2016年11月30日水曜日

桜座の夜、歌の散布。

 11月27日、甲府桜座、『Analogfish & mooolsと捲く、芋ケンピ空中散布ツアー2016 ~空中サンプ~、ドローンに詰めるだけ詰め込んで、、秋。』LIVE。このツアーに通い始めて四年目になるが、これまでで最も印象深かった。
 開演前に、メンバーかスタッフの息子さんだろうか、男の子から芋ケンピが一つ渡され、「空中散布」が始まった。(後でmoools酒井泰明も観客一人ひとりに配り歩いた)

 ケンタ&カフカ。佐々木健太郎(Analogfish)とカフカ先生(moools)のデュオ。MCで小淵沢でのレコーディング時の挿話が入る。ケンタの声とカフカの鍵盤の音色がゆるやかに溶け込む。カフカ先生の故郷、北海道礼文島ではソ連の放送が聞こえたそうで、記憶に残る美しいピアノ曲を奏でてくれた。なんだかとても懐かしい時が流れる。

  KETTLES。コイケ、オカヤスによる男女デュオ。ベースレスのロックがどういうものかを堪能できた。ベースの不在は音を尖らせる。尖っているけどにこやかであり繊細でもある。2016年の東京パンクはこういう音なのかもしれない。『何をやっていたんだ』という曲が耳にこびりつく。今まで。

 moools。彼らが登場するだけで桜座の重心が低い方に降りていく。彼らの佇まいがそうさせるのか。有泉充浩のベース、斉藤耕治のドラムス、円熟した音が低く低くうねる。それに反作用するかのように、酒井泰明の声が高く高く言葉を突きあげる。浜本亮のギターは限りなく透明に近い音色。カフカの鍵盤音がさりげなく落ち着きを与えている。彼らを桜座で聴いて四年目になるが、70年代の英米のロックの音、その最上の部分が再現されているように感じる。単なる反復ではなく、mooolsらしいひねりのある現前であるのだが。

 Analogfish。斉藤州一郎のドラムスが桜座に鳴り出す。彼のパルスのようなビートの感覚はこの空間にとてもよく合う。どの曲も素晴らしかったのだが、とりわけ『Nightfever』『夢の中で』『世界は幻』と続いた三曲に圧倒された。

 夜空は年々深さを増し
 いつか僕はのみ込まれてしまうよ
 センターラインはどこにある
 そしてそのどちら側に君は立つ      『Nightfever』     

 誰かの夢の中で暮らしてるような気分
 そんな気分                             『夢の中で』

 べつだん 何不自由も無い
 すりガラスごしに見る 世界が幻だ      『世界は幻』

 制作年代もテーマも異なる三曲だが、この日は、「夜」、「夢」、「幻」とモチーフが絡み合い、つながるように響く(こう書くと三題噺のようでもあるが)。
 「センターラインはどこにある」のか、「誰かの夢の中」か、「すりガラスごし」か。場や人や物。その境界線のこちら側と向こう側、僕らはどこにいるのか。

 なぜだか感情が潤んだ。哀しい寂しいというものではない。冷静であるのだが、心の奥深く何かが呼び起こされる。下岡晃の語り、佐々木健太郎の唄、かけがえのない歌を今ここで聴いているのだという確信があった。

 この夜、桜座で、歌が散布された。Analogfish『Nightfever』の一節で閉じたい。

 nightfeverが覚める頃街は朝の中
 nightfeverが覚める頃君は夢の中



2016年11月22日火曜日

日曜日の桜座、Analogfish・moools・KETTLES、来る!

 今週の日曜日、11月27日、甲府の桜座で、『Analogfish & mooolsと捲く、芋ケンピ空中散布ツアー2016 ~空中サンプ~、ドローンに詰めるだけ詰め込んで、、秋。』が開催されます。moools、アナログフィッシュ、KETTLES、ケンタ&カフカの出演だそうです。(ケンタ&カフカって何?誰?)
 二か月ほど前にもここに書きましたが、まだまだ席があるようなので再度お知らせします。

 佐々木健太郎(Analogfish) さんのtwitterに、手製のチラシの画像がありました。素晴らしい味わいがあるので勝手に転載させていただきます。
 僕は読み返しては感動しています!


