『ないものねだり』(『CHRONICLE』)のこの一節を聴くといつも、「ああ、ここには人の心の一番美しいものがある」と感じる。
帰り道に見つけた 路地裏で咲いていた
花の名前はなんていうんだろうな
もう何十年も前に聞いて忘れられない話がある。植物学者の牧野富太郎が、誰かが書いた「名もなき花」ということばに対して、「知らないだけで花にはみな名前がある。『名も知らぬ花』というべきだ」というような趣旨のことを述べたという話だ。確かに植物学者からすれば「名もなき花」とはすなわち新種で、見つけたくても簡単に見つけられるものではない。 自分が知らないだけなのに「名もなき」と決めつけるのは随分傲慢な所業である。私はいたく納得し、以来、「名もなき」ということばを使ったことはない。
名前を知るということは、それを認めるということである。雑草にも名前がある。「ホトケノザ」とか「オオイヌノフグリ」とか「ハハコグサ」とか「ナズナ」とか。その名前を知ると、それまで行き帰りの道で目に留まらなかったものが見えてくる。ああ、こんなところにホトケノザが群生していたんだと気づく。ずっとそこにあったのに見えなかったものが、名前を知った途端に見えるようになる。
だから、名前を知りたいということは、つまり、そのものを知りたいと思うことだ。そのものを知りたいと思うことは、そのものに惹かれること、大事に思うこと、さらに言えば愛することへの入口から一歩足を踏み入れるということである。そこにはほんの少しだがそのものに近づきたいという意志と勇気がある。
『ないものねだり』の「僕」は「気持ち伝える」のに悩み、「大事なところ間違えて」、「膨大な問題ばかりを抱えて」いる。いつの日も「あなた」に悩ませられている。うまくいかない、カッコわるい、そんなことばかりがあって、ありたい自分とのギャップにないものねだりを繰り返している「弱い生き物」だと自己評価している。そんな「僕」が「帰り道に見つけた 路地裏に咲いていた 花の名前」を知りたいと思うその瞬間、関心が自分から離れて、花という他に向かう。それまで「名も知らぬ」花だったものが、「僕」にとって特別な花になる。決して順調ではない、おそらく余裕もない、そんな状況の中で、自分のことをおいて他を思うその気持ちは、おそらく人の心の一番美しいものの一つだろう。
志村正彦が自分のことをどう思っていたのかはわからない。けれど、この歌を聴くたびに志村正彦の心の中にある美しさを感じずにはいられない。
公演名称
〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込
公演概要
日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ
申込方法
右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。
*〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。
*申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。
いつもすばらしい記事を、ありがとうございます。
返信削除ここにコメントを書き始めましたら、とてもコメント欄に収まらず、自分のブログで記事ひとつになってしまいました。
とても心に響く文章でした。
ありがとうございました。
ブログの記事読ませていただきました。過分なお褒めの言葉をいただき、とてもありがたくうれしく思っております。
返信削除私たちは結局、志村正彦の歌の美しさに、心の美しさに導かれるように何か書かずにいられないんですよね。