと〉を承知の上で映画館に行く〈俺〉の物語。映画館の暗闇に浮き上がる光の光景を見てから、〈俺〉は家に帰ってくる。閉ざされた部屋のなか〈ステレオのヴォリューム〉を上げ〈詩の無いラブソング〉をかける。そのうちに興奮して目が覚める。〈レコードの針〉を持ち上げて〈ラジオ〉に切り替えると〈頭にくる女の声〉が聞こえてくる。〈俺〉の日常がもたらす苛立ちや焦燥が伝わってくる。〈俺〉の孤独は映画や音楽によっても満たされない。

 〈詩の無いラブソング〉という言葉が気になる。この場合の〈詩〉を〈詞〉〈言葉〉だと捉えてみる。そうすると、言葉のないラブソングということになる。言葉のない、言葉が語られることのない、言葉が聞こえてこない、言葉が伝わってこない、あるいは、言葉が消えてしまっている、そのようなラブソング。

 そのラブソングに不在の言葉とは、続く箇所の〈欲しいメッセージ〉、〈要らないメッセージ〉、〈解らない〉〈メッセージ〉に連鎖していくだろう。〈俺〉は〈詩の無いラブソング〉に不在の〈メッセージ〉、本来はあるべき〈メッセージ〉を追い求めている。その〈メッセージ〉は〈暗い街にせめてもの光〉をもたらすものである。その光とは端的に〈消えるな太陽〉という比喩で指し示されるものだ。


 〈俺〉は〈暗い街〉で音楽の道を歩みはじめている。〈消えるな太陽〉〈沈むな太陽〉〈燃え上がれ太陽〉〈照らせよ太陽〉と連呼される〈太陽〉とは、志村正彦が追い求めている歌そのものの比喩ではないだろうか。〈ああ〉という反復される声がその意志を表している。

 〈消えるな太陽〉というメッセージは次第に〈燃え上がれ太陽〉というメッセージに進んでいく。志村の声もギターも力強くなっていく。自分自身の歩む道を〈照らせよ〉と、太陽に呼びかけている。


 この曲が初期の作品だという前提から少し考えてみたことがある。

 志村は『東京、音楽、ロックンロール 完全版』(2011年)の「生い立ちを語る」で、「茜色の夕日」に関連して、次のように発言している。(402頁上段)

〈サメの歌とかトカゲの歌とか、何が言いたいのかよく分かんないような曲ばっかりだったのが、明確に“キミ”に対しての、明確なメッセージソングっていうのをはじめて作れたので、とても自信につながりました。

 この証言からすると、「消えるな太陽」の歌詞の〈詩の無いラブソング〉、不在の〈メッセージ〉とは、志村が独自の歌を生み出す過程での試行錯誤を表しているとも考えられる。


 志村正彦は、何が言いたいのかよく分からない曲から、ある特定の二人称〈キミ〉を対象にした曲へと転換することによって、〈明確なメッセージソング〉を創り出した。その歌はまた、自らが〈主人公〉になることも意味していた。その意味では志村は自分の作品の主人公になった。

 「茜色の夕日」は、一人称の〈俺〉から二人称の〈キミ〉への〈メッセージ〉を明確に伝える〈詩のあるラブソング〉だった。「消えるな太陽」は、「茜色の夕日」への歩みの軌跡の一つであるのかもしれないが、この歌に込められた〈メッセージ〉を追い求める力によって作品自体が輝いている。


2025年4月20日日曜日

NHK「心をつむぐオルゴール~山梨・盲学校の春~」

 今朝、NHK総合テレビの「Dear にっぽん」というドキュメンタリー番組で「心をつむぐオルゴール~山梨・盲学校の春~」が放送された。

 60年前から、山梨県立盲学校ではオルゴールが卒業生に贈られる。毎年、匿名の女性から卒業生の数を尋ねる電話があり、卒業式の前に学校に配達される。山梨ではローカルニュースでしばしば報道されていたので、このオルゴールのことを知っている方も多い。60年という年月の間続いていることもあり、以前、この贈り主は二代目の方だと新聞に書かれていたと記憶している。おそらく家族の方が引き継がれているのではないだろうか。

 匿名という行為のゆえに、もとより誰かに知られることを目的とはしていない。純粋な贈り物である。今日は全国放送で取り上げられ、広く知られることになっただろう。この事実が視聴者にも贈り物として届けられることになった。このかけがえのない贈り物はそのようにして《心》を贈り続けるのだろう。


 毎年、オルゴールの曲は変わる。三人の方とその家族が番組に登場し、パッヘルベルの「カノン」、「星に願いを」、ビートルズ 「レット・イット・ビー」のメロディが「心をつむぐ」ものとなっていく。盲学校卒業後の人生とオルゴールの曲が織りなされるように時が流れてゆく。

 番組のHPでは「女性は盲学校の生徒たちを思い、その気持を受け取った生徒たちもまた女性のことを思う心の交流が広がっています。「人を思いやる優しさ」や「人が人を思う尊さ」・・・大切な気持ちに気づかされます」とある。確かにその通りの内容なのだが、「優しさ」「尊さ」という言葉では言い表せないほど、心に深く深く迫るものがあった。


 再放送が4月24日(木) 午前1:25〜午前1:51にある。インターネットのNHKプラスでは、4月27日(日)午前8:49 まで配信される。 ぜひご覧になっていただきたい。


 我が家はこの盲学校の近くにある。この盲学校の隣には山梨ライトハウスや青い鳥支援センターという支援団体もある。高校生のときに自転車での通学途中で、バス停で白杖をついた男性をよく見かけた。その方の姿が強く印象に残っていた。

 やがてかなりの年月を経てから再びそのバス停の前を車で通勤するようになって、あるとき、その男性の姿を再び見かけた。髪の毛には白いものが混じっていた。白い盲導犬を伴っていた。

 元気でいらっしゃるのだ。そう心の中でつぶやいた。高校生のときからは二十数年くらいの時が経っていた。とても嬉しかった。そして懐かしいような気持ちにも包まれた。

 以前勤めていた高校では毎年、この盲学校と隣にある山梨県立甲府支援学校との交流会を行っていたので、生徒を引率して訪ねて交流したこともある。盲学校と支援学校の生徒が高校の学園祭に遊びに来ることもあった。そういう経験もあり、この二つの学校には親しみがある。

 このオルゴールの贈り物には、人の人生に寄り添い、さりげなく、ときには強く支える音楽の力を感じる。