11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)
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2013年8月31日土曜日
志村正彦の夏 (志村正彦LN 47)
志村正彦にとって、夏は特別な季節である。夏を舞台としない歌の中でも、時に触れられることがある。
短い夏が終わったのに 今 子供のころのさびしさが無い (『茜色の夕日』)
冷夏が続いたせいか今年は なんだか時が進むのが早い (『赤黄色の金木犀』)
真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた (『若者のすべて』)
「短い夏」「冷夏」そして「真夏のピーク」。夏はいつものように過ぎ去るが、彼は佇立し続ける。彼はたたずみ、季節を言葉と音に織り込んでいく。
夏の記憶の織物は、フジファブリックの作品となって、ここ十年の間、私たちに贈られてきた。なかでも『陽炎』は志村にしか表現しえない世界を確立した歌である。
あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ (『陽炎』)
夏は、想いの季節である。夏そのものが私たちに何かを想起させる。「街並」「路地裏」という場。「英雄」、幼少時代の光景。楽しかったり、寂しかったりした記憶が「次から次へ」と浮かんでくる。
夏は、ざわめきの季節でもある。人も、物も、風景も、時もざわめく。「陽」が「照りつけ」ると共に、何かが動き出す。そのとき、「陽炎」が揺れる。
窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる (同)
『陽炎』はここで転調し、詩人の現在に焦点があてられる。
きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう
またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が胸を締めつける (同)
今では「無くなったもの」とは何か。特定の他者なのか。風景なのか。十代や青春という時間なのか。あるいは、過去の詩人そのものなのか。そのすべてであり、すべてでないような、つねにすでに失われている何かが「無くなったもの」ではないのか、などと囁いてみたくなる。
喪失という主題は青春の詩によく現れるが、大半は、失ったものへの想いというより、失ったものを悲しむ自分への想いに重心が置かれる。凡庸な詩人の場合、喪失感は自己愛的な憐憫に収束するが、志村の場合は異なる。
彼の詩には、そのような自己憐憫とは切り離された、失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動がある。そして、喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように、喪失を詩に刻んでいった。それは彼の強固な意志と自恃に支えられていたが、「胸を締めつける」ような過酷な歩みでもあった。
四十年を超える日本語のロックの歴史の中で、志村正彦は絶対的に孤独である。その孤独ゆえに、今、私たち一人ひとりとつながり続ける、永遠の作品として屹立している。
付記
8月31日。この日を迎えるといつもなら、暦の上ではいち早く終止符が打たれ、夏が去る時節になろうが、今年の甲府盆地はこれまで経験したことのない酷暑が続き、今日も、「真夏のピーク」が過ぎ去るような気配はない。
今回は、『志村正彦の夏』を掲載させていただく。この文は、2011年12月の「志村正彦展 路地裏の僕たち」で展示させていただいた。その後、杉山麻衣さんの「Fujifabric International Fan Site」で紹介していただいたので、[ http://fujifabinbkk.blogspot.jp/2012/01/blog-post_27.html ]ネット上では既出だが、私が初めて志村正彦について書いた「原点」のテキストなので、いつか《偶景web》にも載せたいと考えていた。末尾の2行は、「夏」という主題から離れてしまっているのが気がかりだが、修正せずにそのままにさせていただく。
今年の夏を振り返りたい。富士吉田市の「広報ふじよしだ7月号」(富士山世界遺産登録を祝す号)に、「若手職員プロジェクト・志村正彦」「夢中で駆け抜けた路地裏で思い出を紡ぐ 路地裏の僕たち」の二つの記事が掲載されたこと。7月10日から14日までの、富士吉田市夕方6時の『茜色の夕日』チャイム。13日と14日の「志村正彦を歌う会」、ご家族からのメッセージ、『茜色の夕日』の歌とトークの再生。15日、『山梨日日新聞』の『宝物の思い出を歌に』(「白球の夢半世紀 山日YBS杯県少年野球」)』。15日夜、フジテレビのドラマ『SUMMER NUDE 』で『若者のすべて』が物語の鍵となる曲として使われたこと。16日、『山梨日日新聞』第1面のコラム「風林火山」。23日、NHK甲府の「まるごと山梨」の「がんばる甲州人」で「ロックミュージシャン志村正彦さん」が特集されたこと。「一期一会」という大切な言葉の披露。25日から27日までの『若者のすべて』チャイム。8月1日、「がんばる甲州人」を元にする番組がNHK総合「情報まるごと」で全国に放送されたこと。22日 、高校野球決勝の中継で「夏 輝いた君たち」と題するダイジェスト映像のBGMに『若者すべて』が流され、映像と見事にシンクロナイズしていたこと。
2013年の夏は「志村正彦の夏」だった。
私たちにとって、この7月8月の様々な出来事は「何年経っても思い出してしまう」ことになるだろう。
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志村正彦ライナーノーツ(LN)
2013年8月26日月曜日
メレンゲ『Ladybird』 (志村正彦LN 46)
前回「クレーター」について書いた後、PCやオーディオセットで何度も聴いたが、大音量の方が曲の本質が伝わる曲だ。「すべて欲しがって そこに星があって」の「ホシガ ッテ」「ホシガアッテ」の微妙なずれを含む音韻の反復、「すべて」「そこに」の照応など、クボケンジは巧みに美しく言葉を操っている。宇宙への欲望とでも言うことになるだろうが、アニメ『宇宙兄弟』のオープニングテーマという条件の下で、依頼されたテーマと自分自身のモチーフをなめらかに融合できるところに、音楽家としての確実な成長が見られる。
21日深夜、テレビ東京『ロック兄弟』のインタビューでは、「メレンゲっていうものの考え方は、自分、僕自身のストーリーなんだろうなあとも思っているんで」「いつも課題にしているのは、やっぱり前作った曲より良い曲をというのがいつも自分の中では課せられるし」と述べていた。そして、「宇宙」という言葉は以前の曲にもけっこう多く、「遠くにあるものが好き」だと語っていた。クボは「もっと遠くまで」(『ビスケット』)たどりつこうとすると同時に、無限の遠方、彼方から自分を見つめ直すストーリーを追いかけているようだ。
シングルの2曲目『Ladybird』は複雑な歌詞を持つ。
明け方の道
散らかってるゴミ
どうせ誰かが片付けるのだろう
この3行からなる節を前後の枠にした上で、その枠組の内部に、ある恋愛の終わりの物語を配置している。クボがtwitterで「僕の渾身の情けない大人のラブソングです。。。不倫を助長しているわけではないのですが。。。」と呟いたことが、解釈の方向を与えている。枠内にある物語は、短編小説の場面を抜粋したように描かれていて、聴き手は断片的な像しかつかめないが、逆に、断片を自分でつなぎあわせて物語を作っていくことができる、とも考えられる。
それにしても前後の枠の部分が耳にこびりつく。早朝、路上に散乱しているゴミを見た時の経験を思い返してみる。そのゴミの方から見つめられているような、何だか居たたまれないような、罪深いような想いに捉えられたことがある。そのゴミは自分とは無関係なのだが、関係がないとは言えないような、むしろ関係があるかのような、不思議な痛みと自己嫌悪のような感覚と共に。
『Ladybird』の歌の主体「僕」も、「明け方の道 散らかってるゴミ」を見つめているのだが、逆に、そこに散乱している「廃棄されたもの」の側から見つめ直されているように感じたのではないだろうか。そのような眼差しの逆転から、「僕」の眼前にはどのような光景が広がっているのか。都市の早朝。捨てられた恋、失われた愛、廃棄された欲望。それらもやがて他者の手によって片付けられ、回収される。そのようにして、他者から他者へとゆだねられる。恋愛も欲望も循環する。独りよがりの解釈だろうが、そんな光景が浮かんできた。
もうこれ以上先はすすめない すべてに意味を持ってしまう
終わりを告げる夜明け 黒いセダン 黒いセダン
「すべてに意味を持ってしまう」、これはクボケンジの詩の世界と方法の鍵となるような言葉だ。
歌い手も聴き手も、「すべてに意味を持ってしまう」振る舞いから逃れられない、というか、それを求めてしまう。私たちもクボの歌に「志村正彦」という意味を見いだしてしまう。もちろん、どのような意味を見いだしたとしても、その見いだし方は聴き手の個々の自由だ。「志村正彦」という意味を見いだしても見いださなくても、そのような自由をクボケンジの歌は織り込んでいる。そうであるならむしろ、クボと志村正彦との対話は深まっていると言える。
時は「終わりを告げる夜明け」から「明け方の道」へと流れ、「黒いセダン」(この言葉は最も謎めいている)と共に、「君」は「君の帰り待ってる僕の知らない所」へと帰っていく。断片的であるゆえに妙に喚起的である物語が終わる。
最後に、2つの新曲、DVDの3曲のライブを通じて、メンバーのタケシタツヨシ、ヤマザキタケシ、サポートの大村達身、皆川真人による演奏の調和と抑制がとれた美しさに感嘆したことを付言したい。「歌」を大切にした上で、この水準のバンドアンサンブルを維持できるバンドはなかなか無いだろう。『バンドワゴン』のフィナーレは、あの『ビスケット』のイントロに続いていた。あの素晴らしいリズムを聴くと、メレンゲ『星めぐりの夜 in 日比谷野外音楽堂』完全版DVDへの欲望が高まる。リリースを切に願う。
21日深夜、テレビ東京『ロック兄弟』のインタビューでは、「メレンゲっていうものの考え方は、自分、僕自身のストーリーなんだろうなあとも思っているんで」「いつも課題にしているのは、やっぱり前作った曲より良い曲をというのがいつも自分の中では課せられるし」と述べていた。そして、「宇宙」という言葉は以前の曲にもけっこう多く、「遠くにあるものが好き」だと語っていた。クボは「もっと遠くまで」(『ビスケット』)たどりつこうとすると同時に、無限の遠方、彼方から自分を見つめ直すストーリーを追いかけているようだ。
シングルの2曲目『Ladybird』は複雑な歌詞を持つ。
明け方の道
散らかってるゴミ
どうせ誰かが片付けるのだろう
この3行からなる節を前後の枠にした上で、その枠組の内部に、ある恋愛の終わりの物語を配置している。クボがtwitterで「僕の渾身の情けない大人のラブソングです。。。不倫を助長しているわけではないのですが。。。」と呟いたことが、解釈の方向を与えている。枠内にある物語は、短編小説の場面を抜粋したように描かれていて、聴き手は断片的な像しかつかめないが、逆に、断片を自分でつなぎあわせて物語を作っていくことができる、とも考えられる。
それにしても前後の枠の部分が耳にこびりつく。早朝、路上に散乱しているゴミを見た時の経験を思い返してみる。そのゴミの方から見つめられているような、何だか居たたまれないような、罪深いような想いに捉えられたことがある。そのゴミは自分とは無関係なのだが、関係がないとは言えないような、むしろ関係があるかのような、不思議な痛みと自己嫌悪のような感覚と共に。
『Ladybird』の歌の主体「僕」も、「明け方の道 散らかってるゴミ」を見つめているのだが、逆に、そこに散乱している「廃棄されたもの」の側から見つめ直されているように感じたのではないだろうか。そのような眼差しの逆転から、「僕」の眼前にはどのような光景が広がっているのか。都市の早朝。捨てられた恋、失われた愛、廃棄された欲望。それらもやがて他者の手によって片付けられ、回収される。そのようにして、他者から他者へとゆだねられる。恋愛も欲望も循環する。独りよがりの解釈だろうが、そんな光景が浮かんできた。
もうこれ以上先はすすめない すべてに意味を持ってしまう
終わりを告げる夜明け 黒いセダン 黒いセダン
「すべてに意味を持ってしまう」、これはクボケンジの詩の世界と方法の鍵となるような言葉だ。
歌い手も聴き手も、「すべてに意味を持ってしまう」振る舞いから逃れられない、というか、それを求めてしまう。私たちもクボの歌に「志村正彦」という意味を見いだしてしまう。もちろん、どのような意味を見いだしたとしても、その見いだし方は聴き手の個々の自由だ。「志村正彦」という意味を見いだしても見いださなくても、そのような自由をクボケンジの歌は織り込んでいる。そうであるならむしろ、クボと志村正彦との対話は深まっていると言える。
時は「終わりを告げる夜明け」から「明け方の道」へと流れ、「黒いセダン」(この言葉は最も謎めいている)と共に、「君」は「君の帰り待ってる僕の知らない所」へと帰っていく。断片的であるゆえに妙に喚起的である物語が終わる。
最後に、2つの新曲、DVDの3曲のライブを通じて、メンバーのタケシタツヨシ、ヤマザキタケシ、サポートの大村達身、皆川真人による演奏の調和と抑制がとれた美しさに感嘆したことを付言したい。「歌」を大切にした上で、この水準のバンドアンサンブルを維持できるバンドはなかなか無いだろう。『バンドワゴン』のフィナーレは、あの『ビスケット』のイントロに続いていた。あの素晴らしいリズムを聴くと、メレンゲ『星めぐりの夜 in 日比谷野外音楽堂』完全版DVDへの欲望が高まる。リリースを切に願う。
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2013年8月21日水曜日
メレンゲ『クレーター』 (志村正彦LN 45)
昨夜、夜10時過ぎに車で帰宅途中のことだった。たまたまFM-FUJIをつけていたのだが、突然、「メレンゲ」という言葉が聞こえてきた。3人がシングルCD『クレーター』のプロモーションで番組に出演していたのだ(FM-FUJIの本社は甲府にあるのだが、この収録は東京で行われたようだ)。トークと『クレーター』と『Ladybird』の2曲を聴くことができたが、車中だったので、曲の雰囲気を味わうことが精一杯だった。そうして、明日21日が『クレーター』の発売日だったことに気づいた。早速、AMAZONのお急ぎ便で、日比谷野音ライヴのDVD付の初回生産限定盤『クレーター』を注文した。今夜この作品を聴き、考えるところがあったので、今回はそれを書いてみたい。
メレンゲ、クボケンジの作詞作曲の歌、言葉の何処かに、「志村正彦」の痕跡を求めてしまう、ということが志村正彦のファンの自然な所作になっているのかもしれない。私もそのような一人である。しかし、そのようなあり方は聴き手の身勝手な欲望のような気がしないでもない。抑制しなくてはという気持ちもある。クボケンジがいつもそのような聴き手の欲望に晒されていることは、一つの束縛になってしまうかもしれないからだ。
そのようなことを考えながら、CDとDVDがパッケージされた『クレーター』を開けると、歌詞カードのクレジットの「special thanks to 」の第1行目に、「Masahiko Shimura, Akito Katayose」とあった。クボケンジと志村正彦そして片寄明人、この3人の絆、トライアングルは強固だということを今回も確認することができた。先ほど書いた聴き手の欲望の問題など、クボケンジは「強がりと本音」(歌詞の一節にある言葉)で軽々と克服して、もっと遠い空間にまでたどりついているのかもしれない、そんなことを考えさせられた。
『クレーター』を聴き始める。冒頭の「詰め込んだ分だけ重くなるカバン」という言葉を聞いた瞬間、志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』のあるコメントにワープしてしまった。
かばんが重いのは、夢が詰まってますから。僕は昔から言っているのですけど、かばんの荷物が少ないやつは夢が少ないっていう。氣志團の團長だっていつもすごい荷物持っていたし、某女性アーティストもすごい荷物持っていたし。だから、フロントマンというか、いろんなものを背負っている人は荷物が多いんだと思います。(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』224頁)
そして、志村正彦が持っていた大きな重いカバンについてのある挿話を実際に語ってくれたある人の言葉も浮かんできた。
志村正彦の痕跡を探してしまう、そのような行為を意識的に行うというより、自然にほとんど瞬間的に、関連する彼の言葉を想起してしまう。これはすでに無意識的な欲望になっているのかとも考えてしまったが、このことはもう少し考えていきたい。
『クレーター』に戻る。クボケンジは「カバン」について第2ブロックで次のように歌う。
詰め込んだ分だけ重くなるカバン
果たして持って歩けるモノなのか?
