2026年2月1日日曜日

〈夢読み〉―舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

 今日2月1日、舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の東京公演は終わってしまうが、この後、仙台市、名古屋市、西宮市、北九州市でも開催される。座席の種類によってはチケットがまだ取れる公演もあるようだ。

 YouTubeにこの舞台のプロモーション映像があるので紹介したい。


 舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』プロモーション映像 ロングver.



 今回もまた、1980年の『街と、その不確かな壁』、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、2023年の『街と、その不確かな壁』の三つの作品に共通する《街とその不確かな壁》の物語について述べたい。


 この物語を支える中心的なモチーフは〈夢読み〉だと言えるだろう。 〈壁〉に囲まれた〈街〉の〈図書館〉のなかで〈僕〉は〈古い夢〉を読む仕事に就く。 『街と、その不確かな壁』から引用しよう。

 僕は用意された布切れで古い夢につもったぶ厚い埃を拭ってからその表面に手を置き、目を閉じる。五分ばかりで古い夢は目覚め、僕の手は心地良い温もりを感じはじめる。そして彼らはその古い夢を語る。しかし彼らの話る声はあまりに低く、僕にはそれを殆んど聞きとるとともできない。
 彼らは明らかに語ることには慣れていないようだった。まるで長いあいだ見捨てられていた老人のように突然の日差しにとまどい、そして口ごもった。彼らの目覚めは不確かであり、その放つ光は弱く、そして僅かばかりの時が過ぎると再び深い限りの中に落ちこんでいくのだった。


 〈僕〉が〈夢読み〉であることは、三つの作品で共通しているが、その夢が包まれている器は異なる。

  『街と、その不確かな壁』では、〈図書館の書庫には埃をかぶった何千という古い夢〉の〈大きさはテニス・ボールほどのものからサッカー・ボールまで、色あいも多種多様〉で〈形は殆んとが卵型で、手にとってじっくり眺めてみると下半分が上半分に比べて僅かにふくらんで〉いて〈大理石のようにつるりとした手触り〉である。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、〈古い夢〉は〈一角獣の頭骨〉の中に〈しみこんで閉じこめられている〉。〈頭骨を正面に向け、両手の指をこめかみのあたりにそっと置〉き、〈骨の額をじっと見る〉と〈頭骨が光と熱を発しはじめる〉ので、〈その光を指先で静かにさぐっていけば〉〈古い夢を読みとることができる〉とされる。

 『街とその不確かな壁』では、〈書庫の棚には数え切れないほど多くの古い夢が並んでいる〉とされ、その形態についての具体的な描写はない。書棚の棚に並んでいるということから、書物のような形をしているのかもしれない。

 つまり〈古い夢〉は、ボールほどの大きさで色あいも多種多様な卵型の形、一角獣の頭骨、書籍のような形、というように作品ごとに異なる。今回の舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、一角獣の頭骨が演出上で重要なオブジェとなっていた。明るく輝く一角獣の頭骨やそれを持ってダンスする演出が目を引いた。


 〈夢読み〉とはどういう行為なのか。2023年の『街とその不確かな壁』ではこう語られている。

 ひとつの夢を読み終えると、しばしの休息をとらなくてはならない。机に肘をついて両手で顔を覆い、その暗闇の中で眼を休めて疲労の回復を待つ。彼らの語る言葉は相変わらずよく聴き取れなかったが、それが何らかのメッセージであることはおおよそ推測できた。そう、彼らは何かを伝えようとしているのだ――、私に、あるいは誰かに。でもそこで語られるのは私には聴き取ることのできない話法であり、耳慣れない言語だった。それでもひとつひとつの夢は、それぞれの歓びや悲しみや怒りを内包しつつ、どこかに吸い込まれていくようだった――私の身体をそのまま通り抜けて。


 〈夢〉は〈何らかのメッセージ〉であるが、〈聴き取ることのできない話法〉によって〈耳慣れない言語〉で語っている。夢独自の話法と言語によるメッセージというロジックは、ジークムント・フロイトの『夢解釈』を想起させる。フロイトによれば、夢は無意識の夢思考のメッセージである。私たちの潜在的夢思考から私たちが実際に見る顕在的夢内容が作られる。

 われわれの目には、夢思考と夢内容とは、同じ一つの内容を違う二つの言語で言い表しているように見える。あるいは次のように言ったほうがよいかもしれない。すなわち、夢内容とは、夢思考を違う表現様式の中へと転移させたもののように思われる。われわれとしては、これらの原本と翻訳とを比べ合わせて、書き換えにあたっての記号法と統語法とを学ばなければならないのである。 (フロイト『夢解釈』第6章夢工作)


 夢独自の話法と言語によって夢思考を夢内容に変換するのが夢工作の過程である。夢解釈はその逆をたどる。夢内容を分析し、その話法と言語を明らかにして、夢思考を構築する。フロイトの実践を読むと、夢解釈は複雑で難しく、忍耐と根気のいる仕事であることがよく分かる。

 《街とその不確かな壁》物語の〈夢読み〉である〈僕〉もまたその困難と向き合い、ひとつひとつの夢の〈歓びや悲しみや怒り〉を受けとめようとして、夢を読みとっていく。

      (この項続く)

2026年1月25日日曜日

〈僕〉と〈影〉―舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

 先日、舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の東京公演を見てきた。  

 原作の村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が、脚本高橋亜子、演出・振付フィリップ・ドゥクフレ、主演藤原竜也でホリプロによって舞台化された。


 この日の東京は厳しい寒さが予想されたので、午後1時過ぎに甲府駅を発った。新宿で降りて、SOMPO美術館の開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」を見た。最も好きな画家、中村彝の「頭蓋骨を持てる自画像」と、三十年ぶりほどになるだろうか、再会することができた。佐伯祐三や松本竣介の名作もあった。新宿という場におけるモダンな絵画の歴史を概観できる展覧会だった。

 新宿を後にして池袋に向かった。会場は東京芸術劇場プレイハウス。午後6時半からの開演だった。




 この舞台について語る前にまず、原作について述べたい。

 村上春樹の長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は1985年6月の刊行だからすでに四十年を超える年月が経つ。僕は刊行直後に読んで感銘を受けた。単行本で六百頁を超える分量、話者兼人物の「私」が語る「ハードボイルド・ワンダーランド」の章と話者兼人物の「僕」が語る「世界の終り」の章が交互に配列され、全四十章で構成されるなど、本格的で実験的な長編小説だった。現在という時代、東京を舞台とする画期的な作品であり、当時はまだ東京で暮らしていたのでこの小説をリアルタイムで愉しんだ。

