2014年が終わろうとする。例年より、公私ともにかなり忙しい日々を送った。「追憶」のようにして、今年をふりかえりたい。
最も力を入れた活動、私的ではあるが語の本来の意味では半ば公的でもある活動は、やはり、7月12,13日開催の「ロックの詩人 志村正彦展」とフォーラムだった。
はるばる甲府まで訪れていただいた皆さまには、この場を借りて、もう一度、深く感謝を申し上げます。
予想をはるかに超えた来場者数に、志村正彦の影響力の凄さをあらためて知ることになった。熱心に丁寧に時間をかけて展示物や資料を見ていた彼の聴き手の「愛」に、同様に一人の聴き手である私もとても心を動かされた。考えさせられたことも多く、私的な立場でこの《偶景web》に書きたいこともあるのだが、《ロックの詩人 志村正彦展web》での報告が完了するまでは待つことにしたい(遅々たる歩みで申し訳ありません)。
私的な活動としては、2年目に入ったこの《偶景web》を持続させることに集中した。「志村正彦ライナーノーツ」から独立させた「詞論」、「偶景」や「映像」という新しいシリーズも始めた。中心にあるのは志村正彦だが、多様なシリーズや観点を設定した方が結果的に、彼に接近できるような気がするからだ。
今年出かけたライブのリストを挙げたい。志村正彦、フジファブリックに対する見方が独りよがりなものにならないように、彼に関わりのある音楽家を主にしてロック音楽の現在の「場」に行くことを自らに課してきた。
1/11 佐々木健太郎 (甲府・ハーパーズミル)
1/12 吉野寿・向井秀徳 (甲府・桜座)
2/ 2 a flood of circle (山梨県昭和町・Hangar Hall)
2/14 メレンゲ (渋谷公会堂)
2/22 直枝政広・おとぎ話 (甲府・桜座)
2/23 大森靖子 (甲府・桜座)
4/ 6 斉藤和義 (甲府・県民文化ホール)
4/13 フジファブリック『live at 富士五湖文化センター上映會』 (富士吉田・ふじさんホール)
5/ 3 藤巻亮太 (甲府・県民文化ホール)
8/24 シーナ&ロケッツ (甲府・桜座)
9/23 HINTO (渋谷CLUB QUATTRO)
10/ 5 THE BOOM (甲府・県民文化ホール)
10/26 アナログフィッシュ・moools (甲府・桜座)
11/28 フジファブリック (日本武道館)
やはり4月13日の「上映會」は欠かせない。志村正彦在籍時のフジファブリックの「ライブ」としても、私は経験したのだから。
平均すると一月に一回以上という私にしてはかなりのハイペース、「ロック好きのおじさん!」と化した一年だった。吉野寿・向井秀徳、直枝政広・おとぎ話、大森靖子、藤巻亮太、シーナ&ロケッツ、mooolsについては「詞論」等で取り上げることはできなかったが、どれも素晴らしいライブだった。いつか機会を設けて書くことにしたい。
こうしてリストを眺めると、甲府にある桜座の存在が大きい。「どうしておなかがすくのかな企画」を始めとする地元の企画者の努力も本当に有り難い。
フジファブリックは特別なので除外するとして、この中で心にいつまでも残響しているのは、HINTOとアナログフィッシュのライブ。HINTO『NERVOUS PARTY』とアナログフィッシュ『最近のぼくら』という新アルバムも繰り返し聴いた。
安部コウセイ『エネミー』、下岡晃『Nightfever』の言葉は、自分自身と時代そのものに誠実に向きあっている。「今」を生きる「ロックの詩人」の代表格だ。
今年最も数多く聴いた歌は、フジファブリック『セレナーデ』。
志村正彦の《声》と《言葉》に救われるようにして、2014年という時を過ごすことができた。
2014年12月31日水曜日
2014年12月23日火曜日
空-フジファブリック武道館LIVE 4[志村正彦LN99]
『卒業』のイントロと共に、武道館の巨大な横長スクリーンに、スミス監督による映像が映し出される。
《声》と《音》、聴くことに集中していた意識が再び見ることへと向かう。断片的な記憶で不確かだが、印象を記す。
強い日差しをあびている大地。流れゆく雲の影が写り込む。光と影に照らされ、律動する丘と山。空撮か、かなり高い所からの撮影か、俯瞰的な視点からの映像は、見る者をおのずから「空」の場に位置づける。
