公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ

申込方法

右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2013年3月29日金曜日

「鏡」「予言書」「謎」としての歌(志村正彦LN 9)

 志村正彦は、『FAB BOOK』の「若者のすべて」について触れた箇所で、歌詞について非常に印象深いことを述べている。

   歌詞は自分を映す鏡でもあると思うし、予言書みたいなものでもあると思うし、謎なんですよ

    作品というものは、LN6で書いたように、「歌を創造した作者にとっても、歌が完成した時点で、その歌はある意味では作者から離れ、一つの作品として自立していく」。歌詞を始め、言葉で表現された作品は、自分の内部にあった言葉が、声や文字として外部に現れ、形あるものとして定着されていく。表現後は、録音された声や印刷された文字は、作者から独立した作品となり、それを聴いたり読むことを通して、作品の方が逆に、作者自身に語りかけるようになる。内部から外部へという動きが逆転し、外部から内部へという動きが生まれる。それは、鏡面という外部にある自分の像がそれを見る自身に送り返される「鏡」というものに喩えられる働きであろう。志村正彦が言うように、歌詞そのものが「自分を映す鏡」となる。鏡に反射される自分の像との対話を重ねることで、新たな言葉や歌が創り出される。

 「予言書みたいなもの」という言葉は、すでに彼の生涯を知っている現在という時点では、彼の歌を愛する人々に、深い悲しみとある種の驚きをもたらすであろう。彼の死という厳然たる事実から、彼の詩の言葉をすべて意味づけるような行為については慎重にならなければならない。だがそれでも、彼の言葉から、志村正彦の生涯の軌跡とまではいかないまでも、その道筋の断片のようなものが、あらかじめ歌われているような、不思議な想いが起きることが私にはある。中原中也を始めとする夭折した詩人の優れた作品から同様のことを感じる。

 この言葉の解明など、もちろん不可能なのだが、ただ一つ言えることは、例えば『桜の季節』で、「桜の季節過ぎたら」「桜のように舞い散ってしまうのならば」というように、未来のある時点を設定したり、仮定したりして、物語を述べることが彼の歌の特徴の一つになっているということだ。未来の出来事やその仮定から始まり、逆に現在や過去の方へと遡っていくような、逆向きの時間の通路が敷かれている。そのような不思議な時間の感覚が存在していることが、「予言書みたないもの」という発言とどこかつながるのではないだろうか。そのような仮定ができるだけである。

 志村正彦が「予言書みたいなもの」と思った理由や経緯は、彼自身にしか分からない、というか、彼にとっても分からない「謎」であったのだろう。そのことは私たちにとっても、「問い」として存在し続けている。「自分を映す鏡」から始まり、「予言書みたいなもの」そして「謎」で締め括られる言葉の連なりから、彼が歌詞についてどのような思考を回らしていたのか、その輪郭が浮かび上がってくる。

0 件のコメント:

コメントを投稿