志村けんが急逝した。知名度が抜群に高い人だけに衝撃が大きい。ご冥福を祈りたい。
小学生の頃、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』はそれこそ子ども全員が見ていた驚異的な番組だった。僕が熱心に見ていたのは、志村けんの前任者、荒井注の時代だった。ザ・ドリフターズはもともと音楽バンドということもあって、この番組はコントだけでなく歌や合唱もあった。「ドリフのズンドコ節」は最高だった。志村けんの加入時には高校生になっていたのでこの番組からはもう遠ざかっていたが、当時の感覚でも志村けんは新しいタイプのコメディアンだった。舞台に登場するとたちまちその場の雰囲気を変えてしまうようなインパクトがあった。
ここ十年ほどは、志村正彦と姓が同じであることで何となく親しみを抱くようになった。志村正彦のファンなら、ネットで「志村」を検索すると「志村けん」がヒットするという経験をしたことがあるだろう。
昨夜、追悼番組としてNHKが志村けんの「ファミリーヒストリー」を再放送していた。2018年5月に放送されたものだが、その際にこの番組を見ていた。言うまでもなく、志村けんのルーツそして「志村」という姓への関心からだった。
山梨で「志村」は比較的多い姓である。山梨県人なら誰でも志村という名の知人が何人かいるだろう。ネットで県別の姓のランキングを見ると、志村は15位である。全国では467位だからあきらかに山梨に数多くある姓となる。志村姓の県内在住者は約7000人いるらしい。歴史的には「甲斐志村氏」という捉え方のようだ。
直観にすぎないが、志村けんは山梨と何らかの関係があるのではと考えていた。「ファミリーヒストリー」では山梨の歴史研究家平山優氏が、志村けんの先祖は武田家家臣の山県昌景の家臣の可能性が高いと述べていた。その山県の家臣に「志村又左衛門」という人がいて、その子孫の一部が武蔵国に移り住んだそうである。志村けんのルーツは山梨にあるという説だった。説はあくまでも説だが、志村けんと志村正彦、二人の志村には、大きく捉えれば「志村」という姓の接点があると考えてもよいだろう。その他にも、志村けんは山梨とのゆかりがあったようだ。
新型コロナウイルスは世界を一変させた。
このブログに関係することではやはり、ライブハウスをはじめとする音楽の場が事実上閉鎖されていることだ。音楽家も現場の働き手も経営者も厳しい状況に追い込まれている。フリーランスの立場の方々の不安を思うとここに記す言葉もない。終息を待つしかないが、終息が見通せない。何をもって終息とするかも不明なところが焦燥感につながる。
こんな時こそ音源が不安な心を和らげてくれるかもしれない。志村正彦・フジファブリックの『ルーティーン』のことを想った。歌詞を引きたい。
日が沈み 朝が来て
毎日が過ぎてゆく
それはあっという間に
一日がまた終わるよ
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある
さみしいよ そんな事
誰にでも 言えないよ
見えない何かに
押しつぶされそうになる
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある
日が沈み 朝が来て
昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
新型コロナウイルスは世界を一変させた。わずか二、三ヶ月の間で、人々の日常が壊された。
日常とは、「昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という祈りがもたらすものであり、ほんとうは奇蹟のようなものかもしれない。
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