私たちは「空」の位置から大地を眺めている。やがて、薄く茜色に染まる「空と雲」がスクリーンを覆う。今度は、遠く、茜色の「空」を見上げる位置へと視点が移動する。
あの時、この映像は、『卒業』だけでなく、『茜色の夕日』と『若者のすべて』を含めて、連続した三つの曲の背景となっていると思われた。
志村正彦の存在しない「空」。この映像はそのような風景を描いているように感じた。
武道館から帰ってきてから、『茜色の夕日』、『若者のすべて』、『卒業』の三曲を繰り返し聴いた。それぞれの歌の主体、なおかつ、風景を眺める主体でもある人称代名詞は、『茜色の夕日』が「僕」、『若者のすべて』が「僕」および「僕ら」、『卒業』が「ぼくら」である。このような人称代名詞の選択は、歌の世界と深い関連がある。
そして、三つの歌の主体が見る風景の中で最も遠い対象として現れるものは、「茜色の夕日」「東京の空の星」(『茜色の夕日』)、「最後の花火」「同じ空」(『若者のすべて』)、「ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空」(『卒業』)だ。
主体は、「空」を眼差している。
志村正彦の二つの作品にまず焦点をあてよう。「茜色の夕日」と「東京の空の星」、「最後の花火」と「同じ空」。夜の空とそこで光り輝くもの。そのようなモチーフの関連性がある。
『茜色の夕日』では、歌の主体「僕」は次のように歌う。
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
上京した地方出身者の共通の経験を語っている。「見えないと聞かされていたけど」という伝聞とは異なり、「東京の空」でも「星」は「見えないこともないんだな」と気づいたことは、随分昔のことになるが、志村と同じように、山梨から東京へと出て行った私の青年時代にもある。「星」の有無で地方と東京が対比されているが、「見えないこともない」という二重否定は、微妙ではありながらも、地方と東京とのつながりも示している。この相反する関係は、『茜色の夕日』の主要なモチーフ、「僕」と「君」との関係も表している。
「星」の見える「東京の空」は当然、夜の空だ。この夜の空を眺める「僕」は、東京の夜を一人で歩く孤独な若者だ。街を歩き、時に、夜の空を見つめ、佇む。単独者の影が濃い。
『若者のすべて』の最後の一節には、「同じ空」を見上げる「僕ら」が登場する。
最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ
「最後の最後の花火」が美しく輝く空、「僕ら」にとっての「同じ空」はやはり夜の空だ。「僕ら」という一人称複数形が指し示す人物が、どのような存在であり、どのような関係を結んでいるかは、志村正彦の詩がいつもそうであるように、明らかでない。
この前の一節で「僕はそっと歩き出して」とあるように、単独者の「僕」が根底にあるにしても、ここで、複数形の「僕ら」が登場したことには、志村の作品にある重要な変化が起きていると読みとれ、ある種の感慨を覚える。(このあたりの考察は一連の『若者のすべて』論を参照していただきたい)
武道館では、志村正彦の音源の《声》が志村作の『茜色の夕日』を歌い、山内総一郎の《声》が志村作の『若者のすべて』を歌った。続いて、山内総一郎が自ら自作の『卒業』を歌った。《声》の主体と歌の作者の組合せが、順に変化していった。
『卒業』は次のように歌い出される。第1節と2節を引用する。
扉風ふわり立つ ぼくらの体を包み込む
沢山の思い出はこっそり鞄に詰め込んだから
ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空は薄化粧
それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう
『卒業』の歌の主体「ぼくら」は、山内、金澤、加藤の三者を指し示していると、私は解釈する。山内の歌詞の特徴として、作者と歌の主体との間の距離が近いことが指摘できる。
作者山内は、自分自身と金澤、加藤を加えた現在のフジファブリックの三人を「ぼくら」という主体に設定して、ある風景の中に佇ませている。
