公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ

申込方法

右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2013年12月24日火曜日

変わらない愛-安部コウセイ『夢の中の夢』(志村正彦LN 66)

 この「志村正彦LN」では、昨年から今年にかけてリリースされた、志村正彦との深い絆を想起させる歌、片寄明人[GREAT3]の『彼岸』やクボケンジ[メレンゲ]の『ビスケット』について書いてきた。志村の時間は閉じられてしまったが、彼の友人や仲間の音楽家たちの時間、その音楽の可能性は今も開かれている。そのことも、このLNでは追っていきたい。

 今日は12月24日。すでにご存じの方も多いと思うが、安部コウセイと伊東真一によるアコースティックユニット、堕落モーションFOLK2 の『夢の中の夢』について触れたい。[http://www.youtube.com/watch?v=5OaWl1VKXjM、私の拙文を読んでいただく前に、まずこの歌を聴いていただきたい]

 『夢の中の夢』について、安部は「志村に捧げた曲」だとツイートしたことがある。しかし、そのことをあまり告げてはいない。志村追悼という枠組の中で取り上げられることを拒んでいるかのようだ。ステージでの様子とは異なり、彼は慎み深く内省的だ。(その慎みを尊重するなら、「私音楽」とも名付けられているこの歌について語らない方がいいのかもしれないが、この《偶景web》は言葉の場、少しだけ触れてみることを許していただきたい)

 歌の主体は、富士急行線であろうか、電車に乗り、「君の生まれた町」に行く。「見慣れない景色」が過ぎてゆく。そして、「最低だ なんでだ どうやったらそうなんのさ」という憤りを投げかける。友の死という現実を受け入れたくない確固たる意志と「大体は忘れて のらりくらり 生きている/僕はまだ少しも 悲しくない 悲しくない」という複合的な感情をありのままに歌う。
 東京から富士吉田へという旅の途中で、歌の主体は自分自身を見つめ直す。そして、歌の主題である「友達」志村正彦の「夢の中の夢」の姿を描き出す。

  友達は今日も夢の中の夢で
  終わらない音楽 鳴らし続けてる
  友達は今日も夢の中の夢で
  始まらない 恋を 嘆き続けてる
  変わらない 愛を 祈り続けてる

 「夢の中の夢」の世界に、その世界にだけ、「友達」は存在している。「夢の中」という枠組の中のもうひとつの「夢」という枠組の中で、「終わらない音楽」「始まらない恋」を追い続けている。そして最後の「変わらない 愛を 祈り続けてる」という一節は、志村正彦の生と歌を凝縮したような言葉だ。詩の中の詩のように的確で、切なく、美しい。

 ここ数日の間、ネットでは彼を追悼する言葉が行き交っている。彼は愛されている、とよく言われる。人を損なうような言動に満ちた、荒涼とした時代だからこそ、彼に対する尽きない想いが語られ続けている。
 志村正彦は愛され続けている。しかし、別の角度から見れば、安部コウセイの歌うように、志村正彦自身が、彼の家族や友人そして私たち聴き手に対して、「変わらない 愛を 祈り続けてる」のだ。
 彼は「愛」などという言葉を安易にあるいは率直に使うことはなかった。季節や花を描く言葉、一風変わった言葉やオノマトペに隠し、迂回した。余白のような場にそれを置いて、歌い続けてきた。

 彼が私たちに愛されているというより、彼が私たちを愛している。
 志村正彦の遺した歌から、究極的には、そのことが伝わってくる。

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