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2013年4月15日月曜日

生活者としての彼(志村正彦LN17)

   週末の夜、金鳥居にほど近い店で、一昨年の「志村正彦展 路地裏の僕たち」と昨年の「夕方5時のチャイム」のイベントと展示の実行委員をつとめた彼の友人や関係者の方々にお会いすることができた。前庭にはしだれ桜がまだ美しく咲いていて、過ぎゆく桜の季節を感じながら、和やかで心温まるひとときを過ごした。思いがけないうれしい機会であり、深く感謝している。

 志村正彦についてたくさんの貴重な話を伺ったのだが、その具体的な事柄をこの場で記すことは差し控えるべきだと考える。この《偶景web》は基本としてはあくまで「私的な場」であるので、彼の友人や関係者の方々がいつか何らかのより「公的な場」で、各々の想いや色々な出来事を語っていただくのが最もよいことだと思う。ただし、やはり、どうしても伝えたいことがあるので、具体的な事柄ではなく、私が感じたことを少しだけ書かせていただく。

 それは、表現者、音楽家としてではなく、生活者、家族や仲間のひとりとしての志村正彦のことである。

 彼はほんとうに家族思いであり、そして友人や故郷も大切にしていた。人の心の痛みがよく分かる人であった。自分に厳しく、身のまわりのこともきちんとできる若者であった。楽器だけは贅沢をしていたようだが、それ以外はつつましい暮らしをしていた。我が道を行く男であったから、時には少し他者と齟齬をきたすこともあったが、それでも、可愛がられ、信頼される存在であった。

 吉田の春の夜、ひとりの人間としての彼の生の軌跡を知ることができた。この会のかけがえのないひととき、そして志村正彦展を始めとする彼らの実践への感謝を何か形にするのであれば、私たちにできるのは、この《偶景web》の文を、志村正彦についての試論を、より質の高い、より内容の深いものにしていくしかない、そんなことを考えて、甲府へと帰っていった。

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