あきらめた分だけ軽くなるはず
なのに何故だ 前よりしんどいな
あきらめた分だけ軽くなるはずのカバン。しかし何故か、歌の主体は「前よりしんどい」と感じる。この隠喩が何を語っているのか。一人ひとりの聴き手の解釈が待たれる。
自分の欲望にも向き合いながら、歌の言葉にも向き合う。そんなことを考えてしまった。
メレンゲ、クボケンジの作詞作曲の歌、言葉の何処かに、「志村正彦」の痕跡を求めてしまう、ということが志村正彦のファンの自然な所作になっているのかもしれない。私もそのような一人である。しかし、そのようなあり方は聴き手の身勝手な欲望のような気がしないでもない。抑制しなくてはという気持ちもある。クボケンジがいつもそのような聴き手の欲望に晒されていることは、一つの束縛になってしまうかもしれないからだ。
そのようなことを考えながら、CDとDVDがパッケージされた『クレーター』を開けると、歌詞カードのクレジットの「special thanks to 」の第1行目に、「Masahiko Shimura, Akito Katayose」とあった。クボケンジと志村正彦そして片寄明人、この3人の絆、トライアングルは強固だということを今回も確認することができた。先ほど書いた聴き手の欲望の問題など、クボケンジは「強がりと本音」(歌詞の一節にある言葉)で軽々と克服して、もっと遠い空間にまでたどりついているのかもしれない、そんなことを考えさせられた。
『クレーター』を聴き始める。冒頭の「詰め込んだ分だけ重くなるカバン」という言葉を聞いた瞬間、志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』のあるコメントにワープしてしまった。
かばんが重いのは、夢が詰まってますから。僕は昔から言っているのですけど、かばんの荷物が少ないやつは夢が少ないっていう。氣志團の團長だっていつもすごい荷物持っていたし、某女性アーティストもすごい荷物持っていたし。だから、フロントマンというか、いろんなものを背負っている人は荷物が多いんだと思います。(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』224頁)
そして、志村正彦が持っていた大きな重いカバンについてのある挿話を実際に語ってくれたある人の言葉も浮かんできた。
志村正彦の痕跡を探してしまう、そのような行為を意識的に行うというより、自然にほとんど瞬間的に、関連する彼の言葉を想起してしまう。これはすでに無意識的な欲望になっているのかとも考えてしまったが、このことはもう少し考えていきたい。
『クレーター』に戻る。クボケンジは「カバン」について第2ブロックで次のように歌う。
詰め込んだ分だけ重くなるカバン
果たして持って歩けるモノなのか?
あきらめた分だけ軽くなるはず
なのに何故だ 前よりしんどいな
あきらめた分だけ軽くなるはずのカバン。しかし何故か、歌の主体は「前よりしんどい」と感じる。この隠喩が何を語っているのか。一人ひとりの聴き手の解釈が待たれる。
自分の欲望にも向き合いながら、歌の言葉にも向き合う。そんなことを考えてしまった。
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2013年8月18日日曜日
「会ったら言えるかな」「話すことに迷うな」-『若者のすべて』6 (志村正彦LN 44)
歩行の系列の最後の言葉「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」を経て、『若者のすべては』は「最後の花火」の系列、第3と第4のブロックにたどり着く。ここで、「最後の花火」系列の歌詞全体を引用する。(1・2は録音時の歌詞ノートにあったが、3・4とサビのα・βは筆者が論述のために付加したものである)
1.サビα) 最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
サビβ) ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
2 サビα) 最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
サビβ) ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
3 サビα) 最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
サビβ) ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな
4 サビα) 最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ
1~3のサビαの部分、「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」が、「最後の花火」系列のモチーフを形作っている。「今年もなったな」「何年経っても」という時間の経過の設定により、回想や想起という方法が歌の内部のもう一つの枠組みを形成している。この回想によって、「歩行」の系列と「最後の花火」の系列が接合されているとも言える。
1~3のサビβの「ないかな ないよな」で始まる1行目は、歌の主体「僕」の状況や周りの風景の描写を主とする「歩行」の系列やサビαとは異なり、文脈を省略した呟きのような言葉で歌われている。その「ないかな ないよな」の「ない」とう声が「僕」の内面を覆い、通奏低音のように歌に鳴り響いている。『若者のすべて』は、「ない」ことを巡る呟きの歌なのだ。
1・2のサビβの2行目の部分で、「僕」は「会ったら言えるかな」と繰り返し述べている。「会ったら言えるかな」は、ただ言葉を交わす挨拶のようなものか、それとも、何か大切な言葉を「言えるかな」と自分に問いかけているのか。後者の可能性が高いが、そうであるならば、再会時に何か大切なことを言うことが「僕」の目的かもしれない。何が言われるのか、聴き手には分からないが、「僕」がその情景を「まぶた閉じて浮かべている」とまで思い続けていることは確かに伝わってくる。まぶたを閉じて浮かぶ情景は、いくぶんか夢想に近いものとなる。
構成上、1と2は同一の繰り返しであり、3の前半部も1と2の前半部の反復である。しかし、3の後半部から、大きな展開が起こる。「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」の三度目の反復、それを受けて「ないかな ないよな」の三度目の反復が同じように続く。しかし、続く言葉「なんてね 思ってた」によって、この「最後の花火」の物語は大きな転換を迎える。
「ないかな ないよな」は、「なんてね 思ってた」と受け止められることで、「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ。思いがけないことであったせいか、歌の主体「僕」は「まいったな まいったな」と戸惑う。聴き手の方も、いったい何が起こったのかと戸惑うが、続く「話すことに迷うな」によって、事態をおおむね理解する。どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ。ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる。
この現実の遭遇は、「まぶた閉じて浮かべているよ」という夢想と円環をなしている。「まぶた」を閉じた「僕」は、「まぶた」の裏の幻の対象に対して、「会ったら言えるかな」と囁く。「まぶた」を開けた「僕」は、その眼差しの向こうの現実の対象に対して、「話すことに迷うな」と呟く。不在と現前、夢想と現実の響きが、『若者のすべて』の中で、美しい織物のように編み込まれている。
ロラン・バルトは『恋愛のディスクール・断章』で、恋愛対象の不在と現前、「あなたは行ってしまった」と「あなたはそこにいる」との間の「苦悶」について次のように述べている。
不在の人に向けて、その不在にまつわるディスクールを果てどなくくりかえす。これはまことに不思議な状況である。あの人は、指示対象としては不在でありながら、発話の受け手としては現前しているのだ。この奇妙なねじれから、一種の耐えがたい現在が生じる。指示行為の時間と発話行為の時間、この二つの時間の間で、私は身動きもならない。あなたは行ってしまった(だからこそわたしは嘆いている)、あなたはそこにいる(私があなたに話しかけているのだから)。そのときわたしは、現在というこの困難な時間が、まじり気のない苦悶の一片であることを知るのだ。
ロラン・バルトは、「あなた」の不在と現前による「わたし」の「苦悶」を強調している。志村正彦も繰り返し、バルトの言うような文脈での不在と現前そして苦悶のモチーフを描いている。『陽炎』の「きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう」「またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ 出来事が 胸を締めつける」がその一例である。
しかし、『若者のすべて』では、「会ったら言えるかな」という夢想から「話すことに迷うな」という現実への転換によって、「苦悶」というよりもある種の恩寵のような「悦び」が「僕」に訪れているような気がする。それは若者という時の過ごし方、そのあり方に特有の「悦び」かもしれない。
1.サビα) 最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
サビβ) ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
2 サビα) 最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
サビβ) ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
3 サビα) 最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
サビβ) ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな
4 サビα) 最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ
1~3のサビαの部分、「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」が、「最後の花火」系列のモチーフを形作っている。「今年もなったな」「何年経っても」という時間の経過の設定により、回想や想起という方法が歌の内部のもう一つの枠組みを形成している。この回想によって、「歩行」の系列と「最後の花火」の系列が接合されているとも言える。
1~3のサビβの「ないかな ないよな」で始まる1行目は、歌の主体「僕」の状況や周りの風景の描写を主とする「歩行」の系列やサビαとは異なり、文脈を省略した呟きのような言葉で歌われている。その「ないかな ないよな」の「ない」とう声が「僕」の内面を覆い、通奏低音のように歌に鳴り響いている。『若者のすべて』は、「ない」ことを巡る呟きの歌なのだ。
1・2のサビβの2行目の部分で、「僕」は「会ったら言えるかな」と繰り返し述べている。「会ったら言えるかな」は、ただ言葉を交わす挨拶のようなものか、それとも、何か大切な言葉を「言えるかな」と自分に問いかけているのか。後者の可能性が高いが、そうであるならば、再会時に何か大切なことを言うことが「僕」の目的かもしれない。何が言われるのか、聴き手には分からないが、「僕」がその情景を「まぶた閉じて浮かべている」とまで思い続けていることは確かに伝わってくる。まぶたを閉じて浮かぶ情景は、いくぶんか夢想に近いものとなる。
構成上、1と2は同一の繰り返しであり、3の前半部も1と2の前半部の反復である。しかし、3の後半部から、大きな展開が起こる。「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」の三度目の反復、それを受けて「ないかな ないよな」の三度目の反復が同じように続く。しかし、続く言葉「なんてね 思ってた」によって、この「最後の花火」の物語は大きな転換を迎える。
「ないかな ないよな」は、「なんてね 思ってた」と受け止められることで、「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ。思いがけないことであったせいか、歌の主体「僕」は「まいったな まいったな」と戸惑う。聴き手の方も、いったい何が起こったのかと戸惑うが、続く「話すことに迷うな」によって、事態をおおむね理解する。どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ。ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる。
この現実の遭遇は、「まぶた閉じて浮かべているよ」という夢想と円環をなしている。「まぶた」を閉じた「僕」は、「まぶた」の裏の幻の対象に対して、「会ったら言えるかな」と囁く。「まぶた」を開けた「僕」は、その眼差しの向こうの現実の対象に対して、「話すことに迷うな」と呟く。不在と現前、夢想と現実の響きが、『若者のすべて』の中で、美しい織物のように編み込まれている。
ロラン・バルトは『恋愛のディスクール・断章』で、恋愛対象の不在と現前、「あなたは行ってしまった」と「あなたはそこにいる」との間の「苦悶」について次のように述べている。
不在の人に向けて、その不在にまつわるディスクールを果てどなくくりかえす。これはまことに不思議な状況である。あの人は、指示対象としては不在でありながら、発話の受け手としては現前しているのだ。この奇妙なねじれから、一種の耐えがたい現在が生じる。指示行為の時間と発話行為の時間、この二つの時間の間で、私は身動きもならない。あなたは行ってしまった(だからこそわたしは嘆いている)、あなたはそこにいる(私があなたに話しかけているのだから)。そのときわたしは、現在というこの困難な時間が、まじり気のない苦悶の一片であることを知るのだ。
