11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2017年9月30日土曜日

宮沢和史氏の講演会

 昨日、宮沢和史氏の講演会が勤め先の高校で開催された。(僕は主催者側の担当として企画と運営に携わった。教師は教科以外に様々な係の仕事を担っている。僕は「キャリア教育」という係に所属しているのだが、専門家の講演、大学との連携講座、事業所との連携事業やインターンシップなどが主な仕事だ。総合学科なのでその数や種類も多い。)
 今回は、宮沢さんの高校時代の同級生が二人この学校で教師をしていたり、宮沢さんが推進委員の代表となっている「未来の荒川をつくる会」(この荒川の近くに校舎がある。宮沢さんの実家も近くにあり、釣り好きの彼の歌の中にはこの荒川上流が舞台となっているものがある)の清掃活動に生徒が参加したりしている縁があったので、宮沢さんにはこの依頼をこころよく引き受けていただいた。

 題名は「山梨から沖縄、そして世界へ」。
 全校生徒と教職員そして聴講希望の保護者合わせて900人が体育館に集まった。雨上がりの暑い日で蒸し暑かった。映像投影のために黒いカーテンが閉められていた。九月の終わりなのに晩夏の季節のようだった。

 沖縄戦の話から始まった。生徒が想像しやすいように、甲府盆地を舞台にした喩えが使われ丁寧に説明されていく。沖縄戦の現実。沖縄でまだほんとうの意味では戦争が終わっていないこと。彼の落ち着いた低い声が場内に響いた。

 話の焦点は次第にザ・ブーム『島唄』にあてられていく。CD音源がかけられ、当時の写真がスクリーンに投影され、歌詞の「ダブルミーニング」が本人によって解き明かされていく。こういう機会はほとんどない。この歌を作った理由、この歌が沖縄の人々に反発されながらも次第に受け入れられていった経緯。歌詞が「二重構造」を持つとともに、音階の点でも沖縄音階と西洋音階の「二重構造」を持つこと。彼自身によってこの歌の歴史が語られ、彼自身の言葉で分析されていった。歌詞と音階の「二重構造」という表現が印象的だった。

 あくまで講演会であり音楽会ではないので、こちら側から歌を求めることはしなかったのだが、講演の最後に宮沢さんは三線を取り出し壇上から生徒のいるアリーナに降りていった。でもマイクスタンドは用意していない。PAも体育館の設備しかない。どうすればよいのだろうと一瞬困惑したのだが、彼はマイクを使わずに三線を抱えて弾きながら、そのまま歌い出したのだ。驚きと感激。こういう展開は予想していなかった。

 宮沢さんの声は中低域が厚く、独特の味わいがある。彼の声が体育館の大きな空間に広がっていく。確かな声量に圧倒される。


  島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

  島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 


 歌い方や身体のリズムの取り方そして眼差しも、どこか遠い彼方に「声」を届けるように集中している。息は命であり、息がそのまま声となり言葉となっていく。講演も良かったのだが、やはり彼は歌い手だ。歌が彼の伝えようとしたことのすべてを伝えていた。ザ・ブームのライブで『島唄』は何度も聴いたことがあるが、昨日はこの歌の「真実」を経験したような気持ちになった。

 講演の前後に1時間半ほど、宮沢さんを囲んで色々な話を聞くことができた。久しぶりの同級生との再会ということで高校時代の思い出話もたくさんあった。僕はもちろん初対面だったので聞き役に回っていたのだが、少しだけ質問したいことがあった。その返答をここに書くのは控えるが、彼の考えをわずかではあるが知ることができた。この場を借りてあらためて感謝を申し上げたい。

 昨日、宮沢和史がひとりで自分の声だけで900人の聴衆のひとりひとりに届けようとした、そして確実に届いた『島唄』は、歌うという行為の根源的な力を表していた。そのことを繰り返し強調しておきたい。                               

2017年9月17日日曜日

「鮮やかな花を咲かせよう」-『蜃気楼』5[志村正彦LN165] 

 フジファブリック『蜃気楼』の次の第4連に、「鮮やかな花」がなぜ出現したのだろうか。


  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう


 前回述べたように、映画に内在するものというよりも映画から触発された作者志村正彦のモチーフから来たものだと考えられる。この「鮮やかな花」に込められた思いとはどのようなものだろうか。
 
 志村正彦は「花」というモチーフを繰り返し歌ってきた。『蜃気楼』以外で「花」という言葉が登場する作品を幾つか引用してみる。「桜」や「金木犀」のような具体的な花の名や「花束」というような語彙のある歌詞は除くことにする。


  そのうち消えてしまった そのあの娘は
  野に咲く花の様
    『花屋の娘』

  どうしたものか 部屋の窓ごしに
  つぼみ開こうか迷う花 見ていた

  花のように儚くて色褪せてゆく
  君を初めて見た日のことも
    『花』

  だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
  まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?
    『ペダル』

  帰り道に見つけた 路地裏で咲いていた
  花の名前はなんていうんだろうな
    『ないものねだり』


 「野に咲く花の様」「花のように儚くて色褪せてゆく」という比喩の対象として使われたり、部屋の窓ごしに見る花、路面の脇や路地裏に咲く花など、見つめるあるいは見かける対象として表現されたりしている。歌の主体そして作者志村正彦の「花」に対する眼差しには、思いがけないもの、かけがえのないものと遭遇したような感触がある。

 それに対して、『蜃気楼』の「鮮やかな花」は今ここで見ているものではなく、これから見ようとしている花である。「おぼろげに見える彼方まで」「咲かせよう」とする「鮮やかな花」はあくまで意志と想像によって描こうとしている花である。他の花の歌にはない特徴である。志村はどうしてそのような想像の花を咲かせようとしたのだろうか。

 前回紹介した『プラスアクト』2005年vol.06(ワニブックス)の志村のコメントから参考となる個所を再度引用してみる。


(映画のテーマ曲を)やりたいと思えたのは、実際に映画を観てからですね。希望もあるんだけど、でも迷って、思いもよらない方向に物事が転がっていく、そのもがいて進んでいく感じがバンドの活動や日々の生活していく上で自分が感じていることと、通じるものがあるなと思ったんです。

その時浮かんでいたのは、霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。『スクラップ・ヘブン』を観終えた時、”ちょっとどうしよう…”って感覚が自分の中にあって、でも、そう思う中にも、おぼろげだけど希望が見えている。希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね。


 この二つに分けた引用個所のどちらも「希望」という言葉がキーワードになっている。『スクラップ・ヘブン』の物語の結末、シンゴが登場するラストシーンは、一般的には「希望」を抱けるようなものではない。しかし、志村は「おぼろげだけど希望が見えている」と受けとめた。
 
 志村が感じた「希望」について、筆者は完全に同意できるわけではない。しかし確かに、映画の主人公たちが追い求めていた「世界を一瞬で消す」欲望は成就しなかった。欲望はあっけなく横取りされたかのように消え去った。劇的な何ものも起こらなかった。破局は訪れなかった。主人公の三人はみな生き残った。「絶望」とは明らかに異なる。だから、この結末にある種の希望を感じとることは可能だ。監督の意図もおそらくこの映画を観る者が自由に考えることにある。