「ぼくら」は「沢山の思い出」を「こっそり鞄に詰め込んだから」、再び歩み始めることができる。この「鞄」という言葉は、志村の『花』の一節「かばんの中は無限に広がって/何処にでも行ける そんな気がしていた」への応答とも捉えられる。「無限」に広がる「かばん」と「思い出」を詰めこむ「鞄」。この対比には、後戻りのできない時間が流れている。
続く、「ゆらゆらゆらり」には、志村の『陽炎』の「残像」が重ねられているかもしれない。「滲んで見えてる」「薄化粧」の「空」の下で、「それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう」と自らに語りかけながら、「ぼくら」は歩き始める。『若者のすべて』の「そっと歩き出して」、《歩行》のモチーフがこだましているようでもある。
「いつかまた会えるだろう」という帰結に対しては「それぞれ道を歩けば」という仮定しか述べられていないが、その「いつかまた会える」相手は、作者の意識としても無意識としても、志村正彦その人だと解釈できるのではないだろうか。
さなぎには触れるなよ もうすぐ羽ばたく時が来て
殻の中もがいてる心を大きく解き放つでしょう
この第3節からは、歌の主体というより、作者自身の声が響いてくるように聞こえる。
「さなぎ」は「ぼくら」の象徴でもあり、「殻」の中でもがいている。「触れるなよ」と接触を禁じているのは、もうすぐ「羽ばたく時」、《卒業》の時が来るからだろう。「心を大きく解き放つ」時が訪れる。そのことを「ぼくら」は必要としている。
美しく沈鬱でもあるメロディ、それに呼応する歌詞。その反面、歌の主体「ぼくら」の意志は強固でもある。山内総一郎の言葉には、志村の詩には見られない、ある種の《烈しさ》がある。《苦さ》を伴う《烈しさ》とでも言うべきだろうか。バンドのフロントマンとして背負わなければならない《烈しさ》のようなもの、《覚悟》と共に進む《意志》のようなものが、『卒業』の底に流れている。
第4と5節はある情景を描いている。
静かな丘に登れば 出て来た街を見渡そう
暗い夜道に迷えば 思い出し灯火燃やそう
春の中ぽつり降る ぼくらの足跡消して行く
悲しみは 悲しみはこのまま雨と流れて行けよ
「静かな丘」「出て来た街」「暗い夜道」「灯火」「春の中」「雨」。これらの情景、イメージ群には、志村の故郷富士吉田の風景と志村の詩的世界が反映されているように感じる。
しかし、その「春」の季節の中で、「雨」が「ぼくらの足跡」を「消して行く」。「悲しみ」は「このまま雨と流れて行けよ」という言葉の表すものは、「悲しみ」の痕跡の消去だろうか、「悲しみ」の封印だろうか。あるいは、「雨」と流れていく「悲しみ」が「心を大きく解き放つ」のだろうか。
その解釈は聴き手にゆだねられている。
『卒業』はアルバム『LIFE』の15曲目、最後の曲であり、この歌を逆回転させて作られたのが1曲目『リバース』だと言われている。『リバース』は文字通り《再生》を意味する。アルバム全体が『リバース』から『卒業』へ、『卒業』から『リバース』へという循環構造を持つ。
『卒業』の歌詞は五節、十行の短い言葉から成る。この歌詞そのものも、第3節を中心軸にして、第4,5節は、そのまま第1,2節に戻っていく循環の構成になっていると読むこともできる。
「春」の「雨」の中、流れていく「悲しみ」は、「ゆらゆらゆらり滲んで見えてる」「薄化粧」の「空」に還っていく。その「空」の場所から、地に降り立ち、「ぼくら」は「道」を歩き始める。
武道館の「空」の映像は、フジファブリックの新たな旅立ちを映し出していたのかもしれない。
(この項続く)
2014年12月16日火曜日
三つの歌-フジファブリック武道館LIVE 3 [志村正彦LN98]
武道館での『茜色の夕日』のフジファブリック・アンサンブル。
志村正彦の《声》音源と、山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケ、そして名越由貴夫、Bobo堀川裕之の生演奏による合奏は、希有な出来事だった。
フジファブリックのメンバーもスタッフも、志村正彦への最大限の敬意と想いを込めて、この日の『茜色の夕日』を準備したのだろう。志村が急逝してから五年が経ち、これまでできなかった、ライブという場での追悼が成し遂げられた。そのことに強く心を動かされた。何千人もの心を込めた拍手が鳴りやまなかったことも、あの場の皆の想いを物語っていた。