ロラン・バルトは、「あなた」の不在と現前による「わたし」の「苦悶」を強調している。志村正彦も繰り返し、バルトの言うような文脈での不在と現前そして苦悶のモチーフを描いている。『陽炎』の「きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう」「またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ 出来事が 胸を締めつける」がその一例である。
しかし、『若者のすべて』では、「会ったら言えるかな」という夢想から「話すことに迷うな」という現実への転換によって、「苦悶」というよりもある種の恩寵のような「悦び」が「僕」に訪れているような気がする。それは若者という時の過ごし方、そのあり方に特有の「悦び」かもしれない。
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2013年8月12日月曜日
「一期一会」 (志村正彦LN 43)
8月7日、「1番ソングSHOW」の「日本全国47都道府県 地元スター総選挙」という特集で、志村正彦が山梨県の5位になった。レミオロメンや宮沢和史(ザ・ブーム)より下位というのは、一般的な知名度からすると妥当なのだろう。とにかく、彼の名が上がったのは素直に嬉しい。
前回触れたように、NHK甲府「がんばる甲州人」の「ロックミュージシャン志村正彦さん」には、アナウンサー泉浩司さんとキャスター小倉実華さんの二人による丁寧なコメントと、母志村妙子さんの取材に基づく「一期一会」という言葉と印象深いエピソードについての紹介があった。今回はそのことについて記したい。以下は、該当部分を放送から起こしたものである。(A=泉浩司、B= 小倉実華と略す)
A まず志村さんの音楽の持つ力ですよね、それが今地域の誇りとなってきている。なんかいいですよね。
B そうですよね。志村さんの独特な世界観がこの富士山の麓山梨で生まれたっていうことは素直に嬉しいですし、また山梨の誇りだなっていうふうに感じましたね。
A 今回はですね、色紙ではありません。志村さんのお母さま妙子さんからこんな言葉をいただきました。
一期一会
(通常の「がんばる甲州人」では、本人が大切にしている言葉を記した色紙が披露される。今回はその代わりに、この言葉が画面に大きく文字として映し出された)
B 妙子さんから伺ったエピソードによりますと、志村さんは一度だけライブの直前に風邪をひいて、いいパフォーマンスができなかったことがあったそうなんです。その時に電話で妙子さん、次のライブで頑張ればいいじゃないと励ましました。すると志村さんは、次に同じお客さんに会えるかはまあ分からないと、だから今回限りの覚悟で演奏に臨まなくてはいけないんだと話していたそうなんですね。妙子さんそれが最も印象に残っていると話していました。
A はい、この放送自体が志村さんとの一期一会という方もいるかと思うんですよね。
B そうですね。
A フジファブリックは志村さん亡き後も残った3人のメンバーで活動を続けています。
「一期一会」、一生に一度だけの機会。志村正彦は、いつもこの言葉の通り、「今回限りの覚悟で演奏に臨まなくてはいけないんだ」と考えて、一つひとつのライブに向き合っていたのだろう。彼らしい「志」である。確かに、残されたどのライブ映像にも、そのような志を宿しているかのような眼差しと佇まいを感じ取ってしまう。歌い手としての責任が強く伝わる。
ただし、茶道では、「一期一会」を「どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきだ」という心得だと教えているようだ。この「主客ともに」というのを音楽にあてはめると、「歌い手聴き手ともに」ということになろう。だとすれば、「一期一会」の一つひとつのコンサートを成立させるのは、歌い手側だけではなく、聴き手側の一人ひとりも「誠意を尽くす」ことが不可欠となる。
このことを、私たち聴き手も忘れるべきではないだろう。
前回触れたように、NHK甲府「がんばる甲州人」の「ロックミュージシャン志村正彦さん」には、アナウンサー泉浩司さんとキャスター小倉実華さんの二人による丁寧なコメントと、母志村妙子さんの取材に基づく「一期一会」という言葉と印象深いエピソードについての紹介があった。今回はそのことについて記したい。以下は、該当部分を放送から起こしたものである。(A=泉浩司、B= 小倉実華と略す)
A まず志村さんの音楽の持つ力ですよね、それが今地域の誇りとなってきている。なんかいいですよね。
B そうですよね。志村さんの独特な世界観がこの富士山の麓山梨で生まれたっていうことは素直に嬉しいですし、また山梨の誇りだなっていうふうに感じましたね。
A 今回はですね、色紙ではありません。志村さんのお母さま妙子さんからこんな言葉をいただきました。
一期一会
(通常の「がんばる甲州人」では、本人が大切にしている言葉を記した色紙が披露される。今回はその代わりに、この言葉が画面に大きく文字として映し出された)
B 妙子さんから伺ったエピソードによりますと、志村さんは一度だけライブの直前に風邪をひいて、いいパフォーマンスができなかったことがあったそうなんです。その時に電話で妙子さん、次のライブで頑張ればいいじゃないと励ましました。すると志村さんは、次に同じお客さんに会えるかはまあ分からないと、だから今回限りの覚悟で演奏に臨まなくてはいけないんだと話していたそうなんですね。妙子さんそれが最も印象に残っていると話していました。
A はい、この放送自体が志村さんとの一期一会という方もいるかと思うんですよね。
B そうですね。
A フジファブリックは志村さん亡き後も残った3人のメンバーで活動を続けています。
「一期一会」、一生に一度だけの機会。志村正彦は、いつもこの言葉の通り、「今回限りの覚悟で演奏に臨まなくてはいけないんだ」と考えて、一つひとつのライブに向き合っていたのだろう。彼らしい「志」である。確かに、残されたどのライブ映像にも、そのような志を宿しているかのような眼差しと佇まいを感じ取ってしまう。歌い手としての責任が強く伝わる。
ただし、茶道では、「一期一会」を「どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきだ」という心得だと教えているようだ。この「主客ともに」というのを音楽にあてはめると、「歌い手聴き手ともに」ということになろう。だとすれば、「一期一会」の一つひとつのコンサートを成立させるのは、歌い手側だけではなく、聴き手側の一人ひとりも「誠意を尽くす」ことが不可欠となる。
このことを、私たち聴き手も忘れるべきではないだろう。
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2013年の夏,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2013年8月4日日曜日
志村正彦に関する番組について (志村正彦LN 42)
1日、志村正彦に関する番組がNHK総合の「情報まるごと」の枠内で全国放送された。これは、7月23日にNHK甲府放送局で放送された「がんばる甲州人 ロックミュージシャン志村正彦さん」がそのまま「再放送」されるのだと思っていたが、そうではなく、いくつかの異なる点があった。県外の方はNHK甲府の「がんばる甲州人」を未見だろうから、両者の違いを以下示すことにする。(各々を「甲府版」と「総合版」と呼ぶ)
・「甲府版」と「総合版」の本編部分の映像は同じで、ナレーションの原稿も同じだが、ナレーターの声は異なるようだ。(断定できないが、ナレーションは新たに録音し直したように聞こえる)映像右上のインポーズ文字も、「ロックミュージシャン志村正彦さん」(甲府版)、「夭折のロッカー 富士吉田に”生きる”」(総合版)というように違っている。
・本編前後のアナウンサーによる語りの部分が異なる。「甲府版」では、本編前後にNHK甲府放送局のキャスター二人による丁寧なコメントと、母志村妙子さんによる「一期一会」という言葉と印象深いエピソード(このことについては後に触れたい)の紹介があった。「総合版」では、本編前後に、フジファブリック4人と志村正彦の写真と『陽炎』と『茜色の夕日』のCD音源が流され、キャスター1人によるコメントがあった。 また、番組最後に、視聴者からの「音楽でありながら、文学作品を読んでいるかのような素晴らしさがある」というメールが紹介され、これからも志村さんの音楽が人々に力を与えていく、という二人のキャスターによる暖かい言葉が添えられた。
・題名については、「甲府版」は、「がんばる甲州人」シリーズの1回分としての「ロックミュージシャン志村正彦さん」であるが、「総合版」では、「情報まるごと」の中の一つとしての扱いなので、独立した題名はなかったようだ。(勝手に名づけるなら、映像右上のインポーズ等を考慮して「フジファブリック志村正彦さん 夭折のロッカー富士吉田に”生きる”」になるだろうか)
以上のことから、NHK総合は、「総合」という全国放送にふさわしいように、NHK甲府制作の番組を「再放送」するのではなく、「番組素材」にして、東京の視点から地域での動きを伝える、新たな番組として放送したように思われる。この方針自体は、番組のキャスターも異なり、全国放送という性格からいっても了解できるが、「志村正彦の特集番組」という期待で視聴された方の中には、ローカル色の濃い内容にやや違和感を持たれた方もいると思われる。このあたりの事情を含め、私が知っている、および書くことのできる範囲で、この番組について伝えるべきことをここで伝えておきたい。
NHK甲府の「がんばる甲州人」というシリーズは、今この山梨という場で、様々なテーマについて「がんばる」人々(有名無名とか立場に関わらず)を取り上げるもので、すでに亡くなっている人物は対象外というのが基本のようだ。そのような原則から、志村正彦についての番組が実現できるかどうかという壁もあったが、担当ディレクターの熱意と努力によって、局内で了承を得ることができ、制作されることになったそうだ。
「がんばる甲州人」の趣旨から、志村正彦の人生の軌跡や作品については、小学生の頃やインディーズ時代の写真、『若者のすべて』『茜色の夕日』ライブDVDの映像、実家の部屋の映像(少しだけ映されていたが、彼の楽器や機材、衣装や帽子、所蔵CD・DVD、ファンからの贈り物などの、言葉では言い尽くせないような「かけがえのないもの」が御家族によって大切に保管されている。今回の番組のために特別に公開されたもので、映像として紹介されたのは初のことだろう)、母妙子さんによる、ファンへの感謝や現在の心境が込められたコメントを中心に描かれることになった。
そして、富士吉田を中心に、甲府を含め山梨という地域で、彼の歌を伝えていくことを目的とした活動が分量的にも多く取り上げられた。
富士吉田で「志村正彦展」を主催し、市の若手プロジェクトと共に「夕方のチャイム」を企画している「路地裏の僕たち」(彼の同級生や先輩後輩たちのグループ)の中心メンバーである渡辺雅人さん(「非営利」という原則のもと、彼は幼馴染である「正彦」のために、純粋に活動を続けてきました)、「Fujifabric International Fan Site」の主催者で、彼の作品を翻訳し海外に発信している杉山麻衣さん(彼女がこの3年間自身のサイトで、翻訳をはじめ、地元での様々な動きを丁寧に粘り強く伝えてきたことをご存知の方は多いでしょう。今回の放送を機に彼女もブログで実名を公開されたので、ここでも実名で記させていただきます)、地域の高校で彼の作品を授業の教材にする試みをしていることから、私が出演させていただくことになった。
富士吉田から甲府、山梨、日本そして世界へという場の広がり、行政・インターネット・教育という分野の展開、という視点を担当ディレクターが重視したからである。私たちもそのような視点に共感し、番組作りに協力させていただき、あのような構成となった。
貴重なものとしては、自分の作詞の方法について述べた録音(2009年12月14日、亡くなる十日前に収録されたもので、関係者の特別な配慮により放送された)に残された彼の元気そうな声が、ファンにとって思いがけない大切な贈り物となっただろう。
最後に、『茜色の夕日』のチャイム、新倉浅間神社で開催された「志村正彦を謳う会」、フランスから来た男の子による『タイムマシーン』の演奏シーン、あの場に集まった志村正彦を愛する人々の様子に焦点を当てて、志村正彦の歌が今も確かに人々の心の中で生き続けていることを伝えていた。担当ディレクター、出演者、そしてあの場にいたすべての人々の想いがあの番組には凝縮されていて、視聴した人々の記憶に残る番組となったと考えている。
全国放送された「総合版」を視聴された方は、このような趣旨と経緯によって、今回の番組はあのような構成と内容になったことを御理解いただきたいと思います。(担当ディレクターを代弁するような言い方で申し訳ありませんが、出演者の立場からしてもそのように考えています) 今回の番組を契機にして、志村正彦に関するより本格的な番組を、時間を長くして、より多くの人に取材し、より多くの音楽や映像や資料を使って、制作し放送されることを、私自身が強く望んでいます。そして、そのように望む皆が、一人ひとり各自の声を届けていけばよいと考えています。
付記
この《偶景web》は表現者としての私の場であるので、これまであえて、本職である教師の仕事については触れませんでした。この二つの立場は相互に独立してあるべきだ、というのが私の基本姿勢です。(もちろん、一人の同じ人間ですので重なってしまうことも時にはあるかもしれませんが、そのことには自覚的でありたいと考えています)
教師としては、ここ2年半ほど、勤め先の高校の「小論文」という科目を中心に「志村正彦の歌について書き、語り合う」授業を実践してきました。ただし、このブログで書いているような私自身の解釈を授業で生徒に伝えることはしていません。そのような行為は、生徒が志村正彦の歌に向き合うことの妨げになるからです。生徒は、教師から受け取る先入観のない状態で、自由に素直に、彼の歌そして彼の歌を聴いている自分自身に向き合い、感じ、考えたことを書く。そして生徒同士で語りあう。これが私の授業の原則です。その結果、生徒は皆、私の予想を超えて、深い感受性と高い分析力を発揮し、すばらしい文を書きました。私自身、志村正彦の作品が十代の若者に与える力の大きさと、多様な解釈を生み出す豊かさと深さを実感しました。