 志村は「おぼろげだけど希望が見えている」という自身の感性と解釈に忠実にエンディングテーマを作ろうとした。彼は「希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね」と補うことも忘れていない。
 「希望」は具体的にこういうものだと言葉で説明することはできない。『スクラップ・ヘブン』にふさわしい「生々しくてリアル」なものとして心に浮かぶものだ。そのように考えた志村は、「月を眺めている」「降り注ぐ雨」「新たな息吹上げるもの」という自然の風景や景物を展開した上で、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方」に「希望」を象徴的に描こうとして「鮮やかな花」を出現させようとしたのではないだろうか。

 この「鮮やかな花」は、映画の主人公シンゴやテツ、サキにとっての希望であると同時に、それ以上に、作者志村正彦にとっての希望、おぼろげなものではあるが希望と名付けられる何かの「息吹」を上げる「花」であろう。

  (この項続く)

2017年9月10日日曜日

彼方の花-『蜃気楼』4[志村正彦LN164]

 前回、フジファブリック『蜃気楼』CD版の第2連から4連までの歌詞は、志村正彦自身のモチーフから創作されたという考えを記した。歌詞の言葉から考察したものだが、作者自身がこの点について発言したものがないかと資料を探してみた。入手できたのは次の四点である。

・『スクラップ・ヘブン』パンフレット(オフィス・シロウズ、2005/10/8)
・『スクラップ・ヘブン』スペシャルフォトブック(ワニブックス、2005/9/14)
・「シナリオ」2005年 11月号(シナリオ作家協会)
・『プラスアクト』2005年vol.06(ワニブックス)

 『スクラップ・ヘブン』パンフレットには李相日監督と志村正彦の対談、裏表紙の裏には『蜃気楼』歌詞が掲載されている。「シナリオ」2005年 11月号には『スクラップ・ヘブン』シナリオの全文が収録されている。『プラスアクト』2005年vol.06(株式会社ワニブックス)という映画雑誌には志村のコメントが載せられている。『スクラップ・ヘブン』スペシャルフォトブックには『蜃気楼』やフジファブリック関連の記事はない。

 この中では特に『プラスアクト』に非常に参考になる記事があった(文:鷲頭紀子)。志村はこの曲の成立過程について次のような貴重な証言を寄せている。少し長くなるが全文を引用したい。


最初、映画のエンディングテーマの話が来てるという話を聞いて、映像に音楽を付けてみたい願望は元々あったものの、その段階では決められなくて。やりたいと思えたのは、実際に映画を観てからですね。希望もあるんだけど、でも迷って、思いもよらない方向に物事が転がっていく、そのもがいて進んでいく感じがバンドの活動や日々の生活していく上で自分が感じていることと、通じるものがあるなと思ったんです。実際の作業は凄い難しかったです。劇中に流れている音楽とのバランスや、李監督の要望も考えつつ、でもフジファブリックとしてもいい曲にしたいというのがあったので。バンドメンバーと映画を観て、どういう曲が合いそうかセッションを繰り返して、それを絞り込む時が一番悩みました。いつもは曲が先行のことが多いんですが、『蜃気楼』は曲と歌詞がほぼ同時進行でした。その時浮かんでいたのは、霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。『スクラップ・ヘブン』を観終えた時、”ちょっとどうしよう…”って感覚が自分の中にあって、でも、そう思う中にも、おぼろげだけど希望が見えている。希望とは言っても、具体的な何かじゃないから生々しくてリアルだなぁと思ってたんですよね。だから映画を観ていない人でも『スクラップ・ヘブン』を観た後の、そういう感覚を想像出来るような曲に『蜃気楼』はしたいと思っていました。李監督にはメールで感想を貰いました。最初に「”映画を観終わった”という感じが欲しい」という要望を頂いてたんですが、「それが出来て良かったです」というような内容でしたね。今回初めてこういう、映画の音楽をやってみて、お互いの感覚がぶつかり合ってる感じが楽しかったです。映像と音楽と両方で作り上げてるというか、両方を一緒にやれることの凄さを発見しました。
  (フジファブリック 志村正彦)

           
 いくつか重要なことが語られている。
 映画のエンディングテーマとして監督の要望に応えると共に「フジファブリックとしてもいい曲にしたい」という意欲や映画を観ていない人でも『スクラップ・ヘブン』を観た後の感覚を想像出来るような曲にしたいという想いから、映画のテーマ曲であると同時に自立した音楽作品を試みた志村の意気込みが感じられる。結果として、この二つを狙ったことが『蜃気楼』の質を高めた。

 さらに歌詞の内容に関わる重要な証言がある。「霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ。」という箇所だ。

 『蜃気楼』は、歌詞中の言葉としては「僕」や「私」という一人称代名詞は登場しないが、潜在的な一人称の主体からの視点で歌われている。通常の映画テーマ曲であれば、歌の主体は映画の主人公として設定されるだろうが、『蜃気楼』の場合はやや異なる。歌の主体は映画の主人公であると共に、音源の作者である志村の分身のような存在であるようなのだ。

  志村は、曲と歌詞がほぼ同時進行の制作過程で浮かんでいたのは、「映画の主人公なのか僕なのかわからない」主体が遭遇する人や風景だったと述べている。彼はこの映画の主人公「シンゴ(テツやサキ)」とかなりの程度同一化してこの映画を鑑賞したようだ。その経験が『蜃気楼』の歌詞にも影響を与えている。その痕跡が、第2連から4連までの歌詞に現れているのではないだろうか。

 もう一度、第2連から4連までに第5連も加えて引用しよう。CD版にしかない部分、映画版では省略されている部分である。

 
2  喉はカラカラ ほんとは
   月を眺めていると

3  この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
   新たな息吹上げるものたちが顔を出している

4  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

5  蜃気楼… 蜃気楼…


 『プラスアクト』収録のコメントを一つの根拠にして考察すると、この部分の主体はやはり作者志村正彦の分身のように思われる。「月」「雨」という自然の風景。そして何よりも「花」の登場。「蜃気楼」の出現。映画自体にはこの部分と関連する具体的なシーンはない。どこかで無意識に触発された可能性はあるが、作者の志村が想像した世界であり、伝えようとしたモチーフではないだろうか。

 歌の主体は、「この素晴らしき世界」の彼方に「鮮やかな花を咲かせよう」という願いとも祈りともとれる言葉を紡ぎ出す。蜃気楼が、光の異常な屈折のために空中や地平線近くに遠方の風物の像が見えたり、像の位置が倒立したり実在しない像が現れたりする現象だとするなら、歌の主体が世界の彼方に咲かせようとする「鮮やかな花」とはまさしく蜃気楼のような像かもしれない。
 この「鮮やかな花」が「蜃気楼」のように作者志村正彦の心のスクリーンに出現したのであろう。

  (この項続く)

2017年9月3日日曜日

CD版と映画版の差異-『蜃気楼』3[志村正彦LN163]

 中断していたフジファブリック『蜃気楼』について再開したい。

 第2回で書いたように、フジファブリック『蜃気楼』のCD収録のオリジナル音源(6thシングル『茜色の夕日』、『シングルB面集 2004-2009』収録)と映画のエンディングで使用されたバージョン(映画のタイムでいうと、「1:53:22」から「1:56:32」まで流れる)には違いがある。(以下、CD版と映画版と略記する)
 CD版の時間は5分55秒、映画版は3分10秒程度。この二つの差異には単純に時間を短くしたとは考えられない点がある。歌詞については次のような違いがある。八つある連を数字で示し、CD版のみにある部分(映画版にはない部分)を赤字で示す。


1  三叉路でウララ 右往左往
   果てなく続く摩天楼

2  喉はカラカラ ほんとは
   月を眺めていると

3  この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
   新たな息吹上げるものたちが顔を出している