志村の《声》の余韻が強く漂う中で、次に演奏されたのは『若者のすべて』だった。金澤がピアノ音のイントロを奏で、山内が静かに歌い出す。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。志村には多彩な名曲がたくさんあり、代表曲を選ぶのはなかなか難しいが、彼の生という観点からは、この二つが代表曲だと言いきってよいだろう。彼自身もそう考えていたはずだ。
表現のモチーフからもそう言える。『茜色の夕日』の二度繰り返される「できないな できないな」の「ない」は、そのまま、『若者のすべて』の三度繰り返される「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっている。「できない」「ない」「いない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。彼の詩の軌跡は、「ない」を巡る《歩み》として捉えられる。
東京上京後まもなく、十八歳の時に作られた『茜色の夕日』は、志村の旅の出発点であった。二七歳の時に発表された『若者のすべて』は、自らの旅の方向を新たに見定めた大きな到達点だった。フジファブリックというバンドにとっても、とても重要な地平を切り開くものとなった。旅はその後も続くはずだったが、彼に残された時間は限りあるものだった。
『茜色の夕日』という志村の原点は、フジファブリックというバンドの原点でもあり、志村の《声》で演奏される必然性があった。『若者のすべて』は今日、バンドとしてのフジファブリックの代表曲であり、それ以上に、いわゆるゼロ年代の日本語ロックの最も優れた作品だという評価も確立している。すでにこの曲は、藤井フミヤ、櫻井和寿、槇原敬之などの著名な歌手によって歌われている。10周年を記念するライブで、現在のボーカル山内総一郎が歌うという選択は、一つの自然な流れから来るものだろう。
今、あの場面をふりかえると、そのような意味合いが了解できる。しかし、あの時には、『茜色の夕日』の志村の《声》で想いがあふれていて、『若者のすべて』の山内の《声》を充分に聴き取ることはできなかった。曲が終わり、『卒業』のイントロが始まると共に、映像がスクリーンに上映されると、ようやく舞台へと視線が戻っていった。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』に続く歌が、山内が創った『卒業』であることには、ある感慨を覚えた。この歌は新アルバム『LIFE』の中でも最も重要な作品だからだ。
『卒業』は、志村正彦の不在の風景と、現在の山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケの三人の心の風景を表現しているように、私には感じられた。スミス監督によるスクリーン映像もまた、そのような風景を描いているようだった。
『茜色の夕日』、『若者のすべて』、『卒業』。この三曲の配列を中心に置いて、このライブが構成されたことは間違いない。10年という時の歩みが、この三つの歌に集約されている。
武道館ライブから半月以上が経つ。この間、この三つの歌を聴き直し、言葉を読み直してみた。
志村正彦作詞作曲の『茜色の夕日』『若者のすべて』、山内総一郎作詞作曲の『卒業』。
各々の歌の主体は、「僕」(『茜色の夕日』)、「僕」および「僕ら」(『若者のすべて』)、「ぼくら」(『卒業』)と異なっている。
この三つの作品をこの順に通して聴いていくと、どのような光景が広がるのだろうか。
(この項続く)
志村正彦の《声》音源と、山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケ、そして名越由貴夫、Bobo堀川裕之の生演奏による合奏は、希有な出来事だった。
フジファブリックのメンバーもスタッフも、志村正彦への最大限の敬意と想いを込めて、この日の『茜色の夕日』を準備したのだろう。志村が急逝してから五年が経ち、これまでできなかった、ライブという場での追悼が成し遂げられた。そのことに強く心を動かされた。何千人もの心を込めた拍手が鳴りやまなかったことも、あの場の皆の想いを物語っていた。