この試みが2011年6月に「山梨日日新聞」で沢登雄太記者によって紹介され、その記事がきっかけとなって、その年の12月の「志村正彦展 路地裏の僕たち」で生徒および私の文章がパネルとして展示されました。このときに、まったく思いがけなく、志村さんの御家族との出会いがありました。生徒の文を丁寧に読んでいただいたことを知り、とても感激し、このような授業をする上での励ましともなりました。また、杉山さんとも知り合うことができ、このようなブログを始める勇気をいただきました。
ですから振り返ってみると、あの授業を始めたからこそ、かけがえのない出会いがあり、この《偶景web》の「志村正彦ライナーノーツ」が存在していることは確かです。
・「甲府版」と「総合版」の本編部分の映像は同じで、ナレーションの原稿も同じだが、ナレーターの声は異なるようだ。(断定できないが、ナレーションは新たに録音し直したように聞こえる)映像右上のインポーズ文字も、「ロックミュージシャン志村正彦さん」(甲府版)、「夭折のロッカー 富士吉田に”生きる”」(総合版)というように違っている。
・本編前後のアナウンサーによる語りの部分が異なる。「甲府版」では、本編前後にNHK甲府放送局のキャスター二人による丁寧なコメントと、母志村妙子さんによる「一期一会」という言葉と印象深いエピソード(このことについては後に触れたい)の紹介があった。「総合版」では、本編前後に、フジファブリック4人と志村正彦の写真と『陽炎』と『茜色の夕日』のCD音源が流され、キャスター1人によるコメントがあった。 また、番組最後に、視聴者からの「音楽でありながら、文学作品を読んでいるかのような素晴らしさがある」というメールが紹介され、これからも志村さんの音楽が人々に力を与えていく、という二人のキャスターによる暖かい言葉が添えられた。
・題名については、「甲府版」は、「がんばる甲州人」シリーズの1回分としての「ロックミュージシャン志村正彦さん」であるが、「総合版」では、「情報まるごと」の中の一つとしての扱いなので、独立した題名はなかったようだ。(勝手に名づけるなら、映像右上のインポーズ等を考慮して「フジファブリック志村正彦さん 夭折のロッカー富士吉田に”生きる”」になるだろうか)
以上のことから、NHK総合は、「総合」という全国放送にふさわしいように、NHK甲府制作の番組を「再放送」するのではなく、「番組素材」にして、東京の視点から地域での動きを伝える、新たな番組として放送したように思われる。この方針自体は、番組のキャスターも異なり、全国放送という性格からいっても了解できるが、「志村正彦の特集番組」という期待で視聴された方の中には、ローカル色の濃い内容にやや違和感を持たれた方もいると思われる。このあたりの事情を含め、私が知っている、および書くことのできる範囲で、この番組について伝えるべきことをここで伝えておきたい。
NHK甲府の「がんばる甲州人」というシリーズは、今この山梨という場で、様々なテーマについて「がんばる」人々(有名無名とか立場に関わらず)を取り上げるもので、すでに亡くなっている人物は対象外というのが基本のようだ。そのような原則から、志村正彦についての番組が実現できるかどうかという壁もあったが、担当ディレクターの熱意と努力によって、局内で了承を得ることができ、制作されることになったそうだ。
「がんばる甲州人」の趣旨から、志村正彦の人生の軌跡や作品については、小学生の頃やインディーズ時代の写真、『若者のすべて』『茜色の夕日』ライブDVDの映像、実家の部屋の映像(少しだけ映されていたが、彼の楽器や機材、衣装や帽子、所蔵CD・DVD、ファンからの贈り物などの、言葉では言い尽くせないような「かけがえのないもの」が御家族によって大切に保管されている。今回の番組のために特別に公開されたもので、映像として紹介されたのは初のことだろう)、母妙子さんによる、ファンへの感謝や現在の心境が込められたコメントを中心に描かれることになった。
そして、富士吉田を中心に、甲府を含め山梨という地域で、彼の歌を伝えていくことを目的とした活動が分量的にも多く取り上げられた。
富士吉田で「志村正彦展」を主催し、市の若手プロジェクトと共に「夕方のチャイム」を企画している「路地裏の僕たち」(彼の同級生や先輩後輩たちのグループ)の中心メンバーである渡辺雅人さん(「非営利」という原則のもと、彼は幼馴染である「正彦」のために、純粋に活動を続けてきました)、「Fujifabric International Fan Site」の主催者で、彼の作品を翻訳し海外に発信している杉山麻衣さん(彼女がこの3年間自身のサイトで、翻訳をはじめ、地元での様々な動きを丁寧に粘り強く伝えてきたことをご存知の方は多いでしょう。今回の放送を機に彼女もブログで実名を公開されたので、ここでも実名で記させていただきます)、地域の高校で彼の作品を授業の教材にする試みをしていることから、私が出演させていただくことになった。
富士吉田から甲府、山梨、日本そして世界へという場の広がり、行政・インターネット・教育という分野の展開、という視点を担当ディレクターが重視したからである。私たちもそのような視点に共感し、番組作りに協力させていただき、あのような構成となった。
貴重なものとしては、自分の作詞の方法について述べた録音(2009年12月14日、亡くなる十日前に収録されたもので、関係者の特別な配慮により放送された)に残された彼の元気そうな声が、ファンにとって思いがけない大切な贈り物となっただろう。
最後に、『茜色の夕日』のチャイム、新倉浅間神社で開催された「志村正彦を謳う会」、フランスから来た男の子による『タイムマシーン』の演奏シーン、あの場に集まった志村正彦を愛する人々の様子に焦点を当てて、志村正彦の歌が今も確かに人々の心の中で生き続けていることを伝えていた。担当ディレクター、出演者、そしてあの場にいたすべての人々の想いがあの番組には凝縮されていて、視聴した人々の記憶に残る番組となったと考えている。
全国放送された「総合版」を視聴された方は、このような趣旨と経緯によって、今回の番組はあのような構成と内容になったことを御理解いただきたいと思います。(担当ディレクターを代弁するような言い方で申し訳ありませんが、出演者の立場からしてもそのように考えています) 今回の番組を契機にして、志村正彦に関するより本格的な番組を、時間を長くして、より多くの人に取材し、より多くの音楽や映像や資料を使って、制作し放送されることを、私自身が強く望んでいます。そして、そのように望む皆が、一人ひとり各自の声を届けていけばよいと考えています。
付記
この《偶景web》は表現者としての私の場であるので、これまであえて、本職である教師の仕事については触れませんでした。この二つの立場は相互に独立してあるべきだ、というのが私の基本姿勢です。(もちろん、一人の同じ人間ですので重なってしまうことも時にはあるかもしれませんが、そのことには自覚的でありたいと考えています)
教師としては、ここ2年半ほど、勤め先の高校の「小論文」という科目を中心に「志村正彦の歌について書き、語り合う」授業を実践してきました。ただし、このブログで書いているような私自身の解釈を授業で生徒に伝えることはしていません。そのような行為は、生徒が志村正彦の歌に向き合うことの妨げになるからです。生徒は、教師から受け取る先入観のない状態で、自由に素直に、彼の歌そして彼の歌を聴いている自分自身に向き合い、感じ、考えたことを書く。そして生徒同士で語りあう。これが私の授業の原則です。その結果、生徒は皆、私の予想を超えて、深い感受性と高い分析力を発揮し、すばらしい文を書きました。私自身、志村正彦の作品が十代の若者に与える力の大きさと、多様な解釈を生み出す豊かさと深さを実感しました。
この試みが2011年6月に「山梨日日新聞」で沢登雄太記者によって紹介され、その記事がきっかけとなって、その年の12月の「志村正彦展 路地裏の僕たち」で生徒および私の文章がパネルとして展示されました。このときに、まったく思いがけなく、志村さんの御家族との出会いがありました。生徒の文を丁寧に読んでいただいたことを知り、とても感激し、このような授業をする上での励ましともなりました。また、杉山さんとも知り合うことができ、このようなブログを始める勇気をいただきました。
ですから振り返ってみると、あの授業を始めたからこそ、かけがえのない出会いがあり、この《偶景web》の「志村正彦ライナーノーツ」が存在していることは確かです。
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2013年の夏,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2013年7月29日月曜日
「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」-『若者のすべて』5 (志村正彦 LN41)
25日の夕方6時、富士吉田で『若者のすべて』のチャイムを聴いた。昨年12月のチャイムと同じものだが、季節や時が異なると聞こえ方が変わってくるのかに関心があった。
LN3で書いたように、冬の『若者のすべて』のチャイムには、聴き手の側からすると、祈りにも似た想いにつながる、内省的な響きがあったのに対して、夏の『若者のすべて』のチャイムには、夏の空や雲、光、暖かい空気の感触にふさわしい、明るい開放的な響きがあったと、ここで伝えておきたい。今回は27日まで、富士登山競走、富士吉田市民夏まつりに合わせて、『若者のすべて』のチャイムに再び変更されたが、このまま、夏や冬のチャイムとして、季節の風物詩として、志村正彦の楽曲が使われることを願う。
14日の新倉浅間神社でのイベントやNHK甲府の「がんばる甲州人 志村正彦」についてまだ述べたいこともあるのだが、ドラマ『SUMMER NUDE』の反響によって、歌詞サイトで1位に浮上するなど、今再び「ピーク」の季節を迎えつつある『若者のすべて』論に戻ることを優先したい。
今回は、「僕」の「歩行」の系列の第2と第3のブロックを対象としたい。LN36で論じた第1ブロックを含めて、私が仮に名付けている「歩行」の系列の歌詞を、最初から最後まで引用する。
1.A)真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
B)夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
2 A)世界の約束を知って それなりになって また戻って
B)街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きを取り戻したくなって
C)すりむいたまま 僕はそっと歩き出して
このようにまとめてると、「歩行」の系列のすべての輪郭が浮かび上がってくる。
AメロBメロの第1ブロック、「真夏のピーク」、「街」、「5時のチャイム」とイメージを喚起させるモチーフの連なりに続いて、歌の主体は、「運命」という鍵となる言葉を紡ぎ出す。それを契機に、「最後の花火」の系列、サビの部分に転換するのだが、それが終わると再び、AメロBメロの第2ブロックに転換する。さらに、再度、「最後の花火」の系列、サビの部分に転換し、その後、Cメロの第3ブロックに転換する。「歩行」と「最後の花火」、この二つの系列の間の転換、言葉の往還が、やはり、この歌を独自なものにしている。
世界の約束を知って それなりになって また戻って
「最後の花火」の系列から、「歩行」の系列へと戻ってくるのだが、唐突に「世界の約束」という言葉が登場する。「世界の約束」とは、この世界の約束事、決まり事、抽象的に言い換えるなら、法、掟、規範のことであろう。若者がなすべき「すべて」の中の重要な一つとして、「大人」になることがあげられる。それは「世界の約束」を知ることであり、「それ」なりになることである。「それ」というのは「それ」としか言いようがないもので、大人は「それ」が何であるかを「それ」となく知っている。「それ」は、「それ」なりになることによって初めて、ほんとうに分かるような「それ」である。
志村正彦は「それ」を抽象的な語彙ではなく、指示語の「それ」を使い、聴き手に伝えようとした。「それ」の指し示す内容はいっさい語らないことによって、聴き手が「それ」の指示内容をそれぞれ埋めるようにして、解釈が進んでいく。
また、「それなりになって」「また戻って」という相反する動きをさりげなく語っている。「それ」なりになったかのようでも「それ」になりきれなく、時には「それ」から「それ」以前の段階へと戻ってしまう。「若者」はそのようにして、行きつ戻りつ「往還」して、歩んでいく。
街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きを取り戻したくなって
「街灯の明かりがまた 一つ点いて」という「街」の光景が描かれる。「夕方5時のチャイム」が鳴った時点から、どのくらいの時間が経ったのか、歌詞からは確かめようもないが、「街灯の明かりがまた 一つ点いて」とあるので、少しずつ街灯が点灯し、「帰りを急ぐよ」とあるように「帰宅」「家路」を意識するような時間の推移の感覚は、以前、LN2「冬の季節の『若者のすべて』」で書いたように、冬に最もふさわしいような気がする。その際の言葉を引用する。
日の短い、すぐに暮れてしまう冬の季節に、私たちはそれぞれの場所に帰りを急ぐ。この歌にはもともと多層的な響きがある。『若者のすべて』の「すべて」には、夏も冬も含すべての季節感が込められているのかもしれない。
「途切れた夢の続き」は、定型的な表現とも言えるのだが、「取り戻したくなって」という述語と重なると、定型から離れていく。「途切れた夢の続き」を「見る」「見たくなって」であれば、平凡な表現になるが、「取り戻したくなって」は独特である。「取り戻したい」というのは、一度獲得したが失ってしまったものを再獲得したいという、歌の主体「僕」の強い欲望を表す。
この一節の後に、「最後の花火」の系列、サビの部分が入ってくるので、歌詞の流れからすると、「最後の花火」の系列で歌われる「出会い」あるいは「再会」が、「途切れた夢の続き」の実質であると解釈されるのだろうが、それとは異なる解釈もあるような気がする。それが何かということは分からないままなのだが。