4  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

5  蜃気楼… 蜃気楼…

6  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
   消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

7  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

8  蜃気楼… 蜃気楼…


 第2連から5連までの赤い字の部分、映画版では省略された箇所に注目してみる。

 第2連は「喉はカラカラ ほんとは」という喉の渇きの叙述から始まり、「月を眺めていると」という「月」への視線に転換していく。「ほんとは」とあるが、何に対して「ぼんとは」と切り返しているのか分からない。「月」が現れるのも唐突だ。『スクラップヘブン』には「月」の場面は一度もないはずだ。映画の物語とは関係なく「月」は登場する。第1連からのつながりからすると、「摩天楼」との対比として視界に現れるのだろう。聴き手は自分自身のスクリーンに、「摩天楼」と「月」を映し出すことになる。

 第3連には「この素晴らしき世界」が登場する。そしてそこに降り注ぐ「雨」が止む。「雨」上がりの世界に何か新しい風景が現れるというのは志村の好んだ展開だが、ここでは「新たな息吹上げるものたち」が顔を出す。「息吹」は何かの兆しのようだ。

 第4連の「おぼろげに見える彼方まで」は「この素晴らしき世界」の彼方のことだろう。ここからその彼方まで「鮮やかな花を咲かせよう」とある。意味の流れからすると、顔を出している「新たな息吹上げるもの」が端的に「花」なのだろう。しかも「鮮やかな花」である。志村が最も愛した景物は「花」であることに間違いない。『蜃気楼』という曲も『スクラップヘブン』という映画も、色彩的にはモノクロームの世界だ。その世界に「鮮やかな花」が現れることに聴き手はある種の感動を覚えるかもしれない。、

 第5連の「蜃気楼… 蜃気楼…」は、第2・3・4連の展開の帰結として、それらの景物や風景の最終的なイメージを描くものとして登場する。すべては「おぼろげに見える」ようであり、その像や残像の重なり方が「蜃気楼」という比喩で語られている。

 「月」「雨」「花」という自然の景物がゆるやかに連関しあっている。歌の主体は、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方まで」視線を移動していく。その風景の彼方に「鮮やかな花を咲かせよう」という主体の意志あるいは祈りのようなものが重ねられる。

  映画『スクラップヘブン』には、激しい「雨」が降るシーンはあるが、「月」や「花」が登場するシーンはない。およそ美しい風景や景物とは無縁の世界が描かれている。この第2・3・4連の展開は、映画のストーリーは直接の関係がないと考えるのが妥当だろう。(第5連の「蜃気楼」は映画とも重なり合うが)
 CD版のみにある第2連から4連までの歌詞は、映画から(監督の意図や脚本)というよりも、それに触発されてはいるが、志村正彦自身のモチーフから創られたのではないだろうか。

 (この項続く)

2017年8月30日水曜日

最後の完成作『ルーティーン』―ストックホルム5[志村正彦LN162]

 8月9日に帰国してから三週間が経つ。五回に分けてストックホルムへの旅を記してきた。記憶が紛れていかないうちにたどりたかった。

 前回、ストックホルムを「水の都」「島の都」と形容した。俯瞰的な視点でとらえるとそうなるが、普通に街の中にいると「島」にいるという感じはほとんどない。島と島とを架橋する橋も街路がそのまま延長しているように進んでいける。


 8月6日、二日目の朝は、ホテルのあるスルッセンからガムラスタンを経てストックホルムの中心部にあるセルゲル広場へ歩いていった。通りの名でいうと、「Katarinavagen」「Vasterlanggatan」「Riksgatan」を経て「Drottninggatan」に入っていく。「Vasterlanggatan」は旧市街ガムラスタンで最も人通りの多い通りであり、「Drottninggatan」はストックホルムの中心地の歴史ある通りで、この終点近くにストリンドベリ記念館はある。前日、この二つの有名な通りがつながっていると聞いた。地図を見ると確かにつながっている。時間の許す限り、この街路を歩いていくことにした。

 日曜日の朝だった。「Vasterlanggatan」ヴエステル・ローング通りにはほとんど人がいない。静けさに包まれている。商店もまだ開いていなかったが、ウインド・ディスプレーにはいろいろな土産物が飾られていた。お土産の目星をつけながら歩くのは楽しい。昼間この近くのレストランに戻る予定なのでその時に買うことにした。この界隈には十三世紀につくられた路地もある。



 国会議事堂を越えて中心部に入る。しばらくするとセルゲル広場についた。ここは『CHRONICLE』付属DVDの映像にも映されている。フジファブリックの四人のメンバーの人気投票「北欧選手権」をした場所の一つだ。
 このあたりで前方を見ると、かなり向こう側に屋上が青く光る建物が見えた。ストリンドベリの旧居・記念館だった。十分ほど歩けばそこまでたどりつけるだろうが、そろそろホテルに戻らねばならない時間だった。ここでひきかえした。

 ストックホルムは、伝統を感じさせる路地や新しい整然とした街路が混然と溶け合っている。戦禍に合わなかったことやビルの高さ制限を設けてきた都市計画がこのような街並をつくりあげたのだろう。

 志村正彦は、『CHRONICLE』DVDの映像で次のように語っている。

日本にはない大地っていうか、道とか、店とか、建物、空気、そういうものを多分なんか感じたんでしょうね。まさにこう映画で見たような風景がそのままあるんで。すごい不思議な国に来たような感じですね。やはり来た意味ありますね。日本のがスタジオの設備とか人の録音のテクニックとかぜんぜんあるんですけど。そういうものを取っ払ってもなにか大きく感じるものがこの街とか人にはあるんじゃないですかね。

 僕たち日本人にとっては確かに、ヨーロッパの街は「映画で見たような風景」であろう。映画の中に迷い込むような不思議さがあり、新しい感覚が刺激される。志村も何かをつかみとり、『Stockholm』という曲がこの地で誕生した。

 二日目は、ツアーのバスでノーベル賞の晩餐会が開かれる市庁舎、ヴァーサ号博物館、セーデルマルム島の丘などを巡り、観光船でユールゴーデン島を周遊した。
 夕方、タリンクシリヤラインのクルーズ船の乗場についた。夜7時半ストックホルムを出発、翌朝7時にフィンランドのトゥルクに着く。世界で最も美しいといわれるストックホルムの群島の間をぬうように進む航路だ。クルーズ船に乗るのは初めてだ。揺れもほとんどなく、部屋の丸い窓から群島を眺めた。2万4千もの島があるそうだが、陸のように見える大きな島、島と言えるのか戸惑うほどの小さな島、予想をはるかに超える数の島々が続いていた。

 フジファブリックのストックホルムでの録音というとふつうは『CHRONICLE』が思い浮かぶだろうが、僕にとっては『ルーティーン』という曲がまず第一に挙げられる。この曲は11枚目のシングル『Sugar!!』のカップリングとして2009年4月8日にリリースされた。
 志村正彦・フジファブリックの曲を一曲だけ選ぶとするならかなり迷ってしまう。『陽炎』『セレナーデ』『若者のすべて』『赤黄色の金木犀』、いろいろと浮かんできてとても絞り切れない。ある観点からするとこの作品になる、そんな選び方しかないが、そのような個別の観点を超えて一つだけ選択しなけれなばならないとするなら、今は『ルーティーン』を選ぶだろう。それほどこの歌は僕にとって唯一無二の存在だ。

