有馬眞胤さんとエイコさんが谷崎潤一郎「母を恋うる記」を演じるのは今回で二度目である。2024年12月15日東京両国のシアターXカイが初演だった。夢をモチーフとするこの作品に関心があった私は妻と一緒に両国に出かけた。今日はその芝居について振り返りたい。
両国は芥川龍之介が育った場所だ。かなり前のことになるが、山梨県立文学館の「芥川龍之介 人と文学」という映像の撮影でこの界隈を訪れたことがあった。現在は芥川家の跡地には居酒屋があり、その近くに「芥川龍之介生育の地という案内板が立てられている。
そこから少し歩くと芥川が幼少の頃によく遊んだ回向院、さらに進んでいくと隅田川に架かる両国橋がある。芥川が学んだ両国小学校(当時の名は江東尋常小学校)とその北西の角にある文学碑にも足を運んだ。「母を恋うる記」の開演前に、芥川ゆかりの場所をいくつか巡った。
公演開始は午後3時。シアターXカイに向かった。この会場は、1992年に旧両国国技館・日大講堂跡に建設された複合ビルの両国シティコア内の劇場としてオープンした。客席は200席程度で、舞台との距離が近くて見やすい。この日は第1部が宇佐美雅司さんの語りによる「刺青」、第2部が有馬さんとエイコさんの「母を恋うる記」という二部構成だった。
「母を恋うる記」のスタッフとキャストを記し、フライヤーの画像も添えたい。たい。
スタッフ
原作:谷崎潤一郎、構成・演出:有馬眞胤、協力:鳥居慎吾(アトリエ・シャノアールトリイ)・川村和央、メイクアップ:野口文代。
キャスト
私(男):有馬眞胤、女・母:エイコ(有馬英子)
有馬さんはこの芝居についてシアターXカイのHPで次のように語っていた。
有馬銅鑼魔50回記念公演を何とか無事に終えて半年間休みました。そして自分の中に新しい渇えが生まれるのを待ちました。今回上演する谷崎潤一郎「母を恋うる記」は私の心情ともリンクする、以前から気になっていた作品です。初めてエイコに芝居の中に登場してもらう冒険作です。私の中で期待と不安とが同居する野心作です。
このコメントにあるように、有馬さんとエイコさんの二人が役柄を持って芝居をする初めての公演だった。二人芝居だとも言えるが、有馬さんの独り芝居にエイコさんを加えることによって、より演劇的な世界へと広げていく試みだった。
有馬さんは二万字程度の分量がある原作をある程度まで圧縮した上でその文章を覚えて演じた。鳥居慎吾・川村和央・野口文代さんたちの協力を得て、月影と青色の夜の世界、明治時代の和服姿の衣装など、照明や舞台、衣装やメイクアップがとても美しかった。
有馬さんが演じる「私(潤一)」は、夢の中で七、八歳の子供に戻り、月が照らす明るい夜に海辺近くの道を歩いて行く。谷崎の言葉そのものを語ることによって、谷崎の内的世界が舞台に浮かび上がってくる。
「私(潤一)」は以前にも夢の中の景色を見た記憶を想い出す。その一説を引用したい。
夢の中で、これとそっくりの景色を、私は再三見たような心地がする。そうだ、確かに夢に見た事があるのだ。二三年前にも、ついこの間も見た事があった。そうして実際の世界にも、その夢と同じ景色が、何処かに存在しているに違いないと思っていた。この世の中で、いつか一度はその景色に出遇うことがある。夢は私にそれを暗示していたのだ。その暗示が今や事実となって私の眼の前に現れて来たのだ。―――
この夢の中のデジャビュ(déjà-vu)既視感は、既視夢とも捉えられるだろう。夢の中ですでに視ていた風景が後に現実の風景と似ていた経験。どこか懐かしいような風景が夢の中で繰り返し現れる経験。このような夢を見たことがある人もいるだろう。
このような不思議な夢の経験を、夏目漱石、志賀直哉、芥川龍之介たちも小説に表現してきた。(このモチーフについては、当日の私の20分程度のミニ講座「夢の文学-志賀直哉・谷崎潤一郎・芥川龍之介」で簡潔に触れたい)。
そして、「私(潤一)」の眼差しの向こう側には「母」がいる。実の母であるが幻の母でもある存在。そういう存在を探して一人で夢の中を歩いて行く姿を、有馬さんは語りの声と身体の動きによって見事に演じていた。
小説には次の一説がある。
日本橋にいた時分、乳母の懐に抱かれて布団の中に睡りかけていると、私はよくあの三味線の音を聞いた。―――
「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」
と、乳母はいつもその三味線の節に合わせて吟んだ。
エイコさんが弾く三味線の音は、次第に、この「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と吟む声として響いてきた。最後の場面の近くでエイコさんが登場する。やわらかく綺麗な声と美しい姿と表情。小説通りに横顔のみを観客側に見せる演出が印象的だった。
上演時間は50分ほどだったが、ほぼ満員の観客たちは二人が演じる幻想的な世界を堪能していた。谷崎潤一郎が描いた夢の光景が舞台に出現したのである。
11月15日の公演は、いくつかの制約からシアターXカイのような演出は不可能だが、今、こうふ亀屋座の舞台を活かした演出を試行錯誤しているそうである。
有馬さんとエイコさんの芝居だから質の高いものになることは間違いないが、実際にはどのような舞台が出現するのか。主宰者としても、一人の「有馬銅鑼魔」ファンとしても、とても楽しみにしている。
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