また、この夢というのは、そのことを実現したいという現実の欲望の対象としての夢と睡眠中にみる無意識の欲望を示す夢という、二つの夢が複合されている、と私は考える。
すりむいたまま 僕はそっと歩き出して
Cメロの部分、この一節で、「歩行」の枠組みは閉じられるが、ここで初めて、語りの枠組みを支えている話者であり歌の主体である「僕」が登場することに注意したい。
「すりむいたまま」というのは定型的な比喩表現であり、すりむいたまま、小さな傷を抱えたまま、癒える時を待つ間もなく、というのは若者の生によくある光景であるとも言えよう。しかし、「そっと歩き出して」という表現の「そっと」という副詞、「歩き出して」という接続助詞「て」で締めくくられる動詞の表現は、非常に繊細で巧みに、歌の主体「僕」の「歩行」への意志を語っている。
志村正彦は、『音楽と人』2007年12月号所収の樋口靖幸氏による取材で、『若者のすべて』について次のように述べている。
一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。
この注目すべき発言から、ABCメロの歌詞、「歩行」の系列が、志村正彦にとって非常に切実なモチーフだったことが伺える。『若者のすべて』の歌詞全体の中で、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」が一番言いたかったことだとすると、これまで「最後の花火」を巡るモチーフを中心に読まれてきたこの歌の解釈そのものが問われることにもつながる。実は、『音楽と人』2007年12月号に、『若者のすべて』の記事があることを知り、古書を入手し、こ の文を読んだのは二日前のことだった。「歩行」の系列を重視するという私の読みが志村正彦自身の言葉で裏付けられた気がした。
私が「志村正彦ライナーノーツ」を書く際には、作品の言葉そのものに向き合い自分自身で考える、という姿勢を基本として貫きたいと考えている。ある程度まで書き進めるまでは、作者のコメントやライターの記事などはあえて読まないようにしている。そうすることによって、解釈が限定されてしまう恐れがあるからだ。しかし、文を公開するために原稿を完成させる段階では、参照すべき資料は参照し、自分自身の論との対話を試みる。今回もそのように作業を進めたのだが、思いがけなく、重要な資料と出会うことができた。樋口靖幸氏によるこの記事は非常に興味深い証言となっているので、最後の方で再び触れることにしたい。
LN3で書いたように、冬の『若者のすべて』のチャイムには、聴き手の側からすると、祈りにも似た想いにつながる、内省的な響きがあったのに対して、夏の『若者のすべて』のチャイムには、夏の空や雲、光、暖かい空気の感触にふさわしい、明るい開放的な響きがあったと、ここで伝えておきたい。今回は27日まで、富士登山競走、富士吉田市民夏まつりに合わせて、『若者のすべて』のチャイムに再び変更されたが、このまま、夏や冬のチャイムとして、季節の風物詩として、志村正彦の楽曲が使われることを願う。
14日の新倉浅間神社でのイベントやNHK甲府の「がんばる甲州人 志村正彦」についてまだ述べたいこともあるのだが、ドラマ『SUMMER NUDE』の反響によって、歌詞サイトで1位に浮上するなど、今再び「ピーク」の季節を迎えつつある『若者のすべて』論に戻ることを優先したい。
今回は、「僕」の「歩行」の系列の第2と第3のブロックを対象としたい。LN36で論じた第1ブロックを含めて、私が仮に名付けている「歩行」の系列の歌詞を、最初から最後まで引用する。
1.A)真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
B)夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
2 A)世界の約束を知って それなりになって また戻って
B)街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きを取り戻したくなって
C)すりむいたまま 僕はそっと歩き出して
このようにまとめてると、「歩行」の系列のすべての輪郭が浮かび上がってくる。
AメロBメロの第1ブロック、「真夏のピーク」、「街」、「5時のチャイム」とイメージを喚起させるモチーフの連なりに続いて、歌の主体は、「運命」という鍵となる言葉を紡ぎ出す。それを契機に、「最後の花火」の系列、サビの部分に転換するのだが、それが終わると再び、AメロBメロの第2ブロックに転換する。さらに、再度、「最後の花火」の系列、サビの部分に転換し、その後、Cメロの第3ブロックに転換する。「歩行」と「最後の花火」、この二つの系列の間の転換、言葉の往還が、やはり、この歌を独自なものにしている。
世界の約束を知って それなりになって また戻って
「最後の花火」の系列から、「歩行」の系列へと戻ってくるのだが、唐突に「世界の約束」という言葉が登場する。「世界の約束」とは、この世界の約束事、決まり事、抽象的に言い換えるなら、法、掟、規範のことであろう。若者がなすべき「すべて」の中の重要な一つとして、「大人」になることがあげられる。それは「世界の約束」を知ることであり、「それ」なりになることである。「それ」というのは「それ」としか言いようがないもので、大人は「それ」が何であるかを「それ」となく知っている。「それ」は、「それ」なりになることによって初めて、ほんとうに分かるような「それ」である。
志村正彦は「それ」を抽象的な語彙ではなく、指示語の「それ」を使い、聴き手に伝えようとした。「それ」の指し示す内容はいっさい語らないことによって、聴き手が「それ」の指示内容をそれぞれ埋めるようにして、解釈が進んでいく。
また、「それなりになって」「また戻って」という相反する動きをさりげなく語っている。「それ」なりになったかのようでも「それ」になりきれなく、時には「それ」から「それ」以前の段階へと戻ってしまう。「若者」はそのようにして、行きつ戻りつ「往還」して、歩んでいく。
街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きを取り戻したくなって
「街灯の明かりがまた 一つ点いて」という「街」の光景が描かれる。「夕方5時のチャイム」が鳴った時点から、どのくらいの時間が経ったのか、歌詞からは確かめようもないが、「街灯の明かりがまた 一つ点いて」とあるので、少しずつ街灯が点灯し、「帰りを急ぐよ」とあるように「帰宅」「家路」を意識するような時間の推移の感覚は、以前、LN2「冬の季節の『若者のすべて』」で書いたように、冬に最もふさわしいような気がする。その際の言葉を引用する。
日の短い、すぐに暮れてしまう冬の季節に、私たちはそれぞれの場所に帰りを急ぐ。この歌にはもともと多層的な響きがある。『若者のすべて』の「すべて」には、夏も冬も含すべての季節感が込められているのかもしれない。
「途切れた夢の続き」は、定型的な表現とも言えるのだが、「取り戻したくなって」という述語と重なると、定型から離れていく。「途切れた夢の続き」を「見る」「見たくなって」であれば、平凡な表現になるが、「取り戻したくなって」は独特である。「取り戻したい」というのは、一度獲得したが失ってしまったものを再獲得したいという、歌の主体「僕」の強い欲望を表す。
この一節の後に、「最後の花火」の系列、サビの部分が入ってくるので、歌詞の流れからすると、「最後の花火」の系列で歌われる「出会い」あるいは「再会」が、「途切れた夢の続き」の実質であると解釈されるのだろうが、それとは異なる解釈もあるような気がする。それが何かということは分からないままなのだが。
また、この夢というのは、そのことを実現したいという現実の欲望の対象としての夢と睡眠中にみる無意識の欲望を示す夢という、二つの夢が複合されている、と私は考える。
すりむいたまま 僕はそっと歩き出して
Cメロの部分、この一節で、「歩行」の枠組みは閉じられるが、ここで初めて、語りの枠組みを支えている話者であり歌の主体である「僕」が登場することに注意したい。
「すりむいたまま」というのは定型的な比喩表現であり、すりむいたまま、小さな傷を抱えたまま、癒える時を待つ間もなく、というのは若者の生によくある光景であるとも言えよう。しかし、「そっと歩き出して」という表現の「そっと」という副詞、「歩き出して」という接続助詞「て」で締めくくられる動詞の表現は、非常に繊細で巧みに、歌の主体「僕」の「歩行」への意志を語っている。
志村正彦は、『音楽と人』2007年12月号所収の樋口靖幸氏による取材で、『若者のすべて』について次のように述べている。
一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。
この注目すべき発言から、ABCメロの歌詞、「歩行」の系列が、志村正彦にとって非常に切実なモチーフだったことが伺える。『若者のすべて』の歌詞全体の中で、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」が一番言いたかったことだとすると、これまで「最後の花火」を巡るモチーフを中心に読まれてきたこの歌の解釈そのものが問われることにもつながる。実は、『音楽と人』2007年12月号に、『若者のすべて』の記事があることを知り、古書を入手し、こ の文を読んだのは二日前のことだった。「歩行」の系列を重視するという私の読みが志村正彦自身の言葉で裏付けられた気がした。
私が「志村正彦ライナーノーツ」を書く際には、作品の言葉そのものに向き合い自分自身で考える、という姿勢を基本として貫きたいと考えている。ある程度まで書き進めるまでは、作者のコメントやライターの記事などはあえて読まないようにしている。そうすることによって、解釈が限定されてしまう恐れがあるからだ。しかし、文を公開するために原稿を完成させる段階では、参照すべき資料は参照し、自分自身の論との対話を試みる。今回もそのように作業を進めたのだが、思いがけなく、重要な資料と出会うことができた。樋口靖幸氏によるこの記事は非常に興味深い証言となっているので、最後の方で再び触れることにしたい。
志村正彦は、『若者のすべて』の作者として、「いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ」と、正直にそして自分に言い聞かせるようにして、自分の心情と決意を述べている。「いろんなことを知って」が具体的に何を指しているのかは分からない。また、「前へ向かって」がどのような方向を示しているのかも抽象的にしか理解できない。しかし、『若者のすべて』の主体「僕」にとっては、「すりむいたまま」「途切れた夢の続き」を取り戻すための歩みであり、そのようにして前へ向かって歩き出そうとしている、と解釈することができる。作者の想いは、歌に表現されることで、より限定した意味を帯びてくるからだ。
私たちが夜経験する「途切れた夢」は、とても儚く、時に恐ろしく、時に甘美だ。途切れてしまったからこそ、心の余白にいつまでもこびりつく。現実的な願望の対象としての「途切れた夢」は、時に執拗にその成就を私たちに求める。それは欲望の源になるが、同時に辛さの源にもなる。「途切れた夢の続き」という言葉は、『若者のすべて』の一節を超えて、志村正彦の音楽活動の歩みのすべてを凝縮しているように私には感じられる。
2013年7月24日水曜日
続、時代が追いついてきた。 (志村正彦LN 40)
LN38に引き続き、それ以降の志村正彦関連の話題を追っていきたい。
16日、『山梨日日新聞』第1面のコラム「風林火山」。LN38で紹介した「白球の夢 半世紀」という連載に触れて、「少年野球時代の光景を楽曲にした人気ロックバンドのボーカルも、県大会には出場できずに悔し涙を流した。29歳で他界。都内のマンションには、小学生時代に使っていた父から贈られたグラブやバット、新聞記事が大切の保管されていた」と書き、「楽しいこともつらいことも、全力を尽くせばすべてが宝物になる。野球に限らず、好きなことを見つけて真剣に取り組むことの大切さを、先輩たちの言葉や姿が教えてくれる」と結んでいた。
16日の夜、渋谷で、GREAT3とフジファブリックの対バンライブが行われたが、ROロックのライブレポート「2013.07.16 GREAT3×フジファブリック @渋谷クラブクアトロ」( http://ro69.jp/live/detail/85367 )で、片寄明人が「そんな志村正彦くんに捧げる曲を作りました』と述べてから『彼岸』が演奏された、ということを知った。
5月23日の新宿ロフトのライブでは、「志村正彦」という名は出さなかったが、今回はフジファブリック・ファンも多かった故、「志村正彦」という名をはっきりと打ち出したのだろう。セットリストも記され、「彼岸」の次に「綱渡り」が歌われたそうだ。「彼岸」「綱渡り」は、5月23日にもこの順で演奏されていたので、一つの組曲のように扱われているようだ。
22日、フジテレビ月9のドラマ『SUMMER NUDE』第3回の冒頭で、前回のシーンをまとめた映像に合わせて、フジファブリック『若者のすべて』(志村正彦作詞・作曲)が再び放送された。今回はタイトルバックということもあって、Aメロ、Bメロ、途中省略して最後のサビ「最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と、1分30秒ほどの短いヴァージョンに編集されていた。最後のサビの部分がこの物語の展開の鍵となるようなので、このような短縮版も頷ける。
また、プロデューサーの村瀬健氏がtwitterで、「路地裏の僕たち」の一人「kazz3776」さんからのメッセージに、「月9『SUMMER NUDE』でフジファブリック「若者のすべて」を主人公の思い出の曲として使わせて頂いております。志村さんの歌声が世界中に響き渡れば…と思います。」と応えてくれたことも、とても嬉しい。
23日の夕方、NHK甲府放送局の「まるごと山梨」というニュース(午後6:10~7:00)の「がんばる甲州人」というシリーズで、「ロックミュージシャン志村正彦さん」「多くの人に生き続ける」という題と内容の番組が放送された。本編は8分程、司会者による前後のコメントを併せると10分程の長さであったが、担当ディレクターによる丁寧な取材に基づいて、内容、構成もよく考えられたものであった。