 「世界の終り」のパートは『文學界』1980年9月号に発表された中編小説『街と、その不確かな壁』が原型となっている。村上はその「世界の終わり」パートに新たに書いた「ハードボイルド・ワンダーランド」パートを複合させて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を作った。さらに2023年4月、『街と、その不確かな壁』を書き直して第一章にした上で第二章と第三章を新たに書き加えて、長編小説『街とその不確かな壁』を刊行した。

 つまり、《街とその不確かな壁》の物語は、1980年の『街と、その不確かな壁』、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」パート、2023年の『街とその不確かな壁』と三度にわたって書き直され、書き継がれていった。


 《街とその不確かな壁》物語は三つのヴァージョンがあるが、その共通するあらすじについて簡潔に述べたい。

 一人称の話者兼人物である〈僕〉が、現実とは異なる世界、無意識の領域にある世界、高い〈壁〉に囲まれた〈街〉の世界に入り込む。その際に自身の〈影〉が門番によって引き剥がされる。〈影〉は人の〈心〉を表している。

 舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では冒頭近くで、〈門番〉が〈僕〉から〈影〉を切り落とすシーンが演じられた。小説ではそれまでの過程が語られるのだが、舞台では突然の出来事としての演出効果を狙ったのだろう。〈僕〉とその〈影〉の切断からこの舞台は始まる。


 〈壁〉のある〈街〉ので〈僕〉は〈君〉に再会することができた。そして、古い〈夢〉を読みとる〈夢読み〉の仕事に就く。(この〈君〉は、現実世界で〈僕〉がかつて愛していた少女であり、ある時消え去ってしまったが、〈街〉の世界で図書館で働いているという設定。この〈街〉の世界では〈君〉も〈影〉、〈心〉を失っている)

 〈僕〉は〈君〉の〈心〉を取り戻そうとするが、それは極めて難しい。その試みをめぐる〈僕〉と〈君〉の交流が物語の中心軸となる。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、〈君〉が自らの〈心〉、自らの過去を想起する契機となるのは、母親が口ずさんでいた音階のある言葉すなわち歌であった。また、歌は「世界の終り」パートと「ハードボイルド・ワンダーランド」パートを媒介するものとなる。「ハードボイルド・ワンダーランド」パートの最後では、〈私〉はボブ・ディランの『激しい雨』を聴きながら深い眠りに入る。

 「世界の終り」パートの最後の場面で〈僕〉の〈影〉は、〈僕〉に対して、一緒に〈街〉から脱出しようと提案する。ここが最後の場面となる。〈僕〉はどうするのか。〈僕〉のこの選択が 《街とその不確かな壁》物語の中心的テーマとなる。

 この結末部は三つの作品で異なる。

 〈僕〉と〈君〉はどうなるのか。〈僕〉はどうすればよいのか。〈僕〉は、〈影〉と一緒に現実世界へ戻るのか、それとも〈君〉と一緒に〈街〉の世界で暮らしていくのか、それとも〈影〉とはいったん離れてから単独で現実世界に回帰するのか。その選択によって物語は変化していく。

      (この項続く)

2026年1月18日日曜日

11月・12月のBe館『見はらし世代』『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』『殺し屋のプロット』

 もう新年を迎えてしまったが、昨年の11月と12月にシアターセントラルBe館で見た映画について書きとめておきたい。


見はらし世代



 監督・脚本、団塚唯我。再開発されていく東京・渋谷の風景を経糸に、ランドスケープデザイナーである父・初(遠藤憲一)、母・由美子(井川遥)、主人公・蓮(黒崎煌代)、姉・恵美(木竜麻生)の家族を緯糸にして、風景と人物の物語が織り込まれている。
 家族再会の場面で天井の電球が落下する瞬間に、物語が転換する。脚本も演出も新しい感覚に満ちていて、ラストシーンも独自の味わいがあった。


ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師



 監督・脚本、トッド・コマーニキ。ドイツの実在の牧師・神学者、ディートリヒ・ボンヘッファーの伝記映画。幼年時代から、ナチスの独裁者ヒトラーをー暗殺する計画に加担し処刑される1945年4月までの人生を追う。第2次世界大戦中のナチス政権に加担した牧師や神学者たちに危機感を抱いた牧師ボンヘッファーは、ナチズムを崩壊させるため「ヒトラー暗殺計画」に加担するが、捕らえられる。実話に基づく極めて厳しい内容の作品だった。 
 大学生の時、哲学の岩波哲男先生の教養演習というゼミ形式の授業で、半年の間、ボンヘッファーのテキストを読んだことがあった。軽井沢のセミナーハウスで夏の合宿もしたので非常に印象に残っている。もともと文学よりも哲学に関心のあった僕にとって、この授業は限界状況におけるキリスト者の倫理について考える契機となった。そういう経緯からこの映画には特別の関心があったのだが、特にボンヘッファーの最後の姿に胸を打たれた。


 ザ・ザ・コルダのフェニキア計画


 ウェス・アンダーソン監督。ヨーロッパの富豪ザ・ザ・コルダが娘で修道女のリーズルとともに、架空の大独立国「フェニキア」のインフラを整備する大プロジェクトを進めようとする。
 様々な出来事が起きるのだが、それぞれのプロットの最後がほとんど省略されて描かれない。全体の展開がよく分からないままフィナーレを迎えるのだが、とりあえずハッピーエンドといったところだろうか。本物の美術作品をたくさん使った演出がとても豪華だった。物語よりも映像そのものを純粋に見ることを愉しむ作品だろう。


殺し屋のプロット


 監督・主演・製作、マイケル・キートン。急速に記憶を失う病によって数週間以内にすべてを忘れてしまうという運命の殺し屋ジョン・ノックスは、息子のマイルズが娘をレイプした男を殺した罪を隠すために人生最後の完全犯罪に挑む。
 考え抜かれた脚本ときめ細かい演出によって、優れたサスペンス映画になっていた。エンディングのシーンでのおそらくすべての記憶を失ってしまった男の表情が印象深かった。


 2025年5月のシアターセントラルBe館の再開の後、年末までに24本の映画を見たことになる。この映画館のセレクトが素晴らしく、どの映画も十二分に愉しむことができた。2026年も、甲府の街中の映画館に足を運び、スクリーンで見ることにこだわっていきたい。



2026年1月11日日曜日

「短く 鮮やかに 土橋芳次回顧展」南アルプス市立美術館


 画家土橋芳次(1908~38年)の回顧展「短く 鮮やかに 土橋芳次回顧展」が、南アルプス市立美術館で開催中である。

  1908年、土橋芳次は甲府市富竹で生まれた。県立農林学校を卒業後、独学で洋画を描き始め、34年に上京して本格的に洋画を学んだ。36年、甲府市内で第1回個展を開き、同年の文展で初入選して、山梨県内の洋画家として頭角を現した。37年に山梨美術協会の創立会員となり、第2回個展が開催された。しかし、1938年病気により29歳という若さで亡くなった。この回顧展のテーマが「短く 鮮やかに」となったゆえんであろう。