志村の《声》の余韻が強く漂う中で、次に演奏されたのは『若者のすべて』だった。金澤がピアノ音のイントロを奏で、山内が静かに歌い出す。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。志村には多彩な名曲がたくさんあり、代表曲を選ぶのはなかなか難しいが、彼の生という観点からは、この二つが代表曲だと言いきってよいだろう。彼自身もそう考えていたはずだ。
表現のモチーフからもそう言える。『茜色の夕日』の二度繰り返される「できないな できないな」の「ない」は、そのまま、『若者のすべて』の三度繰り返される「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっている。「できない」「ない」「いない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。彼の詩の軌跡は、「ない」を巡る《歩み》として捉えられる。
東京上京後まもなく、十八歳の時に作られた『茜色の夕日』は、志村の旅の出発点であった。二七歳の時に発表された『若者のすべて』は、自らの旅の方向を新たに見定めた大きな到達点だった。フジファブリックというバンドにとっても、とても重要な地平を切り開くものとなった。旅はその後も続くはずだったが、彼に残された時間は限りあるものだった。
『茜色の夕日』という志村の原点は、フジファブリックというバンドの原点でもあり、志村の《声》で演奏される必然性があった。『若者のすべて』は今日、バンドとしてのフジファブリックの代表曲であり、それ以上に、いわゆるゼロ年代の日本語ロックの最も優れた作品だという評価も確立している。すでにこの曲は、藤井フミヤ、櫻井和寿、槇原敬之などの著名な歌手によって歌われている。10周年を記念するライブで、現在のボーカル山内総一郎が歌うという選択は、一つの自然な流れから来るものだろう。
今、あの場面をふりかえると、そのような意味合いが了解できる。しかし、あの時には、『茜色の夕日』の志村の《声》で想いがあふれていて、『若者のすべて』の山内の《声》を充分に聴き取ることはできなかった。曲が終わり、『卒業』のイントロが始まると共に、映像がスクリーンに上映されると、ようやく舞台へと視線が戻っていった。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』に続く歌が、山内が創った『卒業』であることには、ある感慨を覚えた。この歌は新アルバム『LIFE』の中でも最も重要な作品だからだ。
『卒業』は、志村正彦の不在の風景と、現在の山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケの三人の心の風景を表現しているように、私には感じられた。スミス監督によるスクリーン映像もまた、そのような風景を描いているようだった。
『茜色の夕日』、『若者のすべて』、『卒業』。この三曲の配列を中心に置いて、このライブが構成されたことは間違いない。10年という時の歩みが、この三つの歌に集約されている。
武道館ライブから半月以上が経つ。この間、この三つの歌を聴き直し、言葉を読み直してみた。
志村正彦作詞作曲の『茜色の夕日』『若者のすべて』、山内総一郎作詞作曲の『卒業』。
各々の歌の主体は、「僕」(『茜色の夕日』)、「僕」および「僕ら」(『若者のすべて』)、「ぼくら」(『卒業』)と異なっている。
この三つの作品をこの順に通して聴いていくと、どのような光景が広がるのだろうか。
(この項続く)
2014年12月9日火曜日
「ない」という《声》-フジファブリック武道館LIVE 2 [志村正彦LN97]
志村正彦は《声》そのものになった。2014年11月28日、フジファブリックの武道館LIVEで聴いた『茜色の夕日』はそのことを告げていた。引き続き、その経験をここに記したい。
『茜色の夕日』の《声》が聞こえてくる。《声》が心と身体を覆う。CD音源で聴いている彼の《声》よりも、なにか生々しく、なぜか懐かしく、響く。《声》はPAによって武道館の巨大な空間へ広がっていったのだが、視線を舞台に向けると、その《声》の中心は不在だ。
いつもは、その《声》から『茜色の夕日』で歌われている《物語》を紡ぎ出していくのだが、あの日は違った。聴き手としての感情が極まっていたせいか、《声》が伝える《言葉》が切れ切れにしかつかめない。