 この曲は志村正彦が生前に録音して自ら完成させた音源としては最後の作品であろう。5thアルバム『MUSIC』収録曲は志村本人によって完成させたものではない。もちろん貴重な音源であることは間違いなく、制作したメンバー・スタッフの苦労には敬意を表したいが。
 『CHRONICLE』DVDの映像で、志村が「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって「終了」って感じにしたくて。」と述べた上で録音したのがこの作品だ。「 Recording『ルーティーン』2009/2/6」というテロップがある。DVDには、その際の「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記::ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」というフル映像もある。志村と山内総一郎のアコースティックギター、金澤ダイスケのアコーディオンによる演奏時の映像に志村のボーカル収録時の映像をミックスしたものだ。事実として、ストックホルムで最後に録音された『ルーティーン』が完成作としての最後の作品だと考えられる。そのような経緯もあり、この歌はかけがえのないものとなった。ストックホルムを訪れるのをここ数年ずっと願ってきた。

 船はゆっくりと進む。ゆっくりと日も暮れていく。群島の影が濃くなる。満月に近い月が水平線より少し上に出てきた。雲間に映えるおぼろげな月。バルト海に反射した月の光がどこまでも船を追いかけていく。波間にかすかにゆれる月光がたとえようもなく美しい。映画のラストシーンのような風景。出来過ぎの感じもしたが、素直にこの風景との遭遇を感謝した。志村の歌には月がしばしば現れる。そんなことも思いだしていた。




 ヘッドフォンを外してスマートフォンのスピーカーから『ルーティーン』を再生した。少しだけボリュームを上げて室内に響かせた。街でも何度か聴いたのだが、ストックホルム、スウェーデンにさよならをする時、もう一度聴きたかった。
 感傷的なことはあまりしたくないのだが、ここでは少し(大いにというべきだろうか)感傷に浸りたかった。

 志村はDVDの最後近くでこう述べている。

ほんとうにちょくちょく出てきたイタリアとか、フランスとか、そういう街に行ってその土地の音楽とかどんどん吸収したいっていう、そういう貪欲なものが芽生え始めてますね。だから癖になりそうですね、こういう旅が。

 彼はフジファブリックの音楽を世界へ広げていく手ごたえや手がかりを掴みつつあったはずだ。世界の様々な街への旅を続けることができたら、どんなに素晴らしい作品を創り出していただろうか。もともと彼の音楽は、彼の言葉は、「日本」という狭い枠組を超えたある種の普遍性を志向していた。

 『ルーティーン』が聴こえてくる。
 「明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という声。繰り返される日々の「ルーティーン」。日々の「生活」への祈り。それと共に持続していく「音楽」への志を伝えたかった。自らに言い聞かせたかった。この歌詞の中の「君」は音楽そのものかもしれない。そんな風に聴こえてくる。


  日が沈み 朝が来て
  毎日が過ぎてゆく

  それはあっという間に
  一日がまた終わるよ

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある

  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
   
      ( 『ルーティーン』 詞・曲:志村正彦 )

2017年8月26日土曜日

水の都、島の都―ストックホルム4[志村正彦LN161]

 わずか一泊二日間だがストックホルムに滞在できる。志村正彦・フジファブリックのファンであれば、彼らの足跡を訪ねてみたいと思うだろう。

 フジファブリックの4thアルバム『CHRONICLE』を収録したスタジオはMonogram Recordings(モノグラムレコーディング)のものだが、webを見てみると、現在は制作会社としては活動していないようだ。スタジオやその機材も売却してしまったようだ。スタジオ以外ではフジファブリックのメンバー・スタッフの滞在したホテルくらいしか足跡をたどれる場所はない。どこにあるのだろうか。手がかりを探してみた。

 『CHRONICLE』にはDVDが付いていて、『ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記』と題する二つのドキュメンタリーが収録されている。「25日間に渡る初の海外レコーディングドキュメント」の中に、滞在していたホテル入口の看板が映るシーンがある。その名を手がかりにグーグルマップで検索すると、ここではないかというホテルが見つかった。

 ストリンドベリ記念館を訪れた後にそのホテルを訪ねていったのだが、記憶の中にあるドキュメンタリー映像の風景とどこか違う。それでも一応ホテルや界隈の写真を撮ってきた。その時の様子をこのブログに書いているときに、再度、撮影した写真とドキュメンタリーの映像を比べてみた。やはり違う。もう一度該当ホテルの名をネットで検索すると、今は閉鎖されてしまったあるホテルの存在に気づいた。映像とグーグルマップのストリートビューの写真を確認すると、このホテルが彼らが滞在していたところらしい。すでに閉鎖されていて、別の名のホテルになっているようだ。そのために検索の上位に出てこなかった。もう一つの似た名前のホテルの方だと思い込んでしまったのだ。自分のうかつさにへこんだ。

 しまったいう落胆の後、もう一度マップを見た。周辺のエリアを拡大してみた。すると、500メートルほど先に僕たちが宿泊していたホテルがあった。偶然だった。わざわざ出かけなくても、ホテル近くの大通りを南西の方へ歩いていけばよかったのだった。十分もかからなっただろう。帰国してからこのことに気づいた。何たることか。でも、近くに泊まっていた偶然に感謝すべきかもしれないと思い直した。この界隈の雰囲気を知ることはできたのだからと。

 このエリアはガムラ・スタンの南に広がるセーデルマルム島(Södermalm)の中心地域にある。僕たちのホテルはこの地域の入口にあたるスルッセンにあった。ドロットニングホルム宮殿からホテルへ向かう途中、バスは大通りを進んでいった。あの日は「Stockholm Pride」というLGBTのパレードがあり、レインボーフラッグを持つ人々がたくさん歩いていた。この大通りをビデオで撮っていたことを思い出した。再生すると一瞬ではあるが、フジファブリックが宿泊していたホテルも映っていた。翌日もセーデルマルム島で有名な展望スポットのある丘への行き帰りにこの界隈を通っていた。

 このセーデルマルム島の地域はアート・ギャラリーや洒落たショップやカフェが並び、近年人気が出てきたエリアのようだ。ガムラスタンやストックホルム中心街の眺めが素晴らしい丘も有名だ。その丘からは、観光船が行き交い、連絡船やクルーズ船が停泊する「水の都」としての景色も堪能できる。ドキュメンタリー映像を見返すとスルッセンにある展望台から撮影した風景をはじめこの地域で撮影された映像がいくつもあった。
 もっとも、志村正彦はあるインタビューで「ホテルとスタジオの行き来以外ではあんまり出歩いてないんです」と述べているので、彼があまりストックホルムを歩いていないことは確かなのだが。

 今回の記事の最後に、ストックホルムで撮影した写真の中からセーデルマルム島に関わりのあるをアルバム風に添付してみたい。


 一日目の夜十時近くにスルッセンにあるホテル近くからガムラスタンを眺めたもの。白夜ではあるが、そろそろ日が暮れていく時間だった。スルッセンはセーデルマルム島の入り口にある。




  二日目の昼、グランドホテル近くの観光船乗り場に行った。一週間続く「Stockholm Pride」イベントのレインボーフラッグが公共施設やホテルをはじめ商店やレストラン、街路や路地の至る所にあった。僕らが載った観光船にも飾られていた。街全体が「自由」と「尊厳」の一週間を祝福していた。




 僕たちが乗った観光船。向こう側の景色は右側がガラムスタン、中央がセーデルマルム島。この船はユールゴーデン島(Djurgården)を1時間ほどで周遊してきた。




 船が出発してしばらくすると、向こう側にセーデルマルム島がよく見えた。「VIKING LINE」のクルーズ船が停泊していた。中央やや右に見える高い塔はカタリーナ教会の塔。この島の中央部は小高い丘になっている。