 土橋の絵を初めて見たのは、昨年2024年、山梨県立美術館で開催された「山梨モダン 1912~1945大正・昭和前期に華ひらいた山梨美術」展の時だった。1937年の作品「美ヶ森」に魅了された。「美ヶ森」は八ヶ岳の尾根にある標高1500mほどの小高い丘。その丘に洋装のモダンガールが二人佇んでいる。咲き乱れる花々。向こう側に広がる高原。遠方には山脈の連なりが見える。山梨の壮大な風景とモダンで繊細な感覚が見事に融合した美しい優れた絵画だった。

 実はこの展覧会の時に、私のゼミで「Kポップと韓国社会」というテーマで研究をしていた女子学生が土橋の曾孫であることを知った。もともと、この女子学生の母(土橋の孫)が県立文学館で私の同僚であったという縁もあって、私のゼミに入ることになった。そういう関係も手伝って、私はこの画家に非常に興味を持った。


 南アルプス市立美術館の回顧展では、土橋家から寄贈された作品を中心に約60点の絵画や資料が展示されている。代表作の「お花畑」(1937年から1960年頃まで旧甲府駅舎の壁に掲げられていた。戦中は「出征兵士を送る絵」とも呼ばれていた)と「美ヶ森」の他に、山岳や高原を描いた風景画、コラージュ作品を載せたスケッチブック、新聞の連載記事や挿絵などが展示されていた。(同館のHPからフライヤーの表の画像を添付させていただきます)




 「お花畑」も「美ヶ森」と同様に、二人の女性、花、高原、連山が描かれている。高原と洋装の女性という不思議な取り合わせがモダンな雰囲気を醸し出している。モデルとなった女性によると、一週間ほど美ヶ森に出かけて描かれたそうである。美ヶ森は八ヶ岳の尾根にある標高1500mほどの小高い丘。レンゲツツジの群生や南アルプスの山々の眺望で知られている。

 「お花畑」や「美ヶ森」は、この山梨という場の中で、近景に〈花〉、近景から中継にかけて〈女性〉、中景から遠景にかけて〈高原と山〉という三つのモチーフから成り立っている。その三つの要素が写実的に遠近法的に描かれるのではなく、コラージュ的な組合せによって構成され、一つの空間の図として表現されている。時代的な制約を超えた独自性のある構図と描法である。


 この展覧会にはすでに二回ほど訪れたのだが、二回目は私の義母も一緒だった。義母は甲府駅に飾られていた「お花畑」のことを鮮明に覚えていて、再会することを楽しみにしていた。会場でおよそ60年ぶりに見た画と記憶の中にある画は完全に一致したそうだ。この「お花畑」には人々の記憶に何かを刻み込む力があるのだろう。

 2月8日(日)まで開催されているので、機会があったらぜひご覧になっていただきたい。


2026年1月3日土曜日

破魔弓や山びこつくる子のたむろ  蛇笏


 新年になると想い出す句がある。

  以前、芥川龍之介の〈元日や手を洗ひをる夕ごころ〉について書いたことがあるが、今日は、飯田蛇笏が正月の風景を詠んだ次の句を紹介したい。


  破魔弓や山びこつくる子のたむろ  蛇笏


 蛇笏が「雲母」昭和二年二月号の「山廬近詠」で発表した十三句のうちの二番目の句である。時節から題材は年末年始に関するものが多い。

 正月。神聖な破魔弓に守られるようにして、子供たちがたむろをつくり、その声が山びことなってこだましている。

 このような山国の情景が伝わってくる。蛇笏の住む村の子供たちの姿を描いたものだろう。そのなかには蛇笏の子どもが含まれているかもしれない。破魔弓は、弓の弦を鳴らす音には邪気を払う力があるという古来の教えから、男の子の健やかな成長と災厄から守るお守りとして、12月中下旬から1月中旬頃まで飾られる。


 飯田蛇笏と芥川龍之介は大正12年から手紙の交流や書籍の贈呈をするようになった。

  龍之介は〈春雨の中や雪おく甲斐の山〉という句を蛇笏に贈っている。〈春雨〉は冬から春へと移り変わる時期に降る霧雨。春が近づきつつある季節に〈甲斐の山〉には残雪が置かれている。この残雪を置く高峰、峻厳な山には、孤高の存在としての飯田蛇笏が重ね合わされている。蛇笏はおのれのなかに残雪のようなもの、厳しい冬の残像を抱えた孤高の俳人だと龍之介は感じていたのではないか。さらに言うと、龍之介が青年時代からの数回にわたる山梨への旅で実際に見て感銘を受けた甲斐の山々の記憶も刻まれているだろう。

 蛇笏は明治18(1985)年生まれ、龍之介は明治25(1992)年生まれ。七歳ほどの違いがあるが、俳句そして甲斐の山の風景を通して、この二人の間には深い心の交流があった。


 昭和2年4月10日、龍之介は蛇笏に宛てたの書簡で、「破魔弓」の句について〈人に迫るもの有之候。ああ云ふ句は東京にゐては到底出來ず、健羨に堪へず候〉と書いている。

 「破魔弓や」の句からは子供たちの生命力あふれる声が聞こえてくる。新年という新たなものが始まる季節。子供たちの元気な声が山々に反響し、山国の厳しい冬に暖かさや明るさをもたらす。龍之介は子供たちの命の声による〈山びこ〉に〈人に迫るもの〉を感じとったのではないだろうか。

 龍之介が東京と山梨という場の差異を意識して〈東京にゐては到底出來ず〉と率直に述べたのは、青年時代から何度が山梨を訪れ、山梨という場、土地の雰囲気、山々の風景をある程度まで実感として受けとめていたからであろう。〈健羨に堪へず〉は単なる儀礼ではなく、龍之介の本心からの言葉だと思われる。

 筆者は、龍之介の〈春雨の中や雪おく甲斐の山〉と蛇笏の〈破魔弓や山びこつくる子のたむろ〉との間に、〈山〉を媒介とする交響のようなものを感じる。蛇笏の「山びこ」は龍之介の記憶のなかの〈甲斐の山〉を想起させた。これは無意識の作用かもしれない。


 龍之介は東京と山梨の生活や風景の違いをかなり意識していた。

 大正十五年刊行の『梅・馬・鶯』では七十四の代表句を自ら選んでいる。実はこのなかで都道府県相当の名が句に詠まれているのは、〈木がらしや東京の日のありどころ〉と〈春雨の中や雪おく甲斐の山〉の二句だけである。この東京と甲斐(山梨)という選択と対比にも龍之介の意図を読みとってしまうのは筆者の考えすぎだろうか。


