九月に入り、長雨というか大雨が続く。被害も甚大だ。これから天候がどうなっていくのか。そんな不安が日常のものとなる。
八月はもう去ってしまったが、演劇や合唱の公演を四つ見ることができた。今日はそのことを振り返りたい。
8月8日、甲府の朝日町ベース。劇団ナマクラの第2回公演『パーマメント』。
主宰者の仙河典(せんがつかさ)さんは山梨英和大学の私のゼミ生。演劇の脚本を卒業制作にする予定だ。今回の脚本についても事前に助言を求められたので、テーマやモチーフの展開や統一性についていくつかアドバイスをした。
『パーマメント』には悩める女性「ハジメ」、契約社員の天使「モモセ」、二人が住むアパートの大家、アラフォー世代の「レイ」の3人の女性が登場する。「愛」をめぐるテーマに真っ向から向き合った劇である。
当日は二回公演。あいにく雨模様だったが、会場のある朝日町通りを歩いて夕方の部に行った。この通りは甲府の中心街から少し離れたところにあり、周囲にも路地裏の感じがある。THE BOOMの「星のラブレター」で「朝日通りは夕飯時」と歌われた場所でもある。僕は小学生の頃までこの近くで暮らしていたので思い出がたくさんある通りだ。
会場はコンパクトなレンタルスペース。二十数人いた観客と役者との距離が近い。脚本完成から公演までの時間が短くて準備が大変だったようだが、その割には仙河さんの脚本を三人の役者が的確に演じていた。観客も次第に劇の世界に引き込まれていった。演技の動きや身体の振りをもっと工夫し、脚本の完成度をさらに高めれば、今日の愛についての深い問いを投げかける作品になるだろう。
8月20日、新宿の紀伊國屋ホール。第三舞台2026の『パレイドリア』。
鴻上尚史の主宰する第三舞台が2012年の解散から15年を経て、2026年に再集結したメンバーによるユニット公演。僕は解散公演の『深呼吸する惑星』を見ていたのでそれ以来の第三舞台だった。
鴻上が早稲田の学生の時、第三舞台を結成したのは有名な話だ。その当時僕も早稲田に通っていた。いくつも劇団があり、文学部のスロープに立て看板がいつも並んでいた。大隈講堂の裏のテントで芝居を見たこともある。暗いテントの中で役者が全速で走り回っていた記憶だけがある(第三舞台でなかったことだけは確かだが)。
『パレイドリア』は、大学の児童ボランティアサークルで子ども向けの芝居を準備していたが、ある出来事が起こり、公演が中止となった。それから42年後。認知症になった「乾(大高洋夫)」が再結集を呼びかけ、かつての仲間たち(小須田康人、長野里美、山下裕子、筒井真理子[映像])が再び集まる。皆、六十代だ。観客も同世代か少し下の世代が多かったが、若者もけっこういた。
学生時代から現在までの四十数年の時間。現実の第三舞台と虚構の児童ボランティアサークルというメタ的な構造。このような時間と構造を通して、学生時代の出来事に焦点が当てられ、劇の主題が明らかにされてゆく。ラストシーンが秀逸だった。思わず落涙。これまで見た演劇の中で最も感動した場面だと言える。時間、構造、主題が絡み合って、僕自身の学生時代から今日までの軌跡をいろいろと想い出していた。鴻上尚史という同世代の優れた表現者がいることは心強い。
8月22日、甲府のYCC県民文化ホール小ホール。第64回早稲田大学合唱団サマーコンサートin甲府。
早稲田の合唱団は最初に校歌を歌った。「都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍は われらが母校」。一番は斉唱風に二番は合唱風にとアレンジが工夫され、学生たちの声が会場に美しく広がっていった。この校歌を聴くと学生の頃にタイムスリップする。日本文学専攻の宴会の最後では必ず、学生と教授が肩を組んで歌った。
近現代詩をモチーフにした合唱曲、「愛は勝つ」などのJポップの名曲が歌われた後、山梨とのコラボステージ「よっちゃばれ!みんなで彩るハーモニー」で、地元のシャンソン歌手小倉浩二氏、山梨の和太鼓団体、山梨英和大学演劇部の寸劇が行われた。僕のゼミ学生がこの寸劇の脚本・演出を手がけ、自ら出演もした。武田信玄の合戦をめぐって平和を考えるというモチーフだった。
この後、早稲田大学合唱団とコラボステージの出演者が舞台に上がって歌い始めた。志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」だった。百人近い人々が声を合わせて「ないかな ないよな きっとね いないよな」と歌っていく。早稲田の合唱団は直前合宿でしっかりと練習してきたようでハーモニーがとても綺麗だった。僕の胸がいっぱいになったことは言うまでもない。
公演終了後、学生に「若者のすべて」を選んだ理由を尋ねると山梨出身のフジファブリックの歌だったからと答えてくれた。それでも、THE BOOMもレミオロメンもマカロニえんぴつもいるなかでなぜこの歌だったのかとも思ったのだが、数日後その答えが分かった。寸劇を担当したゼミ学生にこの話題を向けたところ、三ヶ月ほど前の打ち合わせの際に早稲田の学生からコラボステージで山梨ゆかりの曲のどれがおすすめかと聞かれたときに、彼が「若者のすべて」を推薦したそうである。このゼミ生に感謝した(なんと先生思いの学生だろう!)。
8月23日、甲州市の市民文化会館。劇作家の水木亮さんが脚本と演出を手がけた演劇「別れの日」。80代、90代を含む17人のアマチュアからなるユニットだった。
物語は、東京大空襲で家族を失い、甲府の親類に引き取られた主人公テルが遊郭で身を売りながらシベリアに抑留された兄の帰りを待つ姿を中心に、戦後復興期の山梨の女性たちを描いていた。
戦後、水木さん自身が朝鮮半島から引き上げて日本に帰国した。その際に弟を亡くしている。この過酷な経験が創作の原点となっている。水木さんは、現在の政治が戦前に戻りつつあり、ささやかではあるがあらがいたいと考えたそうである。
会場には260人ほどが集まり、1時間20分ほどの劇を熱心に見ていた。高齢者が多かったが、家族連れもいた。子どもたちには難しかったかもしれないが、何かは伝わったことだろう。
水木さんは早稲田の文学部で日本文学、大学院で演劇を専攻し、民俗芸能を研究していた。山梨の高校教師となり、長い間、高校演劇の指導に携わった。自ら劇団も作り、脚本や小説も執筆し、著書も多い。八十歳を超えた現在でも山梨の演劇の中心人物として活躍している。
八月はたまたま、鴻上尚史の第三舞台2026、早稲田大学合唱団、水木亮のユニットと、早稲田大学の出身者や在学生の演劇や合唱を鑑賞することができた。山梨英和大学の僕のゼミ生の演劇も見ることができた。
四十数年前、追憶の中の学生たち。今、教員として接する学生たち。時代は変わるが、学生の本質は変わらない。
表現の衝動。創作の熱意。孤独と連帯。若者のすべてがそこにある。