 航海中の「VIKING LINE」の 「Cinderella」(シンデレラ)号。 ストックホルムからエストニアのタリン、フィンランド領の小さな島マリエハムン間などのバルト海を運航するそうだ。



 観光船が到着する直前に見えた橋。ストックホルムの中心だけでも十四の島があり、たくさんの橋が掛けられている。



 ストックホルムは「水の都」、北欧のベネチアと言われているそうだが、むしろ「島の都」と呼んだ方がいいかもしれない。
 「島」にはそれぞれの歴史や個性があり、それが集まってストックホルムという大都市を形成している。

 志村正彦は、『CHRONICLE』に関するインタビュー(文:久保田泰平)で次のように述べていた。

 日本で録音するのも効率的でいいんですけど、海外のほうがより音楽に集中できるし、ストックホルムっていう街は治安もよくてリラックスできたし、向こうの空気を吸って、向こうの人たちと出会って、音楽を聴いて、それに触発されて「ストックホルム」っていう曲が出来上がったりとか、そういう化学反応みたいなのも起きたから、海外でやってよかったですね。

 滞在していたのは2009年1月から2月にかけての真冬の季節だった。夏とは全く異なる風景の感触や色合いだっただろう。


  静かな街角
  辺りは真っ白

  雪が積もる 街で今日も
  君の事を想う
             (『Stockholm』詞曲:志村正彦)

 このように歌われる『Stockholm』を聴くと、彼にとってこの街は「雪の街」「氷の街」であったようだ。『CHRONICLE』付属DVDの映像にも、雪でおおわれた街路やスルッセン西側のメーラレン湖の結氷が映されている。
 短い夏と厳しい冬の街、夏の湖の水と冬の雪景色ということになると、わずかかもしれないが、ストックホルムの季節の感覚は志村の故郷富士吉田を想起させる。


2017年8月22日火曜日

ストリンドベリ(Strindberg)、公園の銅像、芥川龍之介への影響-ストックホルム3

 ゆるやかな坂を上がり、Drottninggatan 85番地にある「青い塔」の一室、ストリンドベリの旧居・記念館にたどりついた。もう午後7時半を過ぎていた。当然閉館している。でも時間には関係なかった。この記念館は改装のために半年ほど閉館中ということを知った上で訪れたのだった。

 四ヶ月ほど前、ストリンドベリ記念館の開館日や時間を確認し、訪問時間を確保できるツアーを探して予約したのだが、出発の一月ほど前にサイトを見ると、7月から来年1月までリノベーション工事のために休館するという知らせがあった。予想外の展開にどうしようかと思案したが、すでに準備を進めていた。勤め人であるゆえ休暇期間も調整していた。結局、そのまま旅行することにした。近くの公園には銅像もあり、ゆかりの通りを歩くこともできる。そう考え直した。

 ストリンドベリ記念館は晩年四年間の住居を使ったものだ。youtubeには内部を撮影した映像がいくつもある。当時の彼の書斎や寝室がそのまま残されている。個人記念館としては王道を行く在り方だ。でも映像を見る限り、展示方法は現代の記念館としては古びている感じもする。だから改装されることになったのだろう。
 入口までたどり着いたときに、やはり、とても残念な気持ちに襲われた。仕方がない。入口の写真を撮りこの場を去った。



 「青い塔」の脇の道を少しだけ上っていくと「Tegnérlunden公園」がある。ここに銅像があるはずだ。入るとすぐにかなり高さのある銅像が見つかった。想像していたものもずっと大きくて立派だ。高さは5メートル近い。すぐ下から見上げても姿が分からない。離れてからもう一度見るとようやく全体像がつかめた。ストリンドベリで間違いない。裸身の像で、顔はうつむきながら何かを凝視している。台座の周りには彼の作品を形象化した図柄が刻まれている。ストリンドベリの精神の荒々しさを表現しているようで圧倒される。



 落ち着きのある美しい公園だった。ベンチに腰掛けて三十分ほど過ごした。散歩する人は見かけたが、この銅像を見に来る人はいなかった。(グーグルマップにもこの像については記されていない。観光客が訪れることもないのだろう)
  周りは古い建物に囲まれているのだが、ここには静かな時間が流れている。芥川龍之介とストリンドベリのことをぼんやりと考えた。

 僕は芥川龍之介の晩年の作品について持続的な関心を持ち、論文も少し書いてきた。
 1927年、芥川が亡くなる数か月前に書いた遺稿『歯車』は、その題名が象徴的に示すように、偶発的な出来事やそれらの「暗号」のような連鎖に対する不安、関係妄想的な気分、様々な文学作品(自作や海外の作品を含めて)への言及などの多様なモチーフが「歯車」のように絡み合い作用しあい、「意味」を生みだしていく。その構造を分析するのが修士論文のテーマだった。その際、ストリンドベリの『地獄』(Inferno, 1897年)が芥川『歯車』に与えた影響についても、若干ではあるが考察した。ストリンドベリと芥川は、作家の生活と作品の創造という関係性において共通性がある。

 ちょうど百年前になる。1917年1月12日、当時二四歳の芥川は『地獄』の英訳本に「この本をよんでから妙にSuper Stitiousになって弱った。こんな妙なその癖へんに真剣な感銘をうけた本は外にない」という書き込みをしている。(この蔵書は日本近代文学館に収蔵されている)その後、芥川はストリンドベリをかなり読み込んだ。『歯車』はストリンドベリ『地獄』へのオマージュのような小説でもある。

 ストリンドベリは当時のスウェーデンを代表する作家としてノーベル文学賞の声も上がっていたが、この時代は「立派な人物像」が大きな判断材料であり、この賞に値するような生き方が求められていたそうだ。彼は「多数を敵に回すような言動」があったために受賞できなかったと言われている。

 ストリンドベリの銅像がある公園でしばらく過ごした後、「Drottninggatan」(ドロツトニング通り)に戻った。中央駅の方向を写真で撮った。ゆるやかな下り坂の先にはストックホルム中央駅近くのセルゲル広場がある。さらに向こう側には旧市街ガムラスタンがある。ドイツ教会だろうか。彼方に塔が見えた。


 「Drottninggatan」は「女王通り」という意味で、17世紀につくられた由緒ある街路だ。1912年1月、ストリンドベリが亡くなる四か月ほど前に、かなりの数の青年たちが彼に敬意を表すために炬火行列をした。病身の作家は「青い塔」のバルコニーからそれにこたえたという。
 今年の4月この通りで、トラックの暴走による痛ましいテロ事件が起きている。ストリンドベリが活躍した時代から百年後のこの世界は複雑に引き裂かれている。ジャーナリスト出身であり、社会、政治、宗教、文学、科学について鋭い批評をたくさん書いた彼なら、現在の世界に対してどのように考えただろうか。

2017年8月19日土曜日

ストリンドベリ(Strindberg)、地下鉄駅の壁面、青い塔-ストックホルム2

 午後6時半頃、スルッセンにあるホテルに到着した。
 スルッセンとは「水門」のこと。水位の異なるバルト海とメーラレン湖を繋ぐ水門がここにある。ホテルの窓からガムラスタンを眺望できた。リッダーホルム教会、大聖堂、ドイツ教会。第二次世界大戦に参戦しなかったため空襲がなく、13世紀の街並みが残っている。