【付記】これまで芥川龍之介については、〈芥川龍之介の偶景〉と〈芥川龍之介(偶景以外)〉の二つのラベルに分けていましたが、〈芥川龍之介の偶景〉に統一します。(過去に遡って変更しました)



2025年12月31日水曜日

2025年


  大晦日の今日、2025年を振り返りたい。


 志村正彦・フジファブリックについてまず述べたい。

 2月にフジファブリックが活動を休止した。「フジファブリック LIVE at NHKホール」という休止前最後のライブがあったが、2010年以降の楽曲だけが演奏された。山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の所謂「三人体制フジファブリック」の集大成となっていた。2024年8月の「フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」」は志村曲を映像と共に演奏するという特別な演出によって、志村への感謝とリスペクトを表現した。このライブは「志村正彦・フジファブリック」の集大成という意味合いが濃かった。2024年8月と2025年2月の二つのライブによって、フジファブリックの活動の円環は(ひとまず、をやはり入れるべきなのだろうか)閉じられた。

 今年もまた「若者のすべて」は夏の名曲としてよく聴かれていた。7月、マクドナルド・ハンバーガーのCM『大人への通り道』篇では志村の歌による「若者のすべて」が使われていた。夏のベストソング的な歌番組でも取り上げられ、いつも上位の位置にいた。

 志村正彦の命日12月24日の夜、片寄明人氏がX(@akitokatayose)の呟きで〈21年前、一緒にレコーディングした時の紙〉、『陽炎』の草稿ノートの画像を添付したことが、筆者にとって志村に関わる今年最大の出来事であった。この草稿については前回まで連続四回で書いてきた。草稿の〈出来事が 僕をしめつける〉から完成版の〈残像が 胸を締めつける〉への修正。〈僕〉と〈胸〉という漢字一文字の変化だが、その変化が意味するものを考察した。


 筆者個人の仕事についても触れたい。今年は原稿を書いたり、そのための調査や準備をしたりする日々が続いた。各々の仕事をなんとか仕上げることができて安堵している。

 筆者が探究しているテーマは大別すると次の三つである。

1.芥川龍之介(特に、晩年の夢をモチーフとする小説のテクスト分析。関連して、志賀直哉・谷崎潤一郎・内田百閒の夢小説)

2.志村正彦・日本語ロックの歌詞(歌詞のテクスト分析、歌詞の系譜や文化・社会的背景)

3.山梨出身やゆかりの作家とその作品(飯田蛇笏・太宰治、その他の作家たち)

1.については今年も「山梨英和大学紀要」に〈芥川龍之介「海のほとり」の分析〉を発表した。4年間連続で芥川や志賀の夢小説のテクスト分析を試みている。来年3月に新しい論文が掲載予定である。なお、これらの論文はすべて山梨英和大学のHPや電子ジャーナルプラットフォームのJ-STAGEで公開されている。

2.は〈この偶景web〉の批評的エッセイとして書いているが、今年はその回数が少なかった。この点は課題として受けとめている。

3.に関しては「山廬文化振興会会報」の第35・36・37号に、「蛇笏と龍之介」というシリーズで、各々、昭和二年の交流とその後の軌跡、「生存の実」と「第三の写生」、飯田蛇笏と小説というテーマで執筆した。昨年の第34号掲載の「甲斐の山」と併せて、全四回で完結することができた。この連載の概要を10月3日の「飯田蛇笏・飯田龍太文学碑碑前祭」で講演した。

 太宰治については、甲府での生活に基づいた甲府物語「新樹の言葉」と代表作「走れメロス」との関係についての批評を書いた(来年3月に発表予定)。これに関連して、11月3日、こうふ亀屋座で〈甲府 文と芸の会〉の第1回公演〈太宰治「新樹の言葉」「走れメロス」の講座・朗読・芝居の会〉を開催した。有馬眞胤さんの独り芝居とエイコさんの津軽三味線による「走れメロス」は、小説の全文を暗記して声と語りによってその世界を再現するという独自なものであり、観客を魅了した。来年もこのスタイルの公演を開催する計画である。


 この〈偶景web〉に関しては8月にリニューアルした。上記の筆者の研究や活動に対応するために、当初はこのブログを分割することを検討したが、結論としては、この〈偶景web〉にすべてをまとめることを選択した。現状では、分離するよりも統合する方が円滑に進むと考えたからである。ただし、〈偶景web〉の主要コンテンツが〈志村正彦ライナーノーツ〉であるのはこれまで通りである。このリニューアルによって、志村正彦とその作品をより広い文脈のなかで位置づけたいと思っている。


 この一年間、どうもありがとうございました。


2025年12月30日火曜日

すべてが揺れていく-『陽炎』草稿4[志村正彦LN377]


 『陽炎』の草稿と完成版を比較すると、〈残像〉部分と〈出来事〉部分との関係性が異なることに気づく。この二つの部分を完成版の歌詞で引用する。


  〈残像〉部分
あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ
また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
残像が 胸を締めつける

  〈出来事〉部分
きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう
またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が 胸を締めつける


 『陽炎』完成版の〈残像が 胸を締めつける〉〈出来事が 胸を締めつける〉という二つのフレーズは、〈胸を締めつける〉という表現が同一である。〈残像〉の延長上に〈出来事〉があるというニュアンスになるだろう。〈残像〉と〈出来事〉は、〈胸〉という身体の一部が象徴する〈心情〉や〈感情〉に作用していく。

 〈残像〉部分では、もうすでに失われた少年時代、〈路地裏〉という場と少年期の〈僕〉に対する愛着や愛惜が感じられる。その延長上にある〈出来事〉部分で焦点化される〈無くなったもの〉と〈あの人〉も、喪失感を伴う愛惜の情を読みとることができる。

 〈残像〉部分と〈出来事〉部分では共に、〈残像〉と〈出来事〉がもたらす愛惜の情が〈僕〉に迫ってくる。この二つの部分はある種の叙情性を帯びているともいえる。


 これに対して『陽炎』草稿では、〈残像が 胸をしめつける〉と〈出来事が 僕をしめつける〉という二つのフレーズは、〈胸をしめつける〉と〈僕を締めつける〉というように、〈胸〉と〈僕〉という明確な対比を成している。その結果、〈残像〉部分と〈出来事〉部分には対比の関係性が強くなる。〈残像〉の延長上に〈出来事〉があるのではなく、〈残像〉と〈出来事〉との間に微妙ではあるがある種の断絶を感じとることもできる。〈僕をしめつける〉にはそのような強い意味作用がある。

