公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ

申込方法

右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2014年5月20日火曜日

反響-4/13上映會6 [志村正彦LN 83]

 上映會から一月以上経つ。このレポートも今回で完結としたい。

 4月13日は、穏やかな日和ではあったが、風にはまだ少し寒さが残っていた。この頃の風には寒さはもう無くなり、爽やかさがある。風の感触、風そのものの「風合い」が季節の実感を伝え、すでに初夏を思わせる気候となっている。『桜の季節』から『陽炎』へと、季節が歩み始めている。甲府盆地から見る富士山も雪解けが進み、夏の山へと姿を変えつつある。

 あの日、富士吉田に集った800人ほどの人々は、何を心に刻み、各々帰途へついたのだろうか。少数の知人を除くとすべて見知らぬ人々。言葉を交わすこともなく、ただ眺めるに過ぎない人々。でもなんだか、志村正彦・フジファブリックを中心とする「聴き手の共同体」の一員として、仲間意識のようなものも芽生えた。おそらく、皆、一生、志村正彦・フジファブリックを聴いていくのではないだろうかという確信と共に。

 当日夜、NHK甲府のローカル・ニュースが、「フジファブリックライブ映像上映」と題して1分半ほど取り上げていた。「志村さんにとって最初で最後の凱旋ライブ」と紹介され、『桜の季節』のシーン、展示会の様子、二人の女性のコメントが放送された。(昨年の「がんばる甲州人」の志村特集と同様、NHK甲府の報道は有り難い)

  2008年のライブも見ていたという方は、「この会場でもう一回見ることができたのが本当にうれしくて」と述べた。もう一人の方は「大切に大切に大切に聴いていきたいと思います」と話していた。「もう一回見る」ことのできた有り難さ、嬉しさ、そして「大切に」を三度繰り返した想いは、あの日に集った皆が共有するものだろう。

 5月4日付の山梨日日新聞では、沢登雄太記者が「フジファブリック故志村正彦 故郷でライブ上映 ほとばしる情熱”再燃”」と題する記事を書き、「志村がステージにいて、バックスクリーンに彼が映っているのかと錯覚してしまうほどだった」と記していた。ある女性の「志村君はいないけど、いる」というコメントも載せられていた。「いないけど、いる」。この言葉もまた、あの日集った人々の想いを代弁している。

 見かけた人も多かっただろうが、あの日は友人や仲間の音楽家たちがたくさん富士吉田を訪れてくれた。クボケンジ・木下理樹・曽根巧の3人が寄り添うようにして歩いていた。城戸紘志、足立房文そして同級生の渡辺隆之もいた。初代、2代目、そしてサポートではあるが実質的には3代目のドラマーが集っていた。おおげさだよと照れながらも、志村正彦は喜んでいたにちがいない。

 クボケンジは「メレンゲブログ」4/26/2014 (http://band-merengueband.blogspot.jp/)で、それにしても「お前はよく頑張ったね」と言ってやりたいのだ、と語っている。志村のMCの言葉に触発されて、「ずっと宿題を抱えてるみたいな気分なんだ。作詞作曲して歌うってのは一歩間違えるとすごくかっこ悪くて恥ずかしい。なので自分が思ってる以上にストレスなり体力を使う」と吐露しているのがとても印象深かった。表現者という立場を維持する限り、そのことに追われる日々が続く。(表現の第一線から退却した「元表現者」であっても、この国のファンは優しいので、それなりに活動を続けられる事例も多いが)
 「お前はよく頑張ったね」という言葉には、一人の表現者がもう一人の表現者に贈る、語ることのできない想いが刻み込まれている。

 表現は過酷で、時には深淵が待っている。

 上映會、そして『FAB BOX Ⅱ』という美しく豊かな果実。
 新しい楽曲が作り出されることはないという現実のもとで、「大切に大切に大切に」愛しむように、私たちは志村正彦の遺した楽曲を聴き続けていく。
 聴く行為が絶えない限り、「いないけど、いる」という形で、彼はここに存在し続けるのだから。

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