2025年9月11日木曜日

11/3(月・祝日)こうふ亀屋座、〈太宰治「新樹の言葉」「走れメロス」講座・朗読・芝居の会〉開催

 11月3日(月・祝日、文化の日)の午後2時から「こうふ亀屋座」で、〈甲府 文と芸の会〉の第1回公演〈太宰治「新樹の言葉」「走れメロス」の講座・朗読・芝居の会〉を開催します。

 〈甲府 文と芸の会〉は、甲府や山梨に関わる小説や詩歌などの〈文〉の講座や演劇・音楽・映画などの〈芸〉のイベントを行うために設立しました。第1回目のテーマは、甲府ゆかりの作家太宰治の小説「新樹の言葉」と「走れメロス」です。このブログでイベントの詳細の説明や申込の受付をします。

 

 太宰治は、1938(昭和13)年の十一月から甲府に住み始めました。翌年一月に甲府の女性石原美智子と結婚して新婚生活を送ります。五月刊行の小説集『愛と美について』に収録された「新樹の言葉」は、甲府の中心街や舞鶴城跡を舞台とする作品です。

 九月、作家としての仕事のために東京の三鷹へ転居しました。翌年五月に代表作「走れメロス」を発表しました。

 「新樹の言葉」と「走れメロス」は、ストーリーは全く異なりますが、登場人物の造形や関係が類似しています。太宰の分身ともいえる存在が、兄・妹・親友という三人の若者の真摯に生きる姿に感銘を覚えて、自らの生き方を変え、再生への道を歩もうとします。

 この公演ではミニ講座・作品朗読・独り芝居の三つのプログラムによって、甲府時代の太宰治を浮き彫りにします。以下、その概要をお知らせします。


日時:2025年11月3日(月、文化の日)
    開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30
会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)  
内容:
Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」
 講師 小林一之(文学研究[芥川龍之介・山梨ゆかりの作家] 山梨英和大学特任教授)
 朗読 エイコ(有馬眞胤の芝居に津軽三味線で合いの手を入れる活動を中心に朗読や篠笛      も行う)
Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」 
 俳優 有馬眞胤(劇団四季出身。舞台を中心に活動し、蜷川幸雄演出作品に20年間参加した。2005年より文学作品をすべて覚えて独りで演じる「有馬銅鑼魔」の公演を続けている)
 下座(三味線) エイコ

主催:甲府 文と芸の会
料金:無料(事前の申込みが必要です。9月25日から受付を開始します。先着90人)

 *9月25日(木)からこの〈偶景web〉内に申込フォームを設置します
 *先着90人ですので、ご希望の方は早めにお申し込みください
  よろしくお願いいたします。



〈甲府 文と芸の会〉の公式ブログはこの〈偶景web〉 https://guukei.blogspot.com です。



2025年9月8日月曜日

『太陽(ティダ)の運命』佐古忠彦監督/山梨と沖縄

 8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督の映画『太陽(ティダ)の運命』を見た。この日は佐古監督の舞台挨拶もあった。今日は昨日に続いて、佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について書きたい。


 佐古監督はTBSの元キャスターだからご存じの方が多いだろう。現在は映画監督として、沖縄の歴史と現実をテーマとする『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年)、『米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019年)、『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』(2021年)と今回の『太陽(ティダ)の運命』(2025年)の四本の映画を制作してきた。まず、予告編を添付する。


 

 この日の観客は30名ほどでいつもよりかなり多かった。上映後、監督がこの作品について語った。RBC琉球放送の資料室で30年間の映像を見て、映画に使う箇所を探していったそうだ。ニュース映像自体は短く断片的でもあるので、その基になった素材映像を見つけるのも大変なことだっただろう。Be館で語ったことを正確に再現できないので、その三日前に地元のUTYテレビ山梨で放送されたインタビューの記事を紹介したい。


「反目しあっていた2人が長い時を経て、結果同じ道を歩んでいく、そこを紐解くことが、実は沖縄の歴史を見ることにもなり、この国が沖縄に対してどう相対してきたのかの答えがある」

「民主主義だと言って常に少数派の上に多数派があぐらを書き続けている状態が果たして民主的といえるのかどうか、多数派こそが実は考えなければいけない事象がここにあるのではないか」

「複雑な感情を抱えながら人間が物事を動かしてきた歴史だと強く感じる。どんな人間ドラマがあったのか、そこにぜひ注目してほしい。その先にあるのが沖縄という場所であり、丸ごと日本の歴史だというところをぜひ伝えたい」


 佐古監督が沖縄そして日本の歴史や社会、政治の現実をドキュメンタリー映画で一貫して追究している。沖縄と本土、地方自治と国家、日本とアメリカ、民主主義の少数派と多数派という関係のあり方を鋭く問いかける。イデオロギーではなく、人物の生き方を通じて問い続けているところが優れている。