NHKローカル局を含めて地元の放送局で志村正彦がまとまって紹介されたのは、初めてのことである。彼については、地元紙『山梨日日新聞』がシリーズものとして連載したり、系列のYBSテレビが志村展をニュースで報道したりするなど、継続的に扱ってくれて、とても有り難かったのだが、それ以外のメディアや地元放送局が彼を取り上げることはほとんどなかった。(富士吉田のCATV局はニュースにしてくれているが)彼自身が地元メディアに対してあまり宣伝をしないストイックな姿勢を貫いていたこともあるが、それ以上に、山梨という風土が文化や芸術についてあまり感度が高くないことが要因としてあげられる。
だからこそ今回、NHKの甲府放送局が、今でも「多くの人に生き続ける」という視点で、志村正彦の軌跡と現在の地元でのムーブメントを取材してくれたことは、新しい動きとして特筆すべきである。実は、ディレクターからの依頼で私自身も少し出演しているので、ある意味で当事者の一人であり、第三者的に言及するのはフェアでない気がするが、これまであるようでなかった、というか、あるべきなのになかった、地元局による志村正彦の番組が制作され放送されたということ自体は、大いに評価されるべきだと考えている。(この番組の内容については、稿を改めて、書くことにしたい)
地元山梨もようやく、 志村正彦に追いついてきたようだ。
16日、『山梨日日新聞』第1面のコラム「風林火山」。LN38で紹介した「白球の夢 半世紀」という連載に触れて、「少年野球時代の光景を楽曲にした人気ロックバンドのボーカルも、県大会には出場できずに悔し涙を流した。29歳で他界。都内のマンションには、小学生時代に使っていた父から贈られたグラブやバット、新聞記事が大切の保管されていた」と書き、「楽しいこともつらいことも、全力を尽くせばすべてが宝物になる。野球に限らず、好きなことを見つけて真剣に取り組むことの大切さを、先輩たちの言葉や姿が教えてくれる」と結んでいた。
16日の夜、渋谷で、GREAT3とフジファブリックの対バンライブが行われたが、ROロックのライブレポート「2013.07.16 GREAT3×フジファブリック @渋谷クラブクアトロ」( http://ro69.jp/live/detail/85367 )で、片寄明人が「そんな志村正彦くんに捧げる曲を作りました』と述べてから『彼岸』が演奏された、ということを知った。
5月23日の新宿ロフトのライブでは、「志村正彦」という名は出さなかったが、今回はフジファブリック・ファンも多かった故、「志村正彦」という名をはっきりと打ち出したのだろう。セットリストも記され、「彼岸」の次に「綱渡り」が歌われたそうだ。「彼岸」「綱渡り」は、5月23日にもこの順で演奏されていたので、一つの組曲のように扱われているようだ。
22日、フジテレビ月9のドラマ『SUMMER NUDE』第3回の冒頭で、前回のシーンをまとめた映像に合わせて、フジファブリック『若者のすべて』(志村正彦作詞・作曲)が再び放送された。今回はタイトルバックということもあって、Aメロ、Bメロ、途中省略して最後のサビ「最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と、1分30秒ほどの短いヴァージョンに編集されていた。最後のサビの部分がこの物語の展開の鍵となるようなので、このような短縮版も頷ける。
また、プロデューサーの村瀬健氏がtwitterで、「路地裏の僕たち」の一人「kazz3776」さんからのメッセージに、「月9『SUMMER NUDE』でフジファブリック「若者のすべて」を主人公の思い出の曲として使わせて頂いております。志村さんの歌声が世界中に響き渡れば…と思います。」と応えてくれたことも、とても嬉しい。
23日の夕方、NHK甲府放送局の「まるごと山梨」というニュース(午後6:10~7:00)の「がんばる甲州人」というシリーズで、「ロックミュージシャン志村正彦さん」「多くの人に生き続ける」という題と内容の番組が放送された。本編は8分程、司会者による前後のコメントを併せると10分程の長さであったが、担当ディレクターによる丁寧な取材に基づいて、内容、構成もよく考えられたものであった。
NHKローカル局を含めて地元の放送局で志村正彦がまとまって紹介されたのは、初めてのことである。彼については、地元紙『山梨日日新聞』がシリーズものとして連載したり、系列のYBSテレビが志村展をニュースで報道したりするなど、継続的に扱ってくれて、とても有り難かったのだが、それ以外のメディアや地元放送局が彼を取り上げることはほとんどなかった。(富士吉田のCATV局はニュースにしてくれているが)彼自身が地元メディアに対してあまり宣伝をしないストイックな姿勢を貫いていたこともあるが、それ以上に、山梨という風土が文化や芸術についてあまり感度が高くないことが要因としてあげられる。
だからこそ今回、NHKの甲府放送局が、今でも「多くの人に生き続ける」という視点で、志村正彦の軌跡と現在の地元でのムーブメントを取材してくれたことは、新しい動きとして特筆すべきである。実は、ディレクターからの依頼で私自身も少し出演しているので、ある意味で当事者の一人であり、第三者的に言及するのはフェアでない気がするが、これまであるようでなかった、というか、あるべきなのになかった、地元局による志村正彦の番組が制作され放送されたということ自体は、大いに評価されるべきだと考えている。(この番組の内容については、稿を改めて、書くことにしたい)
地元山梨もようやく、 志村正彦に追いついてきたようだ。
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2013年の夏,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2013年7月21日日曜日
涙 (志村正彦LN 39)
14日、「いつもの丘」にある新倉浅間神社の神楽殿で開催された、志村正彦に関するイベントから1週間が経つ。その日のことを書き記しておきたい。
当日は、例年より蒸し暑い富士吉田となっていたが、その数日前までの山梨全体の猛暑に比べれば幾分か過ごしやすかった。心配していた雨も途中で少し降っただけで、何とか終了まで持ちこたえることができた。
夕方5時過ぎ、「志村正彦を歌う会」に引き続き、「路地裏の僕たち」の企画によって、当日の参加者、ファンに宛てた志村正彦の御家族からの手紙が代読された。遠くから訪れていただいた方々への御家族からの丁寧な感謝の言葉と、志村正彦の御友人からの手紙の文面が紹介された。御友人の手紙では、2006年7月頃に、「地元にいつか帰りたいけど、しっかり音楽で恩返しできるまで帰れない。いつかは地元でスタジオを開いて、若いミュージシャンを迎えてあげたい」という夢を語っていたという事実が告げられた。
昔から、東京に近いこともあって、富士吉田に近い河口湖や山中湖にはスタジオが多い。彼が元気でいれば、手紙で書かれていた通り、いつか「志村スタジオ」を作り、そこで音楽作りに専念できたかもしれない。
欧米では、年齢が三十代半ばを過ぎる頃になると、バンド活動に終止符を打ったり休止したりして、ソロとなり、いつもと異なるミュージシャンを集め、アルバム作成に時間をかけて、作品中心に発表するロックアーティストがいる。また、自分自身のスタジオをつくったりレーベルをつくったりすることも多い。敬愛するピーター・ガブリエルがその良い例である。
志村正彦も、そのような形で、熟成した音楽を作り、志のある若手を支援する夢を持っていたのだろう。成就しなかった夢を後になって知るのは、たとえようなく哀しい。そんな想いに沈んでいる内に、2005年、FM東京で放送された志村正彦のトークとスタジオで演奏された『茜色の夕日』アコースティックヴァージョンが披露された。
誰もいない神楽殿の舞台。そこには愛用のギターやアンプがあったのだが、舞台上のスピーカーから、彼の言葉が流れてきた。シングル発表直後ということもあって、明るい感じの声だったが、逆に、そのことが彼の不在を際だたせていた。アコースティックの『茜色の夕日』は、繊細で揺れるような声で「おだやかな哀しみ」とでもいうべき想いを歌い上げていた。
私も、ある想いに捉えられていた。いつもなら、そのような想いを捉え直し、言葉にすることで、想いと距離を置こうとする自分がいた。しかし、あの時は、そのようなことはできず、涙が少しずつあふれてきた。
今、「いつもの丘」で、『茜色の夕日』の声が響いている。声はあるのに、彼はいない。突然の身体の異変が彼の命を奪ってしまった。どうしてなんだ。どうしてなんだ。こんな現実があっていいはずはない。あってはならない。
しかし、彼の不在、絶対に変えることのできない現実がそこにはあった。そのような現実への涙だった。
当日は、例年より蒸し暑い富士吉田となっていたが、その数日前までの山梨全体の猛暑に比べれば幾分か過ごしやすかった。心配していた雨も途中で少し降っただけで、何とか終了まで持ちこたえることができた。
夕方5時過ぎ、「志村正彦を歌う会」に引き続き、「路地裏の僕たち」の企画によって、当日の参加者、ファンに宛てた志村正彦の御家族からの手紙が代読された。遠くから訪れていただいた方々への御家族からの丁寧な感謝の言葉と、志村正彦の御友人からの手紙の文面が紹介された。御友人の手紙では、2006年7月頃に、「地元にいつか帰りたいけど、しっかり音楽で恩返しできるまで帰れない。いつかは地元でスタジオを開いて、若いミュージシャンを迎えてあげたい」という夢を語っていたという事実が告げられた。
昔から、東京に近いこともあって、富士吉田に近い河口湖や山中湖にはスタジオが多い。彼が元気でいれば、手紙で書かれていた通り、いつか「志村スタジオ」を作り、そこで音楽作りに専念できたかもしれない。
欧米では、年齢が三十代半ばを過ぎる頃になると、バンド活動に終止符を打ったり休止したりして、ソロとなり、いつもと異なるミュージシャンを集め、アルバム作成に時間をかけて、作品中心に発表するロックアーティストがいる。また、自分自身のスタジオをつくったりレーベルをつくったりすることも多い。敬愛するピーター・ガブリエルがその良い例である。
志村正彦も、そのような形で、熟成した音楽を作り、志のある若手を支援する夢を持っていたのだろう。成就しなかった夢を後になって知るのは、たとえようなく哀しい。そんな想いに沈んでいる内に、2005年、FM東京で放送された志村正彦のトークとスタジオで演奏された『茜色の夕日』アコースティックヴァージョンが披露された。
誰もいない神楽殿の舞台。そこには愛用のギターやアンプがあったのだが、舞台上のスピーカーから、彼の言葉が流れてきた。シングル発表直後ということもあって、明るい感じの声だったが、逆に、そのことが彼の不在を際だたせていた。アコースティックの『茜色の夕日』は、繊細で揺れるような声で「おだやかな哀しみ」とでもいうべき想いを歌い上げていた。
私も、ある想いに捉えられていた。いつもなら、そのような想いを捉え直し、言葉にすることで、想いと距離を置こうとする自分がいた。しかし、あの時は、そのようなことはできず、涙が少しずつあふれてきた。
今、「いつもの丘」で、『茜色の夕日』の声が響いている。声はあるのに、彼はいない。突然の身体の異変が彼の命を奪ってしまった。どうしてなんだ。どうしてなんだ。こんな現実があっていいはずはない。あってはならない。
しかし、彼の不在、絶対に変えることのできない現実がそこにはあった。そのような現実への涙だった。
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2013年の夏,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2013年7月16日火曜日
時代が追いついてきた。 (志村正彦LN 38)
志村正彦の誕生日7月10日から1週間も経たない内に、彼に関する様々な催しや出来事があった。今回からしばらく、『若者のすべて』論から離れて、幾つかの事柄に関して書いていきたい。まず、出来事を列挙してみよう。
10日から14日にかけて、富士吉田市の若手職員プロジェクトによって、富士吉田市の夕方6時のチャイムが、志村正彦作詞作曲の『茜色の夕日』に変更され、あの美しく切ないメロディが故郷の空に響き渡ったこと。
13日下吉田倶楽部、14日新倉浅間神社「いつもの丘」で開催された「志村正彦を歌う会」で、沢山のアマチュア・ミュージシャンが志村正彦の作品を歌い奏でたこと。
この会の最後に、志村正彦のご家族からのメッセージが代読され、続いて、ほとんど知られていない『茜色の夕日』のアコースティック音源と歌についてのコメント(FM東京で録音、放送されたもの)が再生されたこと。
15日、『山梨日日新聞』の『白球の夢半世紀 山日YBS杯県少年野球』という連載の最後となる第10回で、沢登雄太記者が(彼は志村正彦・フジファブリックについて書き続けている「志」の高い記者だ)ご両親への取材に基づいて、『宝物の思い出を歌に』と題して、志村正彦と少年野球を巡るエピソードや『記念写真』などの野球をモチーフとする楽曲について書いた記事が掲載されたこと。
15日の夜、フジテレビ月9のドラマ『SUMMER NUDE サマーヌード』で、フジファブリックの『若者のすべて』(志村正彦作詞・作曲)が放送されたこと。それも単なるBGMではなく、プロデューサーの村瀬健氏がtwitterで、「『若者のすべて』この曲がすべてを変えてしまいます…最後まで見逃さないでください! 」と述べているように、このドラマの展開の鍵となる曲であるらしいこと。(志村は映画好きだったから、どんなに喜んだことだろう。そして、自分の歌についての「自信」を持ったことだろう)
私自身も、縁あって、2011年12年と志村正彦展を主催している、彼の同級生や先輩後輩たちが集う地元のグループ「路地裏の僕たち」の支援係として、今回富士吉田で行われたイベントの準備や裏方を務めた。昨日は、そのことを通じて感じ考えたことの下書きをしている内に、山日の記事が届けられ、月9ドラマに『若者のすべて』が使われたという話題が飛び込んできた。さて、どのことから書けばいいのか、まさしく「嬉しい悲鳴」をあげてしまったが、一つ一つ、少しずつ、追っていきたいと考えた。