 〈残像〉部分にある、少年時代のノスタルジアや故郷への愛惜の想いは遠ざかり、その反対に〈出来事〉部分では、〈無くなったもの〉や〈あの人〉に関わる過去の重層的な〈出来事〉が〈僕〉という存在をしめつけるように迫ってくる。〈出来事〉が〈僕〉を圧迫し、拘束する。〈出来事〉は追憶や愛惜の対象というよりも、〈僕〉に対して苦しみをもたらすもの、抗うことのできないものと受けとめることもできる。〈出来事〉は心の傷に触れるような何かかもしれない。


 〈出来事〉部分の〈無くなったもの〉〈あの人〉が、どういうものか、どういう人かは歌詞の言葉からは不明である。作者志村にとっては特定のもの特定の人であるのだろうが、志村はそれをあえて語らなかった。むしろ、志村はそれを語ることを避けたのかもしれない。その結果、〈無くなったもの〉〈あの人〉という抽象度の高い表現となった。同じような心的機制が〈僕をしめつける〉という表現に働きかけ、〈胸を締めつける〉への修正となった可能性がある。意識的な判断かもしれないが、むしろ無意識的な選択であろう。精神分析的な観点からは、〈僕をしめつける〉という表現の強さや生々しさを抑圧したとも考えられる。『陽炎』草稿の〈僕〉という字に対する二重の×による抹消は、その抑圧を示している。


 しかし、志村が最終的に〈出来事が 僕をしめつける〉ではなく、〈残像が 胸を締めつける〉を完成版の歌詞にした判断は妥当だったと思われる。

 志村はおそらく〈僕をしめつける〉が歌詞としては重すぎる意味合いを持つことを意識的そして無意識的に避けたのだろう。ある言葉が突出すると、歌われる世界が破綻してしまうこともある。歌というものは、その歌詞にも楽曲にも調和が求められる。調和とはバランスでありハーモニーである。そして、歌い手と聞き手との間にも調和が形成されるときに、その歌の普遍性は高まる。歌が人々に共有されてゆく。



 『陽炎』は日本語ロックとしてきわめて完成度の高い作品である。四回に分けて、『陽炎』草稿には完成版には現れなかった表現を通じて『陽炎』の潜在的なモチーフが刻み込まれていることを論じてきた。


 最後に完成した『陽炎』のミュージックビデオを見てみよう。




 この映像のなかの特に冒頭の志村の表情には独特の陰影がある。何かに囚われた緊張感がある。『陽炎』草稿の〈僕をしめつける〉という表現は歌詞からは消えてしまったが、この映像で〈出来事が 胸を締めつける〉を歌う志村正彦の声や表情にはそのモチーフの痕跡がある。曲が進行して、最後の最後の〈陽炎が揺れてる〉でそのモチーフが転調し、微かなものかもしれないが、〈僕〉が何かから解放されてゆく。

 筆者はそのように感じる。過去への愛情や愛惜と過去からの分離や解放。『陽炎』という歌は、相反する方向へと振り子のように動いて揺れていく。根拠はないのだが、そのように考える。 

 

 〈残像〉も〈出来事〉も、過去も現在も、喪失も追憶も、愛着も愛惜も、〈陽炎〉も〈僕〉も、すべてが揺れていく。


2025年12月29日月曜日

『陽炎』の四つのブロック-『陽炎』草稿3[志村正彦LN376]


 『陽炎』の草稿によって、この歌をどう捉え直したらよいのか。今回はその点について考察したい。

 以前も紹介したが、志村正彦は『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)で、『陽炎』の物語の枠組やモチーフについて貴重な発言をしている。再度この発言を取り上げたい。


僕の中で夢なのか現実なのかわかんないですけど、田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね。それを参考にして書いたというか、そういう曲を書きたいなと思ってて、書いたのがこの曲なんです。


 つまり、〈少年期の僕〉という第一の自分、〈「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分〉という第二の自分、〈少年期の僕〉と〈その自分(少年期の僕)を見ている今の自分〉の両方を〈頭〉に浮かべている第三の自分、という三人の自分がいる。この三項による構造が『陽炎』の歌詞を構築している。


 『陽炎』で歌われる物語の世界は四つのブロックに分けられる。

 順番に、〈少年期の僕〉の〈残像〉を〈今の自分〉が想起する〈残像〉部分、〈少年期の僕〉の物語を語る部分、過去から現在へといたる〈出来事〉を〈今の自分〉が想起する部分、(この後で再び〈少年期の僕〉の物語の後半を語る部分が挿入される)、最後の「陽炎が揺れてる」の部分の四つである。それぞれを色分けして、『陽炎』完成版の歌詞を引用する。


  陽炎 (作詞・作曲:志村正彦)

あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
残像が 胸を締めつける


隣のノッポに 借りたバットと
駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
さんざん悩んで 時間が経ったら
雲行きが変わって ポツリと降ってくる
肩落として帰った

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が 胸を締めつける


窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

陽炎が揺れてる


 『陽炎』は〈残像〉部分から始まる。

 〈あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ〉と過去を想起し、〈路地裏の僕がぼんやり見えたよ〉と〈路地裏の僕〉に焦点化したところから、〈次から次へと〉〈残像〉が浮かんでくる。そしてその〈残像〉が〈胸を締めつける〉。


 この〈残像〉部分の後で、〈少年期の僕〉の物語が語られる。

〈僕〉は〈隣のノッポに借りたバット〉と〈ちょっとのお小遣い〉を持って野球をするために小学校のグラウンドに行くが、途中で〈駄菓子屋〉で何を買うか悩んでいるうちに〈雨〉が降りはじめ、肩を落として家に帰ってくる。そのうち窓から手を出すと雨がやんでいることに気づいて、慌てて家を飛び出す。外では〈陽〉が照りつけて、遠くで〈陽炎〉が揺れている。

 「手を出して」「雨に気付いて」「家を飛び出して」「陽が照りつけて」というように、動詞の連用形に「て」という助詞が付加される形で繰り返されることで歯切れのいいリズムとなって、路地裏の物語、〈僕〉の残像がまさしく次から次へと想起されていく。

 しかし、その〈残像〉は〈胸を締めつける〉ものでもある。この感情の核には、もうすでに失われた少年時代、〈路地裏〉という場と少年期の〈僕〉に対する愛惜の情があると考えてよいだろう。この愛惜が強く〈僕〉に迫ってくる。

 この〈残像〉部分の最後で〈僕〉が見ている〈陽炎〉はおそらく少年時代に実際に見たものだろう。その実景を回想として想起しているうちに、過去と現在との間の境界線がぼんやりしてきて、過去も現在も揺らめいて見える。過去と現在が混ざり合い、時間が揺れてくる。その時間の揺れのようなものを、現在の〈僕〉は〈陽炎が揺れてる〉と捉えたのではないだろうか。つまり、〈陽炎が揺れてる〉のを見つめている主体は、少年期の〈僕〉であり、現在の〈僕〉でもある。


