公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ

申込方法

右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2019年1月5日土曜日

荒井由実『ひこうき雲』-『陽炎』8[志村正彦LN206]

 2019年が明けて五日になる。ずっと快晴に恵まれ、甲府盆地から見える冬の富士が綺麗だ。新春という境地になる。

 時間を大晦日の紅白歌合戦に戻す。毎年その年の歌のトレンドを知るために見ている。平成最後が強調されていたが、歌合戦というよりもダンス合戦のような演出にはついていけなかった。suchmosの醸し出す「場違い感」だけがその流れを断ち切っていた。ロックだった。

 圧巻だったのは松任谷由実。教会風のセットを背景に『ひこうき雲』、突如NHKホールに移動して『やさしさに包まれたなら』を歌った。バックには鈴木茂、松任谷正隆、林立夫たち。ベースは細野晴臣ではなく小原礼。それでも四分の三「ティン・パン・アレー」ではないか。会場に呼びかけるユーミンと淡々と奏でるバンドメンバーのコントラストも見物だった。

 『ひこうき雲』の歌詞には「かげろう」が登場する。以前から気になっていたのだが、志村正彦・フジファブリック『陽炎』のエッセイを連載している今、この歌を取り上げてみたい。一番を引用する。
 誰もが知る曲だが、『荒井由実 - ひこうき雲 MUSIC CLIP』というオフィシャル映像があったので添付しておく。





  白い坂道が 空まで続いていた
  ゆらゆらかげろうが あの子を包む
  誰も気づかず ただひとり
  あの子は 昇っていく
  何もおそれない そして舞い上がる 

  空に 憧れて 空を かけてゆく
  あの子の命は ひこうき雲


 この映像は、砂田麻美監督によるユーミン×スタジオジブリのコラボレーションによるもので、映画『風立ちぬ』主題歌『ひこうき雲』のMUSIC CLIP(Short ver.)である。荒井由実時代のものか、それを意図した演出かは分からないが、回想的な映像が効果的に使われている。

 一番の歌詞を読んでいきたい。
 歌の主体は、「白い坂道」と「空」を見上げていくまなざしのなかで「かげろう」と「あの子」を描いていく。「かげろう」とひらがなで書かれているので、大気を揺らす現象を指す「陽炎」か、命のきわめて短い昆虫の「蜉蝣」が決めきれないところもあるのだが、「坂道」「空」「ゆらゆら」という表現との関連、この曲全体の雰囲気からするとすると「陽炎」と取る方が自然だろう。それでも、「昇っていく」「舞い上がる」という動きには、か弱くも宙を飛ぶ「蜉蝣」のイメージが入り込んでいるとも捉えられる。「陽炎」「蜉蝣」の二つが「かげろう」に重ね合わされている感じもある。半ば無意識的なものとして。

 『日本国語大辞典第二版』の「陽炎」の項目には次のような説明がある。

平安時代以降の和歌では、あるかなきかに見えるもの、とりとめのないもの、見えていても実体のないもののたとえとされることが多い。また、「かげろう(蜉蝣)」と混同して解され、はかないもののたとえとなることもある。

 「陽炎」は、「あるかなきかに見えるもの」であり、しかも語の混同により「はかないもの」の喩えともなる。実際に詩でも歌詞でも、「かげろう」にはこの二重の意味合いがあることが少なくない。『ひこうき雲』の「かげろう」にもそのようなニュアンスがある。

 解釈の枠組を作る際はどちらかの意味を基本とするかとりあえず決めなければならない。この論では「陽炎」という意味に取りたい。そうなると、「ゆらゆらかげろうが あの子を包む」は、「かげろう」がゆらゆらと揺れて、「あの子」を包んでいくというイメージが生まれる。しかし、歌の主体とそのまなざしの向こう側にいる「あの子」との間で「かげろう」が遮っているとも考えられる。「かげろう」が「あの子」を「ゆらゆら」と揺らすことで、有るか無きかの存在に見えてくる。
 その揺れの狭間で「あの子」の像が微かに現れるが、それはあくまでも儚い。「誰も気づかず ただひとり」とあるように、「あの子」は単独者として空に「昇っていく」。

 実は、志村正彦は『Rooftop』のクボケンジとの対談(2004.11.15 interview:Hiroko Higuchi)で「ロックを感じるCD3枚」の1枚目に、荒井由実のアルバム『ひこうき雲』を挙げている。次回はこのことを考えてみたい。

  (この項続く)

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