富士吉田で行われたイベントに来た人の多くは、すでに志村正彦に出会った人々であったが、中には地元の人を中心に、今回のイベントを機に、彼に興味を持ち、彼の歌を知るために訪れてくれた人々もいた。また、山日の記事、少年野球という切り口から、志村正彦の存在を知った人々もいるだろう。ドラマ『SUMMER NUDE』から、『若者のすべて』を通じて、新たに彼の歌と出会う人々も増えてくるだろう。
志村正彦は、14日の新倉浅間神社で再生された音源でも、『茜色の夕日』について、言葉は同じなのに、歌の解釈は時の経過と共に異なってくるという意味のことを述べていた。『若者のすべて』のライブMCでも同様のことを語っている。歌詞の意味が限定されていなくて、聴き手と共に、時の経過や聴き手の経験の深まりと共に、その解釈が変化していく、多様性と豊かさのある歌、聴き手中心の歌を、志村正彦は創造してきた。おそらく今、時代はこのような歌を求めている。
彼が亡くなって3年半が経つが、むしろこれから、志村正彦の作品は、より多くの人々に聴かれるようになるのではないか。そのような想いの中にいる。(端から見ると、「願望」のように「妄想」のように思われるかもしれないが)
時代が志村正彦の作品に追いついてきた。今日は、そんな言葉をここに書き記したい。
10日から14日にかけて、富士吉田市の若手職員プロジェクトによって、富士吉田市の夕方6時のチャイムが、志村正彦作詞作曲の『茜色の夕日』に変更され、あの美しく切ないメロディが故郷の空に響き渡ったこと。
13日下吉田倶楽部、14日新倉浅間神社「いつもの丘」で開催された「志村正彦を歌う会」で、沢山のアマチュア・ミュージシャンが志村正彦の作品を歌い奏でたこと。
この会の最後に、志村正彦のご家族からのメッセージが代読され、続いて、ほとんど知られていない『茜色の夕日』のアコースティック音源と歌についてのコメント(FM東京で録音、放送されたもの)が再生されたこと。
15日、『山梨日日新聞』の『白球の夢半世紀 山日YBS杯県少年野球』という連載の最後となる第10回で、沢登雄太記者が(彼は志村正彦・フジファブリックについて書き続けている「志」の高い記者だ)ご両親への取材に基づいて、『宝物の思い出を歌に』と題して、志村正彦と少年野球を巡るエピソードや『記念写真』などの野球をモチーフとする楽曲について書いた記事が掲載されたこと。
15日の夜、フジテレビ月9のドラマ『SUMMER NUDE サマーヌード』で、フジファブリックの『若者のすべて』(志村正彦作詞・作曲)が放送されたこと。それも単なるBGMではなく、プロデューサーの村瀬健氏がtwitterで、「『若者のすべて』この曲がすべてを変えてしまいます…最後まで見逃さないでください! 」と述べているように、このドラマの展開の鍵となる曲であるらしいこと。(志村は映画好きだったから、どんなに喜んだことだろう。そして、自分の歌についての「自信」を持ったことだろう)
私自身も、縁あって、2011年12年と志村正彦展を主催している、彼の同級生や先輩後輩たちが集う地元のグループ「路地裏の僕たち」の支援係として、今回富士吉田で行われたイベントの準備や裏方を務めた。昨日は、そのことを通じて感じ考えたことの下書きをしている内に、山日の記事が届けられ、月9ドラマに『若者のすべて』が使われたという話題が飛び込んできた。さて、どのことから書けばいいのか、まさしく「嬉しい悲鳴」をあげてしまったが、一つ一つ、少しずつ、追っていきたいと考えた。
富士吉田で行われたイベントに来た人の多くは、すでに志村正彦に出会った人々であったが、中には地元の人を中心に、今回のイベントを機に、彼に興味を持ち、彼の歌を知るために訪れてくれた人々もいた。また、山日の記事、少年野球という切り口から、志村正彦の存在を知った人々もいるだろう。ドラマ『SUMMER NUDE』から、『若者のすべて』を通じて、新たに彼の歌と出会う人々も増えてくるだろう。
志村正彦は、14日の新倉浅間神社で再生された音源でも、『茜色の夕日』について、言葉は同じなのに、歌の解釈は時の経過と共に異なってくるという意味のことを述べていた。『若者のすべて』のライブMCでも同様のことを語っている。歌詞の意味が限定されていなくて、聴き手と共に、時の経過や聴き手の経験の深まりと共に、その解釈が変化していく、多様性と豊かさのある歌、聴き手中心の歌を、志村正彦は創造してきた。おそらく今、時代はこのような歌を求めている。
彼が亡くなって3年半が経つが、むしろこれから、志村正彦の作品は、より多くの人々に聴かれるようになるのではないか。そのような想いの中にいる。(端から見ると、「願望」のように「妄想」のように思われるかもしれないが)
時代が志村正彦の作品に追いついてきた。今日は、そんな言葉をここに書き記したい。
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2013年の夏,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2013年7月7日日曜日
「ないかな ないよな きっとね いないよな」-『若者のすべて』4 (志村正彦LN 37)
今回は、第2ブロック、サビの部分を考察したい。
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
第1ブロック、A・Bメロの部分を受けて、「最後の花火に今年もなったな」と歌い出される。歌詞の文脈からいえば、《僕》が繰り返し想いだすある出来事、「夕方5時のチャイム」に直接あるいは間接的に関わり、「運命」を感じさせるような出来事は、「最後の花火」に関わる出来事だったことになる。
LN34で述べたように、第1ブロック、A・Bメロの部分、歌の主体《僕》の歩行をモチーフとする部分と、第2ブロック、サビの部分、「最後の花火」のモチーフの部分とは、本来、異なる曲だったようだ。その二つの曲、特に歌詞がどの程度できあがっていたのかを知る術はない。これはあくまで私の推測だが、この二つのモチーフがつながったのは、曲作りの過程でのことだったのではないだろうか。完成された『若者のすべて』において、《僕》の歩行のモチーフと「最後の花火」のモチーフとは、上手く接合されているようで、充分に接合されきってはいないからだ。私にはそう感じられる。
そしてそのことが、『若者のすべて』の解釈の難しさ、あるいは、LN6で触れたように、志村正彦が両国国技館ライブで『若者のすべて』を歌う前のMCで述べた「解釈が違うんですよ 同じ歌詞なのに」という言葉につながっているのだと思われる。この論ではひとまず、接合されていると仮定して分析していくが、最後の方で、接合されていないと考えた場合の解釈を付加したい。
ここで一端、歌の構成の問題から離れて、歌詞についてかなり具体的な指摘をしたい。この「最後の花火」は、富士五湖の一つ河口湖で毎年開かれる「湖上祭」の「花火」をモチーフとしていると言われている。本人が明言したことはないようだが、富士吉田で生まれ育った志村にとって、夏の「最後の花火」というモチーフに直接的間接的に河口湖の花火が関わっていると受けとめてもよいだろう。そういう前提のもとに、山梨の在住者として少し説明したいことがある。
富士五湖の花火大会は、毎年8月1日の山中湖から始まり、2日西湖、3日本栖湖、4日精進湖と続き、5日の河口湖で終わりとなる。富士五湖の夏の風物詩で、実施日と湖はいつも1日から5日まで固定されている。だから毎年、河口湖の花火は、富士五湖の花火の中の「最後の花火」であるという事実だ。通常、「最後の花火に今年もなったな」というのは、2時間ほど続く花火大会の最後を飾るフィナーレの花火を指しているのだろうが、「最後の花火」が河口湖の花火大会そのものを暗に示している解釈の余地もあることになる。通常の解釈を取ったとしても、「最後」という言葉には、残像のようなものとして、河口湖の花火の記憶が刻印されていると考えてもよいだろう。
河口湖は、志村正彦の生まれ育った場所からは自転車に乗って二十分ほどで着く距離にある。湖上の花火は、湖の水面に光が反射し、特有の美しさを持つ。志村正彦も小さい頃から何度も出かけたことがあるのだろう。家族や「路地裏」や学校の友達と共に。思春期に入れば「それなりに」異性の友達と一緒に行ったことがあるのかもしれない。そしてその経験の中で「何年経っても思い出してしまう」ような出来事があったのかもしれない。特に河口湖の「湖上祭」花火大会の最後、つまり「最後の最後の花火」は、毎年、「ナイアガラ」という数百メートルの幅を持つ「光の滝」が湖面に降り注ぎ、白い光の帯が輝く。華やかな光が尽きると、花火大会も終わりとなる。
第2ブロック、サビの部分は、歌われる物語の流れから言えば、ここで回想が始まり、現在という時から過去の時へと、時の主軸が移る。また、都市から故郷へ、街路から自然の豊かな場へと、場も転換する。そのように解釈する場合、第1ブロックと第2ブロックとは、ある種の「転換」によって接合されていると考えられる。
続いて、『若者のすべて』中でも最も印象深い一節が歌われる。
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
「ないかな」「ないよな」と「ない」が二つ重ねられる。しかし、いったい何が「ない」のか。それがわからないまま「きっとね」を挿んで、「いないよな」に続く。「いない」のならその主語は人、誰かということになる。続く行で、「会ったら言えるかな」とあるので、その「いない」と思う誰かは、歌の主体《僕》にとって出会ったら何かを言えるか困惑するような相手、普通考えるなら、恋人のような大切であった存在のことであろう。そして、その場面全体を「まぶた閉じて浮かべている」と歌っている。
そうであるのなら、この一節をもとに戻ると、「ない」の主語は、誰か大切な人との再会するという出来事になるかもしれない。「再会する」ことが「ないかな」となり、「再会する」という意味の言葉が省かれていることになる。あるいは、「いること」が「ないかな」つまり「いないかな」の「い」が省かれた形とも考えられる。
例えば、この歌詞を「また会えないかな」「彼女いないよな」などと綴ったとしたら、その凡庸さによって、耐え難いつまらない歌になってしまっただろう。再会することが「ない」あるいは誰かが「いない」、出来事の否定、人の不在、そのどちらにしても、「ない」という否定形の反復とその対象の省略という話法によって、この歌は独創的なものとなっている。その否定に、「…かな」「…よな」「…ね」「…よな」という、否定しきれない、《僕》の戸惑いや未練を示す助詞をつけることで、曖昧さとある種の迂回が付加される。
歌われている物語は、「まぶた閉じて浮かべているよ」とあるように、閉じられたまぶたの裏側にあるスクリーンに投影されている出来事のようだ。そしてすべてが、歌の主体《僕》の夢想であるようにも感じられる。
純粋な響きの問題にも触れたい。「ないかな ないよな きっとね いないよな」の一節には、「な…」「な…」「…な…」の不在を強調する「な」の頭韻と、「…かな」「…よな」「…よな」の「な」の脚韻がある。「な」の頭韻には強く高い響き、「な」の脚韻には柔らかく低い響きがある。「な」の音の強さと柔らかさが、縦糸と横糸になって織り込まれているような、見事な音の織物になっている。
この第2ブロックには、その話法にしろ、音の響きにしろ、志村正彦にしか為しえないような、極めて高度で複雑な表現が使われている。
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
第1ブロック、A・Bメロの部分を受けて、「最後の花火に今年もなったな」と歌い出される。歌詞の文脈からいえば、《僕》が繰り返し想いだすある出来事、「夕方5時のチャイム」に直接あるいは間接的に関わり、「運命」を感じさせるような出来事は、「最後の花火」に関わる出来事だったことになる。
LN34で述べたように、第1ブロック、A・Bメロの部分、歌の主体《僕》の歩行をモチーフとする部分と、第2ブロック、サビの部分、「最後の花火」のモチーフの部分とは、本来、異なる曲だったようだ。その二つの曲、特に歌詞がどの程度できあがっていたのかを知る術はない。これはあくまで私の推測だが、この二つのモチーフがつながったのは、曲作りの過程でのことだったのではないだろうか。完成された『若者のすべて』において、《僕》の歩行のモチーフと「最後の花火」のモチーフとは、上手く接合されているようで、充分に接合されきってはいないからだ。私にはそう感じられる。
そしてそのことが、『若者のすべて』の解釈の難しさ、あるいは、LN6で触れたように、志村正彦が両国国技館ライブで『若者のすべて』を歌う前のMCで述べた「解釈が違うんですよ 同じ歌詞なのに」という言葉につながっているのだと思われる。この論ではひとまず、接合されていると仮定して分析していくが、最後の方で、接合されていないと考えた場合の解釈を付加したい。
ここで一端、歌の構成の問題から離れて、歌詞についてかなり具体的な指摘をしたい。この「最後の花火」は、富士五湖の一つ河口湖で毎年開かれる「湖上祭」の「花火」をモチーフとしていると言われている。本人が明言したことはないようだが、富士吉田で生まれ育った志村にとって、夏の「最後の花火」というモチーフに直接的間接的に河口湖の花火が関わっていると受けとめてもよいだろう。そういう前提のもとに、山梨の在住者として少し説明したいことがある。
富士五湖の花火大会は、毎年8月1日の山中湖から始まり、2日西湖、3日本栖湖、4日精進湖と続き、5日の河口湖で終わりとなる。富士五湖の夏の風物詩で、実施日と湖はいつも1日から5日まで固定されている。だから毎年、河口湖の花火は、富士五湖の花火の中の「最後の花火」であるという事実だ。通常、「最後の花火に今年もなったな」というのは、2時間ほど続く花火大会の最後を飾るフィナーレの花火を指しているのだろうが、「最後の花火」が河口湖の花火大会そのものを暗に示している解釈の余地もあることになる。通常の解釈を取ったとしても、「最後」という言葉には、残像のようなものとして、河口湖の花火の記憶が刻印されていると考えてもよいだろう。