 少年期の物語が終わった後で〈出来事〉部分が始まる。

 「出来事」部分では、〈今では〉と〈それでも〉、〈無くなったものも〉と〈あの人は〉、〈たくさんあるだろう〉と〈変わらず過ごしているだろう〉という対比が強調されている。この対比は過去と現在の時間の対比に基づいている。歌の主体の眼差しは〈無くなったもの〉と〈あの人〉に焦点化していくが、〈無くなったもの〉がどういうものか、〈あの人〉がどういう人であるかは分からない。作者志村にとっては特定のものであり特定の人であるのだろうが、聴き手にとっては不明のままである。

 この〈無くなったもの〉や〈あの人〉が具体的に語られなかったことが、〈出来事〉が〈僕を しめつける〉から〈胸を 締めつける〉へと書き直されたことの原因の一つになっているように考えられる。

          (この項続く)


2025年12月28日日曜日

草稿と完成版の差異-『陽炎』草稿2[志村正彦LN375]


 今回は、片寄明人氏のXの画像に掲載された『陽炎』草稿と『陽炎』完成版の差異について詳細に検討してみたい。

 まず、この草稿では歌詞のブロックごとにAからHまでの記号が振られていることが目につく。歌詞とメロディのブロック単位の区切りを示すのだろう。


 歌詞については表記レベルの違いがいくつかある。草稿の該当箇所に下線を引き、()内に完成版を赤字で記す。

あの街並 思い出した時(とき)に 何故だか浮かんだ

残像が 胸をし()めつける

きっと今では 無くなったものも沢山(たくさん)あるだろう


 語句の微細なレベルでは次の違いがある。

駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持ってく(行こう


 最大の違いは,前回述べた次の書き直しである。

出来事が 僕()をし()めつける  


 この草稿の〈出来事が 僕をしめつける〉が、完成版では〈出来事が 胸を締めつける〉となっている。〈僕〉という字が消され、その下に〈胸〉という字が記されている。また、〈しめつける〉も〈締めつける〉と表記されている。

 以上指摘した差異はあるが、全体としてみればこの草稿は完成版の歌詞にかなり近いといえる。この草稿がプロデューサーの片寄明人に保管されていたということからも、この草稿は最終段階のものだったと推定できる。いったん書かれた〈僕〉が二重の×で消され、その下に〈胸〉と記されて、表現が修正されていることからも、最後の段階でこのように書き直されたのではないだろうか。あるいは歌入れの最終段階で修正された可能性もある。


 完成版の〈出来事が 胸を締めつける〉と草稿の〈出来事が 僕をしめつける〉が、歌詞の意味の次元でどのように異なるかを考察したい。

 〈出来事が 胸を締めつける〉の場合は、〈出来事〉が締め付ける対象は〈胸〉になる。〈胸〉は身体の一部を指すが、通常は〈心〉や〈感情〉を指し示す。〈出来事〉の作用は歌の主体〈僕〉の心情や感情に働きかける。このフレーズ自体は基本として感情や情緒の表現として捉えられるだろう。ある種の叙情性を帯びているともいえる。

 それに対して、〈出来事が 僕をしめつける〉の場合は、〈出来事〉が締め付ける対象は〈僕〉になる。〈僕〉の一部としての〈胸〉ではなく、〈僕〉の全体としての〈僕〉が対象となる。〈出来事〉の作用は歌の主体〈僕〉の心情や感情だけでなく、〈僕〉の存在の全体に及んでくる。〈出来事〉の比重がより大きく、重くなっていると考えてもよい。

 〈出来事〉が歌の主体〈僕〉を締め付ける。〈出来事〉が〈僕〉に重くのしかかる。威圧する。〈出来事〉が〈僕〉を追い詰める。圧迫する。あるいは〈出来事〉が〈僕〉を拘束する。束縛する。〈出来事〉によって〈僕〉の閉塞感が強まり、〈僕〉の自由が奪われる。このような意味も生じてくるかもしれない。

 歌の主体〈僕〉にとっての〈出来事〉は、抗えないような何か、不穏とも感じられる何かに近いのかもしれない。この表現からは、〈僕〉の重い苦しみが伝わってくる。

 もちろん、〈胸を締めつける〉方も、〈胸〉というのが身体的な感覚でもあることから、単なる感情や感覚を超えて身体の領域にまで迫ってくるという解釈は可能だろう。どういうものかは分からないが、ある種の痛みや苦しみが身体を貫いていることは確かだろう。〈僕をしめつける〉になると、その痛みや苦しみが増して、強い不安感や切迫感にまで達すると捉えてもよい。〈出来事〉は、〈胸〉という身体の一部ではなく〈僕〉の存在の全体に強く作用する。


 志村正彦はアルバム『フジファブリック』の作品について「ROCKIN'ON JAPAN」2004年12月号のインタビュー記事でこう発言している。


考えすぎる性格なのか、常に今の自分と頭の中にある過去のものだったりを比べたり、いろいろな葛藤がありますね。基本的にそんなにポジティヴじゃないというか、子どもの頃からみんなと一緒にいて楽しんでいるようでうしろのほうでいろいろ考えている自分がいる感じがするんですよね。


 志村は『陽炎』の最終段階まで、〈出来事〉が締め付ける対象が〈僕〉なのか〈胸〉なのかについて模索していたのではないだろうか。彼には〈考えすぎる性格〉という自覚があり、〈常に今の自分と頭の中にある過去のものだったりを比べ〉ていろいろな葛藤をかかえた自分と向き合わざるをえなかった。

 『陽炎』の歌詞のなかでは、この〈出来事〉がどういうものでるかは語られていない。志村はそのことを隠した。しかし、その〈出来事〉が〈僕〉を締め付けるのか、〈胸〉を締め付けるのかという表現については考え抜いた。そのような過程がこの『陽炎』草稿から浮かんでくる。

     (この項続く)


2025年12月27日土曜日

〈出来事が 僕をしめつける〉-『陽炎』草稿1 [志村正彦LN374]


 志村正彦の命日12月24日の夜、片寄明人氏がX(@akitokatayose)でこう呟いていた。


メリークリスマス🎄 ハンバーガーを食べて、コーラを飲みながら、君のことを思い出す。21年前、一緒にレコーディングした時の紙を見つけたよ。
僕はいま連日のリハーサルのため、ホテルに泊まってGREAT3の新曲に歌詞を書いてる。こんな素晴らしい言葉が書けるかわからないけれど。 pic.x.com/yup0INW9Fc