 佐々木さんは「甲府桜座は、ガラス工場を加工した、他では有り得ない、場所自体に魔法がかかっちゃってる場所です。音もとてもいいんです。芝居小屋という事もあり、ライブとゆーより舞台みたいというか、普段とは一味も二味も違います。」と呟いています。

 そうですそうです。桜座は「他では有り得ない」宝箱です。僕はここで色々な宝物と出会いました。特に山梨に住んでいる皆様、宝物を分かち合いましょう。いつも山梨のお客さんが少ない感じがします。もったいないです。予約は主催の「どうしておなかがすくのかな企画」のHPでできます。

 Analogfishは最近 Acoustic self-cover Albumの『town meeting / Analogfish Acoustic Edition』をリリースしました。山梨の小淵沢の「星と虹スタジオ」で録音され、ミックスも田辺玄(WATER WATER CAMEL)さんです。山梨の空気が詰め込まれていることでしょう。僕はまだ手に入れていません。会場の桜座で販売されそうなので、購入することを楽しみにしています。

2016年11月20日日曜日

レナード・コーエン、レオン・ラッセル。

 レナード・コーエンが11月7日に、レオン・ラッセルが11月13日に亡くなった。享年82歳と74歳。若くして世を去るロックの音楽家も少なくない中、この二人は音楽家としての人生を過ごすことができたのだろう。僕にとっては70年代前半から半ばにかけての時代に出会い、その時代にリアルタイムで聴いてきた歌い手だけに、かなりの感慨がある。

  72年か73年の頃、カーペンターズによるレオン・ラッセル『ア・ソング・フォー・ユー』(A Song for You)のカバー曲がヒットし、そのうち本家のレオン・ラッセルの歌もラジオでよくかかるようになったと記憶している。あの独特の声による語りの調子に魅了された。当時は「スワンプ・ロック」の中心人物として『ニューミュージック・マガジン』でよく紹介されていた。アメリカの歌の奥行きの深さのようなものを感じていた。カーニバル的な色彩感のある『タイト・ロープ』もヒットした。今では想像できないだろうが、当時のラジオ番組ではレオン・ラッセルのような渋い洋楽もかなり放送されていたのだ。

 レナード・コーエンとの出会いは、1975年リリースの『ベスト・オブ・レナード・コーエン』というベスト盤レコードだった。67年のデビュー作から74年の5枚目までのアルバムからの自選集で、本人による歌の背景の簡潔な説明も載せられていた。(これは本人公認のものだが、あの頃は日本のレコード会社の独自企画によるベスト盤もたくさんあった。小遣いの少ない若者にとってはありがたい存在だった。1997年邦盤のCDが発売されたが、現在は入手できないようだ)
 ミラノのホテルで撮影されたというジャケット写真も印象深いものだった。




 A面の『スザンヌ』『シスターズ・オブ・マーシー』『さよならマリアンヌ』『電線の鳥』と続く初めの四曲、B面終わりの方の『チェルシー・ホテル#2』『誰が火によって』を繰り返し聴いた。なかでも『電線の鳥』には強く惹かれた。

  Like a bird on the wire,
  Like a drunk in a midnight choir
  I have tried in my way to be free.

  電線の上の一羽の鳥のように
  真夜中の聖歌隊の酔いどれのように
  僕は僕のやり方で自由であろうと試みた

 英語そのものの壁、英米文学の伝統、ユダヤ・キリスト教的な思想の伝統という大きな壁があった。歌詞が理解できたわけではなかったが、レナード・コーエンの「声」が強く響いてきた。意味もおぼろげではあるが次第に作用してきた。「I have tried in my way to be free.」という声と言葉が刻み込まれた。それ以来このフレーズは、「自由」であることが試されるような時の折々に、頭に浮かんできた。

 題名でもある「a bird on the wire」という情景がどのようなものかは長い間分からなかった。イラ・ブルース・ナデル著『レナード・コーエン伝』(訳・大橋悦子 夏目書房2005/02)を読んで、この歌の成り立ちについて知ることができた。
 1960年、レナード・コーエンは故郷のカナダ・モントリオールを離れギリシャのイドラ島で暮らし始めた。当初そこには電線も電話もなかった。まもなく電柱が立ち電線が引かれた。彼はその状況についてこう述べている。

窓越しにそんな電話線を見つめては、文明が私を追いかけきてつかまえた、もう逃れられない、と思ったものだ。自分のために見つけたはずのこの十一世紀の生活を、もう続けることができなくなった。それが始まりだった。

 そう考えた時に、鳥たちが電線にとまりに来ることに彼は気づいたという。そこからこの冒頭の歌詞が生まれたようだ。

 この証言によれば「the wire」は「電話線」を指すことになる。電話線は他者や外部とのコミュニケーションの象徴だ。レナード・コーエンがそこから逃避してきた欧米の世界、二十世紀の生活と自分をつなげてしまう。ギリシャでのゆったりとした時間とは異なる時間に連れ戻してしまう。「もう逃れられない」というのは悲痛な叫びだ。電話線の上にとまっている「一羽の鳥」は、そのような状況の到来にもかかわらず、「自由」であろうとする試みの像なのだろう。