しばらくすると《声》に少し遅れるようにして、《言葉》が《言葉》として現れるようになり、《意味》が区切られるようになった。しかし、そこから《物語》をなかなか築くことができない。
その代わり、「少し思い出すものがありました」「どうしようもない悲しいこと」「大粒の涙が溢れてきたんだ」「忘れることはできないな」というような歌詞の一節が、こちらに迫ってくる。
「悲しいこと」「大粒の涙」、言葉の断片が、『茜色の夕日』の本来の《物語》から離れて、聴き手が今ここで『茜色の夕日』を聴いているという現実につながってくる。
作者志村正彦がこの歌に込めた《物語》、その背景や文脈を超えて、《声》が聴き手自身に直接伝わってくる。聴き手一人ひとりの異なる現実に置かれ、異なる意味を帯びるかのようだった。
例えば、聴き手自身が、歌の主体「僕」から呼びかけられる「君」となる。聴き手の目から「大粒の涙」が溢れてくる。あるいは、聴き手が歌の主体「僕」となり、「君」を「忘れることはできないな」と心の中で呟く。聴き手自身が「僕」となる。あるいは「君」となる。
そのような聴き手の《物語》があの武道館の会場で、沈黙のままに、語られたのではないだろうか。
あの日の『茜色の夕日』は、メビウスの帯のように、作者の世界と聴き手の世界という二つの世界が折り重なってしまうように響いていた。
僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった
我に返ると、この「僕」の言葉が痛切に迫ってきた。「できないな できないな」「できないな できないな」というように、志村正彦の歌にはいつもどこかに、この「ない」という《声》が貫かれている。
その《声》が彼の歌の根源に在り続けている。
(この項続く)
『茜色の夕日』の《声》が聞こえてくる。《声》が心と身体を覆う。CD音源で聴いている彼の《声》よりも、なにか生々しく、なぜか懐かしく、響く。《声》はPAによって武道館の巨大な空間へ広がっていったのだが、視線を舞台に向けると、その《声》の中心は不在だ。
いつもは、その《声》から『茜色の夕日』で歌われている《物語》を紡ぎ出していくのだが、あの日は違った。聴き手としての感情が極まっていたせいか、《声》が伝える《言葉》が切れ切れにしかつかめない。
しばらくすると《声》に少し遅れるようにして、《言葉》が《言葉》として現れるようになり、《意味》が区切られるようになった。しかし、そこから《物語》をなかなか築くことができない。
その代わり、「少し思い出すものがありました」「どうしようもない悲しいこと」「大粒の涙が溢れてきたんだ」「忘れることはできないな」というような歌詞の一節が、こちらに迫ってくる。
「悲しいこと」「大粒の涙」、言葉の断片が、『茜色の夕日』の本来の《物語》から離れて、聴き手が今ここで『茜色の夕日』を聴いているという現実につながってくる。
作者志村正彦がこの歌に込めた《物語》、その背景や文脈を超えて、《声》が聴き手自身に直接伝わってくる。聴き手一人ひとりの異なる現実に置かれ、異なる意味を帯びるかのようだった。
例えば、聴き手自身が、歌の主体「僕」から呼びかけられる「君」となる。聴き手の目から「大粒の涙」が溢れてくる。あるいは、聴き手が歌の主体「僕」となり、「君」を「忘れることはできないな」と心の中で呟く。聴き手自身が「僕」となる。あるいは「君」となる。
そのような聴き手の《物語》があの武道館の会場で、沈黙のままに、語られたのではないだろうか。
あの日の『茜色の夕日』は、メビウスの帯のように、作者の世界と聴き手の世界という二つの世界が折り重なってしまうように響いていた。
僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった
我に返ると、この「僕」の言葉が痛切に迫ってきた。「できないな できないな」「できないな できないな」というように、志村正彦の歌にはいつもどこかに、この「ない」という《声》が貫かれている。
その《声》が彼の歌の根源に在り続けている。
(この項続く)
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