 夏は白夜の季節で午後十時頃まで明るい。まだまだ外出する時間がある。白夜をありがたく思う。
 午後7時、ストリンドベリゆかりの場所に向けて出発する。スルッセン駅から地下鉄に乗り、四つ目のRådmansgatan駅(ロドマンズガータン)で降りる。十分もかからなかった。後方寄りの出口に進むと、通路の壁面のタイルにストリンドベリの写真が大きくプリントされている。夕焼けのような赤の地色が目立つ。関連のパネルも飾られていた。現在のスウェーデンでは古典的な作家に入り、現代の文学としてはあまり読まれていないのだろうが、知名度は高いのだろう。

 

 彼の存在は今の日本ではあまり知られていないので、略歴を紹介してみたい。
 ストリンドベリ(Johan August Strindberg)はスウェーデンの劇作家、小説家。1849年1月22日、ストックホルムで生まれる。ウプサラ大学で学ぶが中退、職を転々とする。1874年、王立図書館司書となる。近衛士官の妻シリ・フォン・エッセンと恋に落ち、77年、結婚。 79年、自然主義小説『赤い部屋』)を発表、文壇の注目を浴びる。『父』 (1887) ,『令嬢ジュリー』 (88) 等の戯曲が高く評価。91年にシリと離婚。この経緯は小説『痴人の告白』(1888)に詳しい。

 92から96年にかけて、ベルリンやパリに滞在。93年、オーストリアの記者、フリーダ・ウールと結婚、97年に離婚。この数年間はいわゆる「地獄時代」で、迫害妄想的な精神の異常をモチーフに『地獄』(1897)、『伝説』(1898)等の自伝的小説を創作する。やがてキリスト教に救いを見出し、象徴劇『ダマスカスへ』(1~2部 1898,3部 1904) に回心の過程を表し、後期の創作活動に入る。1901年、ノルウェーの女優ハリエット・ボッセと結婚、04年に離婚。07年、小規模な「親和劇場」を開き、小品の室内劇『稲妻』等を発表。1912年5月14日、胃癌で死去。享年63歳。葬儀には王室、政府、国会、大学の代表者が参列、数千人の市民が見送った。

 壁面には妻たちの写真がプリントされたものがあった。


 彼が28歳の時に27歳のシリと、44歳で21歳のフリーダと、52歳で23歳のハリエットと三度結婚する。そして晩年には若い女優、ファンニー・ファルクナーに求婚した(結婚には至らなかったが)。パネルの左上下、右上下の順で、シリ、フリーダ、ハリエット。一番右下の女性はファンニーだと思われる。すべて若く美しい女性であり、すべて短い結婚生活で終わっている。
 ストリンドベリには女性嫌悪・憎悪(その裏側には女性崇拝があるのだが)が凄まじい作品が多い。時には迫害妄想や被害妄想に至る精神の軌跡が描かれている。

 Raadmansgatan駅の階段を上がると、Sveavägenという大通りに出る。この日は「Stockholm Pride」という北欧最大のLGBTのパレードがあった。その関連イベントかは分からなかったが、大勢の人が詰め掛けていた。道路にオープンカーが行きかい、街路にはダンスミュージックが大音量で流されていた。「Pride」、尊厳や自由を重んじる社会なのだろう。

 喧噪の大通りを通り抜け、ゆるやかな坂を上っていく。目的地の Drottninggatan(ドロツトニング通り)85番地を目指した。五分も経たないうちに、角の頂上が青く光る建物が見えてきた。「青い塔」( Blå tornet )、ストリンドベリの旧居だ。
   

 1908年、59歳の時に、Drottninggatanという由緒ある通りの上り坂にあるこの美しい建物内の部屋に移り住んだ。ここが彼の最後の住居となった。1912年に亡くなるまで彼はこの家に閉じこもりがちだったという。孤独に向き合いながら晩年の作品を生み出していった。


2017年8月17日木曜日

Bob Dylanの似顔絵、Evert Taubeの銅像―ストックホルム 1

  8月上旬、妻と二人で北欧に行ってきた。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの三か国を回るツアーだが、一番の目的地はスウェーデンの首都ストックホルムだった。

  ストックホルムというとまず思い浮かぶのは、僕にとって作家のストリンドベリ(Johan August Strindberg)だ。芥川龍之介が影響を深く受けた作家である。『令嬢ジュリー』などの演劇は今でも上演されることがあるが、小説家としてはすでに忘れられた存在かもしれない。大正時代にはたくさん翻訳されていて、大正から昭和の初期にかけて文学者によく読まれていた。この街にはストリンドベリの記念館やゆかりの場所があり、以前から訪れてみたかった。

 そして、志村正彦・フジファブリックのファンとしては、4thアルバム『CHRONICLE』をレコーディングした街として記憶されている。この街に25日間滞在して全15曲が収録された。最後の曲『Stockholm』は現地で作詞作曲されたそうだ。さらに、かけがえのない名曲『ルーティーン』もストックホルムで録音されている。

 8月5日の昼前、空路でノルウェーのベルゲンからストックホルムへ。市街へ向かう途中で王家の住居ドロットニングホルム宮殿を見学した。宮殿前の湖には遊覧船だろうか、停泊中だった。「水の都」らしい風景。水が涼しげだ。緑も多い。気候も暑くはなく、日陰に入ると涼しいというか肌寒いくらい。北欧の人は短い夏を慈しむ。



 宮殿を離れ、旧市街のガムラスタンへ。13世紀に作られたという街路をしばらく散策。ところどころ路地裏の風景が広がる。ストックホルムというとやはりノーベル賞が浮かぶ人が多いだろう。中央の広場に面したノーベル博物館に入ることにした。受賞者の展示ディスプレー装置が並んでいる。山梨出身のノーベル生理学・医学賞受賞者、大村智先生の画面を選ぶ。「Nirasaki,Yamanashi」という字を認めると、山梨県人として単純にうれしくなった。



  ボブ・ディランを選択すると、肖像が写真ではなく似顔絵だ。鋭さに欠けた間延びしたような表情。かなり微妙だ。しかも似顔絵であるゆえに変に自己主張しているようで場の雰囲気には合わない。本人の意志なのか。ロック的といえばロック的ともいるが。売店には評伝も平積みされている。ディランがノーベル博物館に(いささかおさまりが悪い形で)「収蔵」されたことは確かだ。




 博物館を出て近くのレストランで夕食をとる。前の広場の向こう側に、眼鏡をかけた銅像があった。地面のプレートには「Evert Taube」と刻まれている。抱えているのは楽譜のようで音楽家かもしれない。何となく感じるものがあって写真を撮る。



 帰国してから調べると、Evert Taube(エヴェルト・タウベ、1890-1976)という音楽家、詩人だった。20世紀の「troubadour(吟遊詩人)」の伝統の体現者らしい。若い頃、各地を航海し、アルゼンチンでラテンアメリカの音楽に興味を持つ。youtubeにたくさんある音源を聴くと、確かに、タンゴ調の明るいリズムに乗せて歯切れよく歌う。スウェーデンのリュートという不思議な形の楽器で弾き語る写真や映像もあった。歌詞は全く分からないが、「R」の巻き舌の音がここちよい。メロディもリズムもシンプルだが、軽快でどこか懐かしく響く。反ファシスト、反戦の歌もあり、スウェーデンで最も尊敬されている音楽家の一人だそうだ。新しい50クローナ紙幣の肖像にもなっている。

 スウェーデンには吟遊詩人やシンガーソングライターを高く評価する伝統があるようだ。ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したのも、このようなスウェーデンの伝統の力があったのかもしれない。

