今日は8月31日。台風のために雨が降り続いている。ときに激しい雨や雷雨になる。酷暑が続いたが、気温は低くなってきた。ようやく、真夏のピーグが去っていくのだろう。この夏を振り返りたくなった。近いところから遡っていきたい。
昨夜、8月30日、たまたまテレビのチャンネルをつけると、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」が流れていた。テレビ朝日「ミュージックステーション」の「国民的夏の終わりラブソングtop10」という特集でこの歌が第六位に選ばれていた。夏の終わりになるとテレビやラジオからこの歌が聞こえてくる。気がつかないだけで、いろいろな夏の場面で「若者のすべて」が使われているのだろう。
8月18日、アラン・ドロンが亡くなった。僕の世代だと洋画の美男俳優はアラン・ドロン一択だった。彼の出演作ではルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(1960年、イタリア)が最も印象深い。貧しい南部からミラノやってきた母と五人兄弟の一家の物語。アラン・ドロンが演じる三男のロッコは、都会の生活には合わず、故郷に帰りたいと思っている。家族を深く愛しているが、そのためにと言うべきだろうか、残酷な悲劇が起きる。アラン・ドロンの美しい眼差しがギリシャ悲劇のような純度をこの映画に与えている。三時間近い作品だが、必見の映画だ。
イタリア語の原題は『ROCCO E I SUOI FRATELLI』。直訳では『ロッコと彼の兄弟』だが、『若者のすべて』という邦題が付けられた。原題とはかなりの隔たりがある邦題になった理由や経緯は不明だが、五人の兄弟、五人の若者たちの様々な人生の光と影を描いたという意味で、〈若者のすべて〉という題が付けられたのかもしれない。
『若者のすべて』の映像作品というと、1994年のフジテレビ制作のテレビドラマが有名だが、ヴィスコンティ監督『若者のすべて』の方が本家である。志村正彦が映画『若者のすべて』、ドラマ『若者のすべて』を実際に見ているのか分からない。今ではもう〈若者のすべて〉という言葉は作品名を超えて普通の名詞のようにも使われている。
最後はやはり、8月4日のフジファブリック20周年記念ライブ「THE BEST MOMENT」。
『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』は志村正彦の歌と映像、『茜色の夕日』は志村の歌とステージの生演奏を合わせた演出が記憶に強く刻まれている。
そのスクリーンとステージのことを思いだしても、その時の感情を言葉ではなかなか表現できなかった。今日、この文章を書いているうちに、学生時代に読んだ小林秀雄の『本居宣長』の最終章の言葉が浮かんできた。小林はこう書いている。
万葉歌人が歌ったように「神社(もり)に神酒(みわ)すゑ、禱祈(いのれ)ども」、死者は還らぬ。だが、還らぬと知っているからこそ祈るのだ、と歌人が言っているのも忘れまい。神に祈るのと、神の姿を創り出すのとは、彼には、全く同じ事(ワザ)なのであった。死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生れて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。
生前の志村正彦をまったく知らない僕は、この〈烈しい悲しみ〉を抱く身ではない、と言える。そのような間柄があるわけではない。しかし、ここで書かれた〈死者は去るのではない。還って来ないのだ〉という言葉は、僕のような身にも強く響いてくる。
あの日、志村の映像の姿を見て、志村の音源の声を聴いて、身に迫ってきたのはおそらく、彼は永遠に還って来ない、ということだと、今は振り返ることができる。
春は〈桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?〉(「桜の季節」)、夏になると〈真夏のピークが去った/天気予報士がテレビで言ってた〉(「若者のすべて」)、そして秋は〈もしも 過ぎ去りしあなたに/全て 伝えられるのならば〉(「赤黄色の金木犀」)と歌われる。
春、夏、秋と、過ぎていく時間、去っていく季節、過ぎ去った人、というように、志村正彦は、過ぎ去る、過ぎ去ってしまった、何か、誰かへの想いを繰り返し歌ってきた。それはまた、そのすべてが還って来ない、ということでもある。そして、小林秀雄が言うように、〈還らぬと知っているからこそ祈る〉のであるだろう。
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