 監督の舞台挨拶の後、パンフレットのサイン会があり、僕もサインしていただいた。その時少し言葉を交わすことができた。穏やかな視線と物腰の柔らかい姿が印象的だった。


 沖縄と山梨にもいろいろな関わりがある。

 戦後、1945年から米軍は富士北麓(富士吉田市と山中湖村)にある「北富士演習場」に常駐していたが、1956年、その大部分が沖縄に移った。その11年の間、現在の沖縄と同様の事件や事故が起きたことを地元紙の山梨日日新聞社の取材班が「Fujiと沖縄」という連載記事で綿密に報道した(2022年1~6月新聞連載、2023年6月書籍『Fujiと沖縄』刊行[山梨日日新聞社]、第22回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)。つまり、富士北麓の困難や混乱を結果として沖縄に押しつけたことになる。このような事実に無知であった僕は衝撃を受けた。また、北杜市出身の八巻太一は沖縄各地で教員を務め、退職後に私財を投じて私立沖縄昭和女学校を設立し商業教育を推進したことも「Fujiと沖縄」の記事から詳しく知ることができた。

 音楽でも深いつながりがある。

  甲府育ちの評論家竹中労は、『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースし、コンサートも企画して、嘉手苅林昌を始めとする「島唄」を紹介した功績は大きい。また何といっても、甲府出身の宮沢和史・THE BOOMの「島唄」が挙げられる。1992年1月のアルバム『思春期』で発表され、1993年6月シングルとして発売されて大ヒットとなった。この歌によって沖縄戦に関心を持った人は数知れないだろう。リリースから三十数年が経つが、この歌の影響力は非常に強い。


 8月にBe館で見た『マリウポリの20日間』と『太陽(ティダ)の運命』は、ニュースの取材記者や番組のキャスターであるジャーナリストが監督した。ドキュメンタリー映画の持つ、映像の力、時間を記録する力の可能性を強く感じた。『木の上の軍隊』は劇映画だが、実話を元にしているのでドキュメンタリー的な要素があり、そのことが作品に力を吹き込んでいた。

 Be館の小野社長とも少し話ができたが、この8月に『マリウポリの20日間』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』という作品を上映したのは、やはり戦後80年を意識しての計画だったそうだ。このような企画をするミニシアターが地方にあることには大きな意義がある。

 この映画はBe館では11(木)まで上映している。その他の地域でもまだ上映中の館もある。今後配信されることがあるかもしれないので、機会があったらぜひご覧いただきたい。



2025年9月7日日曜日

8月の甲府Be館 『マリウポリの20日間』『バッド・ジーニアス』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』

 8月は甲府のシアターセントラルBe館で四本の映画を見た。これらの作品について少し振り返りたい。


   『マリウポリの20日間』


 ロシアがウクライナに侵攻してからマリウポリが壊滅するまでの20日間を記録したドキュメンタリー映画。ミスティスラフ・チェルノフ監督。この映画を見ていると、記憶の中にある、2022年2月の侵攻開始直後にテレビのニュース番組で放送されたAP通信の映像がいくつも使われていた。あの当時はこの映像がどのようにして撮影されたのか全く分からなかったが、この映画は撮影の過程や経緯を教えてくれた。そして、取材班のたぐいまれな使命感や勇気、緊張感や苦悩をあますところなく伝えている。いきなり侵攻が始まり日常が崩壊していく。爆弾が破裂して家や病棟が破壊されていく。その惨状にも関わらず、状況がよくつかめない。不安と絶望が広がる。死者が増えていく。直視することができない凄惨な映像が続くが、私たちが知らなければならない現実である。

 ウクライナ人の記者チェルノフたちの取材班は、やがて、ウクライナ軍の援護によってマリウポリから決死の脱出を図る。そのような過程を経て世界に配信された映像が日本のニュース番組でも見ることができた。それらの映像を元にして作成されたのがこの映画である。2024年、第96回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞し、ウクライナ映画史上初のアカデミー賞受賞作となった。また、AP通信にはピュリッツァー賞が授与された。


   『BAD GENIUS バッド・ジーニアス』


 2017年のタイ映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」をハリウッドでリメイクした作品。J・C・リー監督。貧しい家庭に育った秀才の少女リンは名門高校に特待生として入学し、劣等生たちから持ちかけられて、彼らを救う「カンニング」作戦を指揮するようになる。その方法がなかなか巧みであり、映画として楽しめたのだが、アメリカ社会の移民や貧困の問題にも踏み込んでいるところが単なるエンターテイメント映画ではないことを示していた。


  『木の上の軍隊』



 沖縄の伊江島で終戦に気づかないまま2年の間もガジュマルの木の上で生き抜いた二人の日本兵の実話に基づいた井上ひさし原案の舞台劇を映画化した作品。平一紘監督。

  上官の少尉(堤真一)と沖縄出身の新兵(山田裕貴)がその立場ゆえに距離があるのだが次第に互いを理解していく。飢えに苦しみながら木の上とその周りの森で孤独な闘いをを続ける。時が経つにつれて、二人の心の中で「帰りたい」という想いが強くなる。最後の浜辺の場面で上官の堤真一が微笑みながら山田裕貴に「帰ろう」という場面が秀逸だった。映画はここで終わったが、実際にモデルの二人は故郷に帰ることができたそうだ。それを喜ぶと共に、帰りたくても帰ることが叶わなかった無数の人々のことを考えた。戦場に行くことは帰ることをあらかじめ断念することでもあった。その現実を強く思い知らされた。 


『太陽(ティダ)の運命』


  沖縄県の二人の知事に焦点を当て各々の闘いの軌跡を通じて沖縄現代史を描いたドキュメンタリー映画。佐古忠彦監督。タイトルの「ティダ」は沖縄の方言で太陽の意味、古くは首長=リーダーを表す言葉である。

 沖縄本土復帰後の第4代知事大田昌秀と第7代知事・翁長雄志は、政治的立場が正反対であることから対立しながらも、大田は軍用地強制使用の代理署名拒否、翁長は辺野古埋め立て承認の取り消しを巡って国と法廷で争った。結局、対立していた二人は沖縄の平和を守るために同じ道を歩むことになる。この映画は、本土と沖縄、国家と地方自治、日本とアメリカという関係のあり方を深く問いかける作品だった。


   8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督がこの映画の舞台挨拶を行うことを知ったので、この映画はその日に見に行った。佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について考えたことを後にあらためて書きたい。


2025年9月3日水曜日

「こうふ亀屋座」の空間/11月3日の会(太宰治「走れメロス」独り芝居 他)

 この春、甲府城跡(舞鶴城公園)の南側エリアに、歴史文化交流施設「こうふ亀屋座」と交流広場、江戸の町並みをイメージした飲食と物販の店が集まる「小江戸甲府花小路」がオープンした。

 11月3日(月・祝日)午後2時から「こうふ亀屋座」の演芸場で、〈甲府 文と芸の会〉主催の「講座・朗読・芝居の会」を開催する。横浜から招く有馬眞胤(アリママサタネ)さんの太宰治「走れメロス」独り芝居、エイコさんの「新樹の言葉」朗読と「走れメロス」下座の津軽三味線、前座として私のミニ講座が予定されている。

 有馬さんは劇団四季出身で舞台を中心に活動してきた。蜷川幸雄演出作品に20年間参加し海外でも公演した経験豊かな実力派の役者である。彼の独り芝居は、朗読ではなく一篇の小説を全て覚えて声と身体で演じる。文学作品の語りの新しいスタイルを探究している独自性がある。

(この会は無料ですが、事前の申込みが必要です。その詳細は来週お知らせします)

 

「こうふ亀屋座」

交流広場から見た「こうふ亀屋座」




 この会の準備のために先日、演芸場の舞台や客席、プロジェクターや照明の設備を実際に見てきた。江戸時代の芝居小屋を再現したデザインと木材をふんだんに利用した内装が美しい。一階と二階に席がある。120人ほどが定員のこじんまりとした空間ではあるが、木の香りが漂い、すがすがしくなる場だ。独り芝居の舞台としては最高のものだろう。


客席から舞台へ

舞台から客席へ

 この「こうふ亀屋座」は、江戸時代に甲府にあった芝居小屋「亀屋座」をイメージして建設された。 

 演劇研究者の木村涼氏は論文「八代目市川團十郎と甲州亀屋座興行」(早稲田大学リポジトリ)で〈亀屋座は明和二年(一七六五)創設の芝居小屋で、時代を代表する名優が出演している芝居小屋である〉として、七代目と八代目市川團十郎、五代目松本幸四郎、三代目坂東三津五郎、五代目岩井半四郎などが一座を率いて芝居を上演したと述べている。

 江戸時代、甲府で流行った芝居は江戸でも流行ると言われていた。山梨は徳川幕府の直轄領であり、甲府城の周辺には甲府勤番の武士が住んでいた。芝居を見る目が優れた人が甲府には多いという定評があったようだ。

 「亀屋座」は甲府の中心街から少し南に下った現在の若松町にあった。「こうふ亀屋座」は元の場所とは異なるところに建てられたのは、この小屋の演芸場で様々なイベントを実施して、このエリアを人々の集いの場にするためだろう。

 「小江戸甲府花小路」の小路には、食べ物屋、甘味処、カフェ、お土産屋などの店舗がある。小路の向こう側には「甲府城跡」(舞鶴城とも呼ばれる)の石垣や展望台が見える。近くには「舞鶴城公園」もある。甲府の中心街はかなりさびれてきたが、この江戸情緒の街並みや芝居小屋は新しい拠点となる。

 このエリアから南に下ると、移転して再オープンした「岡島」やいろいろな飲食店や商店が続いている。この一帯が中心街の散策コースとしてとても綺麗な空間になってきたのが、甲府市民としてはとても喜ばしい。