8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督の映画『太陽(ティダ)の運命』を見た。この日は佐古監督の舞台挨拶もあった。今日は昨日に続いて、佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について書きたい。
佐古監督はTBSの元キャスターだからご存じの方が多いだろう。現在は映画監督として、沖縄の歴史と現実をテーマとする『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年)、『米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019年)、『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』(2021年)と今回の『太陽(ティダ)の運命』(2025年)の四本の映画を制作してきた。まず、予告編を添付する。
この日の観客は30名ほどでいつもよりかなり多かった。上映後、監督がこの作品について語った。RBC琉球放送の資料室で30年間の映像を見て、映画に使う箇所を探していったそうだ。ニュース映像自体は短く断片的でもあるので、その基になった素材映像を見つけるのも大変なことだっただろう。Be館で語ったことを正確に再現できないので、その三日前に地元のUTYテレビ山梨で放送されたインタビューの記事を紹介したい。
「反目しあっていた2人が長い時を経て、結果同じ道を歩んでいく、そこを紐解くことが、実は沖縄の歴史を見ることにもなり、この国が沖縄に対してどう相対してきたのかの答えがある」
「民主主義だと言って常に少数派の上に多数派があぐらを書き続けている状態が果たして民主的といえるのかどうか、多数派こそが実は考えなければいけない事象がここにあるのではないか」
「複雑な感情を抱えながら人間が物事を動かしてきた歴史だと強く感じる。どんな人間ドラマがあったのか、そこにぜひ注目してほしい。その先にあるのが沖縄という場所であり、丸ごと日本の歴史だというところをぜひ伝えたい」
佐古監督が沖縄そして日本の歴史や社会、政治の現実をドキュメンタリー映画で一貫して追究している。沖縄と本土、地方自治と国家、日本とアメリカ、民主主義の少数派と多数派という関係のあり方を鋭く問いかける。イデオロギーではなく、人物の生き方を通じて問い続けているところが優れている。
監督の舞台挨拶の後、パンフレットのサイン会があり、僕もサインしていただいた。その時少し言葉を交わすことができた。穏やかな視線と物腰の柔らかい姿が印象的だった。
沖縄と山梨にもいろいろな関わりがある。
戦後、1945年から米軍は富士北麓(富士吉田市と山中湖村)にある「北富士演習場」に常駐していたが、1956年、その大部分が沖縄に移った。その11年の間、現在の沖縄と同様の事件や事故が起きたことを地元紙の山梨日日新聞社の取材班が「Fujiと沖縄」という連載記事で綿密に報道した(2022年1~6月新聞連載、2023年6月書籍『Fujiと沖縄』刊行[山梨日日新聞社]、第22回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)。つまり、富士北麓の困難や混乱を結果として沖縄に押しつけたことになる。このような事実に無知であった僕は衝撃を受けた。また、北杜市出身の八巻太一は沖縄各地で教員を務め、退職後に私財を投じて私立沖縄昭和女学校を設立し商業教育を推進したことも「Fujiと沖縄」の記事から詳しく知ることができた。
音楽でも深いつながりがある。
甲府育ちの評論家竹中労は、『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースし、コンサートも企画して、嘉手苅林昌を始めとする「島唄」を紹介した功績は大きい。また何といっても、甲府出身の宮沢和史・THE BOOMの「島唄」が挙げられる。1992年1月のアルバム『思春期』で発表され、1993年6月シングルとして発売されて大ヒットとなった。この歌によって沖縄戦に関心を持った人は数知れないだろう。リリースから三十数年が経つが、この歌の影響力は非常に強い。
8月にBe館で見た『マリウポリの20日間』と『太陽(ティダ)の運命』は、ニュースの取材記者や番組のキャスターであるジャーナリストが監督した。ドキュメンタリー映画の持つ、映像の力、時間を記録する力の可能性を強く感じた。『木の上の軍隊』は劇映画だが、実話を元にしているのでドキュメンタリー的な要素があり、そのことが作品に力を吹き込んでいた。
Be館の小野社長とも少し話ができたが、この8月に『マリウポリの20日間』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』という作品を上映したのは、やはり戦後80年を意識しての計画だったそうだ。このような企画をするミニシアターが地方にあることには大きな意義がある。
この映画はBe館では11(木)まで上映している。その他の地域でもまだ上映中の館もある。今後配信されることがあるかもしれないので、機会があったらぜひご覧いただきたい。