2017年7月30日日曜日

鏡に映し出された「覚悟」-『ダンス2000』[ここはどこ?-物語を読む9]

  ディスコと言うと年がばれるが、ディスコにしろクラブにしろ縁のない人生を送ってきた。オバサン世代にとって、ディスコと言えばマハラジャか。バブルとボディコンとお立ち台と羽扇、行ったことはないけれど、ずいぶん映像化されたし、イメージはできる。もちろんそこに身を置いていた人たちとは、全く実感は違うのだろうけれど。

 世の中がバブルに浮かれていたころ、裸電球の四畳半に住んでいた。「神田川 」の時代からはだいぶ時が経っていて、さすがに遊びに来た友達が驚くほどのぼろ屋だったが、駅にも近くて、お風呂もあって、新宿や渋谷に20分くらいで行けるその部屋をそれほど不満に思ってはいなかった。映画や芝居を観に行ったり、ライブに出かけたり、友達と居酒屋で飲んだり、本を読んだり、やりたいことは山のようにあって、踊りに行くという選択肢は優先順位をつけると底につきそうなくらい低かった。理由はいろいろある。お金がかかる(当時、若い女の子が自分でお金を払おうと考える時点で既にずれていたかもしれない)。ボディコンが着られない。特段ディスコミュージックが好きではない。そこで心を通わせる男の人に会えるとは思えない(もしかしたらいたかもしれないけれど)。まあ 、一言で言ってしまえば、私はディスコに似合わなかったのだ。

 時代的に『ダンス2000』の舞台はクラブだろうか。どちらも縁のないオバサンにはディスコとクラブの違いが奈辺にあるかわからない。わかるのは『ダンス2000』の主人公がその場に全く似合っていないということである。


  ヘイヘイベイベー 空になって あの人の前で踊ろうか
  意識をして 腕を振って 横目で見てしまいなよ

  少しの勇気 振り絞って

  いやしかし何故に いやしかし何故に
  踏み切れないでいる人よ


 出だしこそ「へイヘイベイべー」と始まるものの、これは一種の記号のようなものだ。自分が軟派で軽い男(女の人のセリフとは思えないので)であると世間に示しているのだが、そのポーズはあっという間に崩れてしまう。「空になって……踊ろうか」とか「意識をして腕を振って」とか、わざわざ言うのは、主人公である《彼》があえて意識をしなければそうできないことを物語っている。


 また、この曲でもっともインパクトのある歌詞「いやしかし何故に」にも《彼》の性格は表れる。「いや」はそれまで考えていたことに疑いを持って立ち止まることばだ。「しかし」はそれまで考えていたこととは違う方向に向かうことばだ。「何故に」は理由を探ることばだ。たったワンフレーズの間に《彼》の頭は目まぐるしく回転している。この主人公は忘我とか没頭とか夢中とかいうダンスの世界とはずいぶん遠いところにいるように思える。

 実は『ダンス2000』の物語は何気ないようでいて意外と手ごわい。出だしの2行からして、誰が誰に何を言っているのかという単純な点でさえ、いくつかの解釈が考えられる。

①主人公である《彼》が自分自身に言っている。
 この場合は「ベイベー」が「あの人」で、その前で踊ってアピールしようということだろう。しかし、そうなると「横目で見てしまいなよ」が気になる。「しまいなよ」というのは自分自身に呼びかけることばとは思えないからだ。
②主人公である《彼》が「ベイベー」に促している。
 この場合は主人公と「ベイベー」の他に第三者の「あの人」がいることになる。「横目で見てしまいなよ」は「ベイベー」に向けられたことばとして違和感はなくなるが、今度は「あの人の前で踊ろうか」が難しくなる。自分と「ベイベー」の二人であの人の前で踊ろうと誘っているとも考えられるし、演出家が演者に演技をつけているように「ベイベー」に「やってみなさい」と言っているようにも感じられる。

 どう解釈しても聴き手の自由だが、私自身は②の方がしっくりくるので、今回は②の解釈に沿って進めてみたい。

 ②だと「ベイベー」を誘っているのかと思って聴いていたら、実は第三の人物「あの人」にアピールするように「ベイベー」を促していたということになる。しかし、《彼》の思いとは違って、「ベイベー」は「あの人」を横目で見ながら踊ることに踏み切れないでいる。何故踏み切れないのかと言いながら、《彼》の中に去来しているものはどのような感情なのだろう。もどかしさか、それとも裏腹な安堵感だったのか。それは《彼》と「ベイベー」の関係による。単純に彼女の恋を応援している知り合い、実は彼女のことが気になっているが彼女の気持ちが別の人にあることに気付いている内気な友人、たまたまその場で彼女を見かけた赤の他人、いろいろ考えられる。

 いずれにしても「踏み切れないでいる人よ」という時点まできて、これは観察者の視点だと気づかされる。つまり「ヘイヘイベイベー」以降これまでのことばは、彼女に直接語りかけたのではなく、彼女の観察者である《彼》の内心の声であると捉えることができる。「ヘイヘイベイベー」と「いやしかし何故に」が同じ人の口から発せられるのは違和感があるが、内心の声だとすれば納得がいく。
 わが主人公はいつの間にか当事者から観察者になってしまっているのだ。

 しかし、この曲はなかなか聴き手に一つの物語を描かせてはくれない。主人公はすぐに観察者の立場を放棄して、自分の気持ちを吐露し始める。


  ヘイヘイベイベー 何をやったって もう遅いと言うのなら
  今すぐでも投げ出す程の 覚悟ぐらいできてるさ


 ここに描かれるのが、「ベイベー」と《彼》と二人の関係だとすれば、「ベイベー」に「もう遅い」と言われるのは《彼》で、「投げ出す程の覚悟」をしているのも《彼》である。第三者である「あの人」に好意を寄せる彼女にとって、今さら《彼》が何をしても心が動くことはなく、《彼》は自分の恋をあきらめる覚悟をしていると解釈することもできる。だが、「もう遅いと言うのなら」と仮定表現になっているのだから、まだ「もう遅い」と言われたわけではない。「少しの勇気振り絞って」一発逆転を狙うこともできるはずだ。 しかし、「踏み切れないでいる人よ」と《彼》は今度は自分自身の観察者になる。
 
 それも一つの物語だ。しかし、ディスコに似合わなかったオバサンには、クラブに似合わない《彼》を主人公にした、もう一つの捨てきれない物語がある。

 「ベイベー」と《彼》とは赤の他人だ。心ならずもこの場にやってきた主人公はなじむことも楽しむこともできずに観察者としてフロアを眺めているうちに「ベイベー」を発見し、「あの人」を意識しながらアピールすることすらできない彼女をひそかに応援する。そして、遠くからひそかに彼女に向けて自らの決意を語る。それは《彼》がここにやってくる前からずっと考えてきたことなのだろう。何が「もう遅い」のか、何を「投げ出す」「覚悟」なのかはわからないが、それは《彼》にとって人生を左右する大切な事なのだ。《彼》は誰かに向けてその覚悟を語らなければならない。その誰かが、家族でも恋人でも友達でも同僚でもなく、赤の他人の、ことばを交わしたことすらない「ベイベー」であ るというようなこともあり得ると思うのだ。たぶん「ベイベー」はその場で《彼》が見つけた鏡なのだろう。鏡に映し出された「覚悟」とためらいを行きつ戻りつしている自分を眺めながら、《彼》は狂騒の中で独り異次元を生きている。

