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2013年4月3日水曜日

「ようやく自由になってきた」(志村正彦LN11)

 LN10の最後に引いた「歌詞に込めたメッセージに伴う自分になるために、自分を変えていったというか……。」という志村正彦の言葉に対して、取材者の青木優氏は「ややこしいですね……」と、志村の心情に配慮して返答し、さらに言葉を引き出している。

 確かにややこしいんですけど、僕が寂しいままなのは、それが理由でもあるんです。そういう楽しみを、歌詞のために排除してしまったんです。

 日常生活の、というよりも、生きることそのものの楽しみを、歌詞のために「排除」したという発言からは、表現者としての確固たる意志が伝わってくる。自分に対する厳しい姿勢というか、あえて時代がかった言葉を使うならば、他のことを犠牲にしてもある道を極めようとする「求道者」のような姿が重なってくる。ロック・アーティストというよりも、「芸術」のために「実生活」を犠牲にしてまで表現を続けた、大正や昭和前期の時代の「文士」や「詩人」の気風に近いものを感じる。
 志村は凄みのある発言を続ける。

 日常の自分を、自分の歌詞にシンクロさせるという酷なことをしてますね。歌詞の世界と殉死してるわけです。

 現実の自分と歌詞の中の自分をシンクロさせるというのは、彼が述べている以上に過酷なことであろう。彼の場合、単なる修辞ではなく、ほんとうに有限実行していたと考えられるからだ。
 「歌詞の世界と殉死してるわけです」という発言は、彼の歌を愛する人々にとって、ある痛ましさの感触なしには、受け止めることができない。しかし、この場面の「殉死」という言葉は、彼が自らの創作の過程を見つめ直したときに、ふっと浮かび上がった吐息のようなものかもしれない。「してるわけです」という言い回しにも、自分を客観的に見ている様子もうかがえる。
 この言葉は、自分が自分に対して発した自己批評のようなものだと考えられる。むしろ、歌を創ることに対する強固な意志と自恃を読みとるべきであろう。志村正彦にとって、歌を創ることは生きることそのものだった。 

 青木氏がこの発言について「日常だったり生活を、アーティストとしてのリアリティのほうに引き寄せているのですね」と問いかけると、志村はそれまでの流れを変える発言をする。

 でも、もちろんその逆もあります。日々思っていることが、そのままナチュラルに曲になる場合というか。

 これまでと逆の過程による創作方法を得たことは、歌の豊穣さにつながっていった。さらに彼は、自分自身と自分の歌の変化について重要な証言をする。

 誰しもロマンチックなことを想う夜もあれば、なんにも考えてない日もあれば、しょうもない日もあるというのが本当のところだと思うので、最近は、それをそのまま歌詞にすればいいんだってことに気づいて、ようやく自由になってきたというか。そこからようやく男としてのだらしのないところも歌詞に書けるようになった。

 この「本当のところ」は、彼が強調した「リアルなもの」とも重なる。つまり、それまで自分自身の孤独なありようやその純粋な想いに限定されていた、彼にとっての「リアルなもの」の対象が、次第に「ロマンチック」「なんにも考えてない」「しょうもない」などと形容される様々な日々の出来事や、「男としてのだらしのないところ」を含む多様な側面にも広がっていった。
 そして、「ようやく自由になってきた」という言葉の、「ようやく」という副詞と「自由」という名詞が、彼の生と彼の歌の歩みの軌跡と時の経過を的確に表している。

 『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』には、残念ながら、取材日が記されてないが、2009年3月の刊行なので、2008年に行われたと推測される。『TEENAGER』がすでにリリースされ、『CHRONICLE』の曲作りをしていた頃なのだろう。確かに、彼の歌は自在さを獲得していった。
 
 志村正彦がようやくたどりついた「自由」、その歩みを振り返りながら、彼の歌を聴くことにも、深い意味合いがあるだろう。

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