 〈君〉は志村正彦。〈21年前、一緒にレコーディングした時の紙〉というのは、21年前の2004年、フジファブリックのメジャーデビューアルバム『フジファブリック』や「四季盤」のシングル4枚の録音時の資料のことだろう。そう思って添付されていた画像を見てとても驚いた。ノートの罫線の枠外上部に『陽炎(かげろう)』とルビが振られていた。その下に志村が『陽炎』の歌詞をノート用紙に手書きで記していた。そこにはある言葉が削除され、新たな言葉が書き込まれていた。その漢字一字の言葉に釘付けになった。画像から文字に起こしてみたい。


  出来事が をしめつける  
       胸

       *〈〉という形で抹消線を記したが、実際には二重の×で〈僕〉が消されている。


 この箇所は完成された歌詞では〈出来事が 胸を締めつける〉となっている。その元の形(の一つ)が〈出来事が 僕をしめつける〉だったことがこの画像で分かる。〈僕〉という字が消され、その下に〈胸〉という字が記されている。また、〈締めつける〉の表記も〈しめつける〉だった。志村正彦の歌詞やその生成について考察する上で、この資料は非常に貴重なものとなる。

 志村はアルバム『フジファブリック』についてのBARKSのインタビュー (取材・文:水越真弓)で、『陽炎』の成立についてこう語っている。


「陽炎」は、けっこうすんなりできましたね。この曲を作った翌日に、新曲用の“デモテープ発表会”を控えていて(笑)、「ヤバイ…、新曲がない」って言いいながら夜中に家で一人でピアノを弾いてたんですよ。そしたら、30分くらいでこの曲のメロディが降りてきて、歌詞も同時にスラスラできました。


 『陽炎』のメロディと歌詞が同時に30分位で出来上がったというのはきわめて珍しいことだったろう。楽曲や歌詞作りにはかなりの時間をかけたことが、彼の書いた文章や記録された発言から読み取れるからだ。また、「夜中に家で一人でピアノを弾いてた」という状況も興味深い。ピアノを演奏するなかで楽曲も歌詞も同時に浮かび上がってきたのだろう。それでも志村が作品の完成度を高めるための作業を惜しまなかったことも確かなので、実際に録音して完成するまでの過程で、〈出来事〉が〈僕をしめつける〉のか〈胸を締めつける〉のかという歌の中心軸にもなるモチーフについてあれこれと考えたのではないだろうか。


 『陽炎』についての個人的経験を振り返りたい。

 2010年の夏、「陽炎」を聴いたことが志村正彦・フジファブリックの歌との出会いだった。そして2012年の12月、富士吉田で開催された「路地裏の僕たち」主催の志村正彦展のために、この〈出来事が 胸を締めつける〉の箇所を中心に書いた「志村正彦の夏」という題のエッセイを書いたことが、結果として、〈志村正彦ライナーノーツ〉の原点となった。すでにこのブログで紹介しているが、今回の論の展開のために必要なので、この文章をあらためて記しておきたい。


 夏の記憶の織物は、フジファブリックの作品となって、ここ十年の間、私たちに贈られてきた。なかでも『陽炎』は志村にしか表現しえない世界を確立した歌である。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ  (『陽炎』)

 夏は、想いの季節である。夏そのものが私たちに何かを想起させる。「街並」「路地裏」という場。「英雄」、幼少時代の光景。楽しかったり、寂しかったりした記憶が「次から次へ」と浮かんでくる。
 夏は、ざわめきの季節でもある。人も、物も、風景も、時もざわめく。「陽」が「照りつけ」ると共に、何かが動き出す。そのとき、「陽炎」が揺れる。

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   (同)

 『陽炎』はここで転調し、詩人の現在に焦点があてられる。

   きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
   きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

   またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
   出来事が胸を締めつける          (同)  

 今では「無くなったもの」とは何か。特定の他者なのか。風景なのか。十代や青春という時間なのか。あるいは、過去の詩人そのものなのか。そのすべてであり、すべてでないような、つねにすでに失われている何かが「無くなったもの」ではないのか、などと囁いてみたくなる。

 喪失という主題は青春の詩によく現れるが、大半は、失ったものへの想いというより、失ったものを悲しむ自分への想いに重心が置かれる。凡庸な詩人の場合、喪失感は自己愛的な憐憫に収束するが、志村の場合は異なる。
 彼の詩には、そのような自己憐憫とは切り離された、失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動がある。そして、喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように、喪失を詩に刻んでいった。それは彼の強固な意志と自恃に支えられていたが、「胸を締めつける」ような過酷な歩みでもあった。



 この〈失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動〉という〈愛情〉と〈衝動〉、〈喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように〉して刻んだ〈喪失〉の表現というところが、僕の志村正彦論の原点となるテーマでありモチーフである。


 この『陽炎』草稿ノートに記された〈僕〉から〈胸〉への修正はこの歌詞に大きな変化をもたらしたと考えられる。歌詞の解釈を変える可能性すらあるだろう。特に〈失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動〉というかつての捉え方についてはさらに考えを深めなければならない。

 2014年7月に開催された「ロックの詩人 志村正彦展」では、志村家が所蔵している「若者のすべて」の歌詞の草稿ノートを展示させていただいた。その草稿から完成版までの歌詞の変遷過程についての試論を展示室内の解説パネルに書いた。

 今回、片寄明人氏がXの呟きで添付した『陽炎』草稿の画像は誰もがインターネット上で閲覧できるので、このブログで四回に分けてこの重要な資料について書いていきたい。

   (この項続く)


2025年12月25日木曜日

「茜色の夕日」のチャイム、NHK甲府のニュース[志村正彦LN373]

 昨日12月24日は志村正彦の命日だった。〈フジファブリック志村正彦さんの命日「茜色の夕日」のチャイム〉というNHK甲府のニュース映像が、NHK ONEにアップされた。

  https://news.web.nhk/newsweb/na/nb-1040028670


 この映像は、昨日12月24日夕方の甲府局「Newsかいドキ」で放送されたようだ。これは見逃してしまったが、今朝の甲府局のニュースで見ることができた。毎年のようにNHK甲府はこのチャイムについて放送してくれるが、今年は例年以上に丁寧に時間をかけて映像が作られていた。残念ながら映像は一定期間が過ぎると消えてしまうので、Webの記事をそのまま引用して記録に残しておきたい。


富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」で活躍した志村正彦さんが亡くなって16年となった24日、地元で夕方に流れるチャイムが代表曲の「茜色の夕日」に変わり、多くのファンが訪れました。

志村正彦さんは、富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」のリーダーとして「若者のすべて」など世代を超えて愛される曲を発表しました。