河口湖は、志村正彦の生まれ育った場所からは自転車に乗って二十分ほどで着く距離にある。湖上の花火は、湖の水面に光が反射し、特有の美しさを持つ。志村正彦も小さい頃から何度も出かけたことがあるのだろう。家族や「路地裏」や学校の友達と共に。思春期に入れば「それなりに」異性の友達と一緒に行ったことがあるのかもしれない。そしてその経験の中で「何年経っても思い出してしまう」ような出来事があったのかもしれない。特に河口湖の「湖上祭」花火大会の最後、つまり「最後の最後の花火」は、毎年、「ナイアガラ」という数百メートルの幅を持つ「光の滝」が湖面に降り注ぎ、白い光の帯が輝く。華やかな光が尽きると、花火大会も終わりとなる。
第2ブロック、サビの部分は、歌われる物語の流れから言えば、ここで回想が始まり、現在という時から過去の時へと、時の主軸が移る。また、都市から故郷へ、街路から自然の豊かな場へと、場も転換する。そのように解釈する場合、第1ブロックと第2ブロックとは、ある種の「転換」によって接合されていると考えられる。
続いて、『若者のすべて』中でも最も印象深い一節が歌われる。
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
「ないかな」「ないよな」と「ない」が二つ重ねられる。しかし、いったい何が「ない」のか。それがわからないまま「きっとね」を挿んで、「いないよな」に続く。「いない」のならその主語は人、誰かということになる。続く行で、「会ったら言えるかな」とあるので、その「いない」と思う誰かは、歌の主体《僕》にとって出会ったら何かを言えるか困惑するような相手、普通考えるなら、恋人のような大切であった存在のことであろう。そして、その場面全体を「まぶた閉じて浮かべている」と歌っている。
そうであるのなら、この一節をもとに戻ると、「ない」の主語は、誰か大切な人との再会するという出来事になるかもしれない。「再会する」ことが「ないかな」となり、「再会する」という意味の言葉が省かれていることになる。あるいは、「いること」が「ないかな」つまり「いないかな」の「い」が省かれた形とも考えられる。
例えば、この歌詞を「また会えないかな」「彼女いないよな」などと綴ったとしたら、その凡庸さによって、耐え難いつまらない歌になってしまっただろう。再会することが「ない」あるいは誰かが「いない」、出来事の否定、人の不在、そのどちらにしても、「ない」という否定形の反復とその対象の省略という話法によって、この歌は独創的なものとなっている。その否定に、「…かな」「…よな」「…ね」「…よな」という、否定しきれない、《僕》の戸惑いや未練を示す助詞をつけることで、曖昧さとある種の迂回が付加される。
歌われている物語は、「まぶた閉じて浮かべているよ」とあるように、閉じられたまぶたの裏側にあるスクリーンに投影されている出来事のようだ。そしてすべてが、歌の主体《僕》の夢想であるようにも感じられる。
純粋な響きの問題にも触れたい。「ないかな ないよな きっとね いないよな」の一節には、「な…」「な…」「…な…」の不在を強調する「な」の頭韻と、「…かな」「…よな」「…よな」の「な」の脚韻がある。「な」の頭韻には強く高い響き、「な」の脚韻には柔らかく低い響きがある。「な」の音の強さと柔らかさが、縦糸と横糸になって織り込まれているような、見事な音の織物になっている。
この第2ブロックには、その話法にしろ、音の響きにしろ、志村正彦にしか為しえないような、極めて高度で複雑な表現が使われている。
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『若者のすべて』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2013年6月30日日曜日
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて-『若者のすべて』3 (志村正彦LN 36)
これから何回かに分けて、『若者のすべて』の言葉を読むことに集中していく。今回は、第1ブロック、AメロBメロの部分の言葉を1行ずつ追っていきたい。
真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
歌の話者であり主体である《僕》は、「真夏のピークが去った」という季節の推移から歌い始める。この季節は、夏がその光と輝きや暑さという感覚の頂きを過ぎて、終わりにかけてなだらかにその感覚を失っていく時節だ。また、何かが「去る」「去った」という感覚は、志村正彦が繰り返し描いたものだ。
聴き手は夏が去り行く季節を背景にして物語が語られることを予想し、その物語を追跡しようとする。季節感を伝えるのは、志村正彦特有の感性だ。彼にとって季節は、歌を着想する導きのようなものだろう。季節とその移り変わり、それに対する感覚あるいは記憶、そのようなものと共に、ある情景が浮かび上がり、主体の想いがあふれ、言葉が動き、メロディとリズムが流れ、歌の世界が創り出されることが多い。
しかしこの歌では、季節の推移を「テレビ」の「天気予報士」の伝える言葉で表現している。歌の主体《僕》自身の季節の感覚というよりも、テレビというメディアの他者からの伝聞として、夏の季節の推移を歌に登場させている。歌の冒頭から、物語の語り方は複雑であることに留意したい。
また、この行からは、歌の主体《僕》は室内にいて、テレビの天気予報を見ているという日常的な光景が伝わってくる。
それでもいまだに街は 落ち着かないような気がしている
「それでも」とあるのは、夏のピークが去った時期にもかかわらず「いまだに」、「街」は「落ち着かないような気がしている」からだ。ここでは「ような」「気がしている」というような、ある種の迂回した言い方がされている。そして、夏の雰囲気がまだ濃厚に残る街で、《僕》は夏をまだ終わらせたくないようにもでもある。
この場面で、歌の主体《僕》が室内にいて外の雰囲気を感じ取っているのか、あるいは、街へと繰り出してその雰囲気の只中にいるのか、は分からない。
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
夏の夕方、暑さや熱、湿気と空気の感触、街の気配と人の往来、その風景の中で「夕方5時のチャイム」の音が降りそそぐ。夏の街の「落ち着かない」ざわめきに対して、音色が時の区切りを告げる。
歌の主体《僕》は、「今日は」と限定し、その音が「なんだか胸に響いて」と感じる。「なんだか」とあるように、その理由は《僕》にとっても曖昧なものかもしれない。また、なぜ胸に響くのかという問いに対する答えは、歌の言葉からは見つからない。明示的にその理由を伝えることは、歌の意味を限定してしまうので、そのような閉じられた解釈を志村正彦は避けたかったのだろう。あるいは、聴き手自身が自分の「胸に響く」ような、チャイムやその他の音色の記憶とそれに関わる出来事を想起できるように、聞き手にとって自由に想像できる余白を歌の内部に挿みこんだのかもしれない。また、「胸に響いて」の「て」という接続助詞も彼が愛用するものだが、この「て」はその後に余白を置くような効果がある。
「夕方5時のチャイム」が鳴り響くことで、主体の胸にもある想いが響く。「夕方5時のチャイム」に直接結びつく想いなのか、間接的に導かれる想いなのかは分からない。ここではまだ語られることのない想いは、おそらく、《僕》が繰り返し想いだす、ある出来事に対するものだろう。また、「天気予報士」の言葉を聞き、街のざわめきのようなものを聞き、夕方5時のチャイムを聞く、というように、《僕》は「聞く」こと、聴覚に鋭敏であることにも気をつけたい。
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
《僕》は、反復して想起する出来事を、「運命」という括弧つきの言葉に「なんて」「便利なもの」という形容を加えて表現している。私たちが運命的なあるいはそれに類する出来事(あくまでそう感じるという意味での)に遭遇したとして、それを表す他の適当な言葉が思い浮かばなかったり、その言葉によって説明して納得しようとしたりして、とりあえず、「運命」という「便利な」言葉を使うことがある。
《僕》にとって、「夕方5時のチャイム」に直接あるいは間接的に関わる出来事は、おそらく「運命」を感じさせるようなことだったのだろう。しかし、《僕》は「運命」という言葉で言い表すことに何らかの抵抗や躊躇も感じている。結果として「運命」という言葉を使うことは、その出来事を「ぼんやりさせて」しまうからだ。この場合の「ぼんやり」は、本来は明確にすべきことを曖昧にすること、向かい合わないで遠ざけること、を指す。「ぼんやり」させることで、《僕》はその出来事を遠ざけてしまう。《僕》はまっすぐに歩むべき道を迂回してしまう。
さらに言うと、「『運命』なんて便利なもので」と表現した結果、主体《僕》の心が変化して、「ぼんやり」したものに変わっていくという解釈も可能だ。この場合、《僕》は、ほんの少しの間、現実感を喪失し、白日夢のような心境に陥る。後半の歌詞の一節に「途切れた夢の続き」という言葉があることにもつながっていく。
『若者のすべて』の隠された主題は、夢ではないだろうか。この夢は、若者の漠然とした夢でもあり、私たちが毎夜見る夢、無意識が紡ぎ出す夢でもある。
真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
歌の話者であり主体である《僕》は、「真夏のピークが去った」という季節の推移から歌い始める。この季節は、夏がその光と輝きや暑さという感覚の頂きを過ぎて、終わりにかけてなだらかにその感覚を失っていく時節だ。また、何かが「去る」「去った」という感覚は、志村正彦が繰り返し描いたものだ。
聴き手は夏が去り行く季節を背景にして物語が語られることを予想し、その物語を追跡しようとする。季節感を伝えるのは、志村正彦特有の感性だ。彼にとって季節は、歌を着想する導きのようなものだろう。季節とその移り変わり、それに対する感覚あるいは記憶、そのようなものと共に、ある情景が浮かび上がり、主体の想いがあふれ、言葉が動き、メロディとリズムが流れ、歌の世界が創り出されることが多い。
しかしこの歌では、季節の推移を「テレビ」の「天気予報士」の伝える言葉で表現している。歌の主体《僕》自身の季節の感覚というよりも、テレビというメディアの他者からの伝聞として、夏の季節の推移を歌に登場させている。歌の冒頭から、物語の語り方は複雑であることに留意したい。
また、この行からは、歌の主体《僕》は室内にいて、テレビの天気予報を見ているという日常的な光景が伝わってくる。
それでもいまだに街は 落ち着かないような気がしている
「それでも」とあるのは、夏のピークが去った時期にもかかわらず「いまだに」、「街」は「落ち着かないような気がしている」からだ。ここでは「ような」「気がしている」というような、ある種の迂回した言い方がされている。そして、夏の雰囲気がまだ濃厚に残る街で、《僕》は夏をまだ終わらせたくないようにもでもある。
この場面で、歌の主体《僕》が室内にいて外の雰囲気を感じ取っているのか、あるいは、街へと繰り出してその雰囲気の只中にいるのか、は分からない。
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
夏の夕方、暑さや熱、湿気と空気の感触、街の気配と人の往来、その風景の中で「夕方5時のチャイム」の音が降りそそぐ。夏の街の「落ち着かない」ざわめきに対して、音色が時の区切りを告げる。
歌の主体《僕》は、「今日は」と限定し、その音が「なんだか胸に響いて」と感じる。「なんだか」とあるように、その理由は《僕》にとっても曖昧なものかもしれない。また、なぜ胸に響くのかという問いに対する答えは、歌の言葉からは見つからない。明示的にその理由を伝えることは、歌の意味を限定してしまうので、そのような閉じられた解釈を志村正彦は避けたかったのだろう。あるいは、聴き手自身が自分の「胸に響く」ような、チャイムやその他の音色の記憶とそれに関わる出来事を想起できるように、聞き手にとって自由に想像できる余白を歌の内部に挿みこんだのかもしれない。また、「胸に響いて」の「て」という接続助詞も彼が愛用するものだが、この「て」はその後に余白を置くような効果がある。
「夕方5時のチャイム」が鳴り響くことで、主体の胸にもある想いが響く。「夕方5時のチャイム」に直接結びつく想いなのか、間接的に導かれる想いなのかは分からない。ここではまだ語られることのない想いは、おそらく、《僕》が繰り返し想いだす、ある出来事に対するものだろう。また、「天気予報士」の言葉を聞き、街のざわめきのようなものを聞き、夕方5時のチャイムを聞く、というように、《僕》は「聞く」こと、聴覚に鋭敏であることにも気をつけたい。
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
《僕》は、反復して想起する出来事を、「運命」という括弧つきの言葉に「なんて」「便利なもの」という形容を加えて表現している。私たちが運命的なあるいはそれに類する出来事(あくまでそう感じるという意味での)に遭遇したとして、それを表す他の適当な言葉が思い浮かばなかったり、その言葉によって説明して納得しようとしたりして、とりあえず、「運命」という「便利な」言葉を使うことがある。
《僕》にとって、「夕方5時のチャイム」に直接あるいは間接的に関わる出来事は、おそらく「運命」を感じさせるようなことだったのだろう。しかし、《僕》は「運命」という言葉で言い表すことに何らかの抵抗や躊躇も感じている。結果として「運命」という言葉を使うことは、その出来事を「ぼんやりさせて」しまうからだ。この場合の「ぼんやり」は、本来は明確にすべきことを曖昧にすること、向かい合わないで遠ざけること、を指す。「ぼんやり」させることで、《僕》はその出来事を遠ざけてしまう。《僕》はまっすぐに歩むべき道を迂回してしまう。
さらに言うと、「『運命』なんて便利なもので」と表現した結果、主体《僕》の心が変化して、「ぼんやり」したものに変わっていくという解釈も可能だ。この場合、《僕》は、ほんの少しの間、現実感を喪失し、白日夢のような心境に陥る。後半の歌詞の一節に「途切れた夢の続き」という言葉があることにもつながっていく。
『若者のすべて』の隠された主題は、夢ではないだろうか。この夢は、若者の漠然とした夢でもあり、私たちが毎夜見る夢、無意識が紡ぎ出す夢でもある。
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