2017年7月23日日曜日

李相日監督『スクラップ・ヘブン』-『蜃気楼』2[志村正彦LN160]

 どの映画にもその中心となる風景のイメージがある。
 開発途中で放置された地区に取り残されたように存在している公衆トイレ。そのありえないほど汚れて荒廃したトイレの彼方には大都市らしき街並みや高層ビルが広がっている。近景のトイレと遠景の高層ビル街。李相日監督『スクラップ・ヘブン』にはこの対比的なショットが数回現れる。近景から遠景の方向へ視線が移動するように、物語は復讐劇として動き始める。


『スクラップ・ヘブン』DVD


  警察官のシンゴ(加瀬亮)、公衆便所掃除人のテツ(オダギリジョー)、薬剤師のサキ(栗山千明)の三人は、たまたま乗り合わせた路線バスがバスジャックされたことで知り合う。この三人はそれぞれの事情を抱え、現実に満たさていない。
 シンゴとテツはその後再会し、開発地区の公衆トイレを舞台に「復讐請負業」を始める。依頼人の復讐をこの二人が代行するのだ。「世の中想像力が足りねぇんだよ」というテツのセリフがその推進力となるが、物語の後半から事態は想像力を超えて展開し始める。

 一方、サキは黄色い液体の小瓶の爆弾を密かに製造している。何故なのか理由は分からないままに、「全部を一瞬で消しちゃう方法」の具現化である小瓶は大量に造られていく。テツとシンゴ、サキとシンゴという組み合わせで事件は動いていくが、「世界を一瞬で消す」欲望をめぐって、この三人が絡まり合う。

 『スクラップ・ヘブン』の色や光のイメージは独特だ。内部がかなり破壊されひどい落書きだらけの公衆トイレの形容しがたい色合い。殴り合いの暴力による血の赤色。サキの製造する爆弾の黄色い液体(薬剤師らしく点滴液のような色だ)。身体的で生理的な感覚の色合いと大都市の全景のくすんだ灰色が色の基調をなす。

 音楽監督の會田茂一によるサウンドもこのイメージを補強している。DVDには六曲のサウンドトラックが特典として収録され、作曲は五曲が會田茂一、一曲が二杉昌夫と記されている。編曲は曲により異なるが、會田茂一、中村達也、佐藤研二、生江匠、二杉昌夫の名があり、この編曲者たちが演奏も担当しているようだ。インダストリアルな曲調のインストルメンタルで、この映画の感触に非常に合致する。

 物語の最後で、シンゴは「世界を一瞬で消す」欲望に向き合わざるを得なくなる。一人でその欲望に結末をつけようとする。もともとシンゴは受動的な位置にいて、能動的なテツやサキに引きずられるようにして行動化(アクティング・アウト)していく。この物語では受動的な存在のシンゴがむしろ主人公であり、彼が初めて主体的な位置にたどり着くのがラストシーンだ。結末は意外というか偶然というのか、ある意味では必然のように展開するのだが、ここに記すことは控えよう。

 映画本編の終了と共に間髪を入れず、エンディングテーマ曲のフジファブリック『蜃気楼』(詞曲:志村正彦)が流れだす。


  三叉路でウララ 右往左往
  果てなく続く摩天楼

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…


 映画版の『蜃気楼』は、六分近くあるオリジナル音源の半分程度の3分10秒ほどに縮められた。タイトルバックに合わせて時間を調整したのだろうが、歌詞の半分が省かれたのは映画のモチーフとのつながりを重視したとも考えられる。この点については後に考察したい。

 志村正彦の声が聴こえてくると、物語がもう一度動き始める。映画の本編は終わっている。その断絶と共にある種の余韻というのか余韻以上ともいえるような重厚な言葉の響きを伴って、歌が始まる。

  (この項続く)

2017年7月9日日曜日

音の連鎖と反復-『蜃気楼』1 [志村正彦LN159] 

 初めてフジファブリック『蜃気楼』(詞・曲:志村正彦)を聴いたときの戸惑いと驚き。かなり前の事だが、記憶をたどりなおして書いてみたい。
 ギターとピアノが奏でる静謐で不穏なイントロの後、志村正彦のどちらかというと無表情な声が立ち上がってきた。

  サンサローデウララー ウオーサオー

 この言葉というより音の連なりが聞こえてきた時に、何を意味しているのか掴めなかった。続く「ハテナクツヅク マテンロー」。こちらの方は「果て(し)なく」「続く」と区切れそうだ。そうなると「マテンロー」は「摩天楼」か。そうであれば、さかのぼると「ウオーサオー」は「右往左往」になるのかもしれない。

 歌詞カードを参照してみた。こう書かれてあった。


  三叉路でウララ 右往左往
  果てなく続く摩天楼


 「サンサロー」は「三叉路」。文字を読むことでやっと了解できた。「三叉路」「右往左往」「果てなく続く」「摩天楼」という意味がつながり、ぼんやりとではあるが、ある風景が浮かび上がってきた。


  喉はカラカラ ほんとは
  月を眺めていると


 第1連の「ウララ」に呼応する「カラカラ」。作者の志村正彦は音の繰り返しにこだわっているようだ。ここでは彼がよく描く「月」が登場している。
 音だけで追いかけていくことを断念して、歌詞カードを見ながら聴くことにした。

 第3連から最後まではこのように展開していく。


  この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
  新たな息吹上げるものたちが顔を出している

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…


 全体を通してみると、「サンサロー」「マテンロー」「シンキロー」という単語末尾の音韻の反復と連鎖が耳に刻まれていく。視覚化すると、「三叉路」「摩天楼」「蜃気楼」という三つの風景が目に浮かんでくる。人工的な風景や不可思議な風景。それに対比されるように、「月」「雨」「花」という自然の風景も現れる。この三つは志村正彦の詩的世界に不可欠の景物だ。
 特に「おぼろげに見える彼方まで/鮮やかな花を咲かせよう」という一節の中で「花」が取り上げられていることには感慨を覚えた。

 題名であり歌詞のエンディングの言葉でもある「蜃気楼」。辞書によると、「熱気・冷気による光の異常な屈折のため、空中や地平線近くに遠方の風物などが見えたり、実像の下に虚像が反転して見えたりする現象」だ。現象としての「蜃気楼」を目撃したことはないが、芥川龍之介の短編『蜃気楼』のモチーフとなっていることで、この言葉には親しんできた。芥川の晩年の心象風景を象徴する言葉がこの「蜃気楼」である。

 「蜃気楼」という歌声の背景には、ピアノとギターの不協和音、即興演奏のような展開があった。「不穏」と「不安」を象徴するかのような演奏が、この作品が映画のテーマ曲として制作されたことを想起させた。歌の言葉も曲の展開も、映画作品との対話の中でほんとうの意味を明らかにしていくのだろう。そのような予想がもたらされた。

 『蜃気楼』は李相日監督の映画『スクラップ・ヘブン』のエンディングテーマとして録音された。音源は2005年9月7日発売の6枚目のシングル『茜色の夕日』のB面としてリリース。映画は2005年10月8日に封切。ほぼ同時期の公開となった。
 七年ほど前、この歌を聴いた後で『スクラップ・ヘブン』のDVDを見たのだが、予想をはるかに超え、『蜃気楼』はエンディングテーマとして傑出していた。

 次回以降、李相日『スクラップ・ヘブン』や芥川龍之介『蜃気楼』に言及しながら、志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』についての試論を書いていきたい。「右往左往」することになろうが、この歌を追いかけていくことにしよう。

  (この項続く)