その音楽センスを高く評価されていた志村さんは、16年前の12月24日に29歳の若さで亡くなりました。

地元の富士吉田市は、志村さんの音楽の魅力を語り継ごうと、毎年、命日の前後に代表曲のひとつ「茜色の夕日」を防災行政無線の夕方のチャイムで流しています。

24日は、志村さんが育った下吉田地区の富士急行線の駅に地元の人や全国から訪れたファンなどおよそ50人が集まりました。

雨が降り、霧がかかる中、午後5時を迎えて曲が流れると、集まった人たちは駅の様子を動画に収めるなどしながらじっくりと聴き入っていました。

この日のためにフランスから訪れたという50代の女性は「こみ上げてくるものがありました。ここに来てよかったです」と話していました。

また、志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性は「この街としてずっと覚えているという思いで描きました。志村さんには励まされたり、勇気づけられたりしています」と話していました。

「茜色の夕日」のチャイムは今月27日まで毎日夕方5時に流されます。


 昨日はこの山梨でも寒い雨が降り続いていた。そういう天候のなかで五十人ものファンが下吉田駅で集まったことはとてもうれしい。この場所以外でもチャイムを聴いていた人はたくさんいただろう。この映像でも分かるように、雨が霧のようにけぶる光景はどことなく幻想的で志村正彦の歌にふさわしい。

 記事で言及されていた〈フランスから訪れたという50代の女性〉と〈志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性〉の二人のコメントのすべてを映像のテロップから書き写したい。


〈フランスから訪れたという50代の女性〉
この日のためにフランスから訪れる

こみ上げてくるものがあって
来てよかったなと思って

詞の素晴らしさに まず胸を打たれまして
ご自身のお人柄とかいろいろ後から知って

“推し活”とか 初めてなんですけどね


〈志村さんの黒板アートを制作したという市内の50代の男性〉
市内から 志村さんの黒板アートを制作

この街として 志村さんのことを
ずっと覚えているよっていうことを

絵の形で いろいろな人にお伝えできたらなと

弱さを歌っているようで
非常に強い人だと思うので

その生き方に すごく励まされたり
勇気づけられたりしています


 フランスからわざわざ訪れた女性は“推し活”と述べていたが、海外で暮らしている方だからこそ志村正彦・フジファブリックの音楽は心に身に迫るものがあると思われる。このブログも海外の方からの読み込みがけっこう多い。

 志村さんの黒板アートを制作している男性は、志村ファンならよくご存じの「黒板当番」さんである。(ご本人がXでこの映像のことを紹介されていたので、こう書かせていただきます) 〈弱さを歌っているようで 非常に強い人だと思うので〉という見方は、志村の本質の一つを語っている。強固な意志がなければあれだけの作品は生み出せなかったことは間違いない。志村正彦は繊細な心と強い意志をあわせ持っていた。


 没後十六年が経つが、彼の心と志は、彼の歌は、時に胸に響き、時に励まし、人々に自分自身の歩みを進めていく力を与え続けている。


2025年12月21日日曜日

見えない銀河を渡ることにしよう[ここはどこ?-物語を読む 12]

  平野や西側が海という場所に住んでいる人には意外だろうが、山梨では真っ赤な夕陽は沈まない。 太陽は赤くなる前に西の山に沈んで、それから山の端からせり上がるように夕焼けが広がる。だいぶ昔のことだが、関東平野にある県に住むことになって、初めて丸くて赤い太陽が地平線に沈むのを見たとき、ああこれが夕陽というものかと思った。そもそもそれまで地平線を見たこともなかった。

 山がすっかり闇に飲み込まれてしまうと、空は月と星の時間になる。冬の空気はピリリと冷たいが、星を見るのは冬がいい。年のせいかだいぶ目が効かなくなっていて、カシオペアやオリオンなど見つけやすい星座しか見つからないが、それでも見つけられると嬉しくなる。


 さて、銀河である。 残念ながら、街の明かりのせいか、こちらの視力の問題か、肉眼で夜空に銀河を見つけることはできない。 子どもの頃は見えていたかと考えてみたが、あれが銀河だと確信した記憶はない。銀河のイメージはプラネタリウムやテレビの番組の望遠鏡の映像などによって作られた二次的なものでしかない。中国や日本の古典には天の川がよく出てくるから、昔の人は実際肉眼で見ていたんだろうが。

 何でも年のせいにするのはどうかと思うが、「銀河」を歌いこなすことができない。

 問題は「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」である。一回目はクリアしても四回も繰り返しているうちにほぼつまずく。口も舌も回らないのだ。

 ところで、この「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」はなんだろう。真夜中二時過ぎに街を逃げ出す二人の足音と考えるのが普通なんだろうか。では次の「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」(心なしかこちらの方が歌いやすい)は何か?  走り続けた二人の吐く荒い息が立ち止まった丘の上で闇の中に白く浮かぶ様だろうか。

 歌詞の中にはこの二人についてほとんど説明がないから、例によってはっきりしたことは言えない。 わかっているのは二人が真夜中に街を逃げ出したことだけ。二人で手に手を取って逃避行。駆け落ちなのか?  いや、二人が恋愛関係にあるとは限らない。青春時代、閉塞的な社会から逃げ出したい友人同士かもしれないし、因習的な家制度から逃げてきた親子かもしれない。無実の罪を着せられそうな男とその日に出会ってなぜだか巻き込まれてしまった他人というミステリー仕立てもできないことはない。これは聴き手が自由に想像すればいいのであって、面白い設定を想像できたら、隣で志村正彦がニヤニヤしてくれそうな気もする。


 しかし、問題はここからだ。二人の行く先は「UFOの軌道に乗って」「夜空の果て」までなのである。いきなりジャンルがSFになってきたではないか。こうなると二人の設定も修正が必要になるかもしれない。なぜ逃避行しなければならないかも地球規模になる。人類滅亡を防ぐためとか。宇宙のどこかに閉じ込められている誰かだけが二人を救う方法を知っているとか。空を飛んで旅をするとなれば宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や松本零士の「銀河鉄道999」のイメージも浮かぶ。

  夜空の果てに何があるのか。UFOは敵か味方か。 二人の行く末は吉か凶か。何もかもわからないまま、しかし、二人は宇宙へ旅立ったのだろう。


  きらきらの空がぐらぐら動き出している!

  確かな鼓動が膨らむ動き出している!


 これはつまり二人がUFOに乗り込んだということなのではないか?だから空がぐらぐら動き出しているのだ。

 そうなると「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」も「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」もUFOに乗り込むための呪文のようなもの(言葉ではなく動作みたいなものかもしれない。ダンスとか)に思えてくる。それができた人だけUFOに乗ることを許される。二人はきっと淀むことなく難関をクリアして、UFOで夜空を渡っていくのだ。 


 歌いこなすことができない私はたぶんUFOに乗せてもらえないだろう。せめて想像の翼で夜空の果てまで向かう二人を追いかけ、見えない銀河を渡ることにしよう。