 デヴィッド・ボウイは今年1月に、ルー・リードは2013年10月に亡くなっている。ロックの第一第二世代、60年代後半から70年前半にかけての激しい時代を生きのびたロックの詩人たち。彼らの生が閉じられていく時代を迎えている。

2016年11月6日日曜日

HINTO、"WC" TOUR 2016、渋谷WWWで。

  一週間前の10月30日、渋谷でHINTOを聴いてきた。新アルバム発売に合わせた「"WC" release ONE-MAN TOUR 2016」の最終日だった。
 正直書くと、東京のライブハウスまでわざわざ出かけるという意欲が最近はあまりない。このライブも迷っていたのだが、たまたまこの日に仕事関係の会議に行く用事ができた。これも何かの縁と思い、チケットを購入した。

 五時半過ぎにやっと会議が終わり、渋谷に移動。この日はハロウィンの前日で渋谷駅前は大混雑。ハロウィン目当てでない人にとっては大迷惑。すり抜けすり抜け、会場の渋谷WWWへ。途中で仮装した若者をたくさん目撃したのだが、いまいち楽しそうでないというのか、なんだか痛々しい。誰かが仕掛けたのだろうが、仕掛けられた祭りはやはり白々しい。

 開演六時半ぎりぎりに到着。ほぼ満員、最後列に何とかスペースを確保。映画館「シネマライズ」を改築した小屋だから段差がありステージが見やすい。しばらくするとHINTOの登場。『なつかしい人』が始まる。「100年まえから貴方のこと知ってる気がしているよ」の声が広がっていくと、場内が鎮まってくる。安部コウセイの表情を見て、言葉を聞き取ろうとする。この歌の静けさ、時をさかのぼり時を超えていくような調べはやはり特筆すべきものだ。
 2014年9月渋谷CLUB QUATTRO公演の『エネミー』の狂熱に圧倒されたことは以前ここに書いたが、この日の『なつかしい人』の静かな熱量にも心と身体が押し込まれた。

 このライブで気づいたのだが、安部光広のベースがHINTOサウンドの要だ。面白いベーシストだ。新しくもあり、どこか懐かしいようでもあるベースライン。彼のコーラスもこのサウンドに不可欠だ。安部兄弟の声と音が一つの塊となり、その塊に伊藤のエッジの効いたギターが彩りを何重にも与え、菱谷昌弘のドラムスが底の底のリズムを支える。
 しかし元映画館のせいか、音が反響しすぎて分離が悪い。空間の規模に比べて、音量も大きすぎる。変なサラウンド効果がついたような音響にまいってしまった。

 本編最後は、『WC』最後にある『ザ・ばんど』。「すべてのバンドマンに捧げます」というMCの後に、「何回も何回も 折れた心を乗せて走る/白いハイエースが 街から街へ/俺たち運んでいく ハイウェイ/待ってて」と歌い出された。
    
  何回か本当にやめてしまおうかと思った
  だけど恰好悪い ビートは続く
  あの日からとまらないストーリー

  最強の音楽でおれたちが連れて行くぜ遠く
  青いバードはもう 探さず行こう
  ドラムスが道標 ワン!ツー!

  馴染めない この世界をぶっ壊すギター
  忘れない 永遠みたいな悲しみのこと
  情けない 自分自身をぶっ壊すシャウト
  信じてたい 魔法みたいなロッケンロール
           (『ザ・ばんど』 詞:安部コウセイ)

 安部コウセイの歌詞にしては素直で直接的だ。もちろん、幾たびかの屈折を経た後で、ぐるっと回って素直さを得たというような感触だが。この歌について安部は、「バンドのことをシリアスに書くって、やっぱり恥ずかしいんです。でも、いい加減そこから逃げずにやんなきゃなって思ったのも事実なんですよね。」とした後でこう語っている。(『ラバーガール飛永との対話でこぼれた、HINTO安部コウセイの本音』文:金子厚武)

―なぜ今回のタイミングでは恥ずかしいと思う言葉でも使おうと思ったのでしょうか?

安部:なんでだろう……まあ、ど真ん中のことを大きい声で言う気持ちよさってやっぱりあるから、言いたくなってきたんでしょうね。あと“ザ・ばんど”に関して言うと、これを歌ったときに、自分達がいい方向に引っ張られるような曲にしたいと思ったんです。しんどいときに歌って、気持ちが前向きになったりしたらいいなって。

 なるほど。「シリアス」で「恥ずかしい」ことであっても、そこから逃げずに「ど真ん中のことを大きい声で言う」。その境地は、三十歳代後半となった彼の現在の位置を示している。『ザ・ばんど』はバンドの過去、現在、そして未来の軌跡を描いてるのだろう。僕は単なる聴き手だから、バンドマンの真実は分からない。ただし、「自分達がいい方向に引っ張られる」という想いを共有することはできる。そのような曲であるのなら、聴き手もその方向に歩み出せるだろうから。

 ハロウィンの渋谷。その狂騒から逃れるようにこの場に集った者はみな、安部コウセイがMCで話していたように、心に何かの塊を抱えている者なのだろう。変わらない、あるいは変えられない心の塊。2時間の間、ある者は踊り、ある者は言葉を聴く。自らの塊が、つかの間かもしれないが、ほぐされる。解放される。

 HINTOの「最強の音楽」でこれからも、どこか遠くの場へと連れて行ってもらおうではないか。

2016年11月3日木曜日

ヴァンフォーレ甲府J1残留

 今日11月3日は、ヴァンフォーレ甲府のJ1残留をかけた試合があった。
 僕は仕事を途中で切り上げ小瀬の中銀スタジアムへ。YBSラジオの中継を聴きながら向かったのだが、駐車場に到着した直後に失点、0:1となってしまった。キーパー河田のミスのようだ。こんな大切な試合でミスから失点とは「降格」の黄信号がともる。早足でスタジアムに急いだが、満員、立ち見の応援となった。もう後半25分を過ぎていた。

 強風にあおられてボールがコントロールできない。チャンスらしいチャンスもない。得点の匂いがしない。今季を象徴しているかのような内容の乏しい試合だった。結局負けてしまったのだが、ライバルのアルビレックス新潟、名古屋グランパスも負けたので、勝点1の僅差でJ1に残留することができた。そのことを告げるアナウンスがあると喜びの声が上がったのだが、敗戦は敗戦、内容も内容だけに盛り上がりには欠けた。

 試合後のセレモニーで佐久間悟監督は「苦しい状況が続きました。恨み悩み、絶望感を感じるようなシーズンでした。このような形ですがJ1に残留できたのは、前を向いて努力し続けた私たちへのサッカーの神様からのごほうびだったのかなと感謝しております」と挨拶した。「指揮官」の言葉としては疑問符が付くが、一人の「人間」の言葉として受け止めれば理解はできる。佐久間さんは正直な人だ。資質としても、監督よりもゼネラルマネージャーに向いている。それでもプロサッカーは結果がすべてだ。その厳しさがある。残留を決めたのは佐久間さんの勝利だ。今季限りで監督は退任し、GMに専念するそうだ。ほんとうにご苦労様でした。

 勝点1の差での残留。2009年12月5日の試合のことを想い出した。この日、J2にいた甲府はJ1昇格を決める試合を闘っていた。最終節時点での勝点が湘南ベルマーレ95、 ヴァンフォーレ甲府94。甲府が勝ち、湘南が引き分け以下になると、甲府はJ1に昇格できる。結果は、甲府は勝利したが湘南も勝利して、湘南が昇格することになった。勝ち点1の差だった。冷たい雨の降る中、そのことが分かるとスタジアムが静まりかえった。

 以前にも記したが、「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール』)2009年12月5日付で、志村正彦はこう述べている。

  京都前のり。民生さんと合流し、飲みに行く。
  民生さんサッカーの話、超詳しい。俺、全然分からん。
  今、甲府はどうなってるんだ?
  甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。

 あの日、彼が甲府のことを書いていたのは偶然なのだろうが、なんだか不思議だ。2009年のあの日は冬の雨、今日は風が強かったが快晴だった。甲府盆地を囲む山々は美しい稜線を現していた。2009年と2016年のラストゲームは、同じ勝点1の差で、明暗を分けたことになる。

アウェイ側から見たホームゴール裏。背景の山々は、左側遠くに八ヶ岳、真中に茅ヶ岳など。

 たかがサッカーされどサッカー。所詮はゲームなのだが、ゲームにしては「降格」という厳しさのあるこのゲームは、現実の縮図のようなところがある。それがJリーグの魅力だ。「昇格」があるからこそ「降格」もある。「降格」があるからこそ「昇格」もある。
 昇格や降格、残留争いを何度も経験した甲府の一サポーターから、名古屋グランバスのサポーター(そしてVF甲府の選手でもあった小倉隆史前監督)に対して、「No Rain No Rainbow」